HANAジス(JISOO)の生い立ちと家族|高校2年の決心、練習生から日本デビューまで

HANAジス(JISOO)
ひと目でわかるプロフィール HANAジス(JISOO)
じす
出身地
海外
生まれ年代
2000年代生まれ
活動ジャンル
歌手
性別
女性
家庭環境
両親と育った
育った家庭
韓国で一人っ子として育ち、両親から『始めたことは責任を持って最後までやる』姿勢を教えられた。
きょうだい構成
1人きょうだい・本人は1番目
キャリアの原点
高校2年生の夏、進路を考える中で音楽を仕事にすると決め、3年生ごろから練習生生活へ進んだ。

ちゃんみなさんがプロデュースする7人組ガールズグループHANAで、低くやわらかな声から力のある高音までを行き来するJISOO(ジス)さん。

HANAでは歌い出しを任されることもあり、韓国語と日本語を行き来しながら7人の活動を支えています。

HANAジス(JISOO)さんを理解する3つのポイント
  1. 保育園への送り迎えでは母の車で海外のヒップホップやR&Bを聴いて育った。
  2. 高校2年生の夏、進路を考える中で音楽を仕事にすると決め、3年生ごろから練習生生活へ進んだ。
  3. 現在の道につながる原点:養成・修業

日本で注目されたのは『No No Girls』でしたが、その前には母の車で海外のR&Bを聴いた幼少期、高校2年の決心、韓国での2年間の練習生生活がありました。

音楽をやめようかと迷った2023年を越え、独学の日本語を携えて別の国のオーディションへ進んだ人でもあります。

活動名JISOO(ジス)
本名イ・ジス(ABEMA TIMES掲載)
生年月日2000年9月8日
年齢25歳(2026年8月18日現在)
出身韓国
所属HANA/B-RAVE
公表されている得意分野トップライニング、言語学習
身長所属先からの公表なし
プロフィールはHANA公式サイト、ABEMA TIMES、ORICON NEWSを参照

2026年7月に開設されたJISOOさんの個人Instagramには、現在の表情がよく分かる写真が並んでいます。

HANAジスの生い立ちと家族|一人っ子で母の音楽と育つ

JISOOさんの音楽の出発点は、歌のレッスン室ではなく、保育園へ向かう車の中にありました。

一人っ子として両親に教えられた「最後までやる」姿勢

韓国の家庭で一人っ子として育ち、幼いころから一人で何かをするのが得意な子どもでした。

両親から繰り返し伝えられたのは、何かを始めるなら責任を持って最後までやるということでした。

父親と母親の名前や職業、実家の所在地は公表されておらず、家族について本人が具体的に明かしているのは両親の教えと母との音楽の記憶が中心です。

母の車で海外のヒップホップとR&Bを聴いた保育園時代

音楽好きの母は、保育園への送り迎えで子ども向けの曲ではなく、海外のヒップホップやR&Bを車内に流していました。

まだ職業を考えるよりずっと前に、JISOOさんは母の選んだ音楽を日々の移動の中で聴いていたのです。

「今振り返るとあの時間が私の音楽の原点だった気がします」

smart Web

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

父

両親から責任を持って最後までやる姿勢を教えられた。氏名・職業など非公表情報は登録しない。

信頼できる媒体 出典を見る
母

保育園への送り迎えで海外のヒップホップやR&Bを流し、本人の音楽の原点を作った。

信頼できる媒体 出典を見る

学生時代|苦手な美術にも全力、高校2年の夏に進路を変える

音楽が身近にある子ども時代を過ごしても、初めから歌手になる未来を思い描いていたわけではありませんでした。

苦手な美術でも評価を得るまで取り組んだ

学生時代のJISOOさんは、得意なことだけを選ぶより、すべてに全力で取り組むことを自分の軸にしていました。

美術は苦手な教科でしたが、そのままにせず、よい評価を受けられるところまで努力したと後年に明かしています。

音楽を仕事にする発想がなかった高校2年の夏

幼いころから歌を聴くことは好きでも、自分に特別な才能があるとは思っておらず、音楽を職業にしようと考えたこともありませんでした。

ところが高校の進路調査に向き合ったとき、日常の延長にはなかった選択肢が急に輪郭を持ちます。

「私は音楽をやらないと幸せになれない」

non-no web

高校2年生の夏休みにアーティストになると決め、3年生になるころには芸能事務所の練習生として本格的な音楽生活へ入りました。

人生年表 HANAジス(JISOO)さんの歩み
幼少期
HANAジスの生い立ちと家族|一人っ子で母の音楽と育つ

JISOOさんの音楽の出発点は、歌のレッスン室ではなく、保育園へ向かう車の中にありました。

高校
学生時代|苦手な美術にも全力、高校2年の夏に進路を変える

音楽が身近にある子ども時代を過ごしても、初めから歌手になる未来を思い描いていたわけではありませんでした。

高校
音楽を仕事にする発想がなかった高校2年の夏

幼いころから歌を聴くことは好きでも、自分に特別な才能があるとは思っておらず、音楽を職業にしようと考えたこともありませんでした。

学生時代
練習生を終えた後|大学の説と音楽を手放しかけた2023年

練習生生活が終わってから日本へ渡るまでには、表舞台に名前が出ない数年間がありました。

原点
先にデビューした練習生仲間を見送る

同じ場所で練習していた友人の中には、JISOOさんより先にデビューした人もいました。

韓国の芸能事務所で17歳から2年間の練習生生活

高校で進路を決めたJISOOさんは、歌を聴く側から、歌唱とパフォーマンスを学ぶ側へ移りました。

17歳から19歳まで続いたレッスンの日々

17歳からの2年間、韓国の芸能事務所で練習生として活動し、歌とパフォーマンスを本格的に学びました。

練習生を終えた時点でデビューには至らず、その後も音楽を続ける道を一人で探す時間が続きました。

元YG練習生という説は確認されていない

公表されている範囲

本人インタビューで示されているのは「韓国の芸能事務所」であり、YG ENTERTAINMENTの練習生だったと裏づける本人・所属先の発表はありません。

先にデビューした練習生仲間を見送る

同じ場所で練習していた友人の中には、JISOOさんより先にデビューした人もいました。

練習生を終えた後|大学の説と音楽を手放しかけた2023年

練習生生活が終わってから日本へ渡るまでには、表舞台に名前が出ない数年間がありました。

大学は慶熙大学?公式確認のない学歴情報

JISOOさんの大学として、ネット上では慶熙大学ポストモダン音楽学科の名が広がっています。

同学科の公式YouTubeチャンネルには2022年公開のNIKI「Split」のカバー動画がありますが、動画の公開情報だけでは出演者とHANAのJISOOさんが同一人物だと確定できません。

HANA公式プロフィールや本人インタビューにも大学名、在籍、卒業の記載はなく、慶熙大学卒業は現時点で公式確認のない情報です。

ソロを目指す一方、2023年には音楽をやめようと迷った

『No No Girls』を知る前は、グループではなくソロアーティストとして活動する道を考えていました。

しかし、練習生を終えてもデビューへ直結する場所は決まらず、2023年には心身の調子を落とし、音楽をやめようかと迷う時期を迎えます。

この経験の後、日々の合言葉として「健康第一」を意識するようになり、体が元気でなければ何も始められないと考えるようになりました。

韓国漫画『GARBAGE TIME』の次の一話を待った

先の見えない時期、毎日の楽しみになったのが、弱小バスケットボール部の選手たちを描く韓国漫画『GARBAGE TIME』でした。

新しいエピソードが公開されることを待ちながら過ごし、やがて日本へ向かうときには全巻を持って行きました。

「読んで泣いて練習して泣いて、読んで泣いてまた頑張る……」

Numero TOKYO

独学の日本語で『No No Girls』へ|韓国から来たJISOOの挑戦

2024年、JISOOさんは長く目指していたソロとは異なる、ガールズグループを作るオーディションへ足を踏み入れます。

「別の国なら新しい自分に」と日本語を独学

日本での活動経験がある状態から始めたのではなく、日本語を独学し、韓国から『No No Girls』へ応募しました。

音楽を続けるか迷った後に出した答えは、慣れた環境で同じ方法を試すことではなく、言葉も生活も変わる場所へ移ることでした。

「他国に行ったら新しい自分になれるかもしれない」

ananweb

2次審査で『丸ノ内サディスティック』を歌う

対面の2次審査を受けるために来日し、椎名林檎さんの「丸ノ内サディスティック」を選びました。

歌唱の途中にはスキャットも入れ、審査を見ていたSKY-HIさんから声そのものを評価されます。

この2次審査では250人が歌と人生を見せ、その中からJISOOさんを含む30人が3次審査へ進み、韓国から参加した候補者として合宿へ入りました。

4次審査では作詞経験を生かし、3人で曲を組み立てる

3次審査を通過した後、21人が3人ずつのチームに分かれ、与えられたトラックから歌詞とメロディーを作るクリエイティブ審査へ進みました。

JISOOさんはSTELLAさん、MOMOKAさんと組み、作詞経験のあるMOMOKAさんと早い段階から曲の構成を相談しました。

3人に渡されたのはヒップホップのトラックで、合宿2日目には各自が考えた歌詞とメロディーを持ち寄り、ちゃんみなさんの前でプリプロダクションを行いました。

ブリッジやプリコーラスをどこへ置くかまで話し合い、制作経験の少ないSTELLAさんが言葉を出せるよう二人で支えています。

一方、約16年のダンス経験があるSTELLAさんは振り付けを主導し、歌詞とメロディーはJISOOさんとMOMOKAさん、ダンスはSTELLAさんという分担が生まれました。

合宿7日目にほかのチームの進み具合を目にすると、3人は遅れていたダンスを見直し、STELLAさんを中心に短い時間で精度を上げました。

5次審査「Tiger」で向き合った自分の声

5次審査ではKOKOAさん、KOHARUさん、JEWELさん、NAOKOさん、MAHINAさん、MOMOさんと同じBチームになり、「Tiger」と「NG」に9日間で取り組みました。

宿舎へ入った7人は自分たちを「明るい」「ふわふわした」チームと表現し、限られた日数の中でも声をかけ合いながら準備しました。

「NG」では候補者自身が歌詞と振り付けを作り、7人で初めて見せたダンスには、ちゃんみなさんが自分たちで考えたことを確認して驚く場面もありました。

合宿8日目からはプロが作った「Tiger」の難しい振り付けをわずか2日間で覚え、Aチームと互いのパフォーマンスを見せ合って本番へ詰めていきます。

ボイストレーナーのりょんりょん先生は、ライブ前のマイクチェックを使ったレッスンで、JISOOさんの声に表情を加える方法を教えています。

「Tiger」のレコーディングで最初にブースへ入ったものの、求められた声をつかめず、何度歌っても自分で納得できませんでした。

「5次審査『Tiger』のレコーディングで、日本に来て初めて泣きました」

ViVi

ちゃんみなさんは韓国語で話しかけ、別の誰かになろうとせず、もともとの声を使うよう伝えました。

いったん外へ出て気持ちを落ち着けた後、当時は声の状態がよくなかったことや、日本へ来るときに泣かないと決めていたことも言葉にしました。

チームメンバーが見守る中で歌い直し、最後には納得できるテイクを録音しています。

録音を終えると全員で新大久保へ出かけ、韓国料理を持ち帰り、韓国食材の並ぶスーパーで買い物をしました。

審査中に問題が起きるたびメンバーと話し合い、言いにくいことも共有する中で、JISOOさんはそれまで自信を持てなかったグループ活動に慣れていきました。

最終審査|NAOKOとの横浜、母のキンパ、青髪で弾いたギター

5次審査を通過した10人には、Kアリーナ横浜で行うグループ審査と、一人ずつのソロ審査が待っていました。

一人暮らしの不安を抱え、NAOKOとKアリーナを見に行く

最終審査の準備中は日本で一人暮らしをし、自分に機会が巡るのか、ここが自分に合う場所なのかを考え続ける時期がありました。

同じく故郷を離れて参加していたNAOKOさんと、先に会場を見ておこうとKアリーナ横浜へ出かけます。

二人は潮風に当たり、おいしいものを食べ、たくさん話して笑い、その日を境にJISOOさんは審査を以前より楽しめるようになりました。

ちゃんみなの「まあ、いっか」と韓国から来た母

ちゃんみなさんとの面談では、失敗を気にするあまり「まあ、いっか」と力を抜く瞬間が少なく、泣くことや誰かへ頼ることも必要だと伝えられました。

JISOOさん自身は、うまくできない姿までカメラに残ることを嫌がっていたと明かし、最終審査では自分を好きになって自信を持つことを課題にしました。

最終審査が近づくと、母が韓国から来日し、宿舎で過ごすJISOOさんとNAOKOさんに手作りのキンパを振る舞いました。

一人で考え込む時間が長かったJISOOさんも、このときは母の隣で甘えるような表情を見せ、NAOKOさんと一緒にキンパを食べています。

「JISOOが決めたことなので、最後までうまくいけばいいな」

QJWeb

青いショートヘアで「I’m Not OK」を歌いHANAへ

ちゃんみなさんは、これまでとは違うJISOOさんを見たいと考え、最終審査のソロ曲に「I’m Not OK」を提案しました。

2025年1月11日の『No No Girls THE FINAL』で、JISOOさんは青いショートヘアに姿を変え、ソロ審査曲「I’m Not OK」を歌いました。

もともとバンド音楽が好きでロックスターに憧れていたことから、Kアリーナのステージでギターを弾くパフォーマンスを選びます。

グループ審査ではKOKOさん、KOHARUさん、MAHINAさん、YURIさんと「Drop」を披露し、ソロとは違う5人のステージも完成させました。

結果発表でCHIKAさん、NAOKOさん、YURIさん、MOMOKAさん、KOHARUさん、MAHINAさんとともに名前を呼ばれ、7人組HANAのメンバーに決定しました。

HANAデビュー後|韓国語、作詞、漫画の記憶が仕事になる

最終審査から約3カ月後、JISOOさんは練習生時代とは反対に、日本のグループの一員として韓国の撮影現場へ戻りました。

プレデビュー直前に『DayDay.』へ生出演した際には、INIの許豊凡さんから同じ外国人メンバーとして言葉をかけられ、日本の文化と言葉をさらに学ぶ意識を新たにしました。

「ROSE」の韓国撮影で案内役と通訳を担当

HANAは2025年1月31日に「Drop」でプレデビューし、2025年4月2日に「ROSE」を配信してメジャーデビューしました。

「ROSE」のミュージックビデオ撮影地は韓国で、JISOOさんは日本でメンバーに助けてもらった分を返そうと、現地の場所を案内しました。

韓国のアプリで注文し、撮影中の通訳も担当して、歌唱とは別のところでも7人の仕事を支えています。

「BAD LOVE」の作詞から「ALL IN」の制作へ

4次審査で見せたトップラインと歌詞を作る経験は、デビュー後に作品のクレジットへつながりました。

25歳の誕生日だった2025年9月8日に配信された「BAD LOVE」では、MOMOKAさんとともに作詞へ参加しています。

公式発表では、許したいのに許せない葛藤を描いた曲と紹介され、JISOOさんの名前が歌い手だけでなく作り手としても記されました。

2026年の1stアルバム収録曲「ALL IN」では作詞・作曲のクレジットにHANAと入り、JISOOさんはグループ名が制作欄にあることを喜んでいます。

レコーディングでは、以前はプリプロでも納得できなければスタジオから帰りたくないと考えていましたが、現在は次があるといったん終える判断ができ、CHIKAさんとMOMOKAさんもその変化に気づいています。

漫画に支えられた人が『メダリスト』主題歌を歌う

JISOOさんは現在も『SLAM DUNK』『ブルーロック』『メダリスト』など、何度も立ち上がる選手を描く作品を好んでいます。

2026年、HANAの「Cold Night」がTVアニメ『メダリスト』第2期オープニング主題歌に起用されます。

曲中の「I don’t know where to go」という言葉を、音楽の道で迷っていた自分の時間と重ねました。

「最近はやっと自分が自分でいられる場所を見つけられた気がして」

TVアニメ「メダリスト」公式サイト

家を9時に出る日なら7時に起き、自分で朝食を作り、食べながら約20分のアニメを1話見る時間が日々の楽しみになっています。

韓国のロックフェスへ立ち、次は各メンバーのソロ曲を描く

2026年8月2日には、HANAとして韓国のIncheon Pentaport Rock Festival 2026に出演しました。

HANA公式Instagramには、同日のステージ写真とともに韓国語で観客への感謝が記されました。

その先の目標には、7人それぞれがプロデュースしたソロ曲を盛り込むライブを挙げています。

韓国の練習生時代に一緒に過ごし、先にデビューした友人たちといつか同じステージへ立つことも、現在の目標の一つです。

母の車で海外のR&Bを聴いた時間から、高校で選んだ音楽の進路が始まりました。

練習生を終えて音楽を手放しかけた後、日本語を独学して『No No Girls』へ進んだことが、HANAとの出会いになりました。

現在は歌うだけでなく、作詞や作曲にも関わりながら、韓国と日本の両方を行き来する活動を続けています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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