『王様戦隊キングオージャー』のギラ役で初主演を務め、その後はドラマ『三ツ矢先生の計画的な餌付け。』『119エマージェンシーコール』などへ出演してきた俳優の酒井大成さん。
1998年4月1日生まれ、福岡県出身で、現在の公式プロフィールでは趣味にフットサルや映画鑑賞、特技にサッカーを挙げています。
- 小学1年から高校3年までサッカーを続ける一方、家庭では父の影響で映画を身近に見ていた。
- 高校でサッカーを終えたあと、父の影響で好きだった映画から『演じる仕事』へ関心が向いた。
- 現在の道につながる原点:養成・修業
俳優として知られるようになる前は、小学1年生から高校3年生まで12年間、プロを目指してサッカーを続けていました。
中学年代にはアビスパ福岡U-15でプレーし、高校でプロへの道の厳しさを感じたあと、20歳ごろに福岡を離れて東京へ向かっています。
しかし、上京してすぐ芸能事務所に入り、ドラマへ出演できたわけではありません。
養成所、さまざまなアルバイト、自主制作映画、フリーでの俳優活動を重ねた時期があり、その先でレプロエンタテインメントの「主役オーディション」と出会いました。
酒井大成の生い立ちと家族|福岡でサッカーに夢中になった少年時代
酒井大成さんは福岡県で育ちました。
現在につながる原点をたどると、俳優より先に生活の中心にあったのがサッカーです。
小学1年生からサッカーを始め、プロ選手を夢見る
サッカーを始めたのは小学1年生のころでした。
そのまま高校3年生まで競技を続け、本人は後年、12年間プレーしていたと明かしています。
「小学1年生から高校3年生までサッカーをやっていた」
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子どものころに思い描いていた将来は、プロサッカー選手でした。
趣味としてボールを蹴っていただけではなく、中学生になるとJリーグクラブの育成組織へ進むことになります。
家族との生活の中には父親の影響で好きになった映画もあった
酒井さんの家族について、父親や母親、兄弟姉妹の人数や職業など、詳しい家族構成は本人の公式プロフィールでは公表されていません。
一方で、後のインタビューには子ども時代の家庭を知る手がかりがあります。
それが父親と映画です。
「父さんの影響で映画が好きだった」
ViVi
小学生のころから映画が好きで、フランス映画やヒューマン作品のほか、親の影響でアクション映画も見ていたと語っています。
この時点では映画好きの少年とサッカー選手への夢は別々に存在していましたが、高校でサッカーを引退したあと、子どものころから見ていた映画が次の進路を考える際に浮かんできます。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
| 父 |
本人が父の影響で映画好きになったと明言している。氏名など非公表情報は登録しない。 |
本人・家族本人の発言 出典を見る |
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中学時代はアビスパ福岡U-15へ|憧れのプロに近づいた3年間
小学校から続けてきたサッカーは、中学生になるとさらに競技色が強くなりました。
2010年から2012年にかけて、アビスパ福岡U-15の育成年代でプレーしています。
アビスパ福岡の育成組織でプレーする
アビスパ福岡アカデミーは2023年、俳優になった酒井さんがクラブのホームゲームへ来場した際に、U-15時代の写真を公開しました。
クラブの投稿には「2010-2012 U-15」と記され、当時の仲間と写った少年時代の酒井さんを見ることができます。
現在のプロフィールでサッカーが「特技」とされている背景には、こうした育成年代での経験があります。
後に日本代表となる冨安健洋らと同じ育成年代を過ごす
当時のアビスパ福岡U-15には、酒井さんより1学年下に、後に日本代表としてプレーする冨安健洋選手もいました。
2023年に公開された2012年度の集合写真には酒井さんと冨安選手が一緒に写っており、同じアカデミーで過ごしていたことが分かります。
酒井さんが後年語っている通り、このころの目標は俳優ではなく、あくまでプロサッカー選手になることでした。
Jリーグクラブの育成組織に入りながら、その先の競争も間近で見る中学時代を過ごし、高校でもサッカーを続けます。
2023年、俳優になって憧れのホームスタジアムへ戻る
中学時代から約10年後の2023年9月、酒井さんは『王様戦隊キングオージャー』の主演俳優としてアビスパ福岡のホームゲームへ来場しました。
本人はピッチに立ったあと、福岡を「故郷で原点」と表現しています。
中学生のころ選手として過ごしたクラブへ、今度は出演作品を背負うゲストとして戻ることになりました。
酒井大成さんは福岡県で育ちました。
小学校から続けてきたサッカーは、中学生になるとさらに競技色が強くなりました。
中学卒業後も酒井さんはサッカーをやめていません。
大きな分岐点になったのは高校1年生のころでした。
プロへの難しさを感じたあとも、高校3年生までサッカー部を続けています。
高校時代にサッカー選手への道が変わる
中学卒業後も酒井さんはサッカーをやめていません。
高校では「一花咲かせたい」という気持ちでサッカー部へ入りました。
高校1年で試合に出られず、プロのレベルを意識する
大きな分岐点になったのは高校1年生のころでした。
試合になかなか出られず、本気で競技に取り組む周囲の選手を見ながら、自分が彼らを追い越してプロになることの難しさを感じるようになります。
それまで現実的な目標だったプロサッカー選手への道を、この時期から考え直すようになりました。
ただし、そこでサッカーから離れたわけではありません。
それでも高校3年まで続け、全国大会を目標にする
プロへの難しさを感じたあとも、高校3年生までサッカー部を続けています。
目標は全国大会への出場に変わりました。
後年にはサッカー選手を目指していた時期について、自分の中では「やりきった感」があったとも話しています。
「僕の中で“やりきった感”があって別の道へ進むことを決めました」
タウンワークマガジン
小学1年生から生活の大きな部分を占めていたサッカーは、高校3年生でいったん区切りを迎えます。
引退後、ずっと好きだった映画から「演じる側」が浮かぶ
高校3年生でサッカーを引退すると、それまで夢中になっていたものが生活からなくなりました。
そこで「自分が興味を持てるものは何だろう」と考えたとき、頭に浮かんだのが小学生のころから好きだった映画でした。
映画を見る側から、「演じるとはどんな感覚なのだろう」と出演する側へ興味が向き始めます。
サッカーを引退した直後に芸能界へ入ったのではなく、まず「演じる側になりたい」という漠然とした興味が生まれたところから始まっています。
高校卒業後から上京へ|俳優になるため自分で部屋を探した
映画への興味が俳優という進路に変わってからも、すぐに芸能活動が始まったわけではありません。
酒井さん自身も、俳優になるまでには時間がかかったと振り返っています。
20歳ごろ、俳優の養成所へ通うため東京へ向かう
本人が上京した時期として明かしているのは、20歳ごろです。
東京へ出て、俳優の養成所へ通い始めました。
酒井さんの高校名や大学名については、所属事務所の公式プロフィールや本人が詳しく学生時代を語ったインタビューでも公表されていません。
大学への進学先を特定できる本人発信もなく、確認できる進路上の大きな動きは、20歳ごろに俳優を目指して福岡から東京へ移ったことです。
「遊びに行く」と伝えて先に不動産屋で家を探す
上京を決めたときの行動には、酒井さんらしい具体的な場面が残っています。
家族からは「福岡にいてもいいんじゃないか」と言われていましたが、本人の中では東京へ行く意思が固まっていました。
そこで親には友達と東京へ遊びに行くと伝え、東京で実際に不動産屋へ行き、先に住む部屋を探しています。
福岡へ戻ってから、改めて「夢を叶えるために上京する」と家族へ伝えました。
家族へ上京を伝え、福岡を離れる
家族は最終的に、酒井さんがやりたいことを応援してくれたといいます。
上京後には、離れて暮らしたことで家族から受けていた愛情の深さにも気づいたと話しています。
子ども時代の家族構成を推測で広げるより、本人の言葉からは、進路を自分で決めて動く酒井さんと、それを最後には送り出した家族という関係が見えてきます。
養成所とアルバイトの日々|俳優になる前の下積み時代
東京で始まったのは、華やかな撮影現場へ通う生活ではありませんでした。
まず必要だったのは、演技を学ぶ場所と、その生活を続けるためのお金でした。
養成所・劇団・ワークショップへ通い続ける
酒井さんは養成所で演技を学び、時期によっては俳優養成所を2つ掛け持ちしていました。
それだけではなく、劇団やワークショップにも足を運び、自主制作映画や小劇場など実際に芝居ができる場所を探しています。
年齢層も10代から40代ほどまで幅広く、自分と似たように仕事をしながら演技を学ぶ人たちと一緒に過ごしていました。
事務所に入る前から、演技を習うだけでなく、芝居ができる現場へ自分で動いて参加していた時期です。
週5〜6日のバイトと約20人のシェア生活
養成所へ通う費用は、親に頼るのではなく自分で用意しようと考えていました。
「親に頼りたくなかったので、自分で工面しました」
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そのため生活はアルバイト中心になり、時期によっては週5〜6日ほど働いていたといいます。
経験した仕事として本人が挙げているのは、工場の梱包作業、居酒屋、カラオケ、バー、引っ越し、宅配便、ブライダル関係などです。
役の仕事が急に入るとシフトを組みにくくなるため、一つのアルバイトを長く続けることも簡単ではありませんでした。
養成所へ複数通っていたころには金銭面の負担も大きく、見知らぬ人たち約20人と家をシェアして暮らした時期もあったと明かしています。
工場で梱包しながら芝居のセリフを覚える
数多く経験した仕事の中でも、本人が具体的に覚えているのが引っ越しと工場の梱包です。
引っ越しでは、荷物は力任せに持つだけではなく、持ち方にコツがあることを知りました。
工場では梱包作業をしながら、その時に入っていた芝居のセリフを小さく口にして覚えていたそうです。
アルバイトをしている時間の一部まで、次に立つ舞台や作品の準備時間になっていました。
自主制作映画や小劇場で実際に芝居を始める
養成所で学んでいたころには舞台へ立つ機会があり、自主制作映画にも出演しています。
さらに北野武監督の映画『首』にはエキストラとして参加しました。
その現場で見かけたのが中村獅童さんです。
当時は同じ作品のエキストラと主要キャストという距離でしたが、約2年後には『映画 王様戦隊キングオージャー アドベンチャー・ヘブン』で実際に共演することになりました。
酒井さんが以前同じ現場にいたことを中村さん本人へ伝えると、驚かれたそうです。
フリー俳優からレプロへ|主役オーディションが人生の転機に
養成所を出たあとも、酒井さんはすぐ芸能事務所に所属したわけではありません。
しばらくはフリーの俳優として、自主制作を中心に活動しました。
約2年半のフリー活動で感じた限界
本人によると、福岡から上京したあと約2年半ほどフリーで役者を続けています。
演技を学ぶ場所へ通い、アルバイトで生活しながら自主制作作品へ参加していましたが、時間がたつにつれて個人で活動することへの限界も感じるようになりました。
大きな作品のオーディションや仕事へつながる機会も多くはなく、次の環境を探す時期に入ります。
レプロ30周年主役オーディションへ応募する
そのころ見つけたのが、レプロエンタテインメントが創立30周年を記念して行った「主役オーディション」でした。
2021年末から2022年にかけて選考が行われ、酒井さんは合格者の一人になります。
後に本人も、このオーディションへの合格を「人生の転機」として挙げています。
2022年5月からレプロエンタテインメントに所属し、フリーで動いていたころとは仕事を取り巻く環境が大きく変わりました。
合格して事務所所属へ|芝居に向き合える環境が変わる
所属後は育成カリキュラムやオーディションへ参加し、2022年にはFUNKY MONKEY BΛBY’S「ROUTE 16」のミュージックビデオなどへ出演しました。
2023年1月にはBSテレ東のドラマ『親友は悪女』でレギュラー出演。
アルバイトを掛け持ちしながら自主制作へ出ていた時期から、テレビドラマの現場へ進みます。
そして事務所へ入って1年もたたないうちに、さらに大きな知らせが届きました。
『キングオージャー』主演へ|所属1年未満で訪れた大きな転機
2023年3月から放送されたスーパー戦隊シリーズ第47作『王様戦隊キングオージャー』で、酒井さんは主人公ギラ/クワガタオージャーを演じました。
これが連続ドラマ初主演です。
「何色だと思う?」事務所のサプライズで主演決定を知る
出演決定を知った場所は事務所でした。
所属して間もないころだったため、酒井さんはマネージャーから呼び出されても、いつものミーティングだと思っていたそうです。
ところが、待っていた3人のマネージャーからオーディション合格を告げられました。
さらに「何色だと思う?」と尋ねられ、酒井さんが「ブルーとかですか?」と答えると、返ってきたのは予想していなかった言葉でした。
「いや違う、主演だよ」
FAST
上京後に養成所とアルバイトを続け、約2年半のフリー活動を経て事務所へ入り、その所属から1年未満でスーパー戦隊の主演が決まりました。
経験の少ない状態から1年間の主演撮影へ
主演が決まった一方、この時点の酒井さんには大規模な映像作品での経験がほとんどありませんでした。
本人も後年、デビューしてすぐ戦隊のオーディションに合格したため、大きな現場の経験がほぼない状態だったと話しています。
そこから長期間、主人公としてギラを演じ続けることになります。
普段の自分については、昔から人見知りで引っ込み思案なところがあり、感情をあまり表へ出さないタイプだと説明しています。
一方のギラは怒りも悲しみも大きく表へ出す人物だったため、表情や目つき、声、体の使い方まで試しながら役を作っていきました。
撮影現場でアクションへの興味が強くなる
『キングオージャー』では剣を使った戦いや変身後のアクションも多く、酒井さんは現場でアクション部の動きを間近で見ることになりました。
その経験から、自分がこれからどのような俳優になるのかを考えたとき、アクションを身につけたいと思うようになります。
2025年のインタビューではボクシングやキックボクシングなど格闘系アクションへの関心も話しています。
同姓同名のプロボクサーが存在しますが、俳優の酒井大成さんがプロボクサーとして活動していた経歴はなく、ボクシングは俳優として挑戦したいアクションの一つとして語っているものです。
サッカーと下積み経験が現在の俳優仕事へ続いている
『キングオージャー』終了後も、酒井さんは映像作品や舞台へ活動を広げていきました。
その中には、学生時代や上京後の経験と直接重なる仕事もあります。
12年間のサッカーで生まれた「負けてたまるか」の感覚
高校時代まで続けたサッカーは、競技をやめて終わった経験ではありませんでした。
酒井さんは、サッカー部の監督から厳しいことを言われる中で「負けてたまるか」という反骨精神が育ったと振り返っています。
『キングオージャー』の撮影現場で落ち込むことがあったときにも、そこから立て直せた背景として12年間のサッカーを挙げました。
プロ選手にはならなかったものの、プロを目指して続けた時間は主演の現場に入ってからも残っていました。
元スポーツ選手役に自身のサッカー経験を重ねる
2024年には山崎まさよしさんと『三ツ矢先生の計画的な餌付け。』でW主演を務めました。
酒井さんが演じた石田友也には、かつてプロ野球選手を目指していたという過去があります。
酒井さん自身も制作発表で、サッカーをしていた自分と石田には重なる部分があり、共感しながら役作りができたと話しています。
学生時代にはプロサッカー選手という一つの進路しか見えていなかった時期があり、その道から離れた経験を、今度はスポーツ選手を目指していた人物を演じる側で使うことになりました。
消防士役や時代劇へ、体を使う役にも活動が広がる
2025年のフジテレビ系『119エマージェンシーコール』では、横浜市消防局の消防士・上杉昴を演じました。
役作りでは自ら消防学校の体験会へ参加し、防火服を着用する場面など体を使う撮影にも取り組んでいます。
同年には連続テレビ小説『ばけばけ』へ中村守道役で出演し、2026年にはWOWOW×Leminoの連続ドラマ『北方謙三 水滸伝』で少華山の賊徒・楊春を演じました。
サッカーを12年間続けた身体経験、『キングオージャー』で芽生えたアクションへの関心、さまざまな仕事を経験した上京後の日々が、それぞれ違う役を演じる現在まで続いています。
福岡でプロサッカー選手を夢見た少年時代から、高校で進路を考え直し、20歳ごろに自分で東京の部屋を探して始めた俳優への道。
養成所とアルバイト、自主制作作品、フリーでの活動を経て参加した主役オーディションが環境を変え、その先に『王様戦隊キングオージャー』の主演が待っていました。
サッカーをしていたころには想像していなかった俳優という仕事で、酒井大成さんは現在も新しい役と現場へ進み続けています。
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