坂本怜の生い立ちと家族|両親・高校時代から15歳のIMG留学、プロ転向まで

坂本怜
ひと目でわかるプロフィール 坂本怜
さかもとれい
出身地
愛知県
生まれ年代
2000年代生まれ
活動ジャンル
テニス選手
性別
男性
家庭環境
両親と育った
育った家庭
バレーボール経験のある両親に育てられ、幼少期には水泳やバレーボールも経験した。テニスは6歳で始め、両親は競技面ではコーチに任せ…
キャリアの原点
6歳でテニスを始め、他競技以上に夢中になった。
人生の転機
2024年9月にプロへ転向し、高校在学中のままプロテニス選手としてのキャリアを本格的に始めた。

坂本怜さんは、2006年6月24日生まれ、愛知県名古屋市出身のプロテニス選手です。

日本テニス協会とIMGのプロフィールでは身長195cmで、長身から放つサーブに加え、勝利後にラケットを刀に見立てる「侍パフォーマンス」でも知られるようになりました。

坂本怜さんを理解する3つのポイント
  1. スポーツが身近な家庭環境で育ち、複数競技を経験した。
  2. 高校:誉高校
  3. 6歳でテニスを始め、他競技以上に夢中になった。

2026年8月には、全米オープン予選決勝で幼いころから憧れてきた錦織圭さんを破り、初めて同大会の本戦入りを決めています。

ただ、子どものころから全国大会を次々に制していたわけではなく、全国タイトルを初めて手にしたのは中学3年生になってからでした。

名古屋で水泳やバレーボールにも触れ、小学4年生から地元のテニスクラブで練習を重ねたのち、15歳で名古屋を離れてアメリカのIMGアカデミーへ渡ったことから、生活もテニスも大きく変わっていきます。

坂本怜の生い立ちと家族|名古屋で複数のスポーツに触れた少年時代

坂本さんが育ったのは愛知県名古屋市で、家の中にはテニスとは別の球技に親しんできた両親がいました。

最初から進路をテニス一本に絞るのではなく、いくつものスポーツに触れながら、6歳で握ったラケットが少しずつ生活の中心になっていきます。

バレーボール経験者の両親と兄|テニスはコーチに任せた家庭

両親はともにバレーボール経験者で、ATPの取材によると父親は大学でもプレーしていました。

家族については兄がいることもインタビュー記事から確認できますが、兄の名前や年齢、職業などは公表されていません。

スポーツ経験のある両親でしたが、息子がテニスを始めたあとも技術面を家庭で細かく指導する形にはせず、練習はコーチに任せて試合の応援などを担っていました。

「テニスはコーチに任せ、両親はサポートに徹してくれていました」

Tennis Classic

競技経験のある両親がテニスの技術はコーチへ任せていたという家庭で、坂本さんはクラブでの練習を積み重ねていきました。

6歳で水泳・バレー・テニスを経験|最終的にラケットを選んだ

6歳ごろはテニスだけでなく、水泳やバレーボールも習っていました。

ATPの取材では野球選手になりたいと思っていた時期も明かしており、幼いころの選択肢には野球もありました。

それでも初めてラケットを握ったときには自分に合っている感覚があり、複数の競技の中からテニスへ傾いていきます。

テニスを始めた年齢は6歳で、日本テニス協会の選手資料にも同じ年齢が記録されています。

8歳、祖母の家でみかんを食べながら錦織圭の全米決勝を見た

2014年、8歳だった坂本さんは祖母の家で、錦織圭さんが全米オープン決勝を戦うテレビ中継を見ていました。

ATPのインタビューに残っているのは、ただテレビを見ていたという話ではなく、祖母の家でみかんを食べながら観戦していたという具体的な場面です。

錦織さんは日本男子として初めて四大大会シングルス決勝へ進み、坂本さんにとってテニスの世界を意識する大きな存在になりました。

このときテレビの中にいた錦織さんとは、10年後に同じ大会でダブルスを組むことになります。

楠西小4年でチェリーテニスクラブへ|富田悠太との出会い

出身小学校は名古屋市立楠西小学校で、日本テニス協会のPLAYER’S GUIDEに学校名が記録されています。

小学4年生からは名古屋市のチェリーテニスクラブで本格的に練習するようになり、同年代の富田悠太さんとも同じ環境で腕を磨きました。

クラブは目の前の勝利だけではなく、将来より良いプレーができるようになることを重視しており、坂本さんも小学生のうちから長い時間軸で育成を受けていました。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

父

バレーボール経験者。テニスではコーチに任せ、サポートに徹した。

本人・家族本人の発言 出典を見る
母

バレーボール経験者。テニスではコーチに任せ、サポートに徹した。

本人・家族本人の発言 出典を見る

小学生時代|全国大会に出ても「突出した選手」ではなかった

小学校高学年になると全国の大会へ出るレベルには到達していましたが、当時の周囲の記憶には、現在の実績から想像するような「最初から圧倒的な選手」という姿は残っていません。

むしろ同じクラブに、当時は坂本さん以上に目立っていた同年代の選手がいました。

楠西小6年で全国小学生選手権へ|第9シードで全国の舞台に立つ

2018年、楠西小学校6年生だった坂本さんは全国小学生テニス選手権に第9シードで出場しました。

全国大会へ出る力はすでにありましたが、この時点では全国タイトルを持っておらず、結果だけを見れば後のジュニア世界1位へ一直線に進んでいたわけではありません。

大きな体格でも成績は突出せず|富田悠太のほうが目立っていた

チェリーテニスクラブの千頭政己コーチは、坂本さんが小さいころから体格の大きな子だった一方、戦績では抜きん出ていたわけではなかったと振り返っています。

同じクラブで練習していた富田悠太さんのほうが良いテニスをして目立っていた時期もありました。

2019年11月には、13歳になった坂本さんが富田さんらと一緒に、オーストラリアの14歳以下大会へ向かう前のボブ・ブレット主催キャンプにも参加しています。

体格の大きさだけが先に注目される少年ではありましたが、全国の頂点に立つのはもう少し先でした。

人生年表 坂本怜さんの歩み
幼少期
坂本怜の生い立ちと家族|名古屋で複数のスポーツに触れた少年時代

坂本さんが育ったのは愛知県名古屋市で、家の中にはテニスとは別の球技に親しんできた両親がいました。

中学校
中学時代|富田悠太との「夢の決勝」で初の全国タイトル

小学校を卒業した坂本さんは名古屋市立楠中学校へ進み、コロナ禍と重なった中学時代を過ごしました。

学生時代
小学生時代|全国大会に出ても「突出した選手」ではなかった

小学校高学年になると全国の大会へ出るレベルには到達していましたが、当時の周囲の記憶には、現在の実績から想像するような「最初から圧倒的な選手」という姿は残っていません。

中学時代|富田悠太との「夢の決勝」で初の全国タイトル

小学校を卒業した坂本さんは名古屋市立楠中学校へ進み、コロナ禍と重なった中学時代を過ごしました。

この時期には身長がさらに伸び、同時に、長く一緒に練習してきた富田さんとの関係にも一つの節目が訪れます。

コロナ禍に1日約12時間睡眠|大きく伸びた身長

本人によると、最も身長が伸びたのはコロナ禍で外出が難しかった時期でした。

そのころは1日12時間ほど眠っていたこともあり、もともと高かった身長がさらに伸びていきます。

16歳だった2022年のインタビュー時点で身長は192cmに達し、その後さらに伸びて日本テニス協会とIMGのプロフィールでは195cmと記載されるようになりました。

楠中3年、富田悠太を6-3で破って全国初優勝

2021年、中学3年生で出場した全国中学生テニス選手権で、坂本さんは初めて全国タイトルへたどり着きます。

決勝の相手は、小学生のころから同じクラブで練習してきた富田悠太さんでした。

コロナ禍のため1回戦から決勝まで1セットマッチで行われた大会で、坂本さんは富田さんを6-3で破っています。

小学生時代にはクラブ内で富田さんのほうが目立つ時期もあった坂本さんが、中学3年で初の全国優勝を果たしました。

うれしさから飛び出した寝転びポーズがSNSの定番に

全国中学生選手権を制した直後、坂本さんはコート上に寝転び、両手両足を上げる独特のポーズを見せました。

後年のインタビューでは、優勝がうれしすぎて自然に出てきたものだと説明しており、その後は自身のSNSにもたびたび登場するようになります。

勝ったあとに自分なりのポーズを見せるスタイルは、現在の「侍パフォーマンス」より前の中学生時代からありました。

12〜13歳ごろから考えていた「IMGへ行く」という進路

全国初優勝のころには、国内大会の先にある海外での競技生活も現実的な進路になり始めていました。

本人は12〜13歳ごろからアメリカのIMGアカデミーを意識するようになり、錦織圭さんが若いころに渡った場所も進路の一つとして見ていました。

本格的に移る数か月前のテスト期間にはフロリダを訪れ、そこで初めて錦織さんと練習する機会も得ています。

誉高校と15歳の渡米|IMGアカデミーで生活そのものが変わった

中学校卒業後は誉高校へ進みますが、高校生活の中心となる場所はほどなく海を越えます。

名古屋で練習してきた少年にとって、学校だけでなく日々の練習環境や使う言葉まで変わる時期が始まりました。

盛田正明テニス・ファンドの支援で2022年2月にフロリダへ

錦織圭さんらも支援を受けてきた盛田正明テニス・ファンドのサポートが決まり、2022年2月、15歳の坂本さんは日本から1万km以上離れたフロリダへ移りました。

IMGアカデミーを練習拠点にする生活が、ここから本格的に始まります。

誉高校に在籍しながら海外を拠点にジュニア大会を回る形となり、2022年にはITFジュニアの上位大会で優勝や準優勝を重ね、世界ジュニアランキングも上昇しました。

英語で話せなかった渡米当初|コートとジムが隣接する環境へ

渡米当初は、英語でどうコミュニケーションを取ればいいのか分からない状態だったとATPの取材で振り返っています。

一方、練習環境は日本にいたころと大きく変わり、IMGではコートとジムが近く、必要なトレーニングへすぐ移れる生活になりました。

16歳の本人も、施設が充実したことで以前よりテニスへ集中できるようになったと当時のインタビューで話しています。

生活の中でテニスに向き合う時間そのものが増えていったのが、渡米後の変化でした。

山中夏雄コーチとの出会い|ネットプレー・観戦・ストレッチが増えた

盛田ファンドの山中夏雄コーチとの出会いは、コート上だけでなく普段の過ごし方にも変化をもたらしました。

プレーでは以前よりネットへ出る場面が増え、緊張する局面でも力を出すための経験を積んでいきます。

コート外でも、プロの試合を見る時間やストレッチをする時間が増え、トップ選手のいる環境が毎日の行動へ入り込んでいきました。

IMGへ本格的に移る前に錦織さんと初めて練習した際には、当時すでに190cmを超えていた坂本さんに対し、長身を生かしてもっと攻め、前へ出ると相手は嫌だと感じるという助言も受けています。

理科と元素記号が好きだった16歳|帰国するとまずラーメン

2022年のインタビューでは、テニス以外の高校生らしい日常も残っています。

好きな科目は理科で、中でも元素記号に興味があり、反対に国語は苦手だと答えていました。

好きな食べ物はラーメンで、海外から日本へ戻ると最初に食べに行くことが習慣になっており、愛知発祥の油そば店「歌志軒」も名前を挙げています。

空き時間には『ONE PIECE』などジャンプ系の漫画も読んでおり、海外遠征とトレーニングが続く16歳の生活の中に、学校の科目や漫画、ラーメンという日常もありました。

ジュニア世界1位への転機|守備型だった坂本怜が攻撃型へ変わる

195cmの長身と聞くと最初からサーブと強打で押す選手を想像しやすいですが、IMGへ渡ったころの坂本さんは、どちらかといえば粘ってポイントを取るテニスをしていました。

その形がプロを相手にした大会で一度崩され、17歳の秋にプレースタイルが変わっていきます。

2023年チャレンジャー初戦で内山靖崇に完敗

2023年11月、坂本さんは日本で行われたATPチャレンジャー大会へ3週続けて出場しました。

最初の大会では内山靖崇さんと予選1回戦で対戦し、1-6、2-6で敗れています。

内山さんは後に、当時の坂本さんには簡単なミスもあったと振り返っており、ジュニアで戦うときとは違うボールや展開を実戦で経験する3週間になりました。

3週間のプロ大会で世界111位にも勝利|「守る」から「攻める」へ

1週目にストレートで敗れたあとも大会を回り、3大会目では当時世界111位の選手を破って2回戦へ進みました。

強いサーブと粘りを持ちながら、錦織さんから受けていた長身を生かす攻撃の助言も実戦へ取り入れ、チャンスでは前へ出るテニスが増えていきます。

プロ相手に完敗した2023年秋の3週間は、守るだけでなく自分からポイントを取りに行く形へ変わる時期になりました。

2024年全豪ジュニア優勝|全豪ジュニア男子シングルスで日本勢初の頂点

変化の結果が大きく表れたのが、17歳で迎えた2024年全豪オープン・ジュニアでした。

男子シングルス決勝ではチェコのヤン・クムスタさんに第1セットを奪われたあと、3-6、7-6(2)、7-5で逆転勝ちしました。

ファイナルセット5-5では相手のサービスゲームで0-40まで追い込まれながらデュースへ戻し、ブレークしてから自分のサービスゲームを取り切っています。

坂本さんは全豪オープンのジュニア男子シングルスで日本勢初の優勝者となりました。

「僕ができることは、ここで頑張り、明るい話題を届けること。」

Tennis.jp

同年5月27日にはITFジュニア世界ランキング1位に到達し、前年秋にプロ大会で負けていた選手が、半年ほどでジュニア世界一の順位まで上がりました。

全米ジュニア複も制してジュニア生活を終える

2024年は全仏オープン・ジュニアの男子ダブルスで準優勝し、9月の全米オープン・ジュニアではシングルスベスト4まで進みました。

さらに男子ダブルスではマキシム・ムルバさんと組み、決勝でデニス・ペタクさん/フリン・トーマスさん組を7-5、7-6(1)で破って優勝します。

ジュニア最後の大会を全米オープンのダブルスタイトルで終え、次に待っていたのはプロとしてのスタートでした。

18歳でプロ転向|テレビで見た錦織圭と同じコートへ

全米オープン・ジュニアから帰国した坂本さんは、高校生のままプロとして歩き始めます。

最初の舞台は、長く追いかけてきた錦織圭さんも出場する東京・有明でした。

2024年9月20日にプロ宣言|誉高校在学中の決断

2024年9月20日、18歳の坂本さんは有明コロシアムでプロ転向を発表しました。

当時は誉高校在学中で、全豪ジュニア優勝、ジュニア世界1位、全米ジュニア複優勝を経た直後の決断でした。

「テレビで錦織選手を見て夢をもらいました。」

Tennis.jp

その会見では、自分が今度は夢を与える側になりたいこと、見た人を笑顔にできる選手を目指すこと、そしてグランドスラム優勝を目標にすることも口にしています。

15歳で渡米してから約2年半、坂本さんは18歳でプロ選手になりました。

ジャパンオープンで錦織圭とダブルス|プロ初戦は苦い敗戦

プロ転向直後の木下グループ・ジャパンオープンでは、シングルス予選と、錦織さんとの男子ダブルス本戦にワイルドカードで出場しました。

シングルスのプロ初戦は予選でルカ・ナルディさんと対戦して敗れ、華やかな発表の直後にツアーの試合で黒星から始まります。

その一方で、錦織さんとは同じ側のコートに立ち、男子ダブルスを戦いました。

四日市チャレンジャー優勝|錦織圭に次ぐ若さで初タイトル

プロ転向から約2か月後の2024年12月、四日市チャレンジャーで初めてATPチャレンジャーツアーの決勝へ進みました。

決勝ではクリストフ・ネグリトゥさんに第1セットを1-6で奪われながら、6-3、6-4と取り返して逆転勝ちしています。

18歳5か月でのチャレンジャー初優勝は、日本男子では錦織圭さんに次ぐ若さでした。

この大会はチャレンジャー本戦出場わずか6大会目で、世界ランキングも自己最高412位まで上昇しました。

2025年にチャレンジャー3勝|プロのランキングを一気に上げる

2025年7月にはアメリカ・ケーリーのチャレンジャー決勝でリアム・ドラクスルさんを6-1、6-4で破り、2個目のタイトルを獲得しました。

19歳12日でのチャレンジャー複数回優勝は日本男子の最年少記録となり、西岡良仁さんや錦織さんを上回る年齢での到達でした。

11月の横浜チャレンジャーでは内田海智さんとの決勝を4-6、7-6(4)、6-4で制し、日本男子の10代選手として初めてチャレンジャー3勝に到達します。

高校は2025年3月に卒業し、以降はプロツアーを回る生活へ完全に移りました。

2026年の坂本怜|四大大会本戦へ挑む20歳の現在

2026年に入ると、ジュニア時代に結果を残した四大大会へ、今度はシニアの選手として入っていく段階が始まりました。

予選を勝ち抜く大会が増え、3月にはATPツアー本戦でも初勝利を挙げています。

全豪オープンでシニアの四大大会本戦へ

2026年1月の全豪オープン予選では、ダニエル・エバンズさん、コルトン・スミスさん、ジュリオ・ゼッピエリさんをいずれもストレートで破りました。

ジュニアで優勝したメルボルンで、初めてシニアの四大大会本戦へ進出します。

本戦1回戦では同じく予選を勝ち上がったラファエル・ホダルさんと3時間51分戦い、6-7(6)、1-6、7-5、6-4、3-6で敗れました。

3月のマイアミ・オープンではアレクサンダー・コバチェビッチさんを6-4、3-6、7-6(7)で破り、5本目のマッチポイントでATPツアー本戦初勝利を決めています。

全仏予選後の口論|確認できる事実と原因が不明な部分

5月の全仏オープンでは予選1回戦でペドロ・マルティネスさんと対戦し、2-6、5-7で敗れました。

試合後には両者がネット付近で言い合いになり、主審が間に入る場面が映像と報道で確認されています。

マルティネスさん側の「外でやるか?」という趣旨の発言も報じられていますが、言い合いが始まった直接の理由について、信頼できる公開情報では明確に確認できません。

確認できるのは試合後に口論があったところまでで、発端については断定できない状態です。

ウィンブルドン予選決勝、そして全米オープンへ

6月のウィンブルドン予選ではアントン・マツセビッチさんらを破って最終ラウンドまで進み、本戦出場まであと1勝に迫りました。

予選決勝では第2シードのジャイメ・ファリアさんに6-7(3)、6-4、3-6、4-6で敗れ、芝の四大大会本戦は持ち越しになります。

それでも8月の全米オープン予選ではジェイ・クラークさん、アレクサンドル・ミュレールさんを破り、最後の1枠をかけた予選決勝で錦織圭さんと初めてシングルスで対戦しました。

全米オープン予選決勝で錦織圭を破り初の本戦へ

2026年8月28日、20歳の坂本さんは、36歳で今季限りの引退を表明している錦織さんと全米オープン予選決勝で向かい合いました。

坂本さんは19本のサービスエースを決め、6-4、7-6(3)のストレートで勝利します。

長く憧れてきた錦織さんを破り、坂本さん自身が全米オープン本戦へ初めて進みました。

「悪くない響きですよね。」

tennis365.net

これは錦織さんの四大大会最後の対戦相手として名前が残ることについて聞かれた際の言葉で、その続きでは、錦織さんと並べるような名前になっていきたいとも話しています。

試合後、錦織さんも坂本さんを次の日本のトップ選手だと評し、トップ10へ入れる力への期待を口にしました。

現在の世界ランキングと次の目標

2026年8月28日更新の全豪オープン公式プロフィールでは、坂本さんの世界ランキングは157位、自己最高は148位です。

同時点では20歳以下によるNext Gen ATP Finals出場争いにも入り、ATPのLive Next Gen Raceで10位につけています。

全米オープン本戦1回戦の相手はオーストラリアのアレクサンダー・ブキッチさんに決まっており、2026年8月30日時点では試合前です。

名古屋で複数のスポーツに触れた少年は、中学3年で初めて全国の頂点に立ちました。

15歳で生活拠点をアメリカへ移したあと、ジュニアの世界一を経てプロの舞台へ進んでいます。

20歳になった現在は、かつて追いかけていた錦織圭さんと同じコートを越え、自分の名前で四大大会本戦を戦う段階へ入っています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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