紅しょうがの熊元プロレスさんは、「女子〜!」の呼びかけで始まる漫才と、バラエティ番組でも響く大きな声で知られるお笑い芸人です。
2023年には相方の稲田美紀さんと『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝し、2026年には初のテレビCMと初主演ドラマまで仕事の幅を広げました。
- 母子家庭で育ち、母との関係が進路選択に強く影響した。
- 大学の文化祭でお笑いのステージを見て芸人への気持ちが再燃し、大学を中退してNSCへ進んだ。
- 2023年4月に紅しょうがとして活動拠点を大阪から東京へ移し、同年12月に『THE W 2023』で優勝。長く活動した大阪を離れ、全国の仕事へ広がる大きな節目になった。
その出発点をたどると、神戸で母に育てられたひとりっ子が、小学3年生で「面白い方向へ進む」と決めた日に行き着きます。
高校では漫画60数巻を毎日運び、大学を半年ほどで離れ、地元スーパーの揚げ物売り場で身につけた声を携えてNSCへ入りました。
芸名の強さとは対照的にプロレス経験はなく、舞台へ立つ前には、家族、学校、漫画、アルバイト先で起きた小さな出来事がいくつも重なっていました。
熊元プロレスの若い頃・学歴を先に整理
熊元プロレスさんの「若い頃」「昔」「学歴」を先に整理します。本人・公式インタビューで確認できる情報を中心にまとめ、学校名や体型について確認できない部分は推測で断定していません。
| 生まれ | 1990年11月30日、兵庫県神戸市 |
|---|---|
| 家族 | 母子家庭のひとりっ子として育つ |
| 高校時代 | 地元スーパーでアルバイト。高校名は今回確認した本人・公式情報では特定しない |
| 大学 | 神戸女子大学へ進学。1年生前期で中退 |
| 芸人への進路 | 大学中退後、NSC大阪35期へ |
| 紅しょうが結成 | 2014年 |
若い頃を時系列で見ると、神戸で過ごした学生時代、大学進学と中退、スーパー勤務、NSC入学がそのまま芸人としての現在につながっています。
熊元プロレスの生い立ちと家族|神戸の母子家庭で育った子ども時代
熊元プロレスさんは1990年11月30日生まれ、兵庫県神戸市出身で、本名は熊元侑里恵さんです。
吉本興業に所属するNSC大阪35期生で、現在は紅しょうがのボケを担当しています。
| 活動名 | 熊元プロレス |
|---|---|
| 本名 | 熊元侑里恵 |
| 生年月日 | 1990年11月30日 |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 |
| 所属 | 吉本興業/紅しょうが |
| 養成所 | NSC大阪35期 |
母子家庭で育ったひとりっ子|祖父母は徳之島出身
子どものころは母子家庭のひとりっ子として、神戸で母と暮らしていました。
生い立ちを語る際に繰り返し登場するのは母で、進路を決める場面でも、働きながら育ててくれた母の存在を挙げています。
家族のもう一つのルーツは鹿児島県の徳之島にあり、祖父母は徳之島町花徳の出身で、熊元さんは徳之島3世にあたります。
母が買ってくれた浜崎あゆみのCDと子ども時代の家
本人は子ども時代の家計に余裕があったわけではないと話す一方、欲しかったものは母が買ってくれたと振り返っています。
家にはゲーム機やキックボードがあり、母が買ってきた浜崎あゆみさんのCDは、やがて芸人になった熊元さんの出囃子にも使われました。
舞台へ出るときに流れるのは「Boys & Girls」のユーロビート版で、母から渡された一枚が、長く仕事場までついてくることになります。
小学3年の「肥満クラブ」で面白い道を選ぶ
小学3年生のころ、終わりの会で名前を呼ばれ、保健室で食事について学ぶ当時の「肥満クラブ」へ入ることになりました。
同じころに男の子からどうすれば人気を集められるかを考え、見た目で競うために減量する道ではなく、一緒にいて楽しいと思ってもらう道を選びます。
学校では「なめられたくない」と、髪をびしょびしょに濡らして登校したり、甘い菓子を食べる同級生のそばで袋入りの生ピーマンをかじったりもしていました。
「“モテたい”が原点ですね」
ch FILES
小学3年生で「面白い方面へ行く」と決めたことが、芸人を意識する最初の出来事になりました。
『ドカベン』と4つのコントローラー、ポートピアランドの作戦
人気のある男子が野球をしていたため、小学3年生で水島新司さんの野球漫画『ドカベン』を読み始め、初めて全巻をそろえた漫画になりました。
ひとりっ子だった家にはNINTENDO64のコントローラーが4つあり、男の子たちを家へ呼んで一緒に遊べる環境も整えていました。
小学5年生のときには、同じクラスの野球部員が神戸ポートピアランドへ行くと知り、その日に合わせて女子を集め、現地で偶然会ったように振る舞う計画まで実行しています。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
| 母 |
母子家庭で本人を一人で育てた母。氏名など非公表情報は登録しない。 |
本人・家族本人の発言 出典を見る |
|---|
母への思いから高校卒業時は大学進学を選び、その後芸人を目指す際には大げんかになるほど大きな節目になった。
non-no web|熊元プロレスさんが20歳の時に考えていたこと熊元プロレスさんは1990年11月30日生まれ、兵庫県神戸市出身で、本名は熊元侑里恵さんです。
本人は子ども時代の家計に余裕があったわけではないと話す一方、欲しかったものは母が買ってくれたと振り返っています。
中学時代は、教室で周囲を笑わせる「おちゃらけキャラ」として過ごしていました。
小学生のころに見つけた「面白い方向」は、中学でいったん日常のキャラクターとして定着し、高校入学を前に本人の手で封印されます。
2023年4月に紅しょうがとして活動拠点を大阪から東京へ移し、同年12月に『THE W 2023』で優勝。長く活動した大阪を離れ、全国の仕事へ広がる大きな節目になった。
non-no web|熊元プロレスさんが20歳の時に考えていたこと熊元プロレスの若い頃|中学のおちゃらけキャラから高校時代へ
小学生のころに見つけた「面白い方向」は、中学でいったん日常のキャラクターとして定着し、高校入学を前に本人の手で封印されます。
中学時代は「おちゃらけキャラ」だった
中学時代は、教室で周囲を笑わせる「おちゃらけキャラ」として過ごしていました。
人とにぎやかに過ごすことが好きだったものの、高校へ進む春休みに、漫画に出てくる一人でも存在感のある人物へ憧れます。
高校でクールに振る舞い、約2か月ひとりになる
高校へ入ると、中学までの振る舞いを変え、無口で謎めいたクールな人物を演じ始めました。
しかし、周囲にはその意図が伝わらず、教室で話す相手ができないまま時間だけが過ぎます。
「2ヶ月くらいほんまにずっとひとりでした」
ch FILES
本来は友人とわいわい過ごしたかったため、待つのをやめ、教室で人が集まるものを自分で用意することにしました。
『クローズ』『WORST』を毎日運び、友人の輪へ入る
当時流行していた不良漫画『クローズ』全26巻を買い、毎日かばんへ詰めて登校すると、漫画を読みたい男子が集まり始めました。
続編の『WORST』全32巻も加わり、途中からは合計60数巻を持ち歩く「移動図書館」のような状態になります。
漫画を貸し借りする時間から会話が生まれ、約2か月ひとりだった熊元さんは、ようやく友人のグループへ入っていきました。
熊元プロレスの学歴|神戸女子大学を中退してNSC大阪へ
高校生活の後半には、学校の外でも働き始め、卒業後に大学と芸人養成所のどちらへ進むかを考える時期へ入ります。
地元スーパーの揚げ物売り場で働き始める
高校時代から、地元のスーパーにある揚げ物コーナーでアルバイトを始めました。
厨房では揚げ物を作り続け、店で人気だった神戸らしいぼっかけコロッケが揚がると、売り場へ出て客に知らせます。
この仕事は大学中退後まで含めて約5年続き、後の芸人生活へ持ち込む技術を手にする場所にもなりました。
卒業前にNSCと大学の間で迷い、神戸女子大学へ進む
高校卒業が近づくと、吉本興業の養成所NSCへ入る道と大学進学の間で迷いました。
芸人への興味はあったものの、当時は「おもしろいと思われたい」「モテたい」という気持ちが大きく、一生懸命に育ててくれた母のことを考えて神戸女子大学へ進みます。
大学ではサークルへ入り、友人と海へ遊びに行くなど、それまでとは違う学生生活も経験しました。
歴史が好きで学芸員を目指す
進学先を選んだ理由の一つは、昔から歴史が好きで、学芸員の資格を取りたいと考えていたことでした。
資格取得後には博物館などで働く道を見ていましたが、就職の競争率が高い現実を知り、歴史は趣味として続ける方向へ気持ちが動きます。
学園祭で芸人への気持ちが戻り、1年生前期で中退する
大学の学園祭でお笑いのステージを見たとき、高校卒業前に迷った芸人への気持ちが再び表へ出ました。
「文化祭でお笑いのステージを見たことをきっかけに芸人になりたい気持ちが再燃して」
non-no web
大学1年生の前期で中退を決め、すでに納められていた後期分の学費を残したまま、進路を切り替えました。
母を思って選んだ大学を半年ほどで離れ、いったん見送ったNSCへ向かうことになります。
母との大げんか後もスーパー勤務を続け、「売れる声」を身につける
中退を伝えたとき、母とは大げんかになりましたが、熊元さんは地元スーパーでの勤務を続けました。
揚げたての商品を知らせる際、ただ大声を出すだけでは客が手を伸ばさないため、どの高さや調子なら売れるのかを試します。
「その時の『売れる声』が今の発声のベースになっている」
DOMOぱど
「揚げたてですよ」と客へ届けるために研究したスーパーの「売れる声」が、のちに劇場で客席を振り向かせる声へ変わりました。
NSC大阪35期へ入り、「熊元プロレス」という芸名が生まれる
アルバイトを続けながらNSC大阪校35期へ入り、同期にはゆりやんレトリィバァさん、ガンバレルーヤのよしこさんとまひるさんらがいました。
養成所では、同期の芸人つみきさんへ舞台で使う名前を考えてもらいます。
候補は「熊元プロレス」と「熊元肉饅頭」で、本人が選んだのは熊元プロレスでした。
「主になめられたくないのと、強く思われたいという理由で」
文化放送『おとなりさん』
プロレスを経験したことはなく、強く見える名前を先にまとって舞台へ出ることになりました。
紅しょうが結成前の相方探し|ゆりやん、ガンバレルーヤ、初期ユニット
NSCへ入ったあと、現在の相方と出会うまで、同期や近い世代の芸人と複数の組み合わせを試しました。
ゆりやんレトリィバァと「稲妻パンティーズ」を組む
最初期には、同期のゆりやんレトリィバァさんとコンビを組む話が進み、名前は「稲妻パンティーズ」に決まりました。
ところが互いのアルバイトなどで予定が合わず、発声練習はしたものの、ネタを一本作る前に解散しています。
ガンバレルーヤとのお試しトリオでライブへ出る
よしこさんとまひるさんが組んでいたガンバレルーヤにはツッコミ役が必要だと考えられ、熊元さんが加わる形を試したこともありました。
3人でインディーズライブへ出演し、「山手線ゲーム」で臭いものを挙げていくコントを披露しましたが、友人関係が悪くなることを避け、正式なトリオにはなりませんでした。
初期ユニットを経て「水の如しーず」で活動する
卒業後の初期には、後にR-1グランプリを制する田津原理音さんらと「グリードアイランド」というトリオを組んだ時期もありました。
別の時期には男女コンビ「水の如しーず」として活動し、夜通し開かれるインディーズライブなど、小さな舞台へ立ち続けます。
コンビやトリオを組んでは形を変える時間が続き、声の強さと一人でも目を引く芸名が、周囲の芸人に先に知られていきました。
マユリカ中谷が覚えていた当時のオーバーオールともみあげ
マユリカの中谷さんが初めて熊元さんを見たのも、紅しょうが結成前に出演していたオールナイトのインディーズライブでした。
中谷さんの記憶に残っていたのは、オーバーオール姿と、漫画『ルパン三世』のように長く伸ばしたもみあげです。
後年の『アメトーーク!』には、ゆりやんさん、ガンバレルーヤ、マユリカらが集まり、現在の仲間たちが結成前の姿を振り返りました。
2014年に紅しょうが結成|インドカレー店の誘いから大阪の劇場へ
複数の組み合わせを経験した熊元さんのもとへ、NSCで2期先輩にあたる稲田美紀さんから、SNSのダイレクトメッセージが届きます。
ゆりやんの紹介で稲田美紀からDMが届く
以前のコンビを解散して相方を探していた稲田さんは、ゆりやんさんに「いい子はいないか」と尋ねました。
ゆりやんさんが紹介したのが熊元さんで、稲田さんはピンでネタをする姿を見たときの大きな声、力強さ、珍しい芸名を覚えていました。
一度話して一緒にネタをしてみたいと思い、TwitterのDMから食事へ誘います。
辛いカレーを前に「組まへん?」と誘われる
初めて二人で食事をした場所は、インドカレー店でした。
熊元さんは家庭のカレーを好み、外で食べるカレーは苦手だったため、店の辛さに圧倒されている最中、稲田さんが本題を切り出します。
「組まへん?」
FANY Magazine
辛さに追われながら誘いを受け、2014年10月に紅しょうがを結成しました。
「女子〜!」のつかみと大阪の劇場で過ごした年月
結成後は大阪の劇場を中心に舞台へ立ち、熊元さんの「女子〜!」で始まるつかみが形になっていきました。
女性芸人の出番になると客席の注意がそれることがあり、まずこちらを見てもらうため、熊元さんは舞台へ出た瞬間に大きな声で挨拶するようになります。
スーパーで商品を知らせるために探した声は、今度は客席の視線を舞台へ戻す「女子〜!」として使われました。
鮮やかな口紅と声量のある熊元さん、落ち着いて言葉を返す稲田さんの並びが、大阪の劇場で少しずつ定着します。
初期の衣装では強く見せるためGジャンに肩パッドを入れ、右腕のバンダナは長渕剛さんから、デニムの要素は浜崎あゆみさんから取り入れていました。
THE Wで4度敗れ、2022年の決勝後に東京進出を決める
紅しょうがは2018年に初めて『THE W』の決勝へ進み、2020年には準優勝しました。
2021年、2022年も決勝へ残りましたが優勝には届かず、結成から大阪で積み上げた時間の先に、4度の決勝敗退が並びます。
二人はもともと「THE Wで優勝してから東京へ行く」と考えていましたが、2022年の決勝翌日、タクシーの中で順序を入れ替えました。
「東京に行ってから優勝しようと切り替えました」
WANI BOOKS NewsCrunch
優勝を待って動くのではなく、先に環境を変えることが決まりました。
2023年の東京進出とTHE W優勝|順番を変えてつかんだ転機
東京へ移る準備を始めた2023年、熊元さんには、子どものころから聴いていた音楽に関わる仕事が先に訪れます。
浜崎あゆみのMV出演で子どものころのCDが仕事につながる
熊元さんが浜崎あゆみさんのものまねをする動画を本人が見たことから、SNSのDM、電話へと連絡が進みました。
2023年1月には浜崎さんと初対面し、新曲「Just the way you are」のミュージックビデオでリップシンクを担当します。
母が子どもの熊元さんへ買ったCDは出囃子になり、さらに憧れた本人のMVへ出演する仕事まで続きました。
2023年4月、よしもと漫才劇場を卒業して東京へ
2023年4月、紅しょうがはよしもと漫才劇場を卒業し、活動拠点を大阪から東京へ移しました。
長く立ってきた劇場を離れ、テレビ出演や新しいライブが増える環境へ入りながら、同年の『THE W』へもう一度挑みます。
5度目の決勝でTHE W優勝を果たす
2023年12月9日、紅しょうがは5度目となる『THE W』決勝の舞台へ立ちました。
勝ち上がった最終決戦で最多票を得て、第7代女王となり、賞金1000万円を獲得します。
東京へ移った年に、4度届かなかった優勝をつかむという結果になりました。
THE W優勝後|母との共演から初主演ドラマまで
優勝後は個人でも出演が増える一方、子ども時代から続いてきた家族との関係にも新しい出来事が起きました。
2024年、母との共演をきっかけに仲直りする
2024年5月4日、紅しょうがの初イベントに二人の母親が登場し、熊元さんと母が同じ舞台へ上がりました。
ラジオ番組『紅しょうがは好きズキ!』でたびたび触れていた母とのわだかまりは、この共演を機に解け、5月9日配信の第57回には「お母さんと仲直り」という題が付いています。
大学中退時の大げんかから年月を経て、芸人として母と共演した舞台が仲直りの場になりました。
祖父母の故郷・徳之島で舞台に立ち、翌年は母・伯父と旅行する
母との共演の翌日となる2024年5月5日には、紅しょうがとして徳之島なくさみ館の「こどもの日フェスティバル」へ出演しました。
祖父母が生まれた徳之島町花徳のある島で、約3000人の観客を前に稲田さんと掛け合いを披露し、子どもたちにも飛び入り参加を促しました。
2025年には母と伯父を連れて広島へ旅行し、その道中で起きたことを『紅しょうがは好きズキ!』第116回で伝えています。
2026年、初テレビCMと初主演ドラマへ進む
2026年3月には、親交のあるあのさんとTikTok LIVEのテレビCMに出演し、熊元さんにとって初めてのテレビCMになりました。
CMでは二人がイヤホンを分け合い、普段の友人同士に近い会話をしながらライブ配信を見る場面が撮影されました。
同年4月にはテレビ朝日系『大丸愛は選択する』で、ドラマ出演がほぼ初めてながら主人公の刑事・大丸愛を演じます。
「まさか本格的なドラマだとは思っていなくて、バラエティ番組の企画だと思っていた」
テレ朝POST
初ドラマで初主演となり、各話の重要な選択をアドリブで決める役目も担いました。
共演した桐山漣さんは、撮影の合間に1〜2分空くたび、熊元さんが一人でせりふを反復していた姿を覚えています。
神戸の家で母が用意してくれた漫画や音楽に親しみ、小学3年生で選んだ「面白い方向」は、学校、スーパー、NSC、大阪の劇場を通って仕事になりました。
優勝を待たずに東京へ出ると順序を変えた2023年、その年のうちに紅しょうがは『THE W』の頂点へ立ちました。
現在は漫才の舞台に加え、CMや主演ドラマでも、熊元プロレスという名前と声が新しい場所へ届いています。
何が、この人の人生を動かしたのか
転機の前後を並べると、出来事がその後の人生にどうつながったのかが見えてきます。
紅しょうがは大阪の劇場を中心に活動し、THE Wでは2018年から4度決勝へ進んだものの優勝には届いていなかった。
2023年4月に紅しょうがとして活動拠点を大阪から東京へ移し、同年12月に『THE W 2023』で優勝。長く活動した大阪を離れ、全国の仕事へ広がる大きな節目になった。
2023年4月に活動拠点を東京へ移し、同年12月の5度目のTHE W決勝で優勝。『優勝してから東京』ではなく『東京へ行ってから優勝』へ順番を変えた選択が結果につながった。
熊元プロレスの若い頃・学歴でよくある質問
熊元プロレスの大学はどこ?
神戸女子大学へ進学しています。歴史が好きで学芸員を目指していましたが、大学の学園祭でお笑いのステージを見たことをきっかけに芸人への気持ちが再燃し、1年生前期で中退しました。
熊元プロレスの高校はどこ?
高校時代のエピソードは本人のインタビューなどで確認できますが、今回確認した本人・公式情報では高校名まで確定できる一次情報を確認できなかったため、本記事では学校名を推測で断定していません。
熊元プロレスは昔、痩せていた?
「痩せてた頃」で検索されることがありますが、学生時代に痩せていたと断定できる一次情報は確認できませんでした。一方、FANY Magazineの2021年のインタビューでは、紅しょうがを組み始めたころの体重について熊元さんが約70kgと話し、稲田美紀さんがそこから12kg増えたとツッコむやり取りがあります。少なくともコンビ結成初期は、その後より体重が軽かった時期があったことは確認できます。
FANY Magazineのインタビューでは、THE Wへの挑戦とあわせて当時の体重について本人たちが話しています。
熊元プロレスの本名は?
本名は熊元侑里恵さんです。活動名の「熊元プロレス」は芸名で、プロレス経験があるわけではありません。
熊元プロレスの生い立ち・若い頃・学歴まとめ
熊元プロレスさんの若い頃をたどると、神戸で母に育てられた子ども時代、中学・高校で周囲との関わり方を模索した学生時代、神戸女子大学への進学と中退、地元スーパーでの勤務、NSC大阪への入学が一本につながっています。
大学を中退して芸人の道へ進み、相方探しを経て2014年に稲田美紀さんと紅しょうがを結成。長い劇場経験とTHE Wへの挑戦を重ね、2023年に優勝しました。現在の大きな声やキャラクターも、学生時代やアルバイト先での経験を含む長い積み重ねの先にあります。
熊元プロレスと似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。











