ドラマ『仮面ライダーギーツ』の吾妻道長/仮面ライダーバッファ役をはじめ、俳優として出演作を重ねながら、7人組ダンスボーカルグループ「原因は自分にある。」でも活動している杢代和人さん。
2004年5月20日生まれの東京都出身で、所属事務所のプロフィールには2018年に俳優デビューしたと記されています。
- 父が料理人で、家庭でも料理が身近にある環境だった。
- 芸能界とは別に、幼少期から父の影響で料理を生活の一部として身につけた。
- 「原因は自分にある。」の正式デビューを境に、中途半端にはできないと覚悟が決まり、グループと俳優の両方で本気で活動を続ける意識へ変わった。
現在は歌やダンス、芝居を行き来していますが、芸能活動を始めたころは歌もダンスも未経験で、ステージの基本用語すら知らない状態からのスタートでした。
さらに芸能界へ入るまでをたどると、子どものころから一直線に芸能人を目指していたわけではなく、友達と公園で遊び、料理人の父とガンプラを作り、中学生になっても将来やりたいことを決めきれていなかった時期がありました。
同じスターダストプロモーションから3度声をかけられたことが、その後の人生を大きく動かしていきます。
杢代和人の生い立ちと家族|外遊びと料理が身近だった子ども時代
杢代和人さんは東京都で育ち、家族には父親、母親、年の離れた兄と姉がいます。
後にステージへ立つようになる姿からは少し離れた、木登りやレゴ、料理が身近にある子ども時代を過ごしていました。
見たことのないものに触り、木や遊具へ登っていた幼少期
幼いころの自分について、杢代さんは2024年のインタビューで、外で遊ぶことが好きな「すごく元気な子」だったと振り返っています。
見たことのないものがあると触ってみたり、椅子や木の上へ登ってみたりと、まず自分で近づいて確かめるような子どもでした。
育ったのは本人いわく「大都会」でしたが、公園へ行けばジャングルジムに登り、外で体を動かして遊んでいます。
「果てしなく好奇心があって、見たことがないものはとりあえず触ってみたり、登ってみたり。」
awesome!
家の中では幼いころは比較的おとなしかったそうで、外に出ると一気に遊びへ向かう子どもだったようです。
2歳からバイオリン、保育園ではシンケンジャーとレゴに夢中
習い事では、2歳から4歳ごろまでバイオリンを経験しています。
しかもバイオリンを習っていたのは杢代さんだけではなく、兄、姉を含む3兄弟全員が幼少期に経験していました。
本人には当時の演奏の記憶はほとんど残っていないものの、楽器の持ち方については体が覚えている感覚があると話しています。
保育園時代に夢中だったのが『侍戦隊シンケンジャー』です。
同じころ放送されていた『仮面ライダーW』も友達と見ていましたが、自分は「シンケンジャー派」だと言い張っていたそうです。
家ではレゴブロックも好きで、買ってもらったブロックからさまざまなものを組み立てていました。
料理人の父とガンプラを作り、小学生から料理も始めた
小学1年生ごろになると、父親と一緒にガンプラを作っていました。
車やメカも好きで、レゴからガンプラへと、手を動かしながら何かを作る遊びが続いています。
もう一つ父親から受けた影響が、現在も特技として挙げている料理です。
父親は料理人で、両親が共働きだった家庭の冷蔵庫には食材が多く入り、子どもたちはそれを自由に使って料理してよかったと本人が明かしています。
小学3年生ごろにはすでに包丁を握っていたというので、料理は芸能活動を始めてから身につけた趣味ではありません。
「小学校3年生ぐらいから包丁を握っていましたね。」
VOCE
中学生になると、父親が作るコンソメスープ仕立てのロールキャベツを教えてもらい、得意料理になりました。
兄と姉も料理ができ、2020年には杢代さん自身が料理番組「神アングル!理想のカレごはん」を担当しています。
兄と姉がいる3兄弟の末っ子として育った
杢代さんには年の離れた兄と姉がいて、3兄弟の末っ子です。
兄弟の名前や詳しいプロフィールは公表されていませんが、本人の話には幼少期のバイオリンや料理など、3兄弟で共有していたものがたびたび登場します。
2021年に学生時代を振り返った際には、先に成長していく兄と姉の姿を見ていたことで、自分の将来についてどこか楽観的に考えていた時期もあったと話していました。
家族の中で仕事を持つ両親と年上の兄姉に囲まれながら、杢代さん自身は学校が終わるとすぐ外へ飛び出す生活へ進んでいきます。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
| 父 |
料理人
本人が父は料理人と明言。氏名など非公表情報は登録しない。 |
信頼できる媒体 出典を見る |
|---|
杢代和人の小中学校時代|学級委員をしながら放課後は友達と公園へ
小学校へ入ると、外遊びが好きだった幼少期の過ごし方はそのまま続きました。
一方、学校では学級委員や班長も担当しており、教室の中と放課後では少し違う姿が見えてきます。
給食後は校庭へ、帰宅するとランドセルを置いてすぐ遊びに行った
本人が小学校時代を振り返った公式ブログには、当時の日常がかなり具体的に残っています。
給食を食べ終えると走って校庭へ向かい、授業が終われば家へ帰ってランドセルを置き、すぐ友達と合流していました。
遊び場は公園で、本人が「とにかく遊ぶのが好き」と表現するほど、友達との時間が学校生活の中心にありました。
その一方で、学校では学級委員や班長なども経験していました。
芸能活動を始めた後に見せる前へ出る姿だけを見ていると早くから目立つことを仕事にしたかったようにも見えますが、このころ本人が夢中だったのは芸能活動ではなく、学校と公園を行き来する毎日でした。
中学ではソフトテニス部より友達と過ごす時間に夢中だった
中学校ではソフトテニス部に入りました。
ただし、本人は後に「打ち込んだというほどではなかった」と話しており、中学時代で最もよく覚えているのは部活動の成績ではありません。
最終下校時刻まで学校に残り、その後コンビニで食べ物を買い、公園で友達と食べながら話していました。
「一番、打ち込んだと言えるのは、友達と遊んでいたことです(笑)。」
WEBザテレビジョン
放課後に友達と公園へ行く生活は、小学生のころから中学生になっても続いていました。
友達と同じ高校へ進み、そのまま就職する未来を考えていた
芸能界へ入る前の中学生時代には、将来やりたい仕事がはっきり決まっていたわけではありませんでした。
本人が当時考えていたのは、友達と同じ高校へ行き、卒業後は就職して、友達と楽しく過ごすという進路でした。
これは実際に同じ高校へ進学したという意味ではなく、芸能活動を始める前に思い描いていた将来像です。
中学生活が進み、周囲が高校や将来について話し始めると、自分だけは遊んでばかりで大丈夫なのかと考えるようになります。
ちょうどそのころ、以前にも自分へ声をかけてきた芸能事務所と、もう一度出会うことになりました。
杢代和人さんは東京都で育ち、家族には父親、母親、年の離れた兄と姉がいます。
幼いころの自分について、杢代さんは2024年のインタビューで、外で遊ぶことが好きな「すごく元気な子」だったと振り返っています。
小学校へ入ると、外遊びが好きだった幼少期の過ごし方はそのまま続きました。
芸能界へ入る前の中学生時代には、将来やりたい仕事がはっきり決まっていたわけではありませんでした。
「原因は自分にある。」の正式デビューを境に、中途半端にはできないと覚悟が決まり、グループと俳優の両方で本気で活動を続ける意識へ変わった。
Seventeen-Web|ギャップ沼注意報♡杢代和人くんにインタビュー!3度のスカウトで人生が動く|未経験から芸能活動を始めるまで
杢代さんが所属することになったのは、現在も在籍するスターダストプロモーションです。
しかも、一度声をかけられて即決したわけではありませんでした。
小学5年から同じスターダストに3度声をかけられた
2025年の本人インタビューでは、スカウトを受けた時期をかなり詳しく語っています。
最初は小学5年生で、そのときは断りました。
小学校を卒業した後にも再びスターダストの関係者から声をかけられましたが、2度目も所属していません。
そして中学1年生の冬、原宿で3度目のスカウトを受けます。
人生でスカウトされた3回が、すべて同じスターダストプロモーションだったと本人が明かしています。
過去のインタビューでは「中2の春にスカウト」「中学2年生のころに所属」と簡潔に語ったものもありますが、後年の説明では、声をかけられた経緯と実際に活動へ入っていく時期がより細かく整理されています。
原宿で受けた3度目のスカウトを「何かの縁」と受け入れた
3度目は、原宿でラーメンを食べた帰りでした。
全速力で自転車をこいできた人物が杢代さんの前で止まり、声をかけてきたところ、その人もまたスターダストのスカウト担当者でした。
それまで断っていた理由の一つには、別の事務所に所属するアイドルへの憧れがあり、芸能界に入るならその人たちと同じ事務所へ行きたいという気持ちがありました。
しかし3回目になり、自分の将来について考え始めていた時期とも重なります。
「3回目だから『何かの縁かな』と思ってスターダストに入ったんです。」
Rolling Stone Japan
最初から「芸能界で成功する」と決めて飛び込んだのではなく、「人生経験としてやってみる」という選択でした。
入所すると「この世界で売れたい」へ気持ちが変わった
入所前の杢代さんは、うまくいかなければやめればいいというくらいの気持ちだったといいます。
ところが実際に芸能活動の世界へ入ると、その感覚はすぐ変わりました。
さまざまな仕事やステージへ進める可能性を目にし、「絶対にこの世界で売れたい」と考えるようになります。
そこで選んだのが、芝居だけではなく歌やダンスにも挑戦する道でした。
ただ、本人には歌もダンスも経験がありませんでした。
研究生から「原因は自分にある。」へ|歌もダンスもゼロからのスタート
事務所へ入った杢代さんは、EBiDANの研究生としてレッスンとステージ経験を重ねていきます。
すでに経験を積んでいた研究生の中へ、途中から入っていく形でした。
マイクの持ち方もバミリも知らなかった初ステージ
本人が初めてステージへ立った日の記憶には、華やかなデビューとは違う光景が残っています。
マイクの持ち方、リハーサルの進め方、「バミリ」という言葉の意味も分からず、一つずつ頭へ入れて本番へ臨みました。
覚えることに必死だったものの、本番では間違えてしまったそうです。
「ダンスも歌も未経験からのスタートだったので、とにかく先輩方の背中を見て『追いつこう!』と必死になっていました。」
FAST
研究生時代には、現在同じグループで活動する武藤潤さんと一緒にダンスを披露する機会もありました。
ところが2人とも思うように踊れず、そのとき武藤さんが自分の失敗より、一緒に踊った杢代さんを気遣ったことを後年まで覚えています。
まだパフォーマンス経験の浅いころから、後に同じ7人組となるメンバーとの関係ができ始めていました。
長野凌大を追い、BATTLE BOYS東京選抜へ進んだ
研究生へ入ったころ、杢代さんが強く意識した存在が長野凌大さんでした。
当時の長野さんはすでに研究生の選抜メンバーとして活動しており、杢代さんの目には「トップ」「センター」にいる存在として映っていました。
歌もダンスも分からないところから、まず身近にいる長野さんへ追いつこうと練習を続けます。
やがてBATTLE BOYSの東京選抜へ入り、さらに上には全国選抜がある環境で活動を続けました。
研究生の中で選ばれることを繰り返しながら、正式なユニットのメンバーへ近づいていった時期です。
2019年7月7日の豊洲PIT公演を追った映像は、現在の「原因は自分にある。」公式サイトでもBATTLE STREET時代の記録として案内されています。
2019年7月7日、BATTLE STREETとして7人でデビュー
2019年7月7日、杢代さんはBATTLE BOYSを卒業し、BATTLE STREETのメンバーとして正式デビューしました。
メンバーは大倉空人さん、小泉光咲さん、桜木雅哉さん、長野凌大さん、武藤潤さん、杢代和人さん、吉澤要人さんの7人です。
デビュー翌日の公式ブログには、入所直後から歌もダンスも分からない中でBATTLE BOYSへ入り、長野さんを追いかけてきたことが書かれています。
「僕の夢は BATTLE STREETでドームに立つことです」
EBiDAN 39&KiDS オフィシャルブログ
友達と同じ高校へ進み就職する未来を考えていた少年が、ここで「グループでドームに立つ」という目標を言葉にしました。
デビューを境に「簡単には後へ引けない」と覚悟が変わった
BATTLE STREETはその後、現在の「原因は自分にある。」へと名前を変えて活動していきます。
杢代さん自身は後年、7人で正式にデビューしたことを自分のターニングポイントとして挙げています。
研究生のころには、まだ引き返せる場所がある感覚も残っていました。
しかし7人でデビューした瞬間、このメンバーと人生をかけて活動するという意識へ変わったと振り返っています。
研究生時代から知るメンバーも、後年の杢代さんについてそれぞれ違う姿を語っています。
長野凌大さんはカリスマ性がある一方で、意外と繊細で緊張しやすい面にも触れ、吉澤要人さんは杢代さんが「先陣を切って進んでいく」姿を挙げています。
高校時代は学業と芸能活動を並行|『オオカミ』出演で広がった活動
グループデビュー後も、杢代さんには学生としての生活が続いていました。
中学卒業、高校生活へと進む時期には、グループ外の仕事も少しずつ増えていきます。
2020年春、中学校卒業を公式ブログで報告
2020年3月、15歳だった杢代さんは公式ブログで中学校を卒業したことを報告しました。
そこには、3年間学校生活をともにした人たちへの感謝とともに、「高校の杢代和人も応援よろしくお願いします」と書かれています。
このため2020年春以降に高校生活へ進んだことまでは本人発信から確認できますが、出身中学校や高校の学校名は公式プロフィールで公表されていません。
大学についても、所属事務所の公式プロフィールなどには進学先の記載がなく、特定の大学名を示せる公表情報は確認されていません。
学校名そのものより、この時期にはすでにグループの活動と学業を並行しながら、個人での仕事へも進み始めていました。
中学3年ごろからファッションにも興味を持つようになった
現在の公式プロフィールでは趣味にファッションを挙げていますが、服への関心が強くなったのも芸能活動を始めた後です。
中学3年生ごろ、M!LKの山中柔太朗さんから影響を受け、洋服について少しずつ調べ始めました。
その後はブランドのコレクションをチェックすることが日課になるほど服が好きになり、芸能界に入る前の外遊び中心の生活に、新しい趣味が加わっています。
一方、幼いころから身近だった料理は続いており、2020年には料理番組を任されました。
芸能活動を始めてから好きになったファッションと、家庭で身につけた料理が、どちらも個人の仕事へ広がっていきました。
『恋とオオカミには騙されない』出演時も高校生活の途中だった
高校在学中の2021年2月、16歳だった杢代さんはABEMA『恋とオオカミには騙されない』へ出演しました。
出演の話を受けた際には、マネージャーと何度も話し合い、自分がグループ活動をしていることや応援しているファンがいることも踏まえて出演を決めています。
番組終了後の同年6月には初写真集『SPROUT』も発売され、グループのステージ以外で杢代和人という名前に触れる機会が増えていきました。
さらに2021年には日本テレビ系『FAKE MOTION -たったひとつの願い-』でドラマへ出演し、所属事務所の現在のプロフィールでも同作がドラマ初出演として記録されています。
中学校卒業から約2年がたつころには、研究生時代に始めた音楽活動と並んで、俳優の仕事も次の段階へ進み始めていました。
幼いころ見ていた仮面ライダーへ|吾妻道長役が俳優としての転機に
2022年になると、杢代さんの俳優活動に大きな変化が訪れます。
保育園のころ友達と見ていた「仮面ライダー」のシリーズへ、今度は出演者として入ることになりました。
『仮面ライダーギーツ』で仮面ライダーバッファ役に決定
2022年8月7日、テレビ朝日系『仮面ライダーギーツ』への出演が発表されました。
演じたのは吾妻道長/仮面ライダーバッファです。
幼いころは『侍戦隊シンケンジャー』の方が好きだと言い張っていたものの、『仮面ライダーW』も友達と見ていました。
その友達の中には『ギーツ』出演を知り、「仮面ライダーになるの?」と直接電話してきた人もいたそうです。
「あの頃の俺!仮面ライダーになったよー!」
原因は自分にある。オフィシャルブログ
保育園で友達と特撮を見ていた時期から十数年後、自分が変身する側に立ちました。
長期撮影のため「原因は自分にある。」での活動を一時制限
『ギーツ』出演は、俳優の仕事が一つ増えただけではありませんでした。
撮影が長期にわたるため、メンバーとスタッフが話し合った結果、撮影終了まで「原因は自分にある。」での活動を制限することが同日に発表されました。
これは脱退ではなく、公式発表でも「活動を制限」という表現が使われています。
ライブなど一部の公演を欠席し、グループは当面6人で活動することになりましたが、公式発表には「今後も変わらぬ7名の応援を」と明記されました。
本人も公式ブログで「原因は自分にある。は何があっても7人」と書き、グループのメンバーとして『ギーツ』へ向かうことを伝えています。
子どものころの友人から「仮面ライダーになるの?」と電話が来た
『ギーツ』の現場へ入ると、グループ活動とは違う長期撮影の日々が続きました。
出演決定時の本人は、俳優としても「原因は自分にある。」のメンバーとしても、ここを乗り越えれば何かを見つけられるのではないかと考えていたと後に語っています。
研究生の最初のステージではマイクの持ち方も知らなかった杢代さんにとって、連続ドラマの主要キャラクターを一年近く演じる仕事でした。
2023年8月7日には、制作発表からちょうど1年がたったことを本人がXで振り返っています。
『ギーツ』終了後にはグループの大きなステージにも戻り、2023年のアリーナ公演では、撮影中にグループを支えたメンバーやファンへ自身の言葉を届けました。
歌とダンスの活動をやめて俳優へ一本化したのではなく、長期撮影を経て再び7人のステージへ戻っています。
俳優と「原因は自分にある。」の両輪で進む現在
『仮面ライダーギーツ』を終えてから、杢代さんは再び7人でのグループ活動を続けながら、俳優としても出演作を重ねていきました。
ここからは現在の出演歴を細かく並べるより、子ども時代から続いてきたものが今どこにあるのかを見ると、これまでの道のりがつながります。
『ギーツ』以降、ドラマ・映画へ出演が続く
所属事務所の公式プロフィールには、『仮面ライダーギーツ』以降も『3年C組は不倫してます。』『【推しの子】』『熱愛プリンス』『介護スナックベルサイユ』などの出演歴が並んでいます。
2026年にはTBS日曜劇場『GIFT』で沖平颯斗役、テレビ東京『君は夏のなか』では佐伯千晴役としてW主演を務めています。
さらに2026年10月には、日本テレビ系『俺たちの箱根駅伝』への出演が予定されています。
一方、「原因は自分にある。」も2019年7月7日のデビューから7人組として活動を継続しています。
最初のステージで必死に覚えていた歌とダンスが、俳優活動と並ぶもう一つの軸として残っています。
料理、ファッション、音楽も幼少期や研究生時代から続いている
現在の公式プロフィールには、趣味として映画鑑賞・ファッション・ダンス、特技として料理が掲載されています。
料理は小学校3年生ごろから家庭で続けてきたもので、得意料理のロールキャベツは中学生のころ料理人の父から教わりました。
ファッションは芸能活動を始め、中学3年生ごろに山中柔太朗さんから影響を受けて興味が強くなったものです。
ダンスはさらにその少し前、何も分からなかった研究生時代から一つずつ覚えてきたものでした。
子どものころの自分について語ったインタビューでは、今も新しい世界や景色を見たくなるという話をしています。
公園のジャングルジムへ登っていたころから、興味を持ったものへ自分から近づく行動は続いています。
友達と公園で遊び、料理やものづくりが身近だった子ども時代を経て、3度目のスカウトから杢代和人さんの生活は芸能活動へ大きく動きました。
歌もダンスも知らない研究生から7人でデビューし、『仮面ライダーギーツ』の長期撮影という転機を挟みながら、俳優とグループの両方を続けてきました。
現在の仕事の中には、父親から教わった料理、中学生で好きになったファッション、研究生時代から積み重ねたダンスなど、違う時期に始まったものがそのまま残っています。
杢代和人と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。











