俳優・モデルとして活動する庄司浩平さんは、身長188cmのスタイルを生かしたモデル活動に加え、近年はドラマ、バスケットボール関連の仕事、執筆まで活動の幅を広げています。
2020年に『魔進戦隊キラメイジャー』で俳優デビューし、その後『仮面ライダーガヴ』や『40までにしたい10のこと』などへ出演しましたが、もともと子どものころから芸能界を目指していたわけではありません。
大学生になっても考えていたのは、一般企業へ就職し、その前にアメリカへ留学するという将来でした。
そこへ突然入ってきたのが、アルバイト帰りの電車内で声をかけられるという、それまでの人生計画にはなかった出来事でした。
現在の仕事にまで続いているバスケットボール、本、英語も、たどっていくと家族と過ごした子ども時代や学生生活の中に原点があります。
庄司浩平の生い立ちと家族|兄と育った子ども時代
庄司浩平さんは1999年10月28日、東京都生まれで、家族には父、母、2歳上の兄がいます。
両親はともに本が好きで、幼いころは家族で地元の図書館へ行き、何冊も本を借りるのが身近な日常でした。
クリスマスにはサンタクロースから絵本や小説をもらうこともあり、現在まで続く読書習慣は、かなり早い時期から家庭の中にありました。
ランドセルのプリントで叱られ、スイミングから逃げた小学1年生
子どものころの庄司さんは、自身で「典型的な子どもらしい子ども」と振り返るような小学生でした。
ランドセルの奥に入れた学校のプリントがぐしゃぐしゃになり、それを母に見つけられて叱られることもよくあったそうです。
小学1年生では2歳上の兄と一緒にスイミングスクールへ通いましたが、水泳はかなり嫌だったようで、ある日は泣きながら逃げようとしました。
ところが逃げた先には母が立っており、プールへ戻るより先にトイレへ隠れたという場面まで後年のインタビューで明かしています。
母は兄弟に対して、駄目なことははっきり駄目と伝える一方、「すべての生物に優しくする」という考えも繰り返し教えていました。
2歳上の兄と『君に届け』を渡した母
小学3年生のころには、そんな母から兄弟へ少し変わった一冊が渡されました。
少女漫画の『君に届け』です。
当時小学3年生だった庄司さんと小学5年生だった兄に対し、母は男性向けの漫画に描かれる理想像だけではなく、女性が描いた「理想的な男の子」も知ってほしいと考え、作中の風早翔太のようになるよう勧めたそうです。
「いや、風早にはなれないだろ〜!?」
STORY web
庄司さんは漫画を読みながら、心の中ではそう叫んでいたと振り返っています。
小学3年生、友人に誘われてバスケットボールを始める
同じ小学3年生のころ、庄司さんの生活にもう一つ長く続くものが加わります。
小学3年生で始めたバスケットボールです。
最初から選手を目指していたわけではなく、友人が所属していたミニバスチームで試合に出るための人数が足りず、「来ないか」と誘われたことがきっかけでした。
当時はテニスやサッカーにも触れていましたが、ミニバスを体験したときに「これだ」と感じ、そこから高校3年生までバスケットボールを続けることになります。
父の「一番うまいのを見ろ」でNBAを見るように
自分でプレーするようになった庄司さんがNBAを見るようになったのは、小学4〜5年生ごろでした。
きっかけを作ったのは父で、「バスケするなら、一番うまいのを見ろ」と勧められたといいます。
父に勧められて見始めたNBAでは、レブロン・ジェームズやコービー・ブライアントらの常識外れのプレーに引き込まれていきました。
テレビ放送だけでなく、レンタルビデオ店でペニー・ハーダウェイやシャキール・オニールら過去のNBA選手の映像も借りて見ていたそうです。
父は約188cm、母も約170cmと長身だったと本人が後年話しており、庄司さん自身の身長が大きく伸び始めるのは、この少し後の中学生になってからでした。
また幼いころにはスーパー戦隊シリーズの『特捜戦隊デカレンジャー』も見ており、この時点ではもちろん、自分が後に同じシリーズでヒーローを演じるとは考えていませんでした。
庄司浩平の中学・高校時代|バスケ中心の生活へ
中学生になってもバスケットボールを続けましたが、現在の188cmという身長から想像するほど、最初から周囲より飛び抜けて大きかったわけではありません。
むしろ中学後半に急激な成長期を迎え、プレー環境も体格も大きく変化していきました。
中学で身長が急成長|162cm前後から卒業時178cmへ
本人によると、中学2年生のころの身長は約162cmで、中学3年生の夏前でも約168cmでした。
ところが中学のバスケ部を引退した後から一気に伸び、中学校を卒業するころには約178cmになっていました。
半年ほどの間に10cm近く伸びた時期があったことになり、高校へ進むころにはバスケットボール選手としても現在に近い長身になっていきます。
専修大学附属高校で背番号10|関東大会メンバーに名を連ねる
高校は専修大学附属高等学校へ進み、引き続きバスケットボール部で活動しました。
2017年の関東高校男子バスケットボール大会の登録名簿には、専修大学附属高校の3年生として背番号10・庄司浩平・185cmと記録されています。
同じ大会名簿の出身中学欄には「開進第1」と記載されており、中学時代から続けてきた競技で関東大会の登録メンバーに入るところまで進みました。
高校生活について本人は、ほとんどをバスケットボールに使ったと話しています。
朝5時台に家を出発|母の巨大おむすびと二段弁当
高校では朝練があり、朝5時台には家を出る生活を送っていました。
その生活を食事の面で支えていたのが母で、毎朝かなりの量の昼食を用意していました。
庄司さんが求めていたのは何より量で、握りこぶし2個分ほどある大きなおむすびを2個、二段弁当、さらに菓子パンまで持って行き、それを食べ切っていたといいます。
おむすびの海苔は食べる直前に巻けるよう、母がアルミホイルへ別に包んでくれていました。
高校3年生になっても早い時期に部活を切り上げることはせず、11月のウインターカップ予選まで競技を続けました。
周囲が受験勉強や自動車免許の合宿などへ進んでいく時期にも、庄司さんの一日は体育館を中心に回っていました。
夏休みは1週間のバスケ合宿|朝5時から練習の日々
夏休みには毎年、栃木県の強豪校へ複数の高校が集まり、約1週間の合宿を行っていました。
宿泊場所はホテルではなく、体育館や教室で寝ることもあり、朝5時に起こされて練習が始まるような日程だったそうです。
冷房のない体育館で朝から夜までバスケットボールを続ける夏で、本人も当時は辞めたいと思う瞬間があったと振り返っています。
それでも高校3年生まで離れずに続けた競技は、卒業後も趣味として残っていきました。
部活の合間に勉強し、高校では年間100冊ほど本を読む時期も
バスケ中心の高校生活でしたが、勉強を放置していたわけではなく、本人によると成績は学校でも上位に入っていました。
朝練から授業へ入るため眠ってしまうこともありましたが、担任教師は事情を知ったうえで、成績を取ることやグループワークでは起きて参加することを求めていたそうです。
一方で性格はクラスの中心で目立つタイプではなく、本人は高校時代の自分をクラス内の「下3割くらいのところで楽しくやっていた」と表現しています。
集合写真でもだいたい後ろの方に写り、芸能界へ入ったことを知った当時の友人や家族からは意外に思われたといいます。
部活動の外では読書にも戻り、高校時代には年間100冊ほど本を読んだ時期もありました。
体育館で過ごす時間が非常に長い一方、空いた時間には勉強をし、本も読むという高校生活を終え、次は大学へ進みます。
庄司浩平さんは1999年10月28日、東京都生まれで、家族には父、母、2歳上の兄がいます。
中学生になってもバスケットボールを続けましたが、現在の188cmという身長から想像するほど、最初から周囲より飛び抜けて大きかったわけではありません。
高校は専修大学附属高等学校へ進み、引き続きバスケットボール部で活動しました。
バスケ中心の高校生活でしたが、勉強を放置していたわけではなく、本人によると成績は学校でも上位に入っていました。
高校卒業後は大学へ進学し、デイリースポーツの人物紹介では専修大学卒業と報じられています。
大学1年生の夏には、就職するときに少し変わった経歴があれば面白いと考え、秘書検定2級を取得しました。
スーパー戦隊で俳優デビューしたことで進路が完全に決まったようにも見えますが、大学卒業が近づいたころの庄司さんは、まだ二つの道を持っていました。
大学生のまま芸能活動へ足を踏み入れた庄司さんは、2019年から仕事としての活動を少しずつ本格化させます。
庄司浩平の大学時代|一般就職とアメリカ留学を考えていた
高校卒業後は大学へ進学し、デイリースポーツの人物紹介では専修大学卒業と報じられています。
大学は専修大学を卒業していますが、学部については公表された確かな情報はありません。
大学でも同好会という形でバスケットボールを続けましたが、将来の進路として強く意識していたのは芸能界ではなく一般企業でした。
大学1年の夏に秘書検定2級|就職を前提に準備
大学1年生の夏には、就職するときに少し変わった経歴があれば面白いと考え、秘書検定2級を取得しました。
授業や試験会場では周囲のほとんどが女性で、自分だけが混ざっている様子を絵本の『スイミー』に例えています。
「サラリーマンになるだろうという確証が90%以上だったんですよ」
日刊スポーツ
大学時代には両親から昼食代を1日500円でやりくりするよう言われ、400円で済ませれば100円が手元に残るため、自炊もするようになりました。
実家の近所にあった3軒のスーパーについて、生鮮食品に強い店、野菜に強い店、冷凍食品が充実した店と特徴を覚え、チラシまで頭に入れて使い分けていたそうです。
NBAの本場へ行きたい|フロリダへの交換留学を目指して英語を学ぶ
一般企業への就職と並行して、大学生活で実現したいと考えていたのがアメリカ留学でした。
小学生から見続けてきたNBAの中でもマイアミのチームが好きだったことから、大学3年生になったらフロリダ州の大学へ1年間交換留学する計画を立てていました。
その準備として英語の勉強を続け、後に所属事務所の公式プロフィールで日常英会話が特技として掲載されるまでになります。
このころの予定は、アメリカへ留学し、帰国後に就職活動をして会社員になるというものでした。
バイト帰りの電車で突然スカウトされる
その予定を最初に動かしたのは、大学1年生のころのアルバイト帰りでした。
仕事を終え、疲れながら電車に乗っていると芸能関係者から声をかけられます。
「バイト帰りで、疲れたな〜って思ってたら声をかけていただいて。」
Shining Star
それまでドラマや映画を見ることはあっても、自分が出演する側になることにはほとんど関心がありませんでした。
19歳の大学生が、バイト帰りの電車で受けたスカウトが芸能界への入口になりました。
「誰にでもできる経験ではない」と考え、まずは知らない世界を少しのぞいてみるような気持ちで事務所につながっていきます。
芸能活動は「留学までのアルバイト」のつもりだった
スカウトされた後も、庄司さんの中でアメリカ留学と一般就職の計画がすぐ消えたわけではありません。
「留学に行くまでのちょっとしたアルバイトのつもり」
non-no web
芸能活動は留学までの一時的な仕事という感覚で始め、最初から「俳優一本で生きる」と決めていたわけではありませんでした。
そのため、この後も芸能活動と大学生活、留学準備という複数の道を同時に持った状態で進んでいきます。
庄司浩平の俳優デビュー|キラメイジャーのオーディションへ
大学生のまま芸能活動へ足を踏み入れた庄司さんは、2019年から仕事としての活動を少しずつ本格化させます。
ただし、演技経験を積み重ねて何年もオーディションを受けた末のデビューではありませんでした。
2019年、男劇団 青山表参道Xへ加入
2019年10月、オスカープロモーションの男性エンターテインメント集団「男劇団 青山表参道X」のメンバーに加わりました。
スカウトから約1年ほどが経っていましたが、俳優としての経験はまだ少なく、本人にとって芸能界は知らないことの多い場所でした。
そんな時期に受けることになったのが、テレビ朝日系スーパー戦隊シリーズ『魔進戦隊キラメイジャー』のオーディションでした。
ほとんど経験のないオーディションで「印象に残る」ことを考えた
当時はオーディションそのものをほとんど受けた経験がありませんでした。
演技経験で勝負するより、審査する側に自分を覚えてもらうことを意識して臨んでいます。
「とにかく印象に残るように」
テレビ朝日『魔進戦隊キラメイジャー』
質問を受けると「ここだ」と考えて話し、本人としては手応えよりも「今回も楽しくしゃべった」という感覚の方が強かったそうです。
そのため合格を聞いた直後も実感が薄く、衣装合わせやセット見学をする中で、自分が作品へ入ることを少しずつ受け止めていきました。
2020年、キラメイシルバー役で初めて映像作品の現場へ
2020年、庄司さんはクリスタリア宝路/キラメイシルバー役として『魔進戦隊キラメイジャー』へ参加します。
『キラメイジャー』が俳優としてのデビュー作であり、初めての映像作品でした。
すでに放送が始まっていた作品へ途中から加わる追加戦士だったため、現場には先に関係を築いていたキャストやスタッフがいました。
本人は当時を「右も左も、前も後ろも分からない」と表現しており、共演者から声をかけてもらいながら映像作品の現場を覚えていきます。
ほとんどオーディション経験のない大学生が、最初の映像作品でスーパー戦隊の追加戦士を演じることになりました。
コロナ禍と撮影でアメリカ留学を断念する
俳優デビューと同じころ、大学入学時から準備してきたアメリカ留学にも大きな変化が起きました。
『キラメイジャー』のオーディションに合格したうえ、2020年には新型コロナウイルスの感染拡大も重なります。
フロリダ州の大学へ行く計画はここで断念することになりました。
ただ、留学のために続けてきた英語学習まで止めたわけではなく、日常会話ができる程度まで力を伸ばしています。
ステイホーム期間には、以前から料理や食事が好きだったこともあり、上級食育アドバイザーの資格も取得しました。
撮影はその後も続き、2021年2月には本人が公式Xで『キラメイジャー』のオールアップを報告しています。
大学卒業を前に揺れた進路|就職か俳優か
スーパー戦隊で俳優デビューしたことで進路が完全に決まったようにも見えますが、大学卒業が近づいたころの庄司さんは、まだ二つの道を持っていました。
同級生が社会人になる準備を始める中、自身も就職活動へ動きます。
俳優デビュー後も就職活動をしていた
『キラメイジャー』出演後も、大学卒業が近づくと庄司さんは一般企業への就職活動を始めました。
芸能界で仕事をしている自分に特別感を持つ一方、まだ俳優だけで将来を決め切るほど深く入ってはいないという感覚も残っていました。
「自分の中でずるいダブルスタンダードができていた。」
好書好日
就職活動では企業から内定も得ましたが、最終的には辞退しました。
会社員になる道を実際に選べるところまで進んだうえで、その内定を手放しています。
理由は、芸能の世界でもう少し面白いものを見ることができるかもしれないと考えたからでした。
大学卒業前後、モデルとしてパリコレにも参加
俳優として活動する一方で、188cmの身長を生かしたモデルの仕事も進んでいました。
所属事務所の公式経歴には、2022年1月「Yohji Yamamoto POUR HOMME 22-23AW COLLECTION」への参加が記録されています。
大学卒業後にはヨーロッパへ出た時期もあったと本人が後年話しており、俳優だけに仕事を限定せず、モデルとしても経験を重ねていきました。
それでも仕事が安定して続く状況になったわけではなく、卒業後の生活には別の現実が待っていました。
22歳で実家を出て築57年の部屋で初めての一人暮らし
初めて実家を出て一人暮らしをしたのは22歳のときでした。
両親からは以前から大学を卒業するまでは生活を支えると言われており、卒業後にヨーロッパへ行ったあと、新卒1年目の夏ごろから部屋を探しました。
希望条件は家賃が安いこと、風呂とトイレが別であること、南向きであることでしたが、都内で家賃6万円台となると選択肢は多くありませんでした。
最終的に選んだのは、ひと駅先へ行くと東京都ではなくなる地域にあった築57年の部屋でした。
その町の雰囲気が地元に似ていたことが決め手で、最上階のベランダから月を見ながら、先の分からない自分の人生を考えていたと振り返っています。
俳優だけではまだ生活できず、学生時代に働いていたレストランへ戻ってアルバイトもしました。
店内に鳴るUber Eatsの通知音を聞けば自然に体が動き、客が必要としていることも先回りして分かるほど仕事に慣れていましたが、そのまま働き続ければ生活できてしまうことに焦りも感じていたそうです。
23〜24歳ごろには、大学時代の友人が仕事を生活の軸にし、芸能界で知り合った同年代も作品へ出演する姿を見る中、自身はアルバイトをしながらオーディションを受けていました。
空いた時間には図書館で英語の勉強も続け、2024年にはオーディション番組を経て『君とゆきて咲く〜新選組青春録〜』の斎藤一役をつかみます。
バスケと本が仕事になった庄司浩平の現在
2024年に俳優の仕事が増え始めると、翌年から庄司さんを取り巻く状況はさらに動きます。
俳優以外でも、長年続けてきた好きなことが仕事として表に出る機会が増えていきました。
特撮から『40までにしたい10のこと』へ|活動の幅が広がるまで
2025年には『仮面ライダーガヴ』でラキア・アマルガ/仮面ライダーヴラムを演じ、スーパー戦隊に続いて仮面ライダーシリーズにも出演しました。
さらに同年夏、テレビ東京系ドラマ『40までにしたい10のこと』で田中慶司を演じると、庄司さん自身への注目が大きく高まります。
卒業後もアルバイトとオーディションを続けていた時期から数年を経て、2025年夏を境に仕事を取り巻く状況が急速に変化しました。
芸能界へ入った瞬間ではなく、20代半ばまで活動を続けた先で大きな注目を集めることになりました。
小学生から追い続けたバスケがBリーグの仕事へ
俳優活動と並行して、バスケットボールは見る側としても長く生活の中に残り続けています。
2025年にはB.LEAGUE 2025-26 SEASON TIPOFFカンファレンスのSNSスペシャルレポーターを担当し、B.LEAGUE公式YouTubeで選手へのインタビューにも参加しました。
同年にはNBAのクリスマスゲームでゲスト解説を務め、2026年5月にはB.LEAGUE CHAMPIONSHIPの会見でもSNSスペシャルレポーターを担当しています。
小学3年生から高校3年生まで続けたバスケットボールが、現在は仕事の一つになっています。
家族と通った図書館から読書・執筆へ
もう一つ仕事へ広がっていったのが、本と言葉の分野です。
俳優になった後も短編小説を書き続け、2026年3月からはホーム社の文芸サイト「HB」でWeb小説『はじまりのおと』を発表しています。
『婦人画報』では読書エッセイを連載し、所属事務所の公式プロフィールにも「執筆」が独立した活動項目として掲載されるようになりました。
本を読むことだけでなく、自分で文章を書くことも現在の仕事になっています。
2026年現在は俳優、モデルに加えて、バスケットボールのレポーターや解説、Web小説やエッセイの執筆と、一つの職種だけでは括りにくい活動を続けています。
小学生のころから身近だったバスケと本が、それぞれ別の形で俳優以外の仕事にもなりました。
家族と過ごした子ども時代には本があり、小学3年生からはバスケットボールが生活の大きな部分を占めるようになりました。
一般企業への就職とアメリカ留学を考えていた大学時代、バイト帰りの電車で受けたスカウトによって予定していた道とは違う方向へ進み始めます。
その後も就職活動やアルバイトを挟みながら俳優を続け、現在は演技だけでなく、学生時代までに続けてきたバスケットボールや読書も仕事の中に加わっています。
庄司浩平と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。












コメントを残す