『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』『新空港占拠』『タカラのびいどろ』など、ドラマを中心に出演を重ねてきた岩瀬洋志さん。
2004年1月6日生まれの兵庫県出身で、2026年にはTBS系『DREAM STAGE』でK-POPグループのメンバー役にも挑戦するなど、活動の幅を広げています。
- 両親の勧めで空手など複数の習い事に挑戦し、祖母と過ごす時間も長かった。
- 高校1年の2学期ごろに芸能事務所から声をかけられ、家族へ上京と俳優挑戦を相談した。
- 高校1年までは医師を志していたが、SNSで注目されたことをきっかけに芸能事務所から声がかかり、高校2年で上京して俳優を目指す進路へ大きく方向転換した。
現在は俳優として知られていますが、高校時代の岩瀬さんが目指していたのは芸能界ではなく、医師になることでした。
その進路が動き始めたのは、オーディションを受けに行った日ではなく、学校の先輩が何気なく撮った姿がSNSへ投稿されたことからでした。
そこへ至るまでには、共働きの両親と祖母に囲まれた幼少期、2歳から始まったいくつもの習い事、友達と遊ぶ時間も少ないほど勉強していた学生生活がありました。
岩瀬洋志の生い立ちと家族|一人っ子で両親・祖母に囲まれた幼少期
岩瀬洋志さんの公式プロフィールで出身地として公表されているのは兵庫県です。
出生した市町村や実家の具体的な場所までは公表されておらず、子ども時代の話でたびたび登場するのが、父親、母親、そして祖母でした。
共働きの両親が仕事中は祖母と家で過ごしていた
岩瀬さんは一人っ子で、両親は共働きだったため、父親と母親が仕事へ出ている時間は祖母と家で過ごすことが多かったそうです。
幼い本人にとって、祖母は両親が不在の時間を日常的に一緒に過ごす存在でした。
「寂しいと感じることは一度もなかったです」
TV LIFE web
本人は祖父母になついていたことも話しており、両親だけでなく祖母も身近にいる家庭で幼少期を過ごしました。
父から教わった「最初にどれだけ努力するか」
父親からは、何かを始めるときには最初にどれだけ努力するかが大事だという考え方を教えられていました。
習い事の仲間が途中で辞めていくことがあっても、岩瀬さん自身は始めたものを長く続けています。
空手や水泳、テニスを何年も続けた背景には、一つひとつのことにしっかり向き合うよう求められた家庭での教えもありました。
ViViのインタビューでは、子どものころの両親について厳しいところがあったとも話しており、勉強と習い事の両方に取り組む毎日を送っていました。
愛犬ジャックは一人っ子だった岩瀬洋志の「兄弟」だった
家には、バーニーズ・マウンテン・ドッグのジャックという大型犬もいました。
一人っ子だった岩瀬さんにとって、ジャックは単に家で飼っている犬というより、日常を一緒に過ごす身近な相手だったようです。
「ジャックとは兄弟のように仲が良く、ベッドで一緒に寝ていました」
GINGER
大きなジャックと同じベッドで眠るという場面からも、子ども時代の家でどのように過ごしていたのかが見えてきます。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
小中学生時代|2歳から続けたスポーツと映画好きの原点
家庭の外では、かなり早い時期から複数の習い事が生活の中に入っていました。
小学校や中学校の具体的な校名は公表されていませんが、本人が語っている子ども時代には、学校が終わったあとも予定が続く日々が登場します。
2歳から空手と水泳、テニスは10年間続けた
岩瀬さんが空手と水泳を始めたのは2歳ごろで、どちらも12〜13年ほど続けたと話しています。
テニスも約10年間続けており、現在のA-PLUS公式プロフィールには水泳と空手が特技として掲載されています。
幼児期に始めたスポーツを、中学生になるころまで続けていたことになります。
後に俳優として体づくりやアクションへ関心を向ける岩瀬さんですが、体を動かす生活そのものは芸能活動よりずっと前から続いていました。
英語・塾・絵まで続け、友達と遊ぶ時間はほとんどなかった
スポーツ以外にも英語、塾、絵などを習い、平日の放課後にも予定が入っていました。
本人は当時、友達と遊ぶ時間がほとんどなかったと振り返っています。
学校から帰ったら自由時間になるという生活ではなく、次の習い事や勉強へ向かうことが日常になっていました。
小学2年生で『ミッション:インポッシブル』に夢中になる
小学生のころには遺跡や神話にも興味があり、考古学者になりたいと考えた時期もありました。
一方、休日に楽しんでいたのがハリウッドのアクション映画やSF、ホラーなどの映像作品です。
なかでも小学2年生のときに見た『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』は強く記憶に残りました。
「小学2年生のときに『ゴースト・プロトコル』を観てから、アクションに夢中になりました」
with digital
このころはまだ自分が俳優になるとは考えておらず、映画はあくまで見る側として楽しんでいました。
岩瀬洋志さんの公式プロフィールで出身地として公表されているのは兵庫県です。
中学校を卒業して高校へ進むと、岩瀬さんの進路は映画の世界とはまったく別の方向を向いていました。
高校では部活動にも参加していましたが、それが終われば家へ帰って勉強していました。
家庭の外では、かなり早い時期から複数の習い事が生活の中に入っていました。
高校1年までは医師を志していたが、SNSで注目されたことをきっかけに芸能事務所から声がかかり、高校2年で上京して俳優を目指す進路へ大きく方向転換した。
TV LIFE web|岩瀬洋志インタビュー高校時代|医師を目指す毎日からSNSで注目されるまで
中学校を卒業して高校へ進むと、岩瀬さんの進路は映画の世界とはまったく別の方向を向いていました。
高校1年生のころに目指していたのは、医師でした。
部活後は夜中まで勉強|高校1年生では医師を目指していた
高校では部活動にも参加していましたが、それが終われば家へ帰って勉強していました。
「部活が終わったら家で夜中まで勉強して」
JUNON TV
部活がない日は学校などの自習スペースに残り、夜まで勉強することもありました。
友達と遊びに行く時間より、医師になるための勉強へ時間を使っていた高校生でした。
カラオケや映画館、テーマパークへ友人と出かけることもほとんどなく、子どものころから続いていた「学校の外にも予定がある生活」は高校でも形を変えて続いていました。
文化祭で友人と屋台を回ったことが数少ない高校生活の思い出に
そんな高校1年生の生活の中で、本人が楽しかった学校行事として挙げているのが文化祭です。
クラスメートと一緒に校内を歩き、屋台で売られている食べ物を食べて回ったことを覚えているそうです。
普段は勉強中心で遊びに出かけることが少なかったからこそ、友人たちと学校行事を過ごした時間が記憶に残りました。
駅で振り向いた姿がSNSで拡散|テスト後に通知が殺到した
高校1年生になると、それまでの日常とはまったく違う出来事が起こります。
駅の待合室で座ってスマートフォンを見ていた岩瀬さんを、年上の学校の先輩が撮影しました。
映像の中で岩瀬さんがしたことは、声をかけられて振り向く程度だったと本人は話しています。
その動画が本人の知らないところでSNSへ投稿され、多くの人に見られるようになりました。
ちょうどテスト期間中でSNSをほとんど見ていなかったため、本人が変化に気づいたのは試験が終わってからでした。
「乗っ取られた?」
andGIRL
Instagramを開くと大量の通知が届いており、この時点でフォロワーが約1万人まで増えていたと後年のインタビューで振り返っています。
その後も数字は増え、旧所属事務所acaliの公式プロフィールには、デビュー前のInstagramフォロワー数が約17万人だったと記録されています。
医師になるために勉強していた高校生のもとへ、芸能事務所から連絡が届き始めました。
「わせりん」と呼ばれた高校時代|SNS上の名前を整理
この高校時代、岩瀬さんはSNS上で「わせりん」という呼び名でも知られるようになりました。
ただし、「わせりん」は現在のA-PLUS公式プロフィールで使用されている活動名ではありません。
その後、俳優活動を始めた際には「大杉侑暉」を名乗り、現在は「岩瀬洋志」として活動しています。
「わせりん」の細かな由来について本人が現在の公式プロフィールなどで明確に説明しているわけではないため、確実にたどれるのは、SNSで知られた高校時代の呼称だったことまでです。
高校2年で上京|医師志望から俳優へ進路を変えた転機
SNSの数字が増えたからといって、岩瀬さんがすぐに俳優を目指したわけではありません。
芸能事務所から声がかかり、実際に関係者と会うようになったところから、将来の選択肢が変わり始めました。
事務所の人と会い、菅田将暉の作品を見るようになった
高校1年生の2学期ごろには東京の芸能事務所から連絡が届き、岩瀬さんも実際に話を聞く機会を持つようになりました。
それまで海外作品を好んでいた本人は、このころから日本の映画やドラマにも目を向け、同じ兵庫県出身の菅田将暉さんの出演作品などを見るようになります。
見る作品が変わるにつれて、スクリーンの向こう側にいた「俳優」という仕事を、自分でもやってみたいと考えるようになりました。
SNSで注目されたことは入口でしたが、進路を変えたのは、その後に作品を見て俳優という仕事へ興味を持ったことでした。
「俳優になりたい」と家族へ伝え、兵庫から東京へ
医師を目指していた息子が突然俳優になりたいと言い出したため、両親は最初からすぐに賛成したわけではありませんでした。
それでも本人は家族へ自分の考えを伝え、上京する方向へ進みます。
高校生のうちに兵庫を離れ、東京で俳優を目指すという選択をしました。
後年も、芸能界入りのきっかけを作った当時の先輩とは連絡を取ることがあると話しています。
高2の2学期に東京の高校へ転校|コロナ禍で学校生活も変わった
本人はwith digitalのインタビューで、高校2年生の1学期までは兵庫県の高校に通い、2学期から東京の高校へ転入したと説明しています。
兵庫県側、東京側ともに具体的な高校名は本人や所属事務所から公表されておらず、校名については確定していません。
上京した時期は新型コロナウイルスの影響とも重なり、東京の高校ではオンライン授業が増え、修学旅行も中止になりました。
兵庫で過ごした高校1年生では勉強が中心で、高校生活を楽しもうとした時期には今度は行事が制限されたため、本人の中には「普通の高校生活」を十分に経験できなかった感覚が残りました。
俳優活動の始まり|「大杉侑暉」名義で重ねた最初の仕事
東京へ生活の拠点を移した2020年、SNSで知られていた高校生は実際の芸能活動へ入っていきます。
ここから使っていた名前が、現在とは異なる大杉侑暉(おおすぎ・ゆうき)でした。
2020年8月に芸能活動を開始|大杉侑暉としてスタート
旧所属事務所acaliの公式プロフィールには、2020年8月から芸能界入りしたことが記録されています。
SNSで注目された「わせりん」の時期を経て、大杉侑暉名義で俳優として仕事を始めました。
デビュー前に多くのフォロワーを集めていたInstagramは削除され、ここからは作品へ出演する俳優としての活動に切り替わっていきます。
362人応募の『私の卒業』で19人の第2期メンバーに選ばれる
活動を始めた同年、若手俳優を発掘・育成するプロジェクト『私の卒業』第2期の選考にも参加しました。
小学館の公式発表によると、第2期には362人が応募し、書類選考、2回のリモート選考、対面選考という計4回の選考とオーディションが行われています。
その中から選ばれた19人の一人が、当時16歳の大杉侑暉さんでした。
第2期では『こじらせ女子からの卒業』『僕らはいつだって遠回りをしている』に出演し、SNSの外で演技をする仕事が形になっていきました。
GReeeeNの3部作MVやCM、ドラマへ出演が続く
2020年にはNTTドコモのCMへ出演し、翌2021年にはGReeeeNのアルバム『ボクたちの電光石火』に関連する映像作品にも登場しました。
出演したのは「ゆらゆら」「おまじない」「相思相愛」の3曲で、同じ世界観をつなぐMVに参加しています。
2022年にはフジテレビ系『個人差あります』第4話へ出演し、短編作品や映像作品を重ねながら俳優としての現場経験を増やしていきました。
高校在学中に活動を始めたため、学校生活と俳優の仕事がしばらく並行していました。
高校卒業後は大学に進学せず、俳優へ進む
高校卒業が近づくと、岩瀬さんは一度実家へ戻り、大学受験にも臨みました。
「受験はしたんですけど、大学には入らず」
WEBザテレビジョン
大学へ進学したという経歴ではなく、受験はしたものの入学せず、俳優の道を選んだというのが本人が明かしている進路です。
その後は再び東京へ出て、芸能活動を続けました。
高校入学時に考えていた医師への進路から、卒業後には俳優一本へ進むところまで方向が変わりました。
岩瀬洋志として再スタート|『最高の教師』から主演作へ
大杉侑暉名義で現場経験を重ねたあと、2023年にもう一度活動環境が変わります。
ここから、現在広く知られている岩瀬洋志という名前での出演が増えていきました。
A-PLUS所属後、岩瀬洋志名義で活動
2023年3月、岩瀬さんは知人の紹介をきっかけに現在の所属事務所A-PLUSへ入りました。
A-PLUSでは岩瀬洋志名義でプロフィールが掲載されており、過去の大杉侑暉時代の出演歴も現在の公式プロフィールに引き継がれています。
一方、A-PLUSのプロフィールでは「岩瀬洋志」を本名と明記しているわけではないため、確実に言えるのは現在の活動名が岩瀬洋志であることまでです。
この事務所へ入る際には両親が引っ越しを手伝いに来ており、担当マネージャーは家族同士のやり取りを間近で見たことをGINGERの取材で話しています。
上京後も母親や祖母とテレビ電話をすることがあり、その出来事を本人がうれしそうにマネージャーへ話すこともあったそうです。
『最高の教師』で連ドラ初レギュラー|撮影で学生生活をもう一度経験
現在の事務所へ入った2023年、転機の一つとなったのが日本テレビ系『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』でした。
岩瀬さんは鳳来高校3年D組の遠山泰次郎役を演じ、地上波の連続ドラマで初めてレギュラー出演します。
撮影では同世代のキャストと学校行事の場面を経験し、高校時代にコロナ禍でできなかったことを作品の中で体験しているような感覚があったと話しています。
実際の高校では中止になったり十分に味わえなかった学校生活を、俳優になってから学園ドラマの現場で経験しました。
『新空港占拠』『タカラのびいどろ』へ出演の幅が広がる
2024年には日本テレビ系『新空港占拠』へ出演し、武装集団「獣」の猿こと丹波直樹役を演じました。
同年のドラマ『タカラのびいどろ』では志賀宝役で主演し、学生役でも『最高の教師』とは異なる人物を演じています。
SNSで姿を知られた高校生から、作品ごとに別の役として見られる俳優へと仕事の比重が変わっていきました。
現在|子どもの頃に好きだったアクション、音楽、医療作品へ
出演作が増えた現在も、岩瀬さんがやってみたい仕事を語る場面には、子どものころから続いてきたものがいくつか登場します。
スポーツ、映画、音楽と、それぞれ別の場所にあった経験が俳優の仕事の中へ入ってきています。
長年のスポーツ経験を生かし、アクションへの挑戦を望む
2歳から続けた空手と水泳、約10年続けたテニスは、芸能界へ入るために始めたものではありませんでした。
それでも俳優になってから体を鍛えるようになり、子どものころから好きだったアクション作品へ出演したいという目標を口にするようになります。
小学2年生でスクリーン越しに夢中になったアクションを、今度は演じる側から目指しています。
長く体を動かしてきた経験もあり、本人は「動ける俳優」になりたいという方向を見据えています。
音楽にも活動が広がった『DREAM STAGE』
2026年にはTBS系ドラマ『DREAM STAGE』で、新人K-POPボーイズグループ「TORINNER」のRYO役を演じました。
作品では芝居だけでなく、グループのメンバーとして歌やダンスにも取り組んでいます。
「ずっと音楽に挑戦してみたいと思っていました」
TBS『DREAM STAGE』公式サイト
医師を目指していた少年が俳優として『TOKYO MER』へ
劇場版『TOKYO MER~走る緊急救命室~CAPITAL CRISIS』では、岩瀬さんが看護師・滝野川宗役を演じています。
高校1年生では自分が医療の仕事へ進むために勉強していましたが、現在は俳優として医療現場を題材にした作品へ参加する立場になりました。
医師を目指して机に向かっていた時期から、SNSをきっかけに東京へ出て、今は映像作品の中でさまざまな職業や人生を演じています。
祖母と過ごした兵庫での幼少期には、空手や水泳を続け、学校へ進むと医師を目指して勉強する毎日を送っていました。
高校で偶然撮られた一つの映像から進路が動き、大杉侑暉として最初の現場へ入り、大学には進まず俳優を選びました。
現在の岩瀬洋志さんは、そのころ好きだったアクションや新たに挑戦した音楽も仕事の中へ取り込みながら、俳優として次の作品へ進んでいます。
岩瀬洋志と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。











