迷彩服に身を包み、「はい〜」のひと言で場を明るくするお笑い芸人のやす子さん。
本名は安井かのんさんで、1998年9月2日に生まれ、山口県宇部市で育ちました。
今ではテレビで人と楽しそうに話す姿がおなじみですが、学生時代の本人は、小学校から高校まで昼休みを図書室で過ごすことが多かったと振り返っています。
高校卒業後は陸上自衛隊へ入り、退職後は東京で清掃の仕事をし、その約半年後に友人から突然漫才へ誘われました。
子どものころから芸人を目指していたわけではなく、その時々の出来事をたどっていくと、現在の「やす子」が生まれるまでにはいくつもの意外な曲がり角がありました。
やす子の生い立ちと家族|宇部市で母と妹と暮らした子ども時代
やす子さんの家族は、幼いころから母親と妹が生活の中心でした。
母親は一人で子どもたちを育てるため朝から夜まで働き、家では姉であるやす子さんと妹が一緒に過ごす時間も長かったそうです。
2歳で両親が離婚、母と妹との3人暮らしへ
やす子さんが2歳ごろに両親が離婚し、その後は母子家庭で育ちました。
当時の家にはテレビや洗濯機がない時期もあり、洗濯機がなかったころには、シャンプーを使って自分の体操服を洗ったこともあったと後年明かしています。
家で使う水にも困ったときには、学校の水道水をペットボトルに入れて持ち帰り、食器を洗うために使ったこともありました。
母親については、忙しく働いていた当時の姿を覚えている一方、後年には「1人で育ててくれた母親には感謝しています」と本人のXでつづっています。
給食と50円のパンの耳でつないだ日々
食事では学校の給食が大きな存在で、給食以外にはほとんど食べない日もあったと本人がテレビで話しています。
母親が仕事で家を空けている夜は妹と2人で食事をすることが多く、やす子さんは率先して給食当番を引き受け、余ったパンなどを持ち帰ることもありました。
特に給食がなくなる夏休みは食べ物に困り、50円ほどで買える大量のパンの耳で空腹をしのいだこともあったそうです。
あるとき、パンの耳をそのまま食べていた妹を見て、油で揚げて砂糖をかけてみると、妹が「おいしい」と笑ってくれました。
砂糖だけでなくマヨネーズやココアなども試し、同じパンの耳でも食べ方を変えながら、妹と食事をしていました。
小学1年生ごろから本を読み、図書室が居場所になる
家で過ごす時間とは別に、やす子さんが幼いころから長く親しんできたものが読書でした。
2026年の読書インタビューでは、小学1年生ごろから図書館へ通うようになり、学校でも図書室をよく利用していたと語っています。
その習慣は小学校だけで終わらず、中学、高校へ進んでも続きました。
「小中高の自分は、ずっと昼休みに図書室で過ごすような人でした。」
Cocotame
現在のテレビでのにぎやかな姿とは違い、学校では自分から人に話しかけるタイプではなかったことも本人が明かしています。
中学・高校時代|水泳と柔道、児童養護施設で暮らした学生生活
中学時代に通っていたのは、山口県宇部市の宇部市立西岐波中学校です。
2024年の『アナザースカイ』では約10年ぶりに母校を訪れ、水泳部の部室や昼休みに通っていた図書室を巡り、当時の顧問とも再会しました。
家庭では経済的に厳しい状態が続き、中学生のころには遠足代を先生から借りたこともあった一方、学校生活そのものは楽しかったと振り返っています。
中学では水泳部、バタフライと自由形で大会1位
中学校では水泳部に所属し、バタフライを練習していました。
学生時代の大会では、バタフライと自由形で1位になった経験もあります。
本人によると地元の小さな大会で、バタフライは出場者が自分一人、自由形も60歳ほどの男性との2人だったため、本人は後年「手応えはなかった」と笑っていました。
夏休みには海でモリ突きもしており、水泳部で潜るのが得意だったことから、周囲に「先生」と呼ばれていた時期もあったそうです。
漫画家や獣医に憧れたこともありましたが、中学時代には家庭の状況から将来を現実的に考えにくかったことも本人が明かしています。
宇部中央高校では柔道部、17歳の写真に残る高校時代
中学校を卒業した後は、山口県立宇部中央高校へ進学しました。
高校では柔道部に入り、現在もSMA公式プロフィールの特技欄には「柔道(黒帯)」と記載されています。
本人の公式Xには、17歳だった柔道部時代の写真も公開されています。
卒業アルバムそのものを本人や学校が公式に公開した情報は確認できませんが、高校時代の本人の姿としては、この柔道部時代の一枚を本人自身が公開しています。
高校生のころにはとんかつ濵かつ山口宇部店でアルバイトもしており、『アナザースカイ』で宇部市を再訪した際には、当時一緒に働いていた人たちとも再会しました。
高校でも読書は続き、昼休みには図書室で過ごす生活が続いていました。
高校時代に児童養護施設で生活、進学を諦める
高校時代には、母親や妹と暮らしていた家を離れ、児童養護施設で生活していた時期がありました。
「実は高校生のころ、児童養護施設にお世話になっていた時期があります。」
ORICON NEWS
家庭では十分に食事を取れない日もありましたが、施設へ入ったときには、毎日3食食べられる生活に驚いたと後年語っています。
施設にも自由に使えるものが何でもそろっていたわけではなく、パソコンは1台をみんなで使い、テレビのチャンネルを取り合うこともありました。
自由に遊びに行けるほどのお金はなく、学校の友人との話題についていけない場面もあったそうです。
高校卒業が近づくと進路を考える時期を迎えましたが、経済的な事情から進学を諦めることになりました。
やす子さんの家族は、幼いころから母親と妹が生活の中心でした。
中学時代に通っていたのは、山口県宇部市の宇部市立西岐波中学校です。
中学校を卒業した後は、山口県立宇部中央高校へ進学しました。
高校時代には、母親や妹と暮らしていた家を離れ、児童養護施設で生活していた時期がありました。
大学などへ進学しないことが決まったやす子さんは、高校卒業後の2017年に陸上自衛隊へ入隊しました。
東京で清掃の仕事を始めてから約半年が過ぎた2019年9月、休日に高校時代からSNSでつながっていた友人と会いました。
母親とは別に、2歳のころに離れて以来、父親ともほとんど会わないまま成長しました。
芸人として仕事が増えた後も、高校時代の児童養護施設や自衛隊との関わりは途切れていません。
高校卒業後の進路|2017年に陸上自衛隊へ入隊
大学などへ進学しないことが決まったやす子さんは、高校卒業後の2017年に陸上自衛隊へ入隊しました。
以前は入隊理由をぼかして話していた時期もありましたが、後に児童養護施設での生活を公表した際、経済的な事情が背景にあったことも明らかにしています。
進学ではなく、経済的に自立できる自衛隊を選ぶ
自衛隊は仕事とともに生活の基盤を整えられるため、高校卒業後に自分で生活していく必要があったやす子さんにとって現実的な進路になりました。
入隊後は、まず滋賀県の大津駐屯地で3か月、その後は京都府の大久保駐屯地で3か月の教育を受けています。
半年間の教育期間にはさまざまな訓練に加え、IQテストや適性検査なども行われました。
その適性検査を経て配属されたのが、道路や陣地などを整備する施設科でした。
大久保駐屯地の第3施設大隊でドーザ手を担当
教育期間を終えると、大久保駐屯地の第3施設大隊へ配属されました。
担当したのは、ブルドーザーなどの重機を操縦するドーザ手です。
本人によると小隊約20人のうちドーザ手は3人しかおらず、その3人の中で女性はやす子さんだけでした。
施設科は災害派遣では土砂やがれきを除去し、任務では車両が通る道をつくるなど、重機を使う作業も担います。
訓練では20キロほど走ったり、20キロほどの荷物を背負って40キロを歩いたり、射撃訓練を受けたりと、現在のテレビの自衛隊ネタだけでは分からない日々を過ごしていました。
一方で、一日の作業の中では、誰とも話さず2〜3時間かけて官品の靴を磨く靴磨きが特に好きだったそうです。
続けるつもりだった自衛隊を2019年に退職
入隊直後は失敗して叱られることも多かったものの、仕事に慣れるにつれて重機の操作も上達し、生活も安定していました。
本人は当初、すぐに自衛隊を辞めるつもりはなく、任期を更新して続けることを考えていたといいます。
ところが入隊から約1年半が過ぎたころ、前を歩いていた上官を見た瞬間、突然退職しようと思い、そのまま追いかけて意思を伝えました。
「そのとき急に“自衛隊、辞めよう!”という天の声みたいなのが降りてきたんです」
Cocotame
退職後の仕事も住む場所も決まっていなかったため、心配した上官や周囲からは、次の職場と住居を決めて文書で提出するよう求められたそうです。
こうして2019年、約2年間勤務した陸上自衛隊を陸士長で退職しました。
2019年、自衛隊を離れて東京へ|清掃の仕事を選んだ半年間
自衛隊を辞めたやす子さんは地元へ戻るのではなく、東京で新しい生活を始めました。
この時点でも、お笑い芸人になる予定はありませんでした。
「一人になれる仕事」を求めて清掃会社へ
自衛隊では朝から晩まで集団行動だったため、次は人とあまり関わらず、静かに一人でできる仕事を探しました。
就職アプリで見つけた東京の清掃会社に入り、官公庁のトイレなどを黙々と掃除する仕事を始めています。
別の本人インタビューでは、この時期に中学校の用務員として働いていたことも振り返っています。
自衛隊時代に靴磨きのような一人で集中する作業を好んでいたやす子さんにとって、清掃は希望していた働き方に近い仕事でした。
清掃員として働く中、高校時代からのSNS友達に漫才へ誘われる
東京で清掃の仕事を始めてから約半年が過ぎた2019年9月、休日に高校時代からSNSでつながっていた友人と会いました。
その友人は千葉県に住み、ジャルジャルが好きで、東京NSCへ入って芸人になりたいと考えていました。
ところが一人では踏み出せないため、やす子さんに「一度、一緒に漫才をしてほしい」「ネタも書いてほしい」と頼みます。
やす子さん自身はお笑いに詳しくなく、自衛隊時代にはテレビを見る機会もほとんどなく、携帯電話を初めて持ったのも自衛隊へ入ってからだったといいます。
当時知っていた芸人もごく限られていましたが、友人の頼みを断れず、漫才のネタを書き始めました。
2019年9月、芸人になるつもりがないままSMAへ
友人との漫才を一度やるつもりだった話は、そのまま芸能事務所へ応募するところまで進んでいきました。
最終的に所属することになったのが、現在も在籍するソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)です。
友人のためにネタを書き、SMAへ履歴書を送る
友人と漫才をすることになった後、いくつかの芸能事務所へ履歴書を送り、SMAのお笑い部門に入ることになりました。
それまで芸人になるための養成所へ通った経験も、舞台で漫才をした経験もありませんでした。
SMA公式プロフィールでは、2019年9月29日を活動開始日としています。
初ライブ当日に相方が来ず、その場で「やす子」と名乗る
ところが迎えた最初のライブ当日、一緒に漫才をするはずだった友人が会場へ来ませんでした。
突然一人で舞台へ出ることになり、本名の「安井かのん」を使うのは避けようと、その場限りのつもりで付けた名前が「やす子」でした。
「この舞台に出たことは誰にも知られたくないと思って、やす子という名前をつけて。」
ananweb
舞台用語も分からないままスタッフから説明を受け、出演順が近づき、断るタイミングも分からないまま一人でステージへ上がりました。
本人の記憶では、最初の舞台はわずか1分ほどだったそうです。
舞台を終えた時点では帰るつもりでしたが、その後に作家からアドバイスを受け、さらに翌月のライブ日程と手売り用のチケットを渡されました。
一度だけのつもりだった「やす子」という名前のまま、翌月も舞台へ出ることになりました。
2021年「おもしろ荘」3位でテレビ出演が増える
その後は毎週のネタ見せやライブを続け、芸人仲間もできていきました。
転機の一つになったのが、2021年元日に放送された『ぐるナイ おもしろ荘』です。
迷彩服で登場し、自衛隊経験を生かしたネタを披露して3位に入り、テレビ出演が増えていきました。
自衛隊で身についた大きな声や、周囲を見て動く習慣は、芸人になった後にも残っています。
「私の芸人としてのスキルは、全て自衛隊で身に付けたものと言っていいかもしれません」
MAMOR-WEB
芸人になって家族との関係も動く|母・妹との再接近と父との再会
芸人としての仕事が始まると、長く離れていた家族との関係にも新しい出来事が起こります。
子ども時代の家庭環境とは別に、ここからは大人になったやす子さんと家族との交流が再び始まっていきました。
22歳ごろまで疎遠だった母へ連絡、妹とも交流が戻る
児童養護施設へ入った後、母親とは長く距離があり、本人は22歳ごろまで疎遠だったと話しています。
「芸人になり始めて連絡を取るようになりました。」
日刊スポーツ
仕事を始めてから人とのつながりを考えるようになり、母親や妹へ自分から連絡するようになったといいます。
2023年には本人の公式Xでも、現在は母親、妹とも仲が良いと伝えています。
2022年、SNSをきっかけに父と約23年ぶりに再会
母親とは別に、2歳のころに離れて以来、父親ともほとんど会わないまま成長しました。
芸人としてテレビに出演するようになった後、SNSに自分の生まれた日時などを知っている人物から連絡が届きます。
その人物が実の父親だと分かり、2022年ごろ、約23年ぶりに父親と再会しました。
実際に会ってさらに驚いたのは、やす子さんが父親の職歴をほとんど知らないまま自衛隊へ入っていたにもかかわらず、父親も元自衛官だったことです。
2024年1月、母と妹との初めての家族旅行へ
家族との交流が戻った後、2024年1月には母親と妹を連れて温泉旅行へ出かけました。
本人によると、母と妹との3人で旅行するのはこれが初めてだったそうです。
旅行中には母親から「はい〜って言ってよ」と頼まれ、いつもの「はい〜」を披露すると、隣にいた妹が「本物そっくり!」と反応しました。
やす子さんは妹に「本物なんだけど」と返しており、子どものころにパンの耳を一緒に食べていた姉妹が、大人になって温泉旅行を楽しむ場面もテレビで語られています。
2024年から現在へ|児童養護施設への支援と予備自衛官としての活動
芸人として仕事が増えた後も、高校時代の児童養護施設や自衛隊との関わりは途切れていません。
2024年以降には、それまで詳しく話してこなかった経験を公にし、その後の活動へつなげています。
2024年、高校時代の児童養護施設生活を公表
2024年7月、『24時間テレビ47』のチャリティーランナー発表に合わせ、やす子さんは高校時代の児童養護施設での生活を詳しく公表しました。
それ以前に積極的に話してこなかったのは、施設にいたことを友人に話した際に相手が引いてしまった経験があり、さらに芸人になってから「かわいそう」と見られることも避けたかったためだと説明しています。
番組では一般募金とは別に「マラソン児童養護施設募金」が設けられ、やす子さんがチャリティーマラソンを走りました。
本人自身も募金に参加し、児童養護施設の子どもたちのために使われる目的別募金として寄付が集まりました。
募金が全国606施設への支援と退所後の若者への支援へ
最終的に「やす子さんのマラソン児童養護施設募金」には、5億493万6310円が寄せられました。
そのうち約4億円を使い、全国606か所の児童養護施設へ4922点の希望品が届けられています。
届けられたものは図書カード、自転車、子ども服、スポーツ用品、パソコン、タブレット、食事券、テレビ、掃除機、自動車など、各施設から寄せられた希望に沿った品でした。
さらに残った約1億円は、児童養護施設などを退所した子どもや、親や家族へ頼りにくい若者を対象にした継続的な支援へ活用されています。
寄付金の具体的な使途は、24時間テレビチャリティー委員会からも公表されています。
2026年3月、予備自衛官として5日間の招集訓練へ
2019年に自衛隊を退職した後も、やす子さんと自衛隊との関係は続いています。
芸能活動をしながら予備自衛官として訓練に参加し、2026年3月にはレギュラー番組を休んで5日間の招集訓練へ参加しました。
自衛隊時代に覚えた大きな声や礼儀、周囲を見て動く習慣は、退職後の芸能活動にも残っていると本人は話しています。
2026年9月から都内で週1回の子ども食堂を始める予定
児童養護施設への支援と並行して、以前から本人が話していた夢の一つが子ども食堂です。
『24時間テレビ47』の企画が発表された2024年の時点でも、制作側が本人から「子ども食堂を作りたい」という夢を聞いていたことを明かしていました。
それから約2年後の2026年7月、本人は公式Xで2026年9月から東京都内で週1回、子ども食堂を始める予定だと発表しています。
山口県宇部市で母親と妹と暮らし、図書室や部活動に通った学生時代から、高校卒業後には自衛隊へ進みました。
自衛隊を辞めて清掃の仕事を始めた半年後、友人から漫才へ誘われたことをきっかけに「やす子」という名前で舞台に立ち、そのまま芸人としての生活が始まりました。
現在は芸能活動を続けながら予備自衛官の訓練にも参加し、児童養護施設への支援や、2026年9月から予定している子ども食堂へと活動の幅を広げています。
やす子と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。











コメントを残す