ちゃんみながプロデュースしたオーディション「No No Girls」から誕生した7人組ガールズグループHANAで、歌とダンスの両方を武器にステージへ立っているのがNAOKOさんです。
2005年8月23日生まれで、プロフィール上の出身地は大阪府です。
- タイで育ち、6〜7歳ごろ日本へ戻った当初は日本語が十分わからなかった。音楽行事では人前へ出ることを楽しんでいた。
- 小学生のころ母と見たEXILEのライブをきっかけに、小学2年生からダンスを始めた。
- 現在の道につながる原点:幼少期から活動
ステージでは力強いパフォーマンスを見せる一方、子どものころはクラスで目立つことを避ける静かなタイプでした。
現在のNAOKOさんへ続く時間をたどると、タイで過ごした幼少期、学校の音楽行事、小学生で出会ったダンス、高校時代に自ら足を運んだ東京や韓国など、いくつもの具体的な場面が見えてきます。
HANA・NAOKOの生い立ちと家族|タイで育ち、6〜7歳で日本へ
NAOKOさんの幼少期をたどるうえで外せないのが、タイで育った時期と、家の中に自然とあった音楽です。
父親や兄弟姉妹を含む詳しい家族構成は公表されていませんが、母親については、本人が音楽の原点に関わる存在として具体的な思い出を語っています。
母親の影響で多国籍・多ジャンルの音楽が身近だった
幼いころの家には音楽が身近にあり、NAOKOさんは母親の影響で国やジャンルを問わずさまざまな音楽を聴いて育りました。
周囲にも歌ったり踊ったりすることが好きな人が多く、本人にとって「アーティスト」は突然現れた特別な職業ではなく、生活の延長線上にある存在だったそうです。
のちに高校生になって歌へ強く惹かれていく前から、音楽を聴くことも、体を動かすことも、すでに日常の中にありました。
目立つのは苦手でも、音楽会では前へ出る子どもだった
音楽が好きだった一方で、普段の学校生活では前へ出たがる子どもではありませんでした。
「静かなタイプだったと思います。」
smart Web
クラスの中ではなるべく目立たないようにしていたのに、合唱祭や音楽会になると急に前のめりになり、好きだった縄跳びの大会にも張り切って参加していました。
さらに音楽関係の発表会では、普段の人見知りぶりとは違い、一人でMCをして、歌って、踊ることもできたと本人が振り返っています。
学校でいつも中心にいたわけではないのに、好きなことが始まると自分から前へ出る子どもでした。
タイから日本へ戻ったころ、日本語が十分わからなかった
NAOKOさん自身が明かしているのは、タイで育ち、6〜7歳ごろに日本へ戻ったという幼少期です。
日本へ戻ってきた当時は日本語がよくわからない状態だったと話しています。
その経験を持つNAOKOさんは後年、ダンスについて、言葉がなくても体の動きで人を笑顔にでき、国や言語を越えられるところに感動したと振り返りました。
日本へ戻って小学校生活が始まると、間もなく、長く続くことになるダンスとの出会いが訪れます。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
| 母 |
幼少期から多国籍・多ジャンルの音楽を身近にし、小学生時代にはライブへ連れて行った。氏名など非公表情報は登録しない。 |
信頼できる媒体 出典を見る |
|---|
小学2年生で始めたダンス|EXILEのライブが原点に
日本で小学校へ通い始めたころ、NAOKOさんの興味を大きく動かしたのはライブのステージでした。
母親と一緒に足を運んだライブで見たダンスが、「自分もやってみたい」という方向へ気持ちを動かしていきます。
小学生で初めて行ったライブでEXILEのステージを見る
音楽ナタリーのインタビューでは、小学校へ入って間もないころに母親とアーティストのライブを観に行き、そこで見たダンスがアーティストを目指すきっかけになったと話しています。
2026年のnon-noでは、その小学生時代に初めて行ったライブで見たのがEXILEのパフォーマンスだったことも明かしました。
そして小学2年生からダンスを始めます。
この時点ではHANAもNo No Girlsもまだ遠い未来の話でしたが、NAOKOさんがその後長く続けることになる習い事は、ここから始まりました。
ピアノ・茶道・生け花を経験し、ダンスだけが10年以上続いた
子どものころはダンスだけに絞っていたわけではなく、ピアノ、茶道、生け花など、興味を持ったものには幅広く挑戦していました。
それぞれ楽しく経験したものの、本人によれば「楽しかった」と満足して一区切りになることが多かったそうです。
その中で、楽しさを感じてもまだ続けたくなり、唯一長く続いたのがダンスでした。
小学校、中学校と年齢が上がっても踊ることは途切れず、やがてダンススクールではボーカルレッスンも受けるようになります。
タイ、大阪府。 タイで育ち、6〜7歳ごろ日本へ戻った当初は日本語が十分わからなかった。音楽行事では人前へ出ることを楽しんでいた。
smart Web/non-no/音楽ナタリー|NAOKOインタビュー母が幼少期からさまざまな国・ジャンルの音楽を聴かせ、ライブにも連れて行ったことが音楽とダンスの原点になった。
smart Web/non-no/音楽ナタリー|NAOKOインタビューNAOKOさんの幼少期をたどるうえで外せないのが、タイで育った時期と、家の中に自然とあった音楽です。
NAOKOさんの高校名そのものは公表されていません。
高校生活の途中から、学ぶ場所は地元の大阪だけではなくなっていきます。
歌とダンスを続けながらも、高校在学中のNAOKOさんは卒業後の進路を決めきれずにいました。
日本で小学校へ通い始めたころ、NAOKOさんの興味を大きく動かしたのはライブのステージでした。
HANA・NAOKOの高校時代|avexで「naoKO」として活動
NAOKOさんの高校名そのものは公表されていません。
一方で、高校年代にどこで歌やダンスを磨き、どんな活動をしていたのかは本人インタビューとavexの公式記録から具体的に追うことができます。
学校名よりも、放課後や学校の外でどれだけ動いていたかがよく残っている高校時代です。
avex artist academyで歌とダンスを磨く
ダンスを長く続けてきたNAOKOさんに、歌への興味がよりはっきりしたのは高校1年生ごろでした。
このころR&Bに触れ、繊細な歌声や心地よいリズムに惹かれると、実際に歌い方をまねるだけでなく、その音楽の歴史まで調べるようになります。
そうして掘り下げているうちに、自分自身が歌いたいのだと気づいたと、後年のViViで振り返っています。
2022〜2023年のavex dance master公式記録には、「naoKO」の名前で「avex artist academy」と記載されており、HANA加入以前からavexの育成環境で活動していたことが確認できます。
2022年度「Shorty!! 7th」のメンバーに選ばれる
同じ公式記録には、NAOKOさんが「Shorty!! 7th」のメンバーとして掲載されています。
Shorty!!は、avex dance masterの各スタジオの垣根を越えて選ばれたメンバーによるオフィシャルチームの一つで、この年度は21人で活動していました。
ステージ出演だけでなく、ダンススキルや自分自身の見せ方も磨いていくチームで、NAOKOさんの欄には「naoKO/avex artist academy」と記されています。
No No Girlsへ応募するより前に、選抜チームの一員として人前で踊る経験を積んでいたことになります。
高校2年生で東京・韓国へ|一人でレッスンを重ねた時期
高校生活の途中から、学ぶ場所は地元の大阪だけではなくなっていきます。
高校2年生になったNAOKOさんは、今いる場所の外でも何かを吸収したいと考え、自分から遠くへ動き始めました。
大阪から東京のダンスチームのオーディションへ
当時の感覚を、本人はVOGUE JAPANでとても短い言葉にしています。
「できれば遠いところ!」
VOGUE JAPAN
その言葉どおり、地元大阪を離れて東京のダンスチームのオーディションを受けました。
結果だけを求めて一度出向いたというより、本人が語っているのは「何かを吸収して学びたい」という時期の行動です。
高校生のうちから、自分のいる環境の外へレッスンの場を探し始めていました。
一人で何度も韓国へ行き、毎日ダンススタジオに通った
東京だけでなく、さらに足を延ばした先が韓国でした。
高校2年生のころには一人で韓国へ何度か渡り、現地のダンススタジオで毎日レッスンを受けています。
レッスンが終わると、その日の自分を振り返りながら帰り、疲れが重なった日には泣きながら家まで歩くこともありました。
帰り道にはいつもイヤホンで音楽を聴いており、練習する時間だけでなく、その後一人で帰る時間まで本人の記憶に残っています。
仁川空港で出会ったRaveenaの曲が帰り道に残った
韓国へ通っていた時期、NAOKOさんがRaveenaの音楽と出会った場所として覚えているのが仁川空港です。
空港での待ち時間に「If Only」を初めて聴き、宇宙や森、実家のベランダのような落ち着ける場所にいる感覚になり、気持ちが軽くなったことを今も覚えていると話しています。
東京や韓国へ出向いて技術を学ぶ一方、移動や帰り道では自分自身も音楽を受け取る側にいました。
高校生活が終わりに近づくと、次に考えなければならなかったのは卒業後の進路でした。
高校在学中に進路を迷いNo No Girlsへ応募
歌とダンスを続けながらも、高校在学中のNAOKOさんは卒業後の進路を決めきれずにいました。
ちょうどその時期に発表されたのが、BMSGとちゃんみなによるガールズグループオーディション「No No Girls」です。
BMSGの公式発表では、募集期間は2023年11月4日から2024年1月31日までとされています。
「ラストチャンスかもしれない」と考えてオーディションへ
No No Girlsを知ったとき、NAOKOさんはまだ高校生でした。
進路に迷っていた本人が応募を決めた理由は、後年のインタビューではっきり語られています。
「これが夢を叶えるラストチャンスかもしれない」
ViVi
オーディションの募集メッセージは「身長、体重、年齢はいりません。ただ、あなたの声と人生を見せてください。」というもので、国内外から7,000通を超える応募が集まりました。
高校卒業後の道を考えていた時期に、自分から応募したNo No Girlsが次の大きな転機になります。
2024年にはavex公式で「enough」が公開された
No No Girlsへエントリーした2024年、NAOKOさんは別の場所でも歌を形に残していました。
2024年5月、avex artist academyの公式YouTubeには「enough – フジイナオコ【Co-Write Camp 2024】」が公開されています。
No No Girlsの番組配信が始まるのは同年10月なので、その数か月前の歌声や表現を見ることができる映像です。
No No Girlsで見せた歌とダンス|HANAの7人に選ばれるまで
「No No Girls」の本編は2024年10月4日からYouTubeで配信が始まりました。
7,000通を超える応募から書類・対面審査を経て30人が集まり、その中にNAOKOさんもいました。
小学生から続けてきたダンスに加え、高校年代に磨いていた歌も、ここから審査の中で同時に見られるようになります。
2次審査で「実力の暴力」と評されたパフォーマンス
2次審査の個人パフォーマンスで、NAOKOさんは早い段階からちゃんみなの目を引きました。
小学2年生から続けたダンスと歌を一人で見せたNAOKOさんに対して、ちゃんみなが口にした言葉として広く知られているのが「実力の暴力」です。
長く続けてきたダンス経験が、No No Girlsの序盤から目に見える形で評価された場面でした。
その後も審査を通過し、個人で完成されたものを見せる段階から、ほかの候補者と一緒に作品を作る審査へ進んでいきます。
4次審査ではFUMINO・SAYAKAと「B」を制作
4次審査でNAOKOさんが組んだのは、FUMINOさん、SAYAKAさんとの3人組でした。
制作したオリジナル曲は「B」で、公式クレジットにはFUMINO、NAOKO、SAYAKA、ちゃんみな、JIGGの名前がLyrics&Musicとして並んでいます。
この4次審査へ入る前、3次審査終了から合宿までの約2か月間、NAOKOさんは毎日練習を続けていました。
まだ番組の配信も始まっていない時期で、「この練習を誰が認めてくれるのだろう」「また最終まで進めないかもしれない」と考えることもあったそうです。
それでも練習を続け、4次審査の結果発表でちゃんみなから「文句なしです」と伝えられました。
「私が自分を認めないといけなかったんだ」
ViVi
「B」は本人がNo No Girlsの中で最も気に入っているパフォーマンスにも挙げています。
5次審査「NG」で本人自身も驚いた瞬発力
5次審査では、NAOKOさんはShowy.チームの一員として「Tiger」と「NG」に取り組みました。
本人が後から印象に残った才能として挙げたのが、「NG」で激しく踊りながら歌ったときに出た瞬発力でした。
自分が想像していた以上のものが出たことに、NAOKOさん自身が驚いたといいます。
合宿中の宿舎ではKOHARUさんと夜遅くまで話すこともあり、一度ツボに入ると何十分も笑い続けた夜が、本人にとって審査期間の大切な思い出として残っています。
最終審査を経てHANAのメンバーへ
審査を重ねたNAOKOさんは、2025年1月11日にKアリーナ横浜で行われた「No No Girls THE FINAL」まで進みます。
最終ソロ審査では、ちゃんみなの楽曲「^_^」を一人でパフォーマンスしました。
翌1月12日に発表されたデビューメンバーは、CHIKA、NAOKO、JISOO、YURI、MOMOKA、KOHARU、MAHINAの7人でした。
進路に迷っていた高校時代に自分から応募したオーディションで、NAOKOさんはHANAのメンバーに選ばれました。
HANAのNAOKOへ|10年以上のダンスが現在の表現につながる
No No Girlsが終わると、NAOKOさんの活動は候補者としての審査から、HANAの7人で作品を届ける時間へ移ります。
長く続けてきたダンスは、ステージ上で踊るための技術だけではなく、グループの作品を作る側でも使われるようになりました。
2025年にHANAとしてデビュー
HANAは2025年1月31日に「Drop」でプレデビューし、同年4月2日にデビューシングル「ROSE」をデジタルリリースしました。
CDは4月23日に発売され、No No Girlsで一人ずつ審査を受けていた7人が、正式に一つのグループとして活動を始めます。
NAOKOさんにとっても、小学生で始めたダンス、高校時代の歌やR&B、東京・韓国でのレッスン、avexでの活動を経て迎えたデビューでした。
「BAD LOVE」ではコレオグラフ制作の中心を担う
デビュー後の活動で、これまでのダンス経験が別の形で表れた作品の一つが、2025年9月8日にリリースされた「BAD LOVE」です。
この曲ではNAOKOさんが振り付けのベースを制作し、KOHARUさんやMAHINAさんもアイデアを加えました。
「私がベースを作って、KOHARUやMAHINAも色づけしてくれました。」
ENCOUNT
そこから7人で意見を出し合い、必要な動きを選びながら完成させていったと本人が説明しています。
小学2年生から続けてきたダンスは、HANAでは自分が踊るだけでなく、7人の動きを組み立てる仕事にも広がりました。
タイと日本で育った経験を自分の音楽へ
幼少期のタイでの生活も、過去のプロフィールとして切り離されたままではありません。
2025年のVOGUE JAPANでは、自分自身の現在の表現についてこう話しています。
「私自身タイにルーツを持ち、日本語や英語を使って表現する」
VOGUE JAPAN
生まれた環境と育った環境が異なり、さまざまな文化に触れたことで、本人は好きなものや音楽の幅が大きく広がったと語っています。
文化や人との違いに悩んだ時期もあった一方、現在は「自分が歌うからこそ生まれるグルーブ」を研究し、日本語や英語を使いながら自分の表現を探しています。
2026年のnon-noでも、これから育てたい目標として、より多くの人へ歌とダンスを届けることを挙げています。
幼いころから生活のそばにあった音楽は、学校行事やダンススクール、高校時代に自ら外へ学びに行った時間へと続きました。
進路に迷う時期にNo No Girlsへ踏み出したことで、それまで積み重ねていた歌とダンスはHANAという新しい場所へ移ります。
現在はステージで歌って踊るだけでなく振り付けにも関わりながら、NAOKOさん自身の音楽と身体表現を広げています。
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