YouTubeやTikTokで、視聴者から届くコメントへ次々と鋭い言葉を返していくブチギレ氏原さん。
現在はサカモトさんとの「GGチャンネル」に加え、放送作家の上田さんと組んだ「うじとうえだ」でも活動しています。
- 家庭では母から叱られる際にも一つずつ反論することが多く、言葉をすぐ返す習慣が身についていった。
- 高校受験のころには芸人を志し、浜松工業高校で漫才大会やラップに挑戦した。
- 現在の道につながる原点:学生時代から活動
本名は氏原真一さんで、1988年4月8日生まれ、静岡県出身です。
現在の姿だけを見るとSNSから突然現れた人にも見えますが、高校受験のころにはすでに芸人になることを考え、高校生で漫才大会へ進み、同じ時期にラップまで始めていました。
その後すぐにネットへ進んだわけではなく、サカモトさんとコンビを組み、テレビやライブを目指す芸人生活を長く続けています。
ブチギレ氏原の生い立ちと家族|浜松で育ち「キレ」の原点になった少年時代
氏原さんは静岡県で育ち、子ども時代の家庭には父親、母親、双子のきょうだいがいました。
現在の「ブチギレ」というキャラクターについて、本人は芸人になった後の訓練だけではなく、もっと昔の家庭でのやり取りにも思い当たるところがあると話しています。
双子のきょうだいから母へ報告され、リビングで長時間叱られていた
学校で少し悪さをすると、それを双子のきょうだいが母親へ伝えることがあったそうです。
先生から家庭へ連絡が入るほどではない出来事でも報告され、氏原さんはリビングで正座して母親と向き合うことになりました。
本人は最初「5時間」と話したあとで訂正していますが、それでも実際に3時間ほど続くことがあったと振り返っています。
「多分、子どもの頃の経験が影響していると思います。」
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母の言葉へ一つずつ反論していた子ども時代
氏原さんは叱られている間、ただ黙って聞くのではなく、母親の言葉へ一つずつ反論していたそうです。
すると母親からは反省していないと判断され、話がさらに長くなり、お互いが疲れるか、きょうだいが止めに入るまで続くこともありました。
質問や言葉が飛んできた瞬間に返す現在のスタイルについて、氏原さん自身がこの家庭でのやり取りを原点の一つとして挙げています。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
中学時代|ソフトテニス部とサカモトとの最初の接点
中学生になると、のちに何十年も一緒に活動することになるサカモトさんとの接点が生まれます。
ただし、最初から仲の良い同級生だったわけではありません。
中学ではソフトテニス部の部長を務めていた
氏原さんは後年の実家帰省企画で、母校として浜松市立麁玉中学校を訪れています。
同じ動画では中学時代にソフトテニス部で部長を務めていたことも本人が話しており、部活動にも所属して学校生活を送っていました。
中学3年でサカモトへ初メールを送るも無視された
中学3年のころ、氏原さんの幼なじみから「通っている塾にサカモトが来る」と聞いたことが、二人の最初の接点でした。
サカモトさんは氏原さんの幼なじみの、そのまた幼なじみという関係だったため、氏原さんは連絡先を教えてもらい、自分から挨拶のメールを送っています。
ところが返事はありませんでした。
その時点では、後にコンビを組み、長期間一緒に暮らし、YouTubeにも並んで出演する関係になるとは想像しにくい始まり方でした。
氏原さんは静岡県で育ち、子ども時代の家庭には父親、母親、双子のきょうだいがいました。
氏原さんは叱られている間、ただ黙って聞くのではなく、母親の言葉へ一つずつ反論していたそうです。
中学生になると、のちに何十年も一緒に活動することになるサカモトさんとの接点が生まれます。
氏原さんの学生時代で大きく動くのが高校です。
工業高校を選んだ背景には、かなり早い段階から考えていた将来の仕事がありました。
高校時代|芸人を目指して浜松工業へ進み、漫才とラップを始めた
氏原さんの学生時代で大きく動くのが高校です。
進学したのは静岡県立浜松工業高等学校で、サカモトさんと同じ電気科に在籍しました。
大学へ行かず芸人になるつもりで工業高校を選んだ
工業高校を選んだ背景には、かなり早い段階から考えていた将来の仕事がありました。
高校受験のころには芸人になるつもりだったため、大学へ進学する必要はないと考えていたというのです。
「大学に行く必要なんてないから」
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ところが芸人志望を知った母親側の親族からは強く反対され、本人によると親戚が集まって進路を止めるほどでした。
高校選びの段階ですでに「芸人になる」という進路が本人の中にあった点は、SNSで有名になってから芸能活動を考えたわけではないことを示す時期でもあります。
電気科でサカモトと同級生になり、文化祭ではクラス企画に取り組んだ
中学3年ではメールを無視された二人でしたが、高校へ進むと同じ電気科の同級生になりました。
文化祭ではクラスで電光掲示を使ったテーブルを制作し、普段別々に行動しているグループも一緒になって作業していたそうです。
ところがサカモトさんは、その場で一人だけ漢字検定の勉強をしていたと氏原さんは覚えています。
氏原さんによれば、そうした小さな出来事が積み重なり、サカモトさんには高校時代に「卑怯者」というあだ名まで付いていました。
別の同級生と高校生漫才に挑戦し、M-1甲子園決勝へ
高校ではサカモトさんより先に、別の相方と「ハイスクールぶらんど」という漫才コンビを組みました。
当時の記録には氏原真一さんと土屋秀波さんの学生コンビとして名前が残っており、M-1甲子園の決勝進出コンビとして紹介されています。
さらに2006年のM-1グランプリ公式アーカイブには「ハイスクールぶらんど(アマチュア)」の名前があり、予選を勝ち進んで3回戦の舞台まで進んでいたことも確認できます。
芸人になりたいと言っただけではなく、高校生のうちから実際にコンビを作り、大人の芸人も出場する大会へ足を運んでいました。
DJ CHARIら浜松の仲間とラップを始め、ステージにも立った
同じ高校時代、漫才とは別の場所でも人前に立っています。
後にヒップホップDJ・プロデューサーとして活動するDJ CHARIさんとは、浜松の音楽コミュニティを通して高校2〜3年ごろに親しくなりました。
DJ CHARIさんは2026年のインタビューで、同い年でラップ好きだと分かったことから氏原さんと仲良くなり、その後一緒にラップを始めたと証言しています。
「その時に実は氏原と一緒にラップをはじめるんですよ。」
BUNKA「DJ CHARIロングインタビュー」
氏原さん、DJ CHARIさん、もう一人の仲間による3人でステージへ立ち、曲も制作してCD音源にして配ったことがあったそうです。
昼は工業高校、別の時間には漫才、さらに浜松のクラブ周辺ではラップという複数の活動が、同じ高校時代に並んでいました。
高校時代にサカモトをコンビへ誘ったが一度断られた
高校生の氏原さんは、サカモトさんにも漫才コンビを組まないかと声をかけています。
誘った理由については、後年「顔が整っていて明るかった」とかなりシンプルに説明しています。
しかし、このときサカモトさんは誘いを断りました。
二人が実際にコンビを組むのは、もう少し後のことです。
大学進学と上京|父の言葉を受けて進路を変え、東京でサカモトと再会
高校卒業が近づいても、氏原さんの芸人志望そのものは変わっていませんでした。
一方で、高校受験の時点では考えていなかった大学進学がここで現実の選択肢になります。
芸人志望を反対する母と、進学を勧めた父
高校生の漫才大会で結果が出ると、芸人になることへ強く反対していた母親側の反応にも変化があったと氏原さんは話しています。
それでも卒業後は芸人になる前にアメリカへ行きたいと考えていたところ、母親からは芸人になるなら留学費用を出さないと言われました。
その時期に進路について話したのが父親でした。
亡くなる直前の父親から、まず大学へ行き、その後に好きなことをすればいいという趣旨の言葉をかけられています。
芸人になるため大学進学は必要ないと考えていた氏原さんは、父親の言葉を受けて大学へ進むことになりました。
東京の大学へ進み、俳優志望だったサカモトを再び芸人へ誘った
大学進学で上京すると、高校卒業後に別々の道へ進んでいたサカモトさんと東京で再会します。
そのときサカモトさんが持っていたのは俳優のオーディション雑誌でした。
高校時代には断られていましたが、芸能界へ興味を持っている姿を見た氏原さんは、もう一度芸人へ誘いました。
今度は話が進み、二人で活動することになります。
氏原さんの大学については亜細亜大学とするプロフィール情報もありますが、本人のロングインタビューで明確に語られているのは、お互いが大学進学で上京したことまでです。
大学名については本人の一次発言で明確に確認できる情報が限られるため、東京での大学生活とコンビ結成までを確実に追える範囲とします。
ゴンゴール結成|養成所へ行かずライブに出ながら事務所を探した
サカモトさんと組んだ後も、すぐに大手の養成所へ入ったわけではありません。
二人はまずライブへ出ながら、芸人として所属できる場所を探していきました。
フリーライブへ出演しながらケイダッシュステージ入りを目指した
氏原さんは、お笑い養成所へ通わずに所属できる事務所がないか探していたと話しています。
その間はフリーライブへ出演し、舞台に立つ機会を作っていました。
やがて二人は、オードリーやどきどきキャンプなども所属していたケイダッシュステージへ入ります。
芸人になるまでの入口も、養成所から用意されたコースではなく、自分たちでライブへ出ながら所属先を探す形でした。
ヒサトモからゴンゴールへ、サカモトとの芸人生活が続いた
初期には「ヒサトモ」というコンビ名で活動した記録が残っています。
芸人名鑑ではヒサトモの結成日を2010年3月1日としており、現在のM-1グランプリ公式に掲載される「ゴンゴール」も結成年は2010年3月1日です。
一方、2024年の本人インタビューに付いたプロフィールでは2009年結成とされており、活動開始時期の表記には資料によって1年ほど差があります。
少なくとも大学時代にサカモトさんと組み、初期名義を経てゴンゴールとして長く活動した流れは一致しています。
漫才と並行してラッパーとしての活動も続けていた
高校時代に始めたラップも、そのまま消えたわけではありませんでした。
氏原さんは後にGGUJIHARA名義でも音楽活動を行い、芸人仲間やヒップホップ関係者との楽曲にも関わっていきます。
高校時代から付き合いが続くDJ CHARIさんとの関係も残り、後年には同じイベントへ出演する機会が生まれました。
芸人時代の約10年|売れない生活とサカモトとの同居
コンビを組んでからネットで注目されるまでには、長い芸人生活がありました。
氏原さん自身が後年「10年間」と表現するほどの期間を、舞台や芸能活動の中で過ごしています。
仕事が少ない時期も二人で暮らし続けた
サカモトさんとはコンビ活動だけでなく、生活も長期間一緒でした。
役割は少しずつ分かれていき、氏原さんが仕事へ力を注ぎ、サカモトさんが掃除など家のことを担当する形になったと本人たちは話しています。
それも最初から決めたルールではなく、一緒に暮らしながらケンカを重ねる中で一つずつ決まっていったものでした。
後にTikTokを始めた前後にも二人は木造アパートで同居しており、サカモトさんは当時の氏原さんについてピリピリしていたと振り返っています。
心が折れかけた時期にオードリー若林正恭から声をかけられた
芸人時代の氏原さんと関係が深かった先輩の一人が、オードリーの若林正恭さんです。
氏原さんは2025年1月、約10年前を振り返り、心が折れかけていた時期にオードリーのオールナイトニッポンへ出演し、若林さんからさまざまなことを教わったと投稿しました。
二人にはラップで共演した時期もあり、若林さんがラジオで氏原さんとのラップについて話した記録も残っています。
「病気」と検索される背景|診断名は本人が明らかにしていない
氏原さんについては「病気」「ADHD」などの言葉と一緒に名前が出ることがあります。
背景には、芸人時代に遅刻などの異変を若林さんが気にかけ、医療機関へ行くきっかけになったというエピソードや、本人が後年、精神的に調子を崩して病院へ通っていた時期について触れたことがあります。
ただし、ADHDなど特定の診断名を氏原さん本人が明確に公表した事実は確認されていません。
本人が明らかにしていない診断名まで、外から推測して経歴として扱うことはできません。
2020年、TikTokで「ブチギレ氏原」が動き出す
芸人として活動を続ける中、2020年に社会の状況が大きく変わりました。
新型コロナウイルスの影響でライブや従来の芸能活動が難しくなる中、氏原さんは2020年4月ごろからTikTokへ動画を投稿していきます。
コロナ禍にキレる動画を始め、芸人とは違う場所で反応が増えた
投稿したのは、さまざまなものへブチギレる短い動画でした。
さらに視聴者がリアルタイムで送ってくるコメントへ次々とキレて返す「来たコメント全てにキレる生配信」へ広がっていきます。
舞台では観客へ向けて準備した漫才を見せていた氏原さんが、ネットではその場で届く文字へ即座に返す形へ移りました。
子ども時代からの言葉の応酬、高校生漫才、約10年の芸人生活があった状態で、短い動画と生配信という新しい場所へ入ったことになります。
収益化前は月収約3000円、木造アパートでサカモトと暮らしていた
TikTokを始めたころには、まだ現在のような活動規模ではありませんでした。
YouTubeの生配信を始めても収益化される前は、氏原さんによると月収が約3000円だった時期があります。
その3000円もライブで稼いだ金額ではなく、少し出演したネット番組などのギャラだったと説明しています。
当時についてサカモトさんは、カップ麺に200円使うとおにぎりまでは買えないと考えるような生活だったと話しています。
「来たコメント全てにキレる生配信」で収入と生活が変わった
本人の記憶では2020年8月ごろにYouTubeが収益化され、スーパーチャットを受け取れるようになりました。
生配信を始めると投げ銭が入り、1時間で20万〜30万円、回によっては70万円ほどになることもあったと本人が明かしています。
「おい! 金がめちゃくちゃ入ってくるぞ!」
BuzzTok NEWS
芸人の仕事で収入が少なかった時期から、同じ「人を笑わせる」活動でも収入の仕組みそのものが大きく変わりました。
2022年に事務所を退所|テレビからネットへ活動の軸を移した
TikTokとYouTubeで手応えが出ても、しばらくはケイダッシュステージ所属の芸人として活動していました。
その状態を変えたのが2022年7月の事務所退所です。
自分で動画活動を決めるためケイダッシュステージを離れた
独立を考え始めたのは、TikTokを始めた2020年前後から徐々にだったと本人は説明しています。
ネットでは企画を思いついたときにすぐ動ける一方、芸能事務所に所属していれば、迷惑がかからないよう事前確認が必要になる場面もありました。
「テレビじゃなくネットで勝負したいので退所したい」
GetNavi web
事務所へ相談すると送り出してもらい、氏原さんは芸人として所属事務所から仕事を受ける形から、自分たちでネットの活動を動かす形へ軸足を移しました。
16年ぶりに実姉と再会し、成人後の家族との時間も動いた
同じ2022年には、家族との関係でも昔とは違う出来事がありました。
GGチャンネルでは8月に「不仲の実姉が16年ぶりに会いにきたのでカメラ回してみた」という動画を公開しています。
幼少期の家族構成と混ぜず、これは氏原さんがすでにネットで活動していた成人後の出来事として位置づけられます。
母親とも30歳ごろまで距離があった時期がありましたが、その後はきょうだいに子どもが生まれたことをきっかけに顔を合わせ、久しぶりにまともに話す機会が生まれたと本人が話しています。
宮迫博之との生配信でスパチャ額がデイリー世界1位に
事務所を離れて約2か月後の2022年9月21日、GGチャンネルの生配信には宮迫博之さん演じる「轟さん」がゲスト出演しました。
その配信で集まったスーパーチャットは94万6482円と報じられています。
非公式集計ながらデイリーランキング世界1位となり、芸人時代にはほぼ無名だった氏原さんの名前がネット発の実績とともに広がりました。
月収約3000円だった時期から、1回の生配信で100万円近いスパチャが集まるところまで約2年で状況が変わりました。
芸人時代の経験を動画へ|GGチャンネルから「うじとうえだ」へ
独立後の氏原さんは、一人だけで動画を作る方向へは進みませんでした。
サカモトさんとの関係を残しながら、芸人時代に知り合った人たちも制作側へ加えていきます。
元芸人をスタッフに迎え、笑いを動画として作る側にも回った
GGチャンネルでは、同じ事務所だった同期や元芸人をスタッフとして迎えています。
氏原さんは、芸人として過ごした約10年間について、TikTokで結果が出る前には無駄だったと感じていた時期があったと明かしました。
しかしネットへ移ってみると、芸人たちが積み上げてきた技術が動画の中でも通用することに気づいたといいます。
「笑いが起きる理由を言語化できるということだと思います。」
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元芸人の編集者やディレクターなら、偶然おもしろい映像になるのを待つだけでなく、どこで笑いが生まれるのかを考えながら組み立てられるという見方です。
売れなかったと感じていた芸人生活が、ネットへ場所を移した後には制作チームの技術として使われるようになりました。
2024年開始の「うじとうえだ」で長編の旅バラエティへ広がった
2024年9月には、放送作家の上田さんとYouTubeチャンネル「うじとうえだ」を始めました。
短い動画で瞬発的にキレるTikTokとは違い、「うじとうえだ」では国内外へ出かける長時間のロケ動画が中心になっています。
その中にはサカモトさんも頻繁に登場し、氏原さんが高校時代から知っている相手とのやり取りが、新しいチャンネルでもそのまま映像の一部になりました。
チャンネルは2026年には登録者100万人が目前となる規模まで伸び、GGチャンネルとはまた違う長編バラエティの場になっています。
高校時代から続くサカモトやDJ CHARIとの関係が現在にも残っている
現在の活動をたどると、昔の人間関係が何度も再登場します。
中学3年で最初に連絡を取り、高校で同じ電気科になったサカモトさんは、芸人の相方からGGチャンネルの出演者となり、「うじとうえだ」にも登場しています。
高校2〜3年ごろに浜松で一緒にラップを始めたDJ CHARIさんとも交流が続き、後年には大きな音楽イベントでも同じステージに名前が並びました。
氏原さんは2022年のインタビューで、芸人として結果が出なかったころを振り返りながら、目指す場所そのものは変えていないと話しています。
「方法を変えてトップを取りたい。」
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高校受験のころに選んだ「人を笑わせる仕事」は、漫才だけに形を固定せず、ラップ、TikTok、生配信、YouTubeの長編バラエティへと場所を変えながら続いています。
浜松で育ち、中学生のころにはサカモトさんと接点が生まれ、高校では芸人を目指して漫才とラップの両方に動き始めたブチギレ氏原さん。
大学進学を経てサカモトさんとコンビを組み、長い芸人生活のあと、2020年からTikTokと生配信へ舞台を移したことで状況が大きく変わりました。
現在もGGチャンネルや「うじとうえだ」の中には、高校時代の仲間や芸人時代に身につけた技術が形を変えて残っています。
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