YouTubeでの発信をはじめ、モデル、音楽、アパレルまで活動の幅を広げているとうあさん。
「おはようでやんす」やメイク動画で知った人も多いかもしれませんが、その原点をたどると、東京でもYouTubeでもなく、岐阜県羽島市で過ごした子ども時代に行き着きます。
- 幼いころから母のファッションや音楽の影響を強く受け、女性に囲まれた家庭・親族環境の中で育った。
- 高校進学後に服飾系の環境へ入り、髪やメイク、ファッションを本格的に表現し始めたことで現在のスタイルが形になった。
- 現在の道につながる原点:紹介・推薦
5歳ごろには母親が好きだった倖田來未さんのライブ映像を見ながら、自宅で衣装やマイクまで再現して歌って踊っていました。
中学生になるとメイクを何度もやり直して研究し、高校では服飾を学びながら学校外のファッションイベントへ参加するようになります。
そして高校2年生ごろ、東京へ出たいと悩んでいたとうあさんに、ある先輩が投げかけた言葉をきっかけにSNSでの発信方法が変わりました。
現在のとうあさんにつながる「好きな服を着る」「メイクする」「人前で表現する」という行動は、活動開始よりずっと前から生活の中にありました。
とうあの生い立ちと家族|岐阜・羽島で女性に囲まれて育った幼少期
とうあさんは2002年11月26日生まれで、所属事務所の公式プロフィールでは岐阜県出身とされています。
本人は著書で、さらに具体的に岐阜県羽島市で生まれ育ったと明かしています。
羽島市については、名古屋へ電車で出られる距離にあり、東京へ出てから地元のよさを感じるようになったとも振り返っています。
母・父・妹の4人家族|近所のいとこと毎日のように遊んだ子ども時代
子どものころに一緒に暮らしていたのは、母親、父親、とうあさん、妹の4人でした。
家では母親ととうあさんが長く話し続け、物静かな父親と妹がそれを聞いていることが多かったそうです。
性格は母親に似ている一方、顔は父親に似ており、妹はその反対だったと本人は書いています。
さらに近所には女の子のいとこが住んでいて、とうあさんと妹、いとこに、双方の母親が加わって家族ぐるみで頻繁に遊んでいました。
父親たちは仕事で家を離れていることが多く、幼稚園に入るまでの日常では女性や女の子と一緒に過ごす時間が多かったといいます。
とうあさんにとって、妹やいとこ、母親たちと過ごす環境は特別なものではなく、ごく普通の日常でした。
5歳で倖田來未のライブを再現|100均のうさ耳と綿棒がマイクに
現在の音楽活動までさかのぼっていくと、かなり早い時期に「ステージへ立つ人」への憧れが生まれていました。
母親は倖田來未さんが好きで、自宅ではライブDVDがよく流れていたそうです。
それを一緒に見ていたとうあさんも夢中になり、5歳ごろにはバニーガール風の衣装をまねるため、100円ショップでうさぎの耳を用意しました。
腰にはタオルを巻き、折った綿棒を口元につけてライブ用マイクのようにし、その格好で歌ったり踊ったりしていました。
家族に動画を撮ってもらいながら披露するところまでがセットだったようです。
「“こうなりたい!”って意識したの、この頃が初めてだと思う。」
QJWeb
「表に立つ仕事」への最初の憧れは、YouTubeを始める十数年前、自宅のライブごっこですでに芽生えていました。
母の服を借り、「好きな格好」を止められなかった家庭環境
ファッションについても、母親から受けた影響は大きいものでした。
母親は海外ファッションが好きで、とうあさんも小さいころから海外のヒップホップ系ファッションに自然と触れていたと話しています。
中学生ごろまでは母親のお下がりの服を着ることも多く、古着のプリントやバスケットボールウェアなどにも影響が残りました。
家族から「男らしくしなさい」と服装を制限された経験もなかったといいます。
母親は服だけでなく、とうあさんが日々の出来事や悩みを話す相手でもあり、家で本人が話すと、母親は別の考え方や選択肢を返してくれました。
「何を着るか」「どんな格好をするか」を家庭内で強く止められなかったことは、幼いころから続いていた生活の一部でした。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
小学校・中学校時代|女友達、陸上、メイクが日常になっていく
家庭では自由に過ごしていた一方、学校へ入ると、周囲から「男の子」「女の子」と分けられる場面が増えていきました。
とうあさん自身は友達との関係に大きな壁を感じていませんでしたが、大人から向けられる言葉には違和感を覚えることがあったそうです。
とうあの性別は?本人が「とうあはとうあ」と考えるようになった原点
とうあさんの性別についてはさまざまな言葉で語られることがありますが、本人自身は既存の男女の区分だけで自分を表そうとはしていません。
子どものころから女友達と一緒にいることが多く、友達側もその関係を自然に受け入れていました。
「とうあって“とうあ”っていう性別だよね!」
QJWeb
本人はこの言葉が自分にしっくりくると記し、男女を分けること自体を幼いころから不思議に感じていました。
とうあさん本人の捉え方をそのまま見るなら、「男性か女性か」の二択より「とうあはとうあ」という表現が最も本人の言葉に近いものです。
小学生で先生の言葉に違和感|変わらず接した友達と母親
小学生のころ、とうあさんは女友達と腕を組んで学校内を歩くこともありました。
本人にとってはいつもの友人関係でしたが、先生から注意されたり、三者面談で母親へ伝えられたりしたことがあったといいます。
友達はそれまでと変わらず接し、家庭でも母親がとうあさんの服装や振る舞いを変えさせる方向には進みませんでした。
服をコーディネートすることが好きだったとうあさんに、母親のほうからスカートを勧めたこともありました。
「はきたかったときに、はけばいいじゃん」
日テレNEWS NNN
当時はスカートを「女の子がはくもの」と考えていたとうあさんにとって、これは意外な提案だったそうです。
小中学校では陸上へ|短距離を走っていた学生時代
ファッションやメイクの印象が強い現在とは違い、小学校から中学校にかけては陸上競技にも取り組んでいました。
所属事務所のプロフィールにも陸上の短距離が特技として掲載され、50メートル5.8秒という記録が紹介されています。
本人も高校時代を振り返るインタビューの中で、小中学校では陸上をしていたと話しています。
この時期はまだ現在のようにメイクやファッションを仕事にしていたわけではなく、学校生活では体を動かす時間も大きな割合を占めていました。
中2からメイク研究|帰宅すると落としてすぐ別のメイクを試した
現在のメイク動画へ直接つながる習慣が始まったのは、中学2年生ごろでした。
土日に友達と遊びに出かけるときにはメイクをし、家へ帰るとそのメイクを落とします。
そこで一日を終えるのではなく、すぐに違うメイクを始め、別のやり方を試していました。
これを毎週何度も繰り返し、自分の顔ではどんなメイクをすると目が大きく見えるかなどを研究していったとViViのインタビューで明かしています。
中学生のとうあさんにとってメイクは、外出前に一度するだけのものではなく、帰宅後にも続く研究対象になっていました。
紫×ピンクの原宿系ファッション|地元でも好きな服を着ていた
中学生になるころには服へのこだわりも強まり、紫とピンクなどを組み合わせた、当時の原宿系を思わせる派手なファッションで出歩いていました。
岐阜の地元では目立つ格好でもあり、周囲から視線を向けられることもあったそうです。
それでも服装を地元に合わせるのではなく、好きなものを選ぶ生活はそのまま続きました。
中学校では生徒会長を経験したことも本人がインタビューで語っており、学校内で目立たないように過ごしていたわけでもありませんでした。
母から海外ファッションや倖田來未などの音楽の影響を受け、『自分らしくいていい』という後押しも現在の自己表現につながった。
音楽ナタリー/ENCOUNT とうあインタビューとうあさんは2002年11月26日生まれで、所属事務所の公式プロフィールでは岐阜県出身とされています。
子どものころに一緒に暮らしていたのは、母親、父親、とうあさん、妹の4人でした。
家庭では自由に過ごしていた一方、学校へ入ると、周囲から「男の子」「女の子」と分けられる場面が増えていきました。
ファッションやメイクの印象が強い現在とは違い、小学校から中学校にかけては陸上競技にも取り組んでいました。
とうあさんの性別についてはさまざまな言葉で語られることがありますが、本人自身は既存の男女の区分だけで自分を表そうとはしていません。
服飾系高校時代|名古屋のファッションイベントで学校の外へ
中学校を卒業すると、とうあさんは服飾を専門的に学べる高校へ進みました。
本人の後年のインタビューでは名古屋にある服飾系の学校だったと語られていますが、別の媒体では「地元・岐阜の服飾の専門高校」と紹介されており、学校名については本人や所属先による統一した公表は確認できません。
高校生活そのものについては、複数の本人インタビューからかなり具体的な様子が分かっています。
髪を伸ばしてメイクも本格化|「今の私を作った」高校生活
高校へ入ったことは、とうあさん自身が後年「大きかった」と振り返る変化でした。
進学した学校はもともと女子校で、共学になって間もないころだったため、クラスの男子が自分一人というような環境だったと話しています。
小中学校では陸上に取り組んでいましたが、高校では髪を伸ばし、すでに始めていたメイクもさらに本格化しました。
ファッションについても、それまで以上に派手なスタイルを楽しんでいたそうです。
「今の私を作ったのは高校時代です。」
音楽ナタリー
家庭で続けてきたファッションと、中学から研究してきたメイクが、高校では学校生活そのものと重なっていきました。
3年間関わった名古屋の学生イベント|学校外の友達が増えていく
高校生活は校内だけで完結していませんでした。
地元の岐阜から愛知県名古屋市へ足を運び、学生主体のファッションイベントに3年間関わっています。
イベントへ参加すると、学校とは別の場所にも友人や知り合いが増えていきました。
服飾を学ぶ学校、名古屋のファッションイベント、さらにこのあと始めるSNSやYouTubeと、高校時代のとうあさんには複数のコミュニティができていきます。
本人は2025年のインタビューで、当時は非常に忙しい高校生活だったものの、そのファッションイベントが現在の仕事にもつながったと話しています。
高校の外へ出て人と会うことが、のちのYouTubeメンバーとのつながりや表舞台での仕事へ続く時期でもありました。
高2で約1週間学校を休む|先輩から「東京で何で戦うの?」と問われた
高校生活が大きく動いたのは、高校2年生ごろです。
とうあさんは「この高校で何をしているんだろう」と考えるようになり、約1週間学校へ行かなかった時期がありました。
頭にあったのは「早く東京へ出たい」という思いでした。
そこで相談相手として思い浮かんだのが、同じ高校にいた1学年上の先輩です。
その先輩は高校生のうちからカメラマンなどクリエイティブな活動をしており、とうあさんは以前から憧れていました。
ただし、相談するまではほとんど話したことさえなかったそうです。
「東京に行って何で戦うの?」
ENCOUNT
とうあさんは、この質問に何も答えられませんでした。
東京へ行くこと自体を目標にしていたところから、「東京へ何を持っていくのか」を考える時間へ変わった瞬間でした。
Instagramで顔出しを開始|高校在学中に現在の事務所とも出会う
先輩はさらに、「まずInstagramに顔を出してみたら」ととうあさんへ提案しました。
それまでInstagramには服や友達との日常を載せていたものの、本人の顔はほとんど出していませんでした。
地元で生活していたこともあり、SNSで自分の顔を前面に出すという発想自体がなかったそうです。
先輩の言葉を受けて顔を出し、自分のメイクやファッションも見せながら発信するようになると、SNS上で少しずつ知られるようになっていきました。
それまで自分の生活の一部だったメイクや服が、このころから「人に見せるもの」へ変わり始めます。
高校在学中には、現在も所属するアソビシステムとも出会いました。
5歳から人前で歌って踊り、中学ではメイクを繰り返し試し、高校ではファッションイベントへ出ていたとうあさんが、ここで初めてインターネット上にも自分自身を大きく出すようになります。
ウチら3姉妹と「おはようでやんす」|高校卒業前に進路が仕事へ変わる
Instagramでの発信と並行して、高校時代にはもう一つ大きなつながりが生まれました。
のちにYouTubeグループ「ウチら3姉妹」として活動する、ゆらさんとこまさんとの関係です。
ファッションを通じて知り合った3人が2020年にYouTubeを開始
とうあさん、ゆらさん、こまさんの3人は、ファッションなどを通じて高校生のころから交流するようになりました。
3人でいるときのノリをそのまま動画にしたら面白いのではないかと、ゆらさんが声をかけたことからYouTubeが始まります。
初投稿は2020年3月7日でした。
「遊びの延長線上みたいな感覚で始めました!」
Real Sound Tech
企画会議を細かく行う形ではなく、その日に撮りたいものを決め、それぞれが編集するような進め方でした。
グループ名も最初の動画を投稿する直前まで決まっておらず、「3色団子」「三食弁当」といった候補まで出ていたことを3人が後年のインタビューで笑いながら振り返っています。
とうあのメイク動画と「おはようでやんす」が高校生の間で広がる
動画を始めると、とうあさんのメイク動画が大きく再生されるようになりました。
所属事務所の資料では代表的なメイク動画が1,600万回を超えて再生されたと紹介されています。
さらに動画内で使った「おはようでやんす」が若者の間で広がり、2020年から2021年にかけてトレンドワードとして知られるようになりました。
中学2年から家で何度も試してきたメイクが、高校卒業を目前にした時期には、多くの人がとうあさんを知るきっかけになっています。
「おはようでやんす」が広まった時点でも、とうあさんはまだ高校生でした。
卒業を前に東京行きを決断|YouTubeが上京する具体的な理由になった
とうあさんは「ウチら3姉妹」が知られる前から、高校を卒業したら東京へ行きたいと考えていました。
芸能関係の仕事をしたいという希望が以前からあり、卒業後の上京自体は決めていたと後に話しています。
そこへ高校卒業前のタイミングで「ウチら3姉妹」が広がり、仕事も増えていきました。
家族からも、目的なく東京へ行くのではなく活動につながってよかったのではないかという反応があったそうです。
高校2年でまだ「何で戦うの?」に答えられなかったとうあさんは、卒業するときにはYouTubeという具体的な仕事を持って東京へ向かうことになりました。
2021年春に上京|個人YouTubeへ活動の軸を広げる
高校を卒業した2021年春、とうあさんは念願だった東京での生活を始めます。
地元で撮影していた高校生YouTuberから、仕事の中心地に住むクリエイターへ生活そのものが変わりました。
初めての一人暮らし|岐阜とは違う東京の生活が始まる
上京後、本人がまず感じたのは東京と岐阜の時間の流れの違いでした。
周囲には全国から仕事や夢のために集まった人がいて、東京では常に時間に追われている感覚があったと話しています。
一方で、クリエイターとの新しい交友関係も広がりました。
地元を離れたあとには、羽島の空気や地元のよさも以前より感じるようになったそうです。
個人チャンネルを開設|学校には進まず発信の仕事に集中
東京へ上京したタイミングで、とうあさんは個人YouTubeチャンネルにも1本目の動画を投稿しました。
「ウチら3姉妹」と並行しながら、自分一人で内容を決め、自分自身についてより深く発信できる場所を持つようになります。
当時、ゆらさんやこまさんは学校へ通っていましたが、とうあさんは進学せず、発信の仕事を続けていました。
「私は学校に通わずにずっとこの仕事をしていた」
Real Sound Tech
個人チャンネルでは、昔から続けてきたメイクやファッションを、自分の判断でさらに前面へ出せるようになりました。
高校卒業後の進路は「学校へ進んでから活動する」形ではなく、すでに始まっていた発信をそのまま仕事として続ける形でした。
2022年に登録者100万人|本・音楽へ仕事が広がっていく
個人チャンネルは開設から急速に登録者を増やし、2022年7月に100万人を突破しました。
2021年12月には初の著書『生まれ変わっても自分でいたいって思うために生きてる』を出版しています。
本では、羽島での家族生活や学校で感じていた違和感、母親とのやり取りなど、動画だけでは分からなかった過去も本人自身の言葉で明かしました。
「ウチら3姉妹」時代から、YouTubeそのものだけを最終目標とは考えておらず、テレビなどさらに表へ出る仕事にも興味を示していました。
その次に本格的に始まったのが音楽です。
モデル・音楽・BGへ|学生時代に好きだったものが現在の仕事になる
YouTubeで名前が知られたあと、とうあさんの仕事はファッション、モデル、音楽へと広がっていきました。
後からまったく新しいものを加えたというより、高校までに続けていたことが別の形で仕事になったものが多くあります。
高校時代から経験したファッションの舞台がモデル活動へ
高校時代には名古屋の学生ファッションイベントへ3年間関わり、服飾系の学校でもファッションに触れてきました。
活動開始後は東京ガールズコレクションなどのファッションイベントにも出演し、人前で服を見せる仕事へ活動を広げています。
学生時代にはNYLON JAPANを見て「こんな世界があるんだ」と感じていたことも後年のインタビューで話しており、雑誌に出る側になる前からファッションメディアにも触れていました。
母親のお下がりを着ていた子ども時代から、服飾系高校、学生イベントを経て、ファッションは仕事の一つになりました。
2022年「若者」でアーティストデビュー|Touaとして歌う仕事へ
2022年11月25日、とうあさんは1st Single「若者(Young)」をリリースし、アーティストとしてデビューしました。
曲には10代を過ごす中で感じた大人や社会への思い、葛藤などを込め、自身も作詞に参加しています。
その後、2024年には「I am I」を発表し、「私は私」というこれまで発信してきた考え方を音楽でも表現するようになりました。
5歳ごろに倖田來未さんのライブをまねて歌っていたとうあさんは、20歳になる直前、自分の名前で楽曲を出す側へ移りました。
2023年にBGを始動|かつて語っていた「自分のブランド」の夢
ファッションでは、2023年9月にオリジナルアパレルブランド「BG」が始動しました。
ブランド名には「Borderless Gradation」という意味が込められ、年齢や性別にとらわれないユニセックスのアイテムなどが展開されています。
このブランド構想は、人気が出てから突然生まれたものではありません。
「ウチら3姉妹」として活動していた2021年、とうあさんは将来について、YouTubeで知名度を上げ、テレビの仕事をし、その先で服やコスメのブランドを作りたいと話していました。
「いつか服やコスメのブランドを作るのが夢。」
anan
その発言から約2年後、自分自身がディレクションするアパレルブランドが実際にスタートしました。
母親の服を借り、中学生で派手なファッションを楽しみ、服飾系高校へ進み、学生イベントに参加してきた流れの先にある仕事でもあります。
2026年、初アルバムとワンマンライブを控える現在
2026年現在も、とうあさんはYouTuberとしてだけでなく、アーティスト名「Toua」でも活動しています。
2026年7月からは「10」「ARU ARU ARU」「Type B」「Haute Couture」と、1stアルバムに向けた楽曲を順番に発表しました。
9月2日には「If you were my lover…」も先行配信されています。
所属事務所の発表では、1st Digital Album『This is Toua』は2026年9月16日に配信予定です。
さらに9月20日には、Zepp Shinjukuで初のワンマンライブ『Toua 1st LIVE「This is Toua」』が予定されています。
2026年9月3日時点では、アルバム配信とワンマンライブはいずれもこれから迎える予定です。
子どものころに家でライブを再現していたところから、高校で自分の顔とファッションを発信し、YouTubeを経て、自分の音楽でワンマンライブを行うところまで時間は進んできました。
岐阜県羽島市で母親の服を借り、倖田來未さんのライブをまねしていた子ども時代から、とうあさんの生活には服、メイク、人前で表現することがありました。
高校2年で「東京に行って何で戦うの?」と問われたあと、自分の顔を出して発信を始めたことが、その後のYouTubeと上京へ続いていきます。
現在はその発信場所が動画だけでなく、ファッションブランドや音楽にも広がり、2026年には初アルバムと初ワンマンライブを迎えようとしています。
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