ぐんぴぃの生い立ちと家族|北九州の少年時代から青学・ブックオフを経て芸人になるまで

ぐんぴぃ
ひと目でわかるプロフィール ぐんぴぃ
ぐんぴぃ
出身地
福岡県
生まれ年代
1990年代生まれ
活動ジャンル
お笑い芸人
性別
男性
育った家庭
父・母・弟がいる家庭で福岡県北九州市小倉北区に育った。本人は父を非常に厳しい人物だったと振り返っている。
キャリアの原点
小学生時代、家庭でのつらい出来事を学校で笑い話に変えた経験が、お笑いの原点になったと本人が説明している。

「バキ童」の呼び名やYouTubeでおなじみのぐんぴぃさんは、お笑いコンビ「春とヒコーキ」のボケとして活動する芸人です。

本名は山口大樹さんで、1990年3月31日生まれ、福岡県北九州市小倉北区の出身です。

ぐんぴぃさんを理解する3つのポイント
  1. 厳しい父との家庭経験の中で、自分に起きた出来事を話として誇張し、周囲を笑わせることで乗り越える感覚を身につけたと本人が語っている。
  2. 小学生時代、家庭でのつらい出来事を学校で笑い話に変えた経験が、お笑いの原点になったと本人が説明している。
  3. 現在の道につながる原点:自主活動・自主制作

2023年の日本テレビ系ドラマ『大病院占拠』では情報分析官・志摩蓮司を演じ、その後も占拠シリーズへ出演し、2025年には映画『怪獣ヤロウ!』で主演を務めるなど、YouTubeの外にも活動を広げてきました。

現在の姿からさかのぼると、ぐんぴぃさんが人を笑わせるようになった原点は小学生時代にあります。

その後も、高校時代にお笑いへ憧れ、青山学院大学の落語研究会で相方となる土岡哲朗さんと出会い、一度は会社員になってから27歳で芸人へ転身しています。

ぐんぴぃの生い立ちと家族|北九州で笑いを覚えた少年時代

ぐんぴぃさんが生まれ育ったのは、福岡県北九州市小倉北区です。

本人が後年語った子ども時代には、現在の明るいトークからは想像しにくい家庭での出来事もありました。

北州市で育ち、いつか地元を出たいと思っていた

子どものころから、将来は北九州を出たいという思いがあったそうです。

当時の地元について本人は、怖い人に脅された経験などもあり、子どもながらに外へ出たいと考えていたと明かしています。

もう一つの理由がテレビでした。

見たい関東や関西の番組が地元では放送されなかったり、深夜放送になったりすることがあり、親が寝静まったあとに音を小さくして『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』を見ていました。

「観たい番組を自由に観られる環境に憧れていましたね」

CHINTAI情報局

テレビへの興味はそのまま東京への関心につながり、のちの進学先選びにも入ってきます。

父親との出来事を学校で話すとクラスメイトが笑った

ぐんぴぃさんは父親について、後年のインタビューで厳しい人だったと語っています。

ある日、父親から暴力を受けて顔が腫れたまま学校へ行くと、クラスメイトから何があったのかを聞かれました。

そこで出来事をそのまま暗く話すのではなく、父親に追いかけられた様子をアニメの『トムとジェリー』のようだったと大げさに話したところ、周囲が笑ってくれたそうです。

「苦しい状況から自分を守るために笑いを取るようになったんです」

スタジオパーソル

芸人になる十数年前から、自分に起きた出来事を人へ話して笑いに変える経験をしていました。

父親・母親・弟との家族生活

ぐんぴぃさんには弟がおり、バキ童チャンネルでも家族について話す企画が公開されています。

父親は電力会社に勤めていたと本人が語っており、実家はオール電化でした。

その生活に慣れていたため、大学進学後に初めて一人暮らしをするときも、本人はガスよりIHになじみを感じていたそうです。

父方の親族とは長いあいだほとんど交流がなかったものの、成人後には親族と初めて対話する機会もありました。

これは幼少期の家族関係そのものとは時期が異なるため、子ども時代の出来事とは分けて見る必要があります。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

父 電力会社勤務

本人が厳しい父について公に語っている。氏名など非公表情報は登録しない。

信頼できる媒体 出典を見る
母

母の存在は本人の家族エピソードで確認。非公表情報は登録しない。

公開資料 出典を見る
弟

弟の存在のみを登録。氏名・職業などは未確認のため入れない。

公開資料 出典を見る

明治学園の中学・高校時代|松本人志の『遺書』から芸人を意識する

小学校を終えたあと、ぐんぴぃさんは北九州で中学・高校時代を過ごしました。

このころ、それまで視聴者として楽しんでいたお笑いが、自分の進路の候補へ変わっていきます。

中高一貫校で過ごした学生時代

出身校として知られているのは、北九州市にある明治学園中学校・高等学校です。

後年には高校時代の卒業アルバムを使ったYouTube企画もあり、同級生たちのその後を振り返っています。

一方、本人自身の進路を大きく動かしたのは、高校時代に読んだ松本人志さんの著書『遺書』でした。

『遺書』を読んだことをきっかけに、芸人になろうと考えるようになります。

伊集院光や太田光への憧れから東京の大学を選んだ

お笑いを目指すなら大阪という選択肢もありましたが、ぐんぴぃさんが目を向けたのは東京でした。

好きだったのはダウンタウンだけではなく、伊集院光さんや爆笑問題の太田光さんで、江戸落語にも興味を持っていました。

東京には寄席もあり、大学の落語研究会へ入りながら、人前で面白く話せるようになりたいと考えます。

高校を卒業すると1年間の浪人生活を経て、青山学院大学経営学部経営学科へ進学しました。

人生年表 ぐんぴぃさんの歩み
幼少期
育った場所・環境

福岡県北九州市小倉北区。 厳しい父との家庭経験の中で、自分に起きた出来事を話として誇張し、周囲を笑わせることで乗り越える感覚を身につけたと本人が語っている。

スタジオパーソル|ぐんぴぃインタビュー
幼少期
ぐんぴぃの生い立ちと家族|北九州で笑いを覚えた少年時代

ぐんぴぃさんが生まれ育ったのは、福岡県北九州市小倉北区です。

高校
明治学園の中学・高校時代|松本人志の『遺書』から芸人を意識する

小学校を終えたあと、ぐんぴぃさんは北九州で中学・高校時代を過ごしました。

学生時代
中高一貫校で過ごした学生時代

出身校として知られているのは、北九州市にある明治学園中学校・高等学校です。

学生時代
伊集院光や太田光への憧れから東京の大学を選んだ

お笑いを目指すなら大阪という選択肢もありましたが、ぐんぴぃさんが目を向けたのは東京でした。

学生時代
青山学院大学時代|落研で土岡哲朗と出会い、一度は芸人を諦めた

芸人になることまで考えて東京方面へ出たぐんぴぃさんでしたが、大学生活は想像していた一本道にはなりませんでした。

青山学院大学時代|落研で土岡哲朗と出会い、一度は芸人を諦めた

芸人になることまで考えて東京方面へ出たぐんぴぃさんでしたが、大学生活は想像していた一本道にはなりませんでした。

相模原キャンパスに通っていた時期は、神奈川県相模原市の淵野辺で一人暮らしを始めています。

お笑いサークルではなく落語研究会へ入った

大学へ入ると、まずお笑いサークルを見学しました。

ところが、その場で行われていた大喜利の演出を見て自分には合わないと感じ、別の場所を探すことになります。

「『ムリだ…』って逃げるように落研に」

ananweb

もともと伊集院光さんへの憧れもあり、最終的に青山学院大学落語研究会へ入りました。

大学では1年目を終えたあとに留年しており、2歳年下で入ってきた土岡哲朗さんとは、やがて同学年として過ごすことになります。

「紙袋おじさん」と呼ばれた大学生活

青山学院大学へ入ったものの、いわゆる華やかなキャンパスの雰囲気にはなじめなかったそうです。

周囲の学生がブランド物のバッグを持っていることへの反発から、ぐんぴぃさんは教科書を紙袋へ入れて大学へ通うようになりました。

やがて学生の間では「紙袋おじさん」と呼ばれるようになり、大学のネット掲示板にまで存在が知られていきます。

相方になる土岡さんも、本人と仲良くなるより前に「紙袋おじさん」の噂を知っていました。

一人暮らしでも独特な生活をしており、洗濯した服を干す代わりに濡れたまま着て体温で乾かすという話を土岡さんにしたこともあります。

土岡哲朗との出会いと「自分より面白い人」

土岡さんとは落研の新入生歓迎会で出会いました。

最初からすぐに親友になったわけではありませんが、やがて一緒に帰ったり遊んだりする仲になっていきます。

土岡さんは後年、大学時代のぐんぴぃさんについて、自分を最も笑わせた人物だったため、芸人になるなら相方は彼しか考えられなかったと語っています。

ぐんぴぃさん自身は、東京の大学へ出れば自分がお笑いで一番になれるくらいに思っていたものの、落研では自分より面白いと感じる人たちに出会いました。

大学時代には、学内で行われた100人規模のプレゼン大会で2年連続優勝した経歴もあります。

失恋後に半年ほど引きこもり、就職へ向かった

大学生活の途中には、好意を寄せていた女性へ告白したことをきっかけに大きく落ち込んだ時期もありました。

本人によると、その後は半年ほど引きこもる生活になったといいます。

芸人になることを考えて上京したものの、大学を出る時点では芸人の道へ進まず、就職を選びました。

もともとは出版に関わる仕事を希望して就職活動をしましたが、希望した進路には届かず、中古書店チェーンのブックオフへ入社します。

ブックオフ時代|新人店長から売上前年比142%・全国1位へ

大学卒業後のぐんぴぃさんは、芸能活動とは離れた会社員生活へ入りました。

ところが、ここでも後年まで語られるような出来事が次々に起こっています。

新卒でブックオフへ入り、店長を任された

入社時の研修では神奈川県相模原市にある本社近くで暮らし、その後は勤務先に合わせて引っ越しを重ねました。

大塚などでの勤務を経て横浜の店舗でも働き、若いうちから店長を任されます。

ただ、新卒で店舗運営の経験がほとんどない店長に対し、現場には長く働いているアルバイトやフリーターのスタッフがいました。

仕事に慣れていないことから軽く見られることもあり、それが店舗で結果を出そうとするきっかけの一つになりました。

レジ横へ成人向け書籍を置き、店舗成績が全国1位に

横浜の店舗で目をつけたのが、成人向け書籍でした。

周辺の新刊書店で扱いが減っていたことから、需要が残っているのではないかと考え、店内に売場を作ることを上司へ提案します。

場所がないと言われると、空いていたレジ横を使うことを提案し、実際に商品を大きく展開しました。

結果として来店客が増え、店舗の前年比成績は142%となり、全国1位を記録しました。

芸人になる前に、会社員として店舗成績全国1位を経験していたことになります。

スタジオパーソル公式Instagramの投稿を見る

土岡からの誘いを3年間待たせた

ちょうどこの会社員生活の裏で、大学時代の後輩だった土岡さんは卒業後に定職へ就かず生活していました。

卒業から1か月ほどたったころ、土岡さんからぐんぴぃさんへ「芸人をやらないか」と連絡が入ります。

ぐんぴぃさんも誘いそのものは受けましたが、ブックオフへ入社したばかりで、仕事でも結果が出始めていたため、すぐには会社を辞めませんでした。

土岡さんはそのまま約3年間待つことになります。

退職へ向けて「100万円貯める」という目標も立て、自分では使ってしまうため土岡さんへ毎月2万円ずつ預けていました。

ところが途中から外食が増え、寿司などにもお金を使った結果、退職時に貯まっていたのは22万円ほどでした。

27歳で会社を辞め、土岡と芸人になる

ブックオフ勤務3年目には前年比成績で全国1位を記録しましたが、その翌年は前年の数字が高かった反動もあり順位が落ちました。

仕事で一つの区切りを感じていたころ、待ち続けていた土岡さんからも「もう待てない」と伝えられます。

ぐんぴぃさんは27歳でブックオフを退職し、土岡さんと本格的に芸人の道へ進みました。

春とヒコーキの正式な結成日は2017年4月1日です。

ただしM-1グランプリの公式記録には、2016年に2人が「ポピンジ」として出場した記録も残っており、会社員期からアマチュアで舞台へ立つ時期を挟んで現在のコンビへ移っています。

27歳で芸人へ|春とヒコーキ結成から「バキ童」になるまで

会社員を辞めたからといって、そのまますぐ芸能事務所へ所属できたわけではありません。

ここから約2年間は、フリー芸人としてライブとオーディションを繰り返す時期に入ります。

フリー芸人として自費でライブへ出演した

退職後は中野区の野方へ引っ越しました。

青学落研の後輩で、のちにタイタン所属となるまんじゅう大帝国・田中永真さんが近くに住んでおり、誘われたことがきっかけでした。

住んだのは築60年ほどの木造住宅で、先輩の田中さんから内見時にやめた方がいいと言われたものの、約2年間暮らしました。

芸人としては、自分で出演料を払って出るエントリーライブへ参加し、さまざまな芸能事務所のオーディションを受けました。

ある事務所のライブ形式オーディションでは、ほかのコンビがネタについて具体的な指摘を受ける中、春とヒコーキには見た目や雰囲気について「気持ち悪かった」とだけ言われたこともあったと、2人は後年笑いながら振り返っています。

コールセンターで働きながらオーディションを受けた

フリーで活動するにもライブ出演料や生活費が必要なため、ぐんぴぃさんはコールセンターでアルバイトを始めました。

夜勤で働く時期もあり、早朝に帰宅して部屋で音を立ててしまい、階下の大家や隣人から苦情が来たこともあったそうです。

オーディションで事務所所属を目指す一方、なかなか所属先は決まりませんでした。

最終的に選んだのが、爆笑問題らが所属するタイタンが運営する養成所「タイタンの学校」でした。

2019年、アルバイト帰りの街頭インタビューで状況が変わる

2019年4月、タイタンの学校へ入る直前のことでした。

コールセンターのアルバイトを終えて新宿を歩いていると、ABEMA NEWSの街頭インタビューを受けます。

性交渉経験について質問されたぐんぴぃさんが口にしたのが、のちに代名詞となる「バキバキ童貞」でした。

テレビ番組へ芸人として出演した場面ではなく、アルバイト帰りに偶然受けたインタビューでした。

映像はその日のうちにSNSで急速に広まり、翌日のタイタンの学校の入学式では、すでに周囲から気づかれるほどになっていました。

本人にとっては、それまで隠してきたプライベートなことが一気に知られる形になり、当初は歓迎できる出来事ではありませんでした。

その後、セクシー女優の唯井まひろさんのYouTube動画へ呼ばれ、街頭インタビューについて詳しく話した動画が100万回を超えて再生されます。

偶然生まれた「バキ童」という言葉が、ぐんぴぃさんを広く知られるきっかけになりました。

タイタンの学校とYouTubeで活動の形が変わっていった

春とヒコーキは2019年度にタイタンの学校2期生となり、2020年にタイタン所属となりました。

一方、ぐんぴぃさん個人では、街頭インタビューをきっかけとした動画への反響からYouTube活動が大きくなっていきます。

本人は当初、「芸人のYouTube」ということを強く前面に出さず、「バキ童」として知られた人物がさまざまな企画を行うチャンネルとして視聴者を広げていきました。

「バキ童」の先へ|YouTube・お笑い・俳優へ広がった現在

「バキ童」で名前が知られてからも、ぐんぴぃさんは春とヒコーキとしてライブや賞レースへの出演を続けました。

2024年にはキングオブコント準決勝へ進出し、2026年には3年ぶりとなる単独ライブ「モンキービジネス」を大阪・福岡・北海道・東京の4都市で開催しています。

YouTube登録者200万人を超えてもコンビ活動を続ける

タイタンの公式プロフィールでは、2026年現在、「バキ童チャンネル【ぐんぴぃ】」の登録者数は200万人を超えています。

一方で、春とヒコーキとして漫才やコントを続けており、個人YouTubeだけに活動を一本化しているわけではありません。

大学時代を一緒に過ごした土岡さんと、会社員を辞めてから正式に結成したコンビが現在も芸人活動の土台になっています。

舞台を見たスタッフとの縁から『大病院占拠』へ

活動範囲はお笑いとYouTubeだけではなく、俳優へも広がりました。

2023年には日本テレビ系ドラマ『大病院占拠』へ情報分析官・志摩蓮司役で出演します。

その後も2024年の『新空港占拠』、2025年の『放送局占拠』と同役でシリーズに出演しました。

2025年1月には、岐阜県関市を舞台にした映画『怪獣ヤロウ!』で主演も務めています。

街頭インタビューだけで知られた人物から、YouTube、お笑いライブ、テレビドラマ、映画へと仕事の場所が増えていきました。

北九州でテレビを小さな音で見ていた少年は、東京の大学で落語と漫才に触れ、一度は会社員として働いたあとに芸人の道を選びました。

ブックオフを辞めて始めたフリー芸人生活の途中では、アルバイト帰りの街頭インタビューという予定外の出来事が起きます。

その後も春とヒコーキとして舞台に立ちながら、YouTube、ドラマ、映画へと活動する場所を広げています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

ぐんぴぃと似た生い立ちの人物は?

出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。

似た人物を探す →
最近見た人物・保存一覧を見る →

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA