黄色いスーツで声を張り上げ、ドッキリの仕掛け人へすぐさま言い返す姿で知られる、お笑いコンビ「きしたかの」の高野正成さん。
本名は旧字体の「髙野正成」で、1989年5月20日生まれの2026年8月現在37歳、ピンでは「たかのピエロ」の名でも活動しています。
- 父が居酒屋を営み、地域で剣道にも関わる家庭で育った。
- 4歳のころ、父の影響で福住剣友会に入り剣道を始めた。
- 現在の道につながる原点:養成・修業
現在の大声ツッコミからは想像しにくいものの、大学時代に考えていた進路は中学校・高校の社会科教員でした。
その前には4歳から始めた剣道があり、その後には相方・岸大将さんとの思い違いから始まった養成所生活と、芸人収入がほとんどない時期が続いています。
高野正成の生い立ちと家族|江東区深川で始まった剣道
高野正成さんの出身地は、所属するマセキ芸能社の公式プロフィールで東京都江東区と紹介されています。
本人はTBSラジオで地元をたどった際、江東区の深川を自分たちが育った場所として語っています。
深川の団地で、姉と弟に挟まれて育つ
高野さんは姉と弟がいる3人きょうだいの真ん中で、子どものころは深川の団地で暮らしていました。
父は東陽町周辺で居酒屋を営み、母とともに3人の子どもを育てていました。
父の影響で4歳から福住剣友会へ
4歳で父の影響から剣道を始めた高野さんは、地元の福住剣友会で竹刀を握りました。
江東区で1952年に創立された同会には高段者がそろい、高野さんの父も剣道を通じて地域の子どもたちと関わっていました。
父は高野さんと同じ江東区出身の松坂大輔さんへ剣道を教えたこともあり、松坂さんが注目された時期には営んでいた居酒屋へテレビ取材が入りました。
給食の「まいう〜」で笑いを取った小学生
剣道へ通う一方、小学校ではテレビで覚えた言葉を教室へ持ち込み、周囲を笑わせていました。
給食を食べて「まいう〜」と言うだけでも友達が笑い、本人は当時の立ち位置を次のように表しています。
「小学校で一番面白かったんです(笑)」
FRIDAYデジタル
テレビの人より面白いとまで言われていた高野さんは、卒業後、その仕組みを一度で見抜く同級生と出会います。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
深川第二中学校で岸大将と出会う
江東区立深川第二中学校へ進むと、1年生で岸大将さんと同じクラスになりました。
岸さんは入学前から、高野さんが小学校で「お笑いの天才」と呼ばれていたという話を人づてに聞いていました。
深夜番組の元ネタを見破られて友達になる
小学生のころの笑いには、周囲が見ていなかった深夜番組のギャグを使えるという秘密がありました。
岸さんも同じ番組を見ていたため、中学で高野さんのネタ元をすぐに見破ります。
お笑い番組が好きだという共通点が分かり、2人は友達になりました。
肉まんと天気の話をしていた4人組
友達になった2人は、さらに同級生2人を加えた4人組で過ごしていました。
そこで交わしていたのは、「この肉まんおいしいね」「今日は暖かいね」といった、ごく普通の会話です。
見たバラエティー番組の話はしても、岸さんがボケて高野さんがツッコむようなやり取りはなく、互いに別の友達を芸人へ誘ったこともありました。
いじられると言い返す姿にツッコミの原型があった
岸さんが覚えている中学生の高野さんは、友達からよくいじられる存在でした。
黙って受け流すのではなく、その都度きちんと言い返しており、高野さん自身もその形は現在に近かったと話しています。
ただし岸さんは当時、高野さんをいじっておらず、2人の間に現在のような掛け合いが生まれるのは芸人になってからでした。
中学の剣道でも東京都大会で結果を残す
学校で友達と過ごした後も剣道は続き、公式プロフィールには中学時代の東京都大会団体優勝が記録されています。
福住剣友会の選手として出場した2004年の東京都道場少年剣道大会では、中学生個人の部で準優勝しました。
笑いを取る教室での姿と、都大会で勝ち進む剣士の姿が、同じ中学生活の中にありました。
高野正成さんの出身地は、所属するマセキ芸能社の公式プロフィールで東京都江東区と紹介されています。
江東区立深川第二中学校へ進むと、1年生で岸大将さんと同じクラスになりました。
中学卒業後は、東京都杉並区にある國學院大學久我山高等学校へ剣道推薦で進学しました。
高校3年生になると団体戦メンバーに入り、東京都大会を制して全国大会へ進出しました。
2008年に高校を卒業した高野さんは、日本大学経済学部へ進みました。
國學院大學久我山高校|剣道推薦で全国大会へ
中学卒業後は、東京都杉並区にある國學院大學久我山高等学校へ剣道推薦で進学しました。
男子8クラス、女子4クラスに分かれた規模の大きい学校で、同学年には声優・俳優の石川由依さんと、キリン研究者の郡司芽久さんもいました。
高校3年で都大会団体優勝、校門に横断幕がかかる
高校3年生になると団体戦メンバーに入り、東京都大会を制して全国大会へ進出しました。
在学中に話したことがなかった同級生の郡司さんも、校門横の柵に掲げられた剣道部の全国大会出場を知らせる横断幕を覚えています。
卒業から16年後の2024年、3人は同級生として母校に集まり、それまで接点のなかった郡司さんは横断幕の選手が高野さんだったと知りました。
太鼓が鳴るまで約1時間続いた掛かり稽古
久我山の剣道部には、先生が太鼓を鳴らしてから次に鳴らすまで、互いに打ち続ける「太鼓」と呼ばれる掛かり稽古がありました。
本来は5分ほどが人間にできる限界に近い練習でしたが、先生が一度その場を離れ、部員たちは約1時間打ち続けることになります。
先生は時折のぞきに戻ってくるため手を抜くこともできず、高野さんは太鼓が再び鳴るまで竹刀を振りました。
「何事もいつかは終わるってことを学んだかもしれないですね」
Tarzan Web
日本大学時代|剣道四段と社会科の教員免許
2008年に高校を卒業した高野さんは、日本大学経済学部へ進みました。
大学でも剣道を続ける一方、卒業後の仕事として具体的に考えていたのは学校の先生でした。
大学卒業まで18年間、剣道を続ける
大学在学中に剣道四段を取得し、4歳から大学卒業までの競技歴は18年間に及びました。
中学と高校で東京都大会の団体優勝を経験しても競技を終えず、学生生活の最後まで稽古を続けています。
幼児期に父と始めた剣道を、成人後の四段取得まで続けたことになります。
学校の先生になるつもりで免許を取る
大学では教職課程を履修し、中学校教諭一種免許状と高等学校教諭一種免許状を社会科で取得しました。
お笑いは好きでも仕事にする話は進んでおらず、高野さんが見ていた卒業後の道は明確でした。
「そのまま先生になるつもりだった」
FRIDAYデジタル
岸の決意表明を「誘い」と受け取り、公園へ呼び出す
大学3年生のころ、岸さんは長く続けた水泳を引退し、大学も辞めて芸人になると地元の友達との飲み会で話しました。
帰り道、高野さんは岸さんへ電話をかけ、近くの公園へ呼び出します。
ベンチに座った岸さんへ「お前の気持ちは受け取った」と切り出し、自分もお笑いをやると返事をしました。
岸さんには単なる決意表明でしたが、高野さんは自分を相方に誘う言葉だと受け取っていたのです。
ワタナベコメディスクールから「きしたかの」結成へ
公園で話した後、高野さんは教員免許の取得を進めながら、芸人になるための場所を自分で探し始めました。
選んだのは、芸能事務所ワタナベエンターテインメントが運営するワタナベコメディスクールです。
翌週、養成所のパンフレットを持ってくる
岸さんの話を聞いた翌週ごろ、高野さんは養成所のパンフレットを持ってきて、「一緒に行こう」と伝えました。
岸さんはそこで初めて、高野さんの中では2人で組むところまで話が進んでいたと気づきます。
もともと別のタイプの相方を想像していた岸さんも、高野さんが熱湯風呂へ入っている姿を思い浮かべ、一緒なら面白いことができるかもしれないと考えました。
2012年に結成し、オーディションでマセキ芸能社へ
養成所で学んだ2人は、2012年4月1日に「きしたかの」を結成しました。
コンビ名は岸大将さんの「岸」と高野正成さんの「高野」をつないだもので、以後は岸さんがボケとネタ作り、高野さんがツッコミを担っています。
卒業後はオーディションを受けてマセキ芸能社へ入り、ライブの手伝いをしながら舞台へ立つ日々が始まりました。
三四郎との飲み会で、先輩へのツッコミが笑いになる
芸歴1年目、2人が手伝っていたライブに先輩コンビの三四郎が出演し、相田周二さんが初対面の2人を飲みに誘いました。
大学まで体育会系だった高野さんと岸さんは先輩後輩の関係を意識し、「好きなものを食べて」と言われても料理へ手をつけず、相田さんの話に相づちを打ち続けます。
相田さんから「一緒に飲んでも楽しくない」と言われ、次の機会に高野さんが先輩へ遠慮なくツッコむと、相田さんは笑って受け止めました。
ライブでは小宮浩信さんから長くいじられた高野さんが言い返し、客席が沸く場面も生まれ、先輩へ強く返す声が舞台上の笑いになる経験を重ねていきました。
下積み時代|弁当店の3時間と3年ごとの「契約更新」
コンビを組めばすぐ仕事が増えたわけではなく、生活の中心には長くアルバイトがありました。
高野さんは弁当店やラーメン店などで働き、岸さんと同じ職場へ入った時期もあります。
9マス弁当に休まずご飯を盛り続ける
弁当店で使っていた容器は9マスに分かれ、そのうち3マスへアイス用のスクープに似た道具でご飯を盛る仕事がありました。
高野さんはこの作業を休憩なしで約3時間続け、作業の速度も上げていきました。
別の作業も担当していた岸さんは、同じ動きを止めずに続ける高野さんを見て、なぜそこまで続けられるのかと驚いています。
ネット番組と小さなCMで3年ずつ続行を決める
芸人になった当初は3年ほどで売れると考え、2人の間では「テレビへ出られなければ辞める」といった短期目標を置きました。
最初の3年が近づいたころにネット番組のレギュラーが決まり、もう3年続ける理由ができます。
次の区切りまでには、主役の後ろを歩く小さな役ながらCM出演が決まり、2人はそのたびに3年単位の「契約更新」をするように活動を続けました。
仕事が消えた時期をライブと「チャンスの時間」でつなぐ
2018年夏には『ぐるぐるナインティナイン』内の「おもしろ荘」へ出演し、高野さんは放送前に本人のXで視聴を呼びかけました。
翌2019年にはピンで『R-1ぐらんぷり』準決勝まで進みましたが、コンビのメディア仕事が継続的に入る状態には届きませんでした。
仕事がほとんどない時期にもABEMA『チャンスの時間』だけは定期的に2人を呼び、ライブとアルバイトを続ける間の数少ない出演先になりました。
番組では、新型iPhoneを買うため発売4日前から表参道のApple Storeへ並ぶ企画にも参加し、長時間待った末に購入できないまま終了しました。
その様子には「#高野のiPhone」というハッシュタグが付き、Xのトレンドへ入る反響がありました。
「1〜2年前までは、芸人としての収入が基本的に“ゼロ”だったんですよ」
FRIDAYデジタル
YouTube「高野さんを怒らせたい。」で見つかったツッコミ
『チャンスの時間』で2人を見ていた一人が、元マセキ芸人の大河内敦揮さんでした。
舞台で磨いてきた高野さんの返しを、テレビ以外の場所から見せる動きが始まります。
元芸人・大河内敦揮が2019年秋に声をかける
大河内さんはマセキ時代の後輩で、芸人を辞めた後も2人と一緒にネタを考えたことがありました。
しばらく連絡が途切れてから『チャンスの時間』のロケを見て、こういう2人をもっと見られる場所を作ろうと2019年秋にYouTubeを提案しました。
最初の撮影は2020年1月、チャンネル開設は同年3月で、感染拡大を受けて急きょ始めた企画ではありませんでした。
2年間伸びず、2022年1月に「怒らせたい」へ転換
当初は2人の好きなものを題材にする予定でしたが、企画会議で尋ねても、そろって打ち出せる趣味が見つかりませんでした。
YouTuberがしそうなことをあえてしない動画などを約2年間続けても、登録者と再生数は大きく伸びませんでした。
岸さんが高野さんのツッコミを宣伝へ生かしたいと考え、大河内さんが「ツッコミ」を視聴者に伝わりやすい言葉へ置き換えた結果、「高野さんを怒らせたい。」という形が決まります。
2022年1月11日にリニューアル第1弾を公開し、岸さんと大河内さんが仕掛け、高野さんが何も知らずに巻き込まれる構成へ変わりました。
天気字幕の動画からテレビ出演と100万再生へ
手応えが表れた一本が、見ている映画の字幕がずっと天気の話になっているドッキリでした。
公開後は芸人仲間から「あれを見た」と声をかけられるようになり、業界内へ高野さんの反応が届き始めます。
2022年夏には『ラヴィット!』へ出演し、番組の待ち時間にもYouTubeチームの仕掛けが動いていました。
同年秋には初の100万再生を記録し、その動画を見た番組側から声がかかる流れができました。
「めちゃくちゃなことされて、人生を捻じ曲げられて有名になってきたんですよ、俺!」
coki
ネットで見つかった反応の速さと声量が『水曜日のダウンタウン』などの体当たり企画へ運ばれ、芸人としての収入で生活できる時期がようやく訪れました。
結婚、父との別れ、第一子誕生へ
YouTubeをきっかけに出演が増えた2023年、高野さんの家庭にも大きな変化が続きました。
同じ年には結婚があり、その前後に父との別れも経験しています。
2023年8月、芸人・まるゆかと結婚
2023年8月4日、高野さんはお笑いコンビ「ゆめまなこ」のまるゆかさんと結婚しました。
交際中には『チャンスの時間』が、まるゆかさんの両親へ結婚のあいさつに行く場面にも密着しています。
9月25日にまるゆかさんが結婚を公表し、入籍日と喜びを本人のInstagramへ記しました。
2023年前後、父との最後の会話は「任せたぞ、長男坊」
高野さんの父は2023年ごろに亡くなり、最期が近い時期に息子へ「任せたぞ、長男坊」と伝えました。
姉と弟に挟まれた真ん中の子でしたが、このとき父は高野さんを「長男坊」と呼び、高野さんは「わかった」と答えています。
2026年、第一子の誕生を控えて出演した『チャンスの時間』では、父の店を知る常連客や剣道の恩師を3か月かけて訪ねました。
そこで聞いた父は無口で穏やかな人で、高野さんは自分に近い性格だったのかもしれないと受け止めています。
「姉弟のこととお母さんのことは何とかします」
テレ朝POST
2026年、母と姉弟への約束を語り、第一子男児が誕生
2026年7月、高野さんとまるゆかさんの間に第一子となる男の子が誕生しました。
高野さんは出産に立ち会い、生まれる瞬間を見ることができたと、7月8日放送の冠ラジオ『きしたかののブタピエロ』で報告しています。
番組では子どもを「ドッキリプリンス」と呼び、長く仕掛けられる側だった高野さんの家庭へ、新しい家族が加わったことを伝えました。
剣道四段と耐久力を現在の仕事で見せる
現在は、剣道経験者が集まる番組で竹刀を握るほか、長時間の検証や脱出企画にも出演しています。
高校の「太鼓」で覚えた終わりを待つ感覚は、正解へたどり着くまで続く企画でも、高野さんがカメラの前に残るときの支えになりました。
剣道四段の技術と、同じ作業を止めずに続ける力は、子どものころから下積みまで別々の場所で積み上がり、いまは剣道番組と長時間企画の双方で現れています。
深川の団地で家族と暮らし、4歳で竹刀を握った日々が、高野正成さんの出発点でした。
教員になる準備をしていた大学時代、岸大将さんの言葉を自分への誘いだと受け取ったことで、進む道が芸人へ変わりました。
舞台とアルバイトを重ねた先でツッコミの見せ方が見つかり、現在は父から受け取った家族と、自分が築いた家族の間に立ちながら仕事を続けています。
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