HANA・YURIの生い立ちと家族|フィリピンのルーツ、父との別れからデビューまで

HANA・YURI
ひと目でわかるプロフィール HANA・YURI
ゆり
出身地
東京都
生まれ年代
2000年代生まれ
活動ジャンル
歌手
性別
女性
育った家庭
フィリピン人の母の歌声が身近にある家庭で育ち、中学3年のころに父を亡くしたことを本人が公に語っている。
キャリアの原点
オーディション

7人組ガールズグループHANAで、低いトーンにエッジを利かせた歌声と、視線を引くダンスを見せているYURIさん。

「No No Girls」では、落ち着いた表情の奥にある感情と向き合いながら、最終審査のステージまで進みました。

HANA・YURIさんを理解する3つのポイント
  1. 幼いころから母が家でよく歌っており、歌とダンス、人前に立つことが身近だった。
  2. 現在の道につながる原点:オーディション
  3. 出身地:東京都

ところがオーディションで最初に注目されたのは、長く続けてきたダンスではなく、レッスンで磨く前の歌声でした。

オーディション中は高校生活の終わりと卒業後の進路が重なる時期でもありました。

母の歌声が聞こえる家庭、中学時代の父との別れ、高校卒業を前に選んだオーディションが、現在のステージへ続いています。

HANA・YURIの生い立ちと家族|東京とフィリピンにつながる原点

YURIさんが音楽に触れた日常には、フィリピンにつながる家族の存在がありました。

HANA公式プロフィールと本人への取材で公表されている基本情報は次のとおりです。

活動名YURI
生年月日2006年8月24日
年齢19歳(2026年8月18日時点)
出身東京都
家族のルーツ母がフィリピン人
所属HANA
公式に公表されていない情報本名(フルネーム)、身長、出身高校名、兄弟姉妹の有無

母の歌が日常にあった幼少期とフィリピンのルーツ

母はフィリピン人で、YURIさんは自身をフィリピンにルーツを持つメンバーとして海外メディアの取材でも紹介しています。

幼いころの家では母がいつも歌っており、その歌声が音楽を好きになった入口だったと、Inquirer Lifestyleに明かしました。

本人は小さいころからダンスと歌が好きで、人前でステージに立つことも好きだったと話しています。

学校生活と並行してダンスを続け、人前へ出るための動きを積み重ねていきました。

中学3年で父を亡くし、「大人にならなきゃ」と感情を抑えた

父の死因は公表されておらず、後年、最終審査前の面談で別れたあとの変化を次のように話しました。

「中3のときにお父さんを亡くして、暗くなったというか前より落ち着きすぎた。大人にならなきゃいけないと思って」

QJWeb

悲しいときも周囲には大丈夫だと答え、一人で家に戻ってから泣くことが増えていきました。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

母

フィリピン人の母。幼少期から家で歌うことが多く、本人の音楽の原点になった。氏名など非公表情報は登録しない。

信頼できる媒体 出典を見る
父

本人が中学3年のときに父を亡くしたことを公に語っている。死因など非公表情報は登録しない。

信頼できる媒体 出典を見る

YURIの学生時代と高校の進路|アーティスト以外の道が消えるまで

中学を卒業すると、高校生活の中で卒業後を考える時期へ進みます。

流れに身を任せ、確信がある時だけ意見を出した学生時代

学生生活を尋ねられると、自分から前へ出る頻度をこう答えました。

「絶対こうしたほうがいいって、確信があるときは言うみたいな。」

QJWeb

No No Girlsで親しくなったMOMOKAさんは、YURIさんがそう言うなら納得できると思うほど、言葉に説得力があると隣で見ていました。

相手へ伝えるときも、思ったことをすぐ正面からぶつけるのではなく、まず相手の性格を理解してから言葉を選んでいました。

高校卒業後を考え、「アーティストしかない」と応募を決めた

高校卒業後の進路を決める時期に残っていた選択肢を、本人は短い言葉で説明しています。

「アーティストしかやりたいことがなかったんです。」

QJWeb

そこへちゃんみなさんがプロデューサーを務めるガールズグループオーディション「No No Girls」の募集が始まります。

募集時に示されたのは、身長、体重、年齢ではなく、応募者の声と人生を見るという方針でした。

募集を知った瞬間に自分が進むオーディションだと感じ、卒業後の進路として応募を決めました。

ダンス歴9年、歌唱・ラップ歴0でNo No Girlsへ

応募時は高校3年生で、プロフィールの経験欄にはダンス歴9年、歌唱歴とラップ歴はともに0年と記されていました。

応募書類と動画による1次審査を通り、7,000通を超える応募から選ばれた30人に入りました。

人生年表 HANA・YURIさんの歩み
幼少期
HANA・YURIの生い立ちと家族|東京とフィリピンにつながる原点

YURIさんが音楽に触れた日常には、フィリピンにつながる家族の存在がありました。

幼少期
母の歌が日常にあった幼少期とフィリピンのルーツ

母はフィリピン人で、YURIさんは自身をフィリピンにルーツを持つメンバーとして海外メディアの取材でも紹介しています。

高校
YURIの学生時代と高校の進路|アーティスト以外の道が消えるまで

中学を卒業すると、高校生活の中で卒業後を考える時期へ進みます。

高校
高校卒業後を考え、「アーティストしかない」と応募を決めた

高校卒業後の進路を決める時期に残っていた選択肢を、本人は短い言葉で説明しています。

高校
高校卒業とHANAデビュー|未経験だった歌とラップが現在へ

HANA結成後も高校生活は続き、2025年1月31日にはプレデビュー曲「Drop」が配信されました。

学生時代
流れに身を任せ、確信がある時だけ意見を出した学生時代

学生生活を尋ねられると、自分から前へ出る頻度をこう答えました。

No No Girls序盤|未経験の歌声とカリスマ性が見つかる

2次審査では、ちゃんみなさんとSKY-HIさんの前で歌とダンスを一曲ずつ見せました。

2次審査で「ドライフラワー」と「B級」を披露

歌唱曲には優里さんの「ドライフラワー」、ダンス曲にはちゃんみなさんの「B級」を選びました。

歌に自信があるかと尋ねられると、迷わず自信があると答えています。

ちゃんみなさんは、歌手として活動している人のような声だと驚き、その声ににじむ哀愁と珍しい質感へ反応しました。

SKY-HIさんも、声の面白さに加えてダンスから感じる色気に言及しました。

3次審査「キューティーハニー」で殻が開き始めた

3次審査ではKAIさん、KAEDEさん、HIBIKIさん、YUJUさんとチーム「EDEL」を組み、倖田來未さんの「キューティーハニー」に挑みました。

ちゃんみなさんは応募資料の段階からYURIさんにカリスマ性を感じていたものの、2次審査までは、その魅力を十分に出し切れていないと見ていました。

このパフォーマンスでは、ただ課題曲をこなす姿から、自分を見せようとする姿へ変化します。

評価を聞いたYURIさんは涙を流し、周囲には強そうに見られていても、実際の自分は弱いと初めて審査の場で口にしました。

3次審査を通過して20人に残ると、夏合宿の開始前には中西保志さんの「最後の雨」を一人で歌いました。

作る側に踏み込んだ4次・5次審査|表情という課題

3次審査を通過した先では、用意された曲を表現するだけでなく、歌詞や振り付けを自分たちで作る課題が待っていました。

YURIさんはパフォーマーとして前に立つ一方、意見がぶつかったチームの中で調整役も担います。

AMI・KOKOAと「You are the One」を書き、チームを支えた

4次審査のクリエイティブ審査では、AMIさん、KOKOAさんと3人でチーム「G」を組みました。

与えられたトラックから作った曲は「You are the One」で、3人はちゃんみなさん、JIGGさんとともに作詞・作曲へ名前を連ねています。

制作の序盤ではKOKOAさんとYURIさんがメロディーを思いつけず、感覚で旋律を出せるAMIさんとの作り方の違いが表れました。

その日は曲の構成を決めきれずに持ち帰りましたが、レコーディング当日、YURIさんは自分のメロディーと歌詞を仕上げてスタジオへ戻っています。

振り付けでは、長くダンスを続けてきたYURIさんとAMIさんが案を出し、KOKOAさんを引っ張りました。

振り付けに入ると、KOKOAさんが完成度を求めるほど進行が止まり、3人の間に考え方のずれが出ました。

合宿8日目には、歌いながらターンすると声がぶれる振りをめぐって練習が止まり、YURIさんも顔の向きや回転時間を変える案を出しました。

トレーナーを交えた話し合いのあと、YURIさんはKOKOAさんの長所を残したまま、互いに不足を補う方法を選びます。

「支え合いながらカバーできたらなと思っています」

QJWeb

本番は3人が眠りから目を覚ますように起き上がって始まり、互いの顔を見る動きを随所に入れました。

仲間と遊ぶような空気と、束縛からの解放を書いた各自の歌詞が一つのステージに同居しました。

本番では低音の歌声と3人の調和を両立させ、初めて「作る側」として完成させた曲で4次審査を通過しました。

クリエイティブ審査で生まれた7曲はEPとして配信され、「You are the One」はYURIさんがオーディションで初めて制作クレジットに名を連ねた作品になりました。

「NG」にポーカーフェイスと書いた直後、「次までに絶対変わって」

5次審査ではKOKOさん、KOKONAさん、SAYAKAさん、CHIKAさん、FUMINOさん、MOMOKAさんと「KINISHY」を結成しました。

課題はちゃんみなさんの「Tiger」と、自分たちで歌詞を書く「NG」の2曲でした。

準備期間は実質9日間で、歌詞と振り付けを仕上げるところまで候補生に任されました。

本番会場は約800人を収容する山野ホールで、ヘアメイク、衣装、音響、撮影も実際のアーティスト公演と同じ体制が組まれました。

「Tiger」の一場面では、YURIさんがふてくされたような顔で苛立ちを見せ、これまで一定だと言われた表情に変化を加えています。

YURIさんは「NG」の自分のパートに、生まれつきの顔がポーカーフェイスでも人生を楽しむという意味の言葉を書きました。

パフォーマンスのバランスとカリスマ性は評価された一方、ちゃんみなさんが指摘したのは、曲が進んでも表情がほぼ変わらないことでした。

鏡やカメラで自分を研究するよう助言したうえで、次の審査までに必ず変わるよう課題を渡しました。

厳しい指摘を受けながらも5次審査を通過し、YURIさんは10人のファイナリストに入りました。

「ハレンチ」で感情を開く|最終審査までの1か月

5次審査の結果発表から約10日後、YURIさんはちゃんみなさんとの1対1の面談に臨みました。

1on1で以前から聴いていた「ハレンチ」を選ぶ

面談でちゃんみなさんから弱さを認めるよう促され、YURIさんは父との別れと、それ以降隠してきた感情を審査の場で初めて伝えました。

ちゃんみなさんがソロ審査曲として提案したのは、失った感覚や音楽を扱う自身の曲「ハレンチ」でした。

以前からこの曲を聴いていたYURIさんは、提案を聞くとうれしそうにうなずき、「ハレンチ」で最終審査へ進むことを決めました。

声を制御できず涙、鏡とボーカルレッスンで本番へ

最初のころは、歌い始めると感情と声をうまく制御できず、練習中に涙があふれました。

自宅では鏡に向かって表情を研究し、ボーカルレッスンでは自分の声の動かし方を一つずつ確かめました。

ちゃんみなさん自身が1日2時間鏡を見てきたことや、泣いたり笑ったりしたときにカメラを回して自分の顔を研究した方法も教わりました。

後年、仲間との関係で生まれた変化を、本人は短い言葉で表しました。

「弱音をこぼせるようになれたんです」

ananweb

ちゃんみなさんからは、努力を続けるだけでなく、ときには後ろを振り返り、そこまでやってきた自分を褒めるようにも言われました。

仲間へ心を預けられるようになると、ステージ上でも体の緊張がほどけ、表現する時間そのものを楽しめる場面が増えていきました。

後日スタッフが練習スタジオを訪ねたときには、声の制御が安定し、表情にも練習前とは違う自信が出ていました。

本番が近づくころには、そこまで積み上げた自分を信じ、何が来ても受け止める気持ちでステージへ向かっていました。

準備期間には、候補生たちがバンドリハーサルで緊張して震える姿を見たちゃんみなさんが、自宅へ全員を招き、審査員とは違う素の時間を共有したこともありました。

本番1週間前、YURIさんはほかのメンバーのソロを見て自信を失い、練習場で体を縮めるようにして涙を流しました。

ちゃんみなさんは、無視してきた弱い自分に謝り、その自分も一緒にステージへ連れていくよう伝え、最後に二人はハイタッチを交わしました。

本番6日前のリハーサルでは、3次審査まで参加した候補生を含む30人が約5か月ぶりに集まりました。

「キューティーハニー」を再び踊るYUJUさんが周囲のかわいい表現へ寄せるか迷うと、YURIさんは同じ手の動きでも本人らしさを出せる方法をすぐに提案しています。

Kアリーナで父へ歌い、数日後に夢で報告した

最終審査「No No Girls THE FINAL」は、2025年1月11日にKアリーナ横浜で開かれ、約2万人が客席を埋めました。

10人は二つのチームに分かれ、YURIさんはKOKOさん、KOHARUさん、JISOOさん、MAHINAさんとAチームで「Drop」を披露しました。

YURIさんはソロで「ハレンチ」を歌い、歌詞の一部を父へ呼びかける言葉に変えて届けました。

落ち着いた世界観の中で、ときおり笑顔を見せ、一定だと指摘されてきた表情を曲の流れに合わせて動かしました。

約1時間の審査を経た発表では、静かな会場に合格者の名前が一人ずつ響きました。

審査を終えたYURIさんは、CHIKAさん、NAOKOさん、JISOOさん、MOMOKAさん、KOHARUさん、MAHINAさんとともに、HANAのメンバーへ選ばれました。

ちゃんみなさんは、候補生たちが努力して咲いたことからグループ名を「HANA」にしたと、その場で名前の由来も伝えました。

最終審査の数日後、父が夢に現れました。

「夢で伝えられたと思います」

ENCOUNT

高校卒業とHANAデビュー|未経験だった歌とラップが現在へ

HANA結成後も高校生活は続き、2025年1月31日にはプレデビュー曲「Drop」が配信されました。

制服姿の卒業報告から「ROSE」メジャーデビューへ

2025年3月30日、HANA公式Instagramは制服姿で卒業証書を手にする写真を公開し、YURIさんの高校卒業を祝いました。

その3日後の4月2日、「ROSE」のデジタル配信でHANAはメジャーデビューしました。

4月23日にはCDも発売されました。

オーディションで見つかった低い声は、HANAの楽曲で一人のパートを識別できる個性になっていきます。

「ROSE」のレコーディングでは、自分が4次審査で書いた言葉と、「ROSE」で任されたパートに似た感情が流れていることに気づきました。

MOMOKAさんは、自分とMAHINAさんのラップの背後から聞こえるYURIさんの声を、表に出した顔の奥にある本心のようだと表現しています。

YURIさんは、ちゃんみなさんの人生から生まれた曲を預かったつもりで、歌詞と向き合って録音しました。

デビュー後、自分で曲を書くなら、強く背中を押す言葉よりも、同じ速さでゆっくり生きようと寄り添う歌を書きたいとも考えるようになりました。

「NON STOP」で本格的なラップに挑み、仲間の助言を受けた

2025年12月5日に配信された「NON STOP」は、全編をラップでつなぐ楽曲でした。

普段の息を多く含ませる歌い方から離れ、ちゃんみなさんの指示で、鋭く強い声を出す方法にも挑みました。

「ラップもちゃんとやったことがなかったですし。」

ENCOUNT

リズムの取り方はラップ経験のあるMOMOKAさんやMAHINAさんに聞き、踊りながら言葉を外さないよう繰り返し練習しました。

初めてダンスとラップを合わせたときは、本人ができないと感じるほど崩れ、デビュー後に取り組んだ中で最も難しい曲と話すまで苦戦しました。

フィリピンでの活動とコーチェラへ向く現在の目標

2026年2月には、プレデビュー曲から新曲まで11曲を収めた1stアルバム「HANA」が発売されました。

2026年に入ると、YURIさんは自分の歌声を、半音下げたような低さ、エッジ、ハスキーさが混ざった声だと説明しています。

ライブでは、客席が楽しそうに盛り上がる姿や涙を流す姿を見ており、帰宅後にもその光景を鮮明に思い浮かべることがあります。

大声で押すパートが少ないぶん、ステージでは視線を置く一点を決め、そこから目をそらさないことで「静かな強さ」を表しています。

グループでは議論を整理する役目を担い、メンバーからは、静かでも必要な瞬間に全員を引き締める存在と見られています。

「うそのないものを届けていきたい。」

non-no web

同じ取材で、HANAとして立ちたい海外の舞台にコーチェラ・フェスティバルを挙げました。

4月にはHANAとしてフィリピンを訪れ、現地で撮影した映像やYURIさんを前面に出した投稿が公式SNSで公開されています。

家庭で母の歌を聞いた幼少期から、YURIさんの音楽は始まりました。

父への感情を「ハレンチ」で開いた最終審査を経て、高校卒業の春にHANAとしてデビューしました。

現在は歌、ダンス、ラップを担い、フィリピンにつながるルーツとともに海外のステージへ視線を向けています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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