『DTOPIA』で第172回芥川龍之介賞を受賞した小説家の安堂ホセさん。
1994年に東京都で生まれ、2022年に『ジャクソンひとり』でデビューすると、発表した小説が3作続けて芥川賞候補となり、3作目の『DTOPIA』で受賞しました。
現在の姿だけを見ると、早くから文学の世界を目指していたようにも見えますが、子どものころは本が好きだったわけではなく、10代で夢中になっていたのは小説よりも映画でした。
大学でも映画を学び、自分で映像を作ろうとした経験を経て、20代になってから小説を書くことになります。
一方、名前や外見から「ハーフ」「国籍」「父親の出身」などさまざまな情報が広がっていますが、安堂さん自身は詳細なプロフィールをほとんど公表していません。
安堂ホセの生い立ちと家族・ルーツ|東京で育った子ども時代
安堂ホセさんは1994年に東京都で生まれ、東京で育ちました。
後に公開されたプロフィールでも東京都生まれ・在住と紹介されており、創作の舞台にも東京が繰り返し登場します。
ただ、家族構成や両親の詳しいプロフィールについては、本人が公表している情報がかなり限られています。
本よりも走ることが身近だった負けず嫌いな子ども時代
現在は小説家として知られる安堂さんですが、小学校時代から熱心な読書家だったわけではありません。
2022年に島本理生さんと対談した際には、小学校のころは本が好きではなく、教科書もあまり読めなかったと話しています。
そのころの安堂さんをよく表しているのは、本棚よりも運動会の一場面です。
足が速く、リレーにも出ていましたが、チームが負けると泣くほど勝負にこだわっていました。
「負けず嫌いでした。」
VOGUE JAPAN
同じインタビューでは、運動会のリレーでほかの人のために負けることが許せず、泣いたこともあったと振り返っています。
『ジュラシック・パーク』とタランティーノ映画に惹かれる
本以上に早くから安堂さんを引きつけていたのが映画でした。
子どものころに好きだった作品として、『ジュラシック・パーク』やクエンティン・タランティーノ監督の映画を挙げています。
『ジュラシック・パーク』では人間の登場人物よりもティラノサウルスに強く感情移入していたという話も残っています。
「ティラノサウルスなんです。」
VOGUE JAPAN
タランティーノ作品には、自分の周囲にはない世界が描かれているところに自由さを感じていたそうです。
後の小説にもスピードのある場面転換や強い映像イメージが現れますが、その前に長い映画体験がありました。
本が苦手だった小学生が川上未映子の言葉に出会う
読書が得意ではなかった一方で、小学生のころには川上未映子さんの作品にも触れていました。
幼い自分にすべて理解できたわけではなかったものの、実験的な詩や文章に強く惹かれたと後年語っています。
特に詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』を読んだとき、大人やクラスメイトに対して自分が言いたかった気持ちが言葉になっていることに気づきました。
それまで身近ではなかった文学が、自分の内側にあるものを言葉にできる表現として近づいてきます。
そこから松浦理英子さん、黒田夏子さん、多和田葉子さんらの作品にも読む範囲が広がっていきました。
家族・父親・母親・海外ルーツについて確認できること
安堂さんについては、名前や外見から父親の国籍、母親の国籍、ハーフなのかといった情報がネット上で多く書かれています。
朝日新聞のインタビューでは「自身も海外にルーツをもつ」と紹介され、安堂さん自身も作品やインタビューの中で「ブラックミックス」という言葉を使用しています。
しかし、父親がどこの国の出身なのか、母親がどのような人物なのか、兄弟姉妹がいるのかといった詳細は公表されていません。
さらに芥川賞受賞後の2025年、文春オンラインのインタビューで詳細なプロフィールを公表していないことを尋ねられると、安堂さんは受賞後に増えた出自をめぐる記事について答えています。
「『ハーフ? 出身は?』みたいなサイトが勃興しましたが、すべて嘘です(笑)。」
文春オンライン
父親や母親の国籍を特定した情報は、本人が認めたプロフィールとしては確認できません。
生まれ育った場所について確認できるのは、東京都生まれ、東京育ちというところまでです。
安堂ホセの学生時代|映画と服から世界の見え方を知っていく
子どものころから見ていた映画は、10代になると日常のかなり大きな部分を占めるようになります。
同時に、外見や服によって周囲の反応が変わることを、自分の生活の中で経験していました。
10代は毎日のようにレンタルショップで映画を借りていた
10代のころの安堂さんは、ほぼ毎日のようにレンタルショップへ行って映画を借りていたといいます。
映画の世界にのめり込み、見るだけではなく、いつか自分でも映画を作りたいと考えるようになりました。
音楽ではケレラやアルカをよく聴いていたと答えており、小説だけに囲まれた学生生活とはかなり違った姿が見えてきます。
映画、音楽、ファッションなど、複数のカルチャーが同じ時期に身近にありました。
高校時代、着る服によって職務質問のされ方が違うと気づく
高校時代には、後のデビュー作にもつながる具体的な経験がありました。
安堂さんは服が好きになったきっかけについて、値段の高い服を着ているほど警察から職務質問をされにくいことに気づいたと話しています。
「高校の時、値段の高い服を着ているほど職質されないことに気づいて(笑)。」
好書好日
同じ身体でも身につけるものによって他人からの扱われ方が変わるという経験でした。
この感覚は、後に『ジャクソンひとり』で登場人物たちが服を交換して別人になりすます仕掛けにも重なっていきます。
高校時代に現実の街で感じていた「服によって人の見られ方が変わる」という経験が、のちに小説の中で物語を動かす仕掛けになりました。
安堂ホセさんは1994年に東京都で生まれ、東京で育ちました。
現在は小説家として知られる安堂さんですが、小学校時代から熱心な読書家だったわけではありません。
高校時代には、後のデビュー作にもつながる具体的な経験がありました。
子どものころから見ていた映画は、10代になると日常のかなり大きな部分を占めるようになります。
高校を卒業した後、安堂さんは大学へ進学しました。
安堂さんが大学で選んだのは、子どものころから好きだった映画の勉強でした。
安堂さんの大学については「早稲田大学」という名前も見かけますが、早稲田大学を卒業したと確認できる公式プロフィールはありません。
映像制作を経験した安堂さんは、そこで感じた難しさから別の表現方法を探すようになります。
安堂ホセの大学時代|大学名より確かな「映画を学んでいた」経歴
高校を卒業した後、安堂さんは大学へ進学しました。
進学先の大学名は公表していませんが、そこで何をしていたのかについては本人が具体的に話しています。
大学で映画を学び、自分でも映像制作を始める
安堂さんが大学で選んだのは、子どものころから好きだった映画の勉強でした。
「もともと大学で映画の勉強をしていた」
Web河出
映画を見るだけではなく、自ら制作も手がけました。
ところが実際に作品を作ろうとすると、映画は一人では完成しません。
特に自主制作では、スタッフを集めたうえで、自分が描きたいマイノリティの前提やキャラクターの行動、なぜその場面を描きたいのかまで共有する必要がありました。
安堂さんにとって大きかったのは、技術そのものよりも「自分が作りたいものを、大人数で共有しながら作る難しさ」でした。
「早稲田大学出身?」と見られる背景と実際に確認できる情報
安堂さんの大学については「早稲田大学」という名前も見かけますが、早稲田大学を卒業したと確認できる公式プロフィールはありません。
確認できる早稲田大学との接点は、作家になった後の2024年10月23日にあります。
この日、早稲田大学国際文学館が主催した「Authors Alive! ~作家に会おう~」に、柳美里さん、ロバート キャンベルさんとともに出演しました。
会場も早稲田大学小野記念講堂でしたが、これは作家として参加したイベントです。
出身大学として確認できるのは大学名ではなく、「大学で映画を学んでいた」という本人の証言までです。
映画制作から小説へ|一人で作れる表現を選んだ転機
映像制作を経験した安堂さんは、そこで感じた難しさから別の表現方法を探すようになります。
そこで候補になったのが、映画よりずっと少ない人数で完成させられる小説でした。
映画では仲間と認識を共有する難しさを感じていた
映画を作るには、俳優や撮影スタッフなど多くの人が関わります。
安堂さんの場合、自分が描こうとしていた人物やマイノリティをめぐる前提から説明し、それを共有できる仲間を探すところにも難しさがありました。
その途中で気づいたのが、小説なら頭の中にある人物や場面を、自分一人で最後まで作れることでした。
「小説なら一人で自由に創作できる」
東京都人権啓発センター
映画を諦めたあとに偶然小説が残ったというより、映画を実際に作ったからこそ、一人で作れる小説の特徴がはっきり見えてきました。
2020年ごろ、映像にするつもりだった物語を初めて小説にする
安堂さんが初めて小説を書いたのは2020年ごろです。
最初から小説家を目指して長く投稿を続けていたわけではありません。
最初に思いついた物語も、もともとは映像にする方向で考えていました。
しかし、大勢の人へ説明しながら作るより、主人公の細かな感覚を自分だけで書ける小説を選びました。
VOGUE JAPANで「小説家になろうと思ったきっかけ」を聞かれた際にも、安堂さんは2020年ごろに小説を書いたことを挙げています。
『文藝』の「覚醒するシスターフッド」を読み文藝賞へ応募
初めて小説を書いたころ、安堂さんは文芸誌『文藝』の2020年秋季号に掲載された特集「覚醒するシスターフッド」を読みました。
メッセージ性の強い企画を組む文芸誌があることに驚き、ここなら自分の作品を送れると思って文藝賞へ応募します。
こうして書かれた初小説『赤青坂黄色闇』は、第58回文藝賞の最終候補まで残りました。
ただし、このときは受賞には届きませんでした。
初応募の落選から『ジャクソンひとり』で作家デビュー
最初の作品が最終候補まで残ったこと以上に、その後の動きが安堂さんの作家人生を大きく変えました。
落選した作品の選評を読み、そこで終わらず2作目を書くことになります。
初小説『赤青坂黄色闇』は文藝賞最終候補で落選
初めて書いた『赤青坂黄色闇』も、ブラックミックスでゲイの人物を主人公とする作品でした。
第58回文藝賞の最終候補まで残りましたが、受賞作には選ばれませんでした。
このとき選考委員の一人だった島本理生さんは、後に安堂さんとの対談で、前作を読んだ時点から「同じ主題で違う物語を書くのでは」と次作を期待していたことを明かしています。
島本理生の選評を読み、もう一作書く
安堂さんも前年の島本さんの選評を読み、勇気をもらったと本人へ直接伝えています。
一度書いたテーマを捨てるのではなく、同じところから別の物語を作る方向へ進みました。
そして2作目として書き上げたのが、後のデビュー作となる『ジャクソンひとり』です。
初応募の落選は、作品を書かなくなる出来事ではなく、次の一作を書く直前の出来事になりました。
昔の同級生からの人違いも『ジャクソンひとり』の着想になる
『ジャクソンひとり』の着想には、安堂さん自身が経験した小さな人違いも入っています。
あるとき、昔の同級生から「雑誌、見たよ」と連絡が来ました。
ところが、その雑誌に載っていた人物は安堂さんではありませんでした。
自分と似たように見える人物がほかにもいるなら、その「似ていること」を利用した作戦も成立するのではないかと発想が広がっていきます。
高校時代に感じていた服による見られ方の変化と、人違いされた経験が、作品内の「似た外見を持つ4人が服を交換する」という設定の中で交わりました。
昔の生活で起きた別々の出来事が、作家になったとき一つの物語の仕掛けとして組み合わされています。
2022年、第59回文藝賞を受賞して小説家になる
2022年、『ジャクソンひとり』は第59回文藝賞を受賞しました。
大学で映画を学び、自主制作を経験したあと、2020年ごろに初めて小説を書いてからおよそ2年でした。
『ジャクソンひとり』は安堂さんにとってまだ2作目の小説でした。
映画を見続けてきた経験も文章から消えたわけではなく、読者から「映像を見ているような小説」「映画のシナリオのようだ」という感想が寄せられたと本人が話しています。
安堂さん自身も、物語を組み立てる土台が「映像式」になっているのではないかと捉えていました。
3作連続の芥川賞候補から『DTOPIA』受賞へ
文藝賞を受賞してデビューした後も、安堂さんは短い間隔で作品を発表していきます。
その3作品すべてが芥川賞候補になりました。
『ジャクソンひとり』『迷彩色の男』と候補が続く
デビュー作『ジャクソンひとり』は第168回芥川龍之介賞の候補作になりました。
受賞には至りませんでしたが、翌2023年に発表した2作目『迷彩色の男』も第170回芥川賞候補になります。
『迷彩色の男』では、東京のファイトクラブで出会った男をめぐる事件を描き、デビュー作に続いて人種やセクシュアリティ、暴力を物語の中へ持ち込みました。
2024年には3作目『DTOPIA』を発表します。
3作目『DTOPIA』で2025年に芥川賞を受賞
『DTOPIA』も第172回芥川賞候補となり、選考会は2025年1月15日に開かれました。
この日、『DTOPIA』は鈴木結生さんの『ゲーテはすべてを言った』とともに第172回芥川龍之介賞に選ばれました。
安堂さんはデビュー作から3作連続で芥川賞候補となり、その3作目で受賞しました。
受賞後の公式Xでは、短く「DTOPIAが芥川賞に選ばれました」と報告しています。
日本文学振興会の受賞者一覧にも、第172回の受賞者として安堂ホセさんと『DTOPIA』が記録されています。
本を読むのが得意ではなかった小学生から、映画を作りたかった10代と大学時代を経て、初めて小説を書いてから約5年で芥川賞受賞まで進みました。
映画を見続けた昔の経験が現在の小説にも残っている
小説家になった後も、映画は安堂さんの創作から切り離されていません。
『ジャクソンひとり』では海外ドラマの日本語字幕を意識して、瞬間的に頭へ入るセリフの長さやリズムを考えたことも明かしています。
子どものころに見た『ジュラシック・パーク』、10代で毎日のように借りた映画、大学で学んだ映像、自主制作で経験した難しさが、そのまま消えずに別の表現へ移りました。
映画なら俳優やカットワークを通して見せる場面を、小説では言葉によって自分の解釈まで入れられることに、書き続ける中で気づいたと話しています。
映画を作れなかったから小説へ来ただけではなく、実際に小説を書いたことで「自分にはこちらが向いていた」と分かっていった過程があります。
芥川賞受賞後第一作『獣走』へ
芥川賞受賞後も次の作品は進んでいます。
2026年には、長編小説『獣走』の刊行が発表されました。
KADOKAWAの書誌情報では、発売予定日は2026年9月30日で、芥川賞受賞後第一作と紹介されています。
2026年8月19日現在は発売前で、安堂さん自身も公式Xで新しい小説が完成したことを知らせています。
『獣走』は、これから刊行される作品です。
子どものころは本よりも走ることや映画が身近にあり、10代では毎日のように映像を見て、大学ではその映画を自分で作る側へ進みました。
大人数で作る映像から一人で作れる小説へ方向を変え、初応募の落選を挟んで『ジャクソンひとり』でデビューし、『DTOPIA』で芥川賞を受賞しました。
そして現在も、映画を見続けてきたころの感覚を残しながら、次の小説へ進んでいます。
安堂ホセと似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。












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