コムドットやまとの生い立ちと家族|高校・上智大学からコムドット結成まで

コムドットやまと
ひと目でわかるプロフィール コムドットやまと
やまと
出身地
東京都
生まれ年代
1990年代生まれ
活動ジャンル
YouTuber
性別
男性
育った家庭
妹・せいらがモデルとして活動しており、兄妹で雑誌共演するなど公に兄妹関係を明かしている。
キャリアの原点
学生時代から活動
趣味・好きなこと
読書

5人組YouTubeクリエイター・コムドットのリーダーとして活動する、やまとさん。

本名は鈴木大飛(すずき・やまと)で、1998年5月15日に東京都で生まれました。

コムドットやまとさんを理解する3つのポイント
  1. 妹・せいらとの関係は家族としてだけでなく、それぞれの活動を応援し合う関係として公に語られている。
  2. 現在の道につながる原点:学生時代から活動
  3. 出身地:東京都

幼なじみと始めたYouTubeは400万人を超えるチャンネルへ成長し、現在はグループ活動だけでなく会社経営、出版、音楽、大型イベントのプロデュースにも活動が広がっています。

そんな現在の姿からは少し意外ですが、学生時代の進路として考えていたのはYouTubeではなく、上智大学で国際政治を学び、外交官を目指す道でした。

外交官を目指すより前には、英会話の発表会に立っていた子ども時代、中学バスケ部で試合に出られなかった時期、高校で水球を選んだ経験がありました。

コムドットやまとの生い立ちと家族|東京で育った子ども時代

やまとさんが生まれたのは1998年5月15日です。

家庭には両親と2人の妹がおり、現在モデル・クリエイターとして活動するせいらさんはその一人です。

両親ときょうだいに囲まれた家庭|父は経営者

家族の中で父親は「とっと」、母親は「ちゃーちゃん」と呼ばれており、父親自身も経営者です。

母親は、子どもが何かに興味を持つとまず挑戦させるという接し方をしており、失敗したときも責めるのではなく、もう一度やってみる方向へ背中を押していたとViViの取材で振り返っています。

やまとさんが大学を退学した際には、物心がつく前から勉強する機会を与えてくれた両親と祖父母への感謝も記していました。

雨の日には父親が塾まで車で送り迎えし、母親は本人と正面から向き合いながら勉強の大切さを伝えていたそうです。

勉強だけではなく、幼いころから本人が興味を示した経験を実際にやらせてもらえる家庭でもありました。

その一つが、2歳ごろから始めた英会話です。

教室では年に一度、練習した英語劇を人前で披露する機会があり、10年以上通い続けました。

「10年以上通ったけど、一度も嫌だと思ったことはなかったです」

ViVi

母親によると、いくつか習い事の体験へ行った中で、本人が「また来たい」と言ったのは英会話教室だったといいます。

小学校3年生のハロウィンには母親と一緒に衣装を考え、ゴリエに扮したこともあったそうです。

小さいころ一番の趣味は読書|いつか本を書きたかった

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趣味・好きなこと
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英会話と並んで、子どものころから長く続いたものが読書でした。

後に初著書『聖域』を出した際、やまとさんは本を読むことが昔から一番の趣味だったと明かしています。

「小さい頃から読書が一番の趣味で、いつか自分でも本を書いてみたいと思っていた」

ORICON NEWS

大学でも文章を書く提出物にはそれほど苦労しなかった一方、初めてエッセイを書いた際には編集者から「論文っぽい」と指摘され、伝わる文章の書き方を学び直したそうです。

現在の著者・鈴木大飛につながる「本を書いてみたい」という気持ちは、YouTubeを始めるよりずっと前からありました。

妹せいらとの子ども時代|家族旅行と兄妹の思い出

家族は夏になると、父親が8月上旬に休みを取り、海へ出かけることが恒例になっていました。

その旅行でせいらさんが遊戯王カードの「スターダスト・ドラゴン」を引き当てたことがあり、やまとさんは妹を褒めながらそのカードをもらったそうです。

後年、せいらさんに「してもらって一番うれしかったこと」を聞かれた際にも、やまとさんはこのカードの思い出を挙げています。

海では波に向かって遊び、好奇心のまま深いところまで進んでいく兄を、妹が見ていたという家族の記憶も残っています。

もちろん仲が良い場面ばかりではなく、ドラマを見ていたときのやり取りをきっかけに、せいらさんが約半年間ほとんど口をきかなかった時期もありました。

そのころは、やまとさんが母親へ「どうしたら許してもらえるか」と相談していたとViViで明かされています。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

妹 せいら モデル

ViVi専属モデルとして活動。兄妹関係はViVi公式記事で明記。

信頼できる媒体 出典を見る

中学時代|コムドット5人をつないだバスケットボール部

2011年、中学生になったやまとさんはバスケットボール部へ入りました。

ここで一緒にボールを追っていた友人たちが、後のコムドットのメンバーです。

5人が同じバスケ部へ|やまとはキャプテンを務める

小学生のころから友人たちとよくバスケをしていたため、中学校では自然にみんなでバスケ部へ入るものだと思っていたそうです。

当時見ていた映画『ハイスクール・ミュージカル』で、主人公がバスケットボールをする姿に憧れたことも入部に影響しました。

部内ではキャプテンを務めます。

現在のリーダーという立場だけを見ると、そのころからチームの中心選手だったようにも思えますが、実際の競技面では少し違いました。

キャプテンなのにベンチ|引退試合で訪れた短い出番

同じバスケ部だったひゅうがさんによると、やまとさんはキャプテンでありながらベンチメンバーでした。

引退試合では一瞬だけコートへ入り、全力でディフェンスしたものの、5秒から10秒ほどで再びベンチへ戻されたという場面をひゅうがさんがテレビ番組で明かしています。

やまとさん自身も2022年、中学校の引退試合でスタメンとして出られなかったことを「悔しい思い」と振り返りました。

人をまとめるキャプテンではあっても、選手として試合へ出続けられたわけではなかったという中学時代です。

部活仲間だった5人の関係が、のちのコムドットへ続く

コムドットの5人にとって、中学のバスケ部は単に同じ学校にいたという以上の時間になりました。

やまとさんは後に「今の仲間との思い出は、この時期に詰まっている」と話しています。

部活動では、勝つために必要なことを互いに言い合う関係もできていました。

仕事を始めてからメンバー同士で率直な意見をぶつけられる背景についても、中学時代からそうしたコミュニケーションに慣れていたことを本人たちは語っています。

まだこの時点では、5人が同じ会社で働く未来も、東京ドームに立つ未来もありません。

人生年表 コムドットやまとさんの歩み
幼少期
コムドットやまとの生い立ちと家族|東京で育った子ども時代

やまとさんが生まれたのは1998年5月15日です。

幼少期
妹せいらとの子ども時代|家族旅行と兄妹の思い出

家族は夏になると、父親が8月上旬に休みを取り、海へ出かけることが恒例になっていました。

中学校
中学時代|コムドット5人をつないだバスケットボール部

2011年、中学生になったやまとさんはバスケットボール部へ入りました。

高校
高校時代|中央大学附属高校で過ごした3年間

中学校を卒業すると、やまとさんは中央大学附属高校へ進みました。

高校
中学のバスケから高校では水球へ

高校入学時にはバスケ部の体験にも参加しましたが、最終的に入ったのは水球部でした。

高校
高校生のやまと|団長として人前に立った経験

高校生活では部活動だけでなく、人前へ出る役割も経験していました。

学生時代
国際政治への興味|上智大学を目指すまで

高校生活の後半、将来の仕事として意識するようになったのが外交官でした。

高校時代|中央大学附属高校で過ごした3年間

中学校を卒業すると、やまとさんは中央大学附属高校へ進みました。

中学で続けてきたバスケから離れ、高校では新しい競技を選びます。

中学のバスケから高校では水球へ

高校入学時にはバスケ部の体験にも参加しましたが、最終的に入ったのは水球部でした。

理由は、水球という競技を以前から詳しく知っていたからではありません。

体験時に見た水球部の先輩たちが、鍛えた体で日焼けし、自信に満ちているように見えたことが大きかったそうです。

「この先輩たちと一緒にスポーツをしたい」と感じて入部し、その先輩とは卒業後も交流が続きました。

競技そのものより、そこにいる人を見て新しい部活を選んだという進路でした。

2026年には、高校水球部の1学年上の先輩を通じて19歳のころにコーチングを受け、自分自身を客観的に見る体験をしたことも語っています。

高校生のやまと|団長として人前に立った経験

高校生活では部活動だけでなく、人前へ出る役割も経験していました。

後に進路を考えるため自己分析したとき、本人は学生時代に団長、学級委員、生徒会などを経験してきたことを思い返しています。

高校時代には団長も務めており、仲間を応援する側として前へ立つ機会がありました。

中学で試合に出られなかったバスケ部とは違う場所でも、チームや集団の中で人をまとめる役割は続いていました。

国際政治への興味|上智大学を目指すまで

高校生活の後半、将来の仕事として意識するようになったのが外交官でした。

大学で特に学びたい分野として国際政治を選び、進学先には上智大学総合グローバル学部を選びます。

入学後に本人が「高校時代に期待した質の高い国際政治の授業を受けられた」と振り返っていることからも、高校から大学へ進む段階で学びたい分野はかなり具体的になっていました。

上智大学への入学方法については、やまとさん自身も後年指定校推薦に言及しています。

上智大学時代|外交官を目指してワシントンD.C.へ

2017年、やまとさんは上智大学へ進学しました。

この大学生活で、当初描いていた将来像が大きく変わっていきます。

総合グローバル学部で国際政治とジャーナリズムを学ぶ

所属したのは総合グローバル学部で、本人が最も興味を持っていた国際政治を学びました。

在学中には国際政治だけでなく、興味を持ったジャーナリズムの授業にも触れています。

サークルには所属しませんでしたが、新歓期間に知り合った先輩や、ミスターコンテストへ出た際に知り合った先輩、同じ学部の友人との交流がありました。

その友人たちはYouTube活動を始めたあとも応援してくれていたと、本人が大学退学時の公式動画で記しています。

大学生活は「YouTubeへ進むまでの空白」ではなく、本人が知的好奇心のまま学んでいた時期でもありました。

ワシントンD.C.で外交官に会い、将来像が変わる

大学では、アメリカのワシントンD.C.で行われるプログラムにも参加しました。

当時の目標は外交官になることで、現地では実際の外交官や要人と会い、話を聞き、仕事を目の前で見る機会を得ています。

ところが、憧れていた仕事を具体的に知ったことで、「自分には違うかもしれない」という感覚が生まれました。

外交官になるために現地まで行った経験が、逆に外交官以外の道を考えるきっかけになったのです。

自己分析で見つけた「人を率いること」|起業を考え始める

外交官という目標を見直したあと、やまとさんは自分に何が向いているのかを考え始めました。

そこで振り返ったのが、団長、学級委員、生徒会など、学生時代に経験してきた役割です。

人の前へ立って引っ張ることや、舞台へ立って人を喜ばせることが好きだった自分に気づき、最初に浮かんだ方向は起業でした。

「自己分析をしたことがYouTubeの世界に入るきっかけですね。」

VOCE

起業へ向けて動き始めたところで、目に入ってきたのがYouTubeでした。

歴史がまだ浅く、年功序列のようなものが少ない世界で、自分が動けば上を目指せるところにも魅力を感じたといいます。

外交官を諦めた直後にYouTuberを目指したのではなく、いったん自己分析と起業という段階を挟んでYouTubeへたどり着いていました。

2018年|大学在学中にコムドットが始まる

2018年10月、大学生だったやまとさんはYouTube活動を始めます。

現在の5人組が最初から大勢の視聴者に囲まれて始まったわけではありませんでした。

ゆうたとの活動開始から幼なじみ5人のグループへ

活動の最初はやまとさんとゆうたさんの2人でした。

ひゅうがさんは当時について、2人のチャンネル登録者が100〜200人ほど、動画の再生回数も100回前後だったとWEBザテレビジョンの取材で振り返っています。

数字としてはまだ小さかったものの、ひゅうがさんは2人を見て「売れそうだ」と感じ、うらやましさもあったそうです。

そこへやまとさんとゆうたさんから声がかかり、さらに中学時代からの仲間が加わって、現在のやまと・ゆうた・ひゅうが・ゆうま・あむぎりの5人になりました。

中学の部活で一緒だった友人たちが、大学生になるころから少しずつ「仕事を一緒にする仲間」へ変わっていきます。

「地元ノリを全国へ」|中学時代の友人関係が仕事になる

コムドットが掲げたスローガンは「地元ノリを全国へ」です。

特別なキャラクターを演じるより、地元で友人同士が集まっている空気そのものを動画へ持ち込みました。

高校へ進んだあとも地元の友人たちとはカードゲームやビリヤードなどをして集まり、学校が別々になっても関係は続いていました。

後にやまとさんは、YouTubeを「友だち自慢の場」と表現し、仕事になったあとも「会いたいときに集まれる状態」を守ることを大切にしていると話しています。

登録者が少なかった活動初期|仲間が加わって5人になる

活動開始直後は、現在のように大きな撮影セットやスタッフがいる環境ではありませんでした。

登録者100人、200人という段階から動画を作り、幼なじみ同士の空気をコンテンツへ変えていきました。

2018年10月に活動を始めたあと、2019年12月にはチャンネル登録者10万人へ到達します。

中学時代には一緒に部活動をしていた5人が、数年後にはカメラの前で同じ目標を追うようになりました。

YouTubeにのめり込んだ大学生活|休学と会社づくり

コムドットを始めた時期は、やまとさんが上智大学へ通っていた時期とも重なっています。

学業とYouTubeを同時に続ける中で、活動へ使う時間は急速に大きくなっていきました。

大学2年の10月、両親を説得して1年間休学

本人によると、大学2年生の10月にYouTubeへ強くのめり込み、1年間大学を休むことを決めました。

大学を辞めてしまうのではなく、まずは休学という形を選び、そのために両親を説得しました。

「YouTubeを本気でやりたいから1年休学したい」

コムドット公式YouTube

外交官を目指して入った大学をすぐに捨てたのではなく、YouTubeへ本気で時間を使うため、家族と話したうえで一度立ち止める選択をしました。

活動が始まったあとも、実家では大学生の妹と中学生の妹とのやり取りをXに投稿するなど、学生とYouTubeの生活のすぐそばに家族の日常がありました。

恩師から送り出され、YouTubeへ時間を注ぐ

休学には、当時学部長だった前嶋教授の許可も必要でした。

面談でYouTubeを本気でやるために1年間休みたいと伝えると、教授は挑戦する本人を送り出してくれたそうです。

やまとさんは後のインタビューでも、中学、高校、大学を通じて先生や先輩に恵まれ、迷ったときには恩師のもとへ話を聞きに行くと語っています。

YouTubeを選ぶ場面でも、それまで学校で出会った大人との関係が途切れたわけではありませんでした。

友人5人の活動から会社・ブランドへ広がっていく

コムドットは活動を続ける中で会社組織となり、やまとさん自身が代表取締役として経営にも関わるようになりました。

2020年には活動を法人として形にし、その後はアパレルブランドBirdogなどYouTube以外の事業も展開していきます。

この変化は、経営者だった父親との関係にも動きをもたらしました。

やまとさんは、法人化して代表取締役となり、自分たちの活動で収益を生み出す姿を形として見せたころから、父親にも認めてもらえた感覚があったと話しています。

「父親ですね。物事に対する向き合い方や、仕事への熱量を見てきました。」

ENCOUNT

子どものころは塾へ送ってくれた父親が、成人後には同じ経営者という立場から活動を見る存在になっていました。

2021年から2023年|出版、大学退学、家族との関係の変化

YouTubeの活動が大きくなるにつれて、子どものころから持っていた別の興味も仕事になっていきました。

その一つが、本を読むことから始まった出版です。

子どものころの読書好きが初著書『聖域』へ

2021年、やまとさんは初の著書『聖域』を出版しました。

幼いころに「いつか本を書いてみたい」と考えていたことが、YouTube活動を始めたあとに実際の一冊となりました。

2022年には2冊目の『アイドル2.0』も出版し、動画とは別の形で自分の考えを文章にする機会が続きます。

幼少期の「読む側」から、20代では自分の名前で本を書く側へ進みました。

2023年に上智大学を退学|学生生活に区切りをつける

休学を経ても上智大学とのつながりは残り、一時は学業とYouTubeの両立も続けていました。

しかし活動がさらに広がり、2023年4月、やまとさんは上智大学を退学したことを発表します。

理由として挙げたのは、コムドットが次の段階へ入る中で、大学へ通いながら活動を続けることを改めて考え直したことでした。

一方で、大学では国際政治、ワシントンD.C.での経験、ジャーナリズム、友人や先生との出会いがあり、本人はキャンパス生活そのものを後悔していないとしています。

外交官を目指して入った上智大学は卒業しませんでしたが、その在学中に「人生を懸けて挑戦したいこと」に出会ったと本人は振り返っています。

妹せいらとViVi史上初の兄妹表紙|兄妹が仕事でも共演

大学退学から数か月後の2023年夏には、妹のせいらさんとの関係にも新しい場面が加わりました。

2人はViVi9月号特別版で、同誌史上初となる兄妹表紙を飾っています。

子どものころに同じ家で英会話へ通い、海へ家族旅行へ行っていた兄妹が、それぞれクリエイターとモデルとして同じ撮影現場へ立ちました。

撮影前夜には、やまとさんがモデルであるせいらさんへ「顔のむくみをどう取ればいいか」と連絡していたことも明かされています。

子どものころ、せいらさんが人生の節目ごとに兄から手紙をもらってきたと話していた兄妹は、成人後にはそれぞれの仕事を支え合う関係にもなっていました。

2024年から2026年|YouTubeの外へ広がった現在

大学生活に区切りをつけたあとも、活動の中心にいるのは中学時代からの5人です。

一方、5人で取り組む仕事の形はYouTube動画だけではなくなっていきました。

2024年『拝啓、俺たちへ』でコムドットが楽曲デビュー

2024年5月29日、コムドットは1stシングル『拝啓、俺たちへ』をリリースし、5人でメジャー楽曲デビューしました。

メンバーのゆうたさんが作詞を中心に担当し、「背中の押し合い」をテーマに、5人のルーツを楽曲へ落とし込んだ作品です。

やまとさんは歌詞を見た際、YouTuberとして活動を始めた自分たちへ向けた曲のように感じたと話しています。

中学の友人5人で始めた「地元ノリ」が、動画だけでなく5人で歌う楽曲にもなりました。

2025年『命の燃やし方』を本名・鈴木大飛で出版

2025年8月27日には、3冊目の著書『命の燃やし方』を講談社から出版しました。

『聖域』『アイドル2.0』に続く本ですが、今回は活動名の「やまと」ではなく、本名の「鈴木大飛」名義で刊行されています。

小さいころに読書を一番の趣味とし、いつか本を書いてみたいと思っていた本人にとって、これが3冊目の著書となりました。

2026年4月の対談では、空いた時間があれば本を読み、人と会って話を聞くことに使いたいとも話しており、読書は出版後も日常の中に残っています。

2026年、3回目のCreator Dream Fesを東京ドームで開催

2026年7月30日、コムドットが総合プロデュースする「Creator Dream Fes 2026 〜produced by Com.〜」が東京ドームで開催されました。

Creator Dream Fesとしては3回目です。

イベントでは動画クリエイターたちがステージへ立ち、コムドットの各メンバーにも個別の企画が用意されました。

中学のバスケットボール部で集まっていた5人が、東京ドームの大型イベントを自分たちでつくる側へ進んでいます。

さらに2026年の対談では、コムドットのメンバーだけでなく、高校や大学時代の友人も社員として一緒に働いていることを明かしました。

中学だけではなく、高校、大学でできた人間関係も、現在の仕事の中へ続いています。

英会話や読書を続け、家族や友人と過ごした子ども時代から、中学のバスケ、高校の水球、上智大学での国際政治へと、やまとさんの進路は何度も形を変えてきました。

外交官を目指して訪れたワシントンD.C.で将来を考え直し、自己分析の先で選んだYouTubeでは、中学時代からの友人たちと活動を始めました。

その5人は現在も一緒に活動を続け、本や音楽、会社、東京ドームのイベントへと仕事の場所を広げています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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