谷原七音の生い立ちと家族|母・三宅えみと2人の父、高校時代から俳優になるまで

谷原七音
ひと目でわかるプロフィール 谷原七音
たにはらななと
出身地
東京都
生まれ年代
2000年代生まれ
活動ジャンル
男性俳優
性別
男性
家庭環境
両親と育った
育った家庭
実父はいしだ壱成さん、母は三宅えみさん。3歳のとき母が谷原章介さんと再婚し、その後は谷原章介さんを育ての父として芸能一家で育っ…
キャリアの原点
高校2年のコロナ禍をきっかけに、子どものころから関心があった俳優を本格的に進路として考えるようになった。

谷原七音さんは、2024年の第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでフォトジェニック賞を受賞し、2025年4月から研音に所属して俳優活動を始めました。

育ての父は俳優・谷原章介さん、実父はいしだ壱成さん、母は元タレントの三宅えみさんですが、本人の歩みをたどると、芸能一家に育ったからそのままデビューしたという経歴ではありません。

谷原七音さんを理解する3つのポイント
  1. 幼少期から父や父の友人に芸能関係者が多く、テレビに出ることを身近な仕事として感じる環境で育った。
  2. 高校2年のコロナ禍をきっかけに、子どものころから関心があった俳優を本格的に進路として考えるようになった。
  3. 現在の道につながる原点:コンテスト・公募

高校では生徒会副会長を務め、卒業後には俳優を目指しながらアルバイトをしていた時期もありました。

高校2年生のコロナ禍をきっかけに、子どものころから興味があった俳優を本気で進路として考えるようになったことが、その後の道を大きく変えていきます。

2025年のドラマ『奪い愛、真夏』で映像デビューを果たすまでには、幼いころの映画館での記憶、高校生活、前に進めない時期、20歳で自ら応募したジュノンといういくつもの場面がありました。

谷原七音の生い立ちと家族|3歳から谷原章介のもとで育った6人兄弟の長男

谷原七音さんは2003年12月19日生まれ、東京都出身で、現在の家庭では6人きょうだいの長男として育ちました。

生まれてから現在の家族になるまでには家庭環境の変化があり、実父はいしだ壱成さん、母は三宅えみさん、育ての父は谷原章介さんです。

実父・いしだ壱成が「七音」と名付けた

七音さんはいしだ壱成さんと三宅えみさんの間に生まれました。

いしだ壱成さんは2025年のインタビューで、出産にも立ち会ったことを明かし、「七音」という名前についても自身が付けたと説明しています。

「名前は僕が決めました」

ABEMA TIMES

名前は「ドレミファソラシド」の音階にちなみ、7つの音から「七音」としたそうです。

なお、いしだ壱成さんの父は俳優・石田純一さんなので、石田純一さんは七音さんにとって実父側の祖父にあたります。

3歳で母・三宅えみと谷原章介が再婚し、新しい家庭で育つ

両親の離婚後、七音さんが3歳のときに母・三宅えみさんが谷原章介さんと再婚しました。

その後は谷原章介さんを父として育ち、下にきょうだいが増えて、6人きょうだいの中で長男となりました。

本人は後年、自分の生まれや2人の父について周囲から複雑に見られることがあっても、それを自分の一部として受け止めてきたと語っています。

家族関係を語る際にも、いしだ壱成さんを否定するのではなく、一人の俳優として出演作を見ていることを明かしています。

5歳の試写会で観客の拍手を見て俳優に興味を持った

幼いころの七音さんにとって、芸能界は最初から遠い世界ではありませんでした。

父・谷原章介さんだけでなく、その周囲にも芸能関係者が多かったため、3〜4歳ごろまではテレビに出ること自体を特別なことだと思っていなかったそうです。

その感覚が変わったのが、5歳ごろに谷原章介さんの出演映画の試写会へ行ったときでした。

上映が終わると、客席にいた人たちが作品へ拍手を送りました。

「こんなに人の心を動かせるんだな」

ABEMA TIMES

まだ5歳だったため当時は明確に言葉にできなかったものの、俳優や芸能の仕事への興味は、この日から心の中に残り続けました。

育ての父・谷原章介には反抗するという発想がなかった

家庭での谷原章介さんは、必要なときにはきちんと叱る父親だったと七音さんは振り返っています。

現在176cmの七音さんも、高校2年生ごろに身長が伸びる以前は160cmほどだったといい、183cmある父を子どものころは特に大きく感じていました。

叱られた際も、言われている内容が自分のためだということは感じていたため、反抗するという発想にはならなかったそうです。

俳優への興味を持ちながらも、この時点ではまだ芸能活動を始めておらず、その後は一般の学生として高校進学を迎えます。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

実父 いしだ壱成 俳優

生物学上の父。

信頼できる媒体 出典を見る
母 三宅えみ 元タレント

3歳時に谷原章介さんと再婚。

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育ての父 谷原章介 俳優・司会者

3歳時から育ての父。本人が教育への感謝を語っている。

信頼できる媒体 出典を見る

國學院高校時代|文化祭に惹かれて入学し生徒会副会長へ

谷原七音さんが進学したのは、東京都渋谷区にある國學院高等学校です。

芸能活動のために選んだ学校ではなく、中学生のときに実際に文化祭へ足を運び、そこで見た在校生の姿が進学の決め手になりました。

中学時代に見た文化祭が高校選びの決め手になった

高校選びの際、七音さんが注目したのは偏差値や大学進学実績だけではありませんでした。

國學院高校の文化祭では、生徒たちがにぎやかに楽しみながらも羽目を外しすぎず、来場者にもフレンドリーで礼儀正しく接していたといいます。

さらに1学年14クラスという人数の多さにも惹かれ、さまざまな人と出会える環境を期待して、國學院高校へ入りたいと考えるようになりました。

入学後は授業だけでなく学校行事でも生徒や先生と関わる機会が多く、本人はそこで人間関係が広がっていったと高校3年生当時の取材で話しています。

「周りから頼られる存在になりたい」と入学直後から生徒会へ

文化祭で見た先輩たちの姿は、入学後の行動にもつながりました。

「周りから頼られる存在になりたい」

スクールポット「進学なび」

そう考えた七音さんは入学してすぐ生徒会に入り、日常の生徒会業務に加えて、文化祭、クラブ紹介、3年生を送る会などの企画に関わりました。

2020年10月には学校公式サイトにも実名で掲載され、令和2年度後期の生徒会副会長に就任しています。

当時の本人は経験不足で分からないことも多いとしながら、会長や生徒会メンバーと協力して活動していくと在校生に向けてあいさつしていました。

高校2年生のコロナ禍で学校行事と日常が大きく変わった

副生徒会長になる2020年は、新型コロナウイルスの影響で、それまで当たり前だった高校生活も変化しました。

國學院高校では通常の体育祭などが中止される一方、学校側が時期をずらしたスポーツフェスティバルを企画し、修学旅行についても目的地や時期を変更しながら実施方法を探っていました。

七音さん自身も、行事を通して多くの人と関わってきた高校生活の中で、日常が突然続けられなくなる経験をすることになります。

英検2級を取り、周囲に刺激され他大学受験も考えるようになった

学校生活では生徒会だけでなく勉強にも取り組み、國學院高校が設けていた英検講習を利用して英検2級を取得しています。

入学当初は他大学を受験するつもりではなかったものの、周囲に大学受験へ取り組む生徒が多く、その姿に刺激を受けて考えが変化しました。

高校3年生だった2021年の取材では、「もっと勉強をがんばりたい」と思うようになり、他大学受験にも挑戦したいと話しています。

人生年表 谷原七音さんの歩み
幼少期
谷原七音の生い立ちと家族|3歳から谷原章介のもとで育った6人兄弟の長男

谷原七音さんは2003年12月19日生まれ、東京都出身で、現在の家庭では6人きょうだいの長男として育ちました。

中学校
中学時代に見た文化祭が高校選びの決め手になった

高校選びの際、七音さんが注目したのは偏差値や大学進学実績だけではありませんでした。

高校
國學院高校時代|文化祭に惹かれて入学し生徒会副会長へ

谷原七音さんが進学したのは、東京都渋谷区にある國學院高等学校です。

高校
高校2年生のコロナ禍で学校行事と日常が大きく変わった

副生徒会長になる2020年は、新型コロナウイルスの影響で、それまで当たり前だった高校生活も変化しました。

学生時代
英検2級を取り、周囲に刺激され他大学受験も考えるようになった

学校生活では生徒会だけでなく勉強にも取り組み、國學院高校が設けていた英検講習を利用して英検2級を取得しています。

高校2年生で俳優を目指すと決める|コロナ禍で考えた「今をどう生きるか」

高校生活そのものが変わった時期に、5歳のころから心のどこかに残っていた俳優への興味も、進路として輪郭を持ち始めます。

本人が後年、俳優を志した直接的なきっかけとして挙げているのが、高校2年生で経験したコロナ禍です。

幼いころからあった俳優への興味を進路として考え始めた

七音さんは幼少期から俳優という仕事に興味を持っていましたが、子どものころから一直線に芸能界を目指していたわけではありません。

高校2年生で当たり前だと思っていた日常が大きく変わり、将来についてあらためて考える時間が生まれました。

「今をどう生きるか」

MEN’S NON-NO WEB

この時期から、俳優は「興味のある仕事」から実際に目指す進路へ変わりました。

少しでも興味があることには挑戦しようと決めた

日常が当然に続くわけではないと感じたことで、七音さんは少しでも興味があることなら、まず挑戦してみようと考えるようになります。

その中で選んだのが、幼いころから関心を持ち続けていた俳優の道でした。

高校卒業後はすぐにデビューできず|大学名は公表されないままアルバイトの日々

俳優を目指すことを決めても、高校を卒業するとすぐ芸能活動が始まったわけではありませんでした。

本人が後に振り返っているのは、目標は決まっているのに、なかなか仕事へ結び付かない時間です。

大学名は現在も公表されていない

高校3年生当時には他大学受験への意欲を語っていましたが、その後の大学名や具体的な進学先は、現在の研音公式プロフィールなどでは示されていません。

本人が後年のインタビューで具体的に話している高校卒業後の生活は、俳優になりたいと思いながらアルバイトをしていた時期です。

そのため、特定の大学名を進学先として断定できる公表情報は確認されていません。

俳優を目指しながら約2〜3年間うまく進めない時期を過ごした

2026年のMEN’S NON-NO WEBでは、高校卒業後について、二年間くらいはなかなかうまくいかず、アルバイトをして過ごしていたと本人が明かしています。

一方、2025年のnon-no webでは、芸能界へ飛び込みたいと思いながら前へ進めなかった期間を「3年ほど」と表現しており、インタビューによって期間の数え方には幅があります。

2022年春ごろの高校卒業後から2024年のジュノン挑戦、2025年4月の事務所所属へ至る間、すぐに俳優として活動できたわけではなかったことは、本人の複数の発言で共通しています。

声がかかっても最終的に決まらない経験が続いた

家族に俳優がいることもあり、七音さん自身にも芸能関係の声がかかる機会はあったそうです。

しかし本人によると、話があっても最終的にはうまくいかないということが何度も続きました。

同世代の俳優がすでに活動している中、自分はまだ何もできていないという焦りも強くなっていきます。

そこで20歳になった七音さんが選んだのは、誰かから次の声がかかるのを待つことではありませんでした。

20歳で自らジュノンへ応募|「このままじゃダメ」と競争の中へ

2024年、谷原七音さんは第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ挑戦しました。

応募した時点で20歳になっており、これまでのように前へ進めない状態を変えるため、自分からコンテストへ応募しています。

両親には相談せず第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ応募した

ジュノンへの応募は、父や母から勧められたものではありませんでした。

本人は両親に事前相談をせず、自分で応募を決めています。

「このままじゃダメだな、生き残っていけないな」

ABEMA TIMES

競争の中へ自分から入り、そこで成長しようと考えたことがジュノン挑戦の理由でした。

グランプリを目指す中でフォトジェニック賞を受賞した

第37回の応募総数は13,465人で、選考は書類、地方予選やリモート選考、人気投票などを経ながら段階的に人数が絞られていきました。

七音さんはファイナリスト15人まで残り、2024年11月24日の最終選考会へ進みます。

結果は、フォトジェニック賞受賞でした。

ただ、本人はグランプリを目指して参加していたため、受賞した喜びだけでなく悔しさも残っていたと明かしています。

賞を取ったことで他のファイナリストより上になったとは考えず、その後も変わらず取り組まなければならないという感覚だったそうです。

受賞後も家族は「これから」と普段どおりだった

長く前へ進めない期間を経て賞を手にしましたが、家へ戻ったあとの反応は意外に落ち着いたものでした。

家族は大騒ぎするのではなく、普通に「おめでとう」と祝った程度だったといいます。

コンテストで賞を取っても、その後の仕事が約束されるわけではないことを父も母も理解しており、本人によれば「これからどうぞ」という空気だったそうです。

ジュノン後に研音へ|2025年から俳優として仕事が動き始める

2024年11月のジュノン受賞後、七音さんの周囲では芸能活動につながる出来事が続きます。

アルバイトをしながら機会を待っていた時期から数か月で、ランウェイ、事務所所属、そして初めてのドラマ撮影へと進んでいきました。

TGCでランウェイを経験し、2025年4月に研音所属へ

2025年3月1日には「マイナビ 東京ガールズコレクション 2025 SPRING/SUMMER」へ出演し、ランウェイを歩きました。

その1か月後の2025年4月1日、芸能事務所の研音への所属が正式に発表されます。

「俳優人生の第一歩を踏み出せること」

研音

高校時代に決めた俳優という進路が、ここで初めて所属俳優としての仕事につながりました。

『奪い愛、真夏』で念願のドラマ初出演

研音所属から約3か月後、テレビ朝日系ドラマ『奪い愛、真夏』へのレギュラー出演が発表されました。

演じたのは、高橋メアリージュンさん演じる画家・空知未来のアシスタントをしている美大生・氷室輝です。

テレビ朝日の公式発表でも、七音さんにとってドラマ初出演と明記されており、これが映像作品へのデビューとなりました。

初めて台本に自分の名前が載った

出演決定後、七音さんは研音の公式日記で、ドラマに憧れながらこの世界を目指し始めてから少なくない時間が経ったことを書いています。

その中でも強く記憶に残ったのが、初めて受け取った台本でした。

「言葉で表現できないほどの喜び」

研音Message

台本に自分の名前が印刷されているのを見たことが、俳優として現場に入った実感につながる出来事になりました。

撮影では主演の松本まりかさんや高橋メアリージュンさんをはじめ、共演者からエネルギーやアドバイスを受けながら、初めてのドラマ現場を経験しています。

谷原七音の現在|ドラマと映画へ出演を重ねる

『奪い愛、真夏』で映像作品へ踏み出した後は、次のドラマと映画へ出演が続きました。

一方、家庭では6人きょうだいの長男らしい日常も続いており、2026年3月のテレビ出演では、きょうだいが自分の部屋へ入ってきたり、洋服を持っていったりするため、インテリアなどにこだわっても仕方がないと思うようになったと話しています。

『東京P.D. 警視庁広報2係』『鬼の花嫁』へ出演

2026年1月にはフジテレビ系『東京P.D. 警視庁広報2係』へレギュラー出演し、警視庁広報課の玉田宏樹役を演じました。

主演の福士蒼汰さんや吉川愛さんらと同じ広報2係で働く役となり、初ドラマから半年ほどで再び連続ドラマの現場へ入っています。

2026年3月27日公開の映画『鬼の花嫁』では、猫又のあやかし・猫田東吉を演じ、映画初出演も果たしました。

映画公式サイトでも、『奪い愛、真夏』で映像デビューし、『東京P.D.』を経て本作が映画初出演であることが紹介されています。

研音の公式プロフィールには、2026年4月から5月にFODで配信された『東京P.D. 警視庁広報2係 season2』への出演も掲載され、最初の映像作品から途切れず俳優経験を重ねています。

実父いしだ壱成も俳優としての活動を陰ながら見守っている

七音さんが研音へ所属した直後の2025年4月、実父・いしだ壱成さんも息子の芸能活動について語りました。

当時は直接会っていないとしたうえで、現在の家庭にも配慮しながら深く立ち入りすぎず、陰ながら応援していると話しています。

同じ俳優として、七音さんがどんな役を演じ、どんな芝居をするのかを見ることも楽しみにしていると明かしました。

七音さん自身も、いしだ壱成さんについて家族関係だけで語るのではなく、過去の出演作を見たうえで一人の役者として尊敬していると話しています。

幼いころ客席から俳優という仕事に興味を持った谷原七音さんは、高校生活の中でその仕事を自分の進路として選びました。

高校卒業後には思うように前へ進めない時間もありましたが、20歳で自らジュノンへ応募したことから状況が動き、2025年に俳優として最初の現場へ入りました。

現在はドラマから映画へ出演の幅を広げ、かつて見る側だった映像作品の中で、自分の役を演じる立場になっています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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