アレン様の昔・若い頃|生い立ちと家族、少年院・17歳上京から現在まで

アレン様
ひと目でわかるプロフィール アレン様の昔・若い頃
あれんさま
出身地
高知県
生まれ年代
1990年代生まれ
活動ジャンル
タレント
キャリアの原点
自主活動・自主制作

「大物マダムタレント」「生きる幻」として、独特な言葉づかいや華やかなビジュアルとともにSNSで存在感を放っているアレン様。

2026年にはSNSの総フォロワー数が100万人を超える存在となっていますが、現在の姿にたどり着くまでには、高知で過ごした子ども時代、中学受験、いじめ、不登校、非行、少年院、高校中退、そして17歳での上京がありました。

現在のアレン様からは想像しにくい10代の出来事が、短い期間の中で次々と起きています。

芸能界へ入ったのもスカウトやオーディションが最初ではなく、本人がテレビ番組へ直筆の手紙を送ったことが入口でした。

アレン様の生い立ちと家族|高知で「周りと違う」と感じた子ども時代

アレン様は高知県で生まれ育ちました。

公開プロフィールでは高知県出身とされていますが、市町村単位の出生地までは明記されておらず、幼少期の回想では両親と暮らしていたころの出来事がたびたび登場します。

女の子っぽいものが好きだった小学生|ドッジボールでは意外な一面も

子どものころから、周囲の男の子たちが選ぶものより、ピンク色やキラキラしたものにひかれていたといいます。

学校では男の子がドッジボールやサッカーをしている横で女の子と過ごすほうが楽で、持ち物も周囲に合わせて青や黒を選ぶのではなく、自分が好きなものを持ちたい子どもでした。

一方で、後年テレビで昔の姿を振り返った際には、ドッジボールがかなり強かったという意外な一面も紹介されています。

ダンスも習っており、本人の公式ブログでは、小学生のころにダンス大会へ出るため髪を染めていた時期の写真や、小学6年生当時の写真も公開されています。

好きな色や遊び方まで周囲と少し違うことが、学校では目立つ理由にもなっていきました。

欲しかったローラーシューズを買ってもらうまで家出したことも

幼いころからこだわりはかなり強く、欲しかったローラーシューズを親に買ってもらえるまで家出したこともあったと、後年のインタビューで明かしています。

外食も子どものころから好きで、自分が欲しいものや好きなものがはっきりしているタイプでした。

2026年に両親について語った際には、当時の家庭を「ある意味、放任主義」と振り返っており、親がすべてを先回りして決める家庭ではなかったようです。

昔からの友人が覚える、安倍なつみに憧れて歌って踊った姿

高知時代を知る昔からの友人「なおちゃん」は、幼いアレン様がモーニング娘。の安倍なつみさんに強く憧れていた姿を覚えていました。

エアマイクを手に歌ったり踊ったりしていたといい、現在のステージ上とは規模が違っても、人前で表現することを楽しむ姿はすでに子ども時代に見られています。

「人生を変えたい」と中学受験|小学校の人間関係から離れる

小学校生活の中で人間関係に苦しむようになると、アレン様は卒業後も同じ顔ぶれが集まる地元の公立中学校へ進むことを避けようと考えました。

そこで小学生だった本人が自分から選んだのが、中学受験でした。

自分から塾へ通うも授業中に寝ることも|補欠から繰り上げ合格

受験のために通ったのは、本人によれば1回8000円ほどするマンツーマンの塾でしたが、強い危機感とは裏腹に、授業中に寝てしまうこともあったそうです。

試験結果は補欠合格でしたが、その後1人の辞退者が出たため、繰り上がりで入学できることになりました。

「小学校の友だちを捨てて、環境を全部変えたい」

双葉社 THE CHANGE

親に勧められた受験ではなく、自分から学校環境を変えるために選んだ進路でした。

12歳で「普通」に合わせようとした中学生活

知り合いがほとんどいない中学校へ入ると、12歳のアレン様は、それまでより周囲へ合わせようとしました。

自分の呼び方も周囲の男子に合わせ、女子から声をかけられたり、交際する相手ができたりと、入学直後は新しい人間関係が生まれています。

本人の公式ブログに残る中学1年生の制服姿にも、この時期は新しい環境へなじもうとしていたと記されています。

悪口を書いた紙が回り、帰宅すると母親が抱きしめて泣いた

ところが、交際していた女子との関係をきっかけに、クラス内での空気が変わっていきました。

机や椅子を離されたり、教科書を窓から投げられたり、後ろからコンパスで刺されたりし、授業中には本人への悪口を書いた紙まで回ってきたといいます。

教室を出て保健室で泣き、その日は学校から連絡を受けた母親が待っていました。

帰宅した本人を母親が抱きしめ、一緒に泣いたことを、アレン様はいまも覚えています。

一方で、周囲が離れていく中でも、別のクラスの友人が「味方でいる」という内容のメモを渡してくれたこともあり、その紙は長く実家に残していたそうです。

人生年表 アレン様の昔・若い頃さんの歩み
幼少期
アレン様の生い立ちと家族|高知で「周りと違う」と感じた子ども時代

アレン様は高知県で生まれ育ちました。

小学校
「人生を変えたい」と中学受験|小学校の人間関係から離れる

小学校生活の中で人間関係に苦しむようになると、アレン様は卒業後も同じ顔ぶれが集まる地元の公立中学校へ進むことを避けようと考えました。

中学校
13〜14歳頃に四国少年院へ|約2年間を過ごした中学時代

逮捕後すぐに少年院へ入ったわけではなく、警察での手続きや少年鑑別所、家庭裁判所を経て処遇が決まりました。

高校
高校へ進学するも17歳で中退|一人で東京へ

少年院での生活を終えたあと、アレン様は高知で定時制高校へ進学しました。

高校
高知の定時制高校へ進学し、17歳で中退

進学した高校の正式な学校名は本人の主要な公開プロフィールでは明らかにされていませんが、高知の定時制高校へ通っていたことは本人のインタビューで確認できます。

原点
番組へ直筆の手紙|2014年『私の何がイケないの?』でテレビデビュー

整形を重ねながら東京で暮らしていたころ、テレビで美容整形を扱う番組を見たことから、芸能界への入口が突然具体的になります。

原点
2014年3月の出演をきっかけにタレント活動が始まる

2014年3月24日、『私の何がイケないの?』へ出演し、テレビで知られるようになりました。

現在
現在のアレン様へ|言葉・高知・両親・SNSとの付き合い方

SNSやYouTubeで本人らしい話し方が知られるようになると、活動はテレビだけでなく書籍やイベントにも広がっていきました。

中学で非行へ|家に帰らず、T先生が何度も迎えに来た

不登校になったあと、学校から距離を置くだけでは状況は終わりませんでした。

自分をいじめた相手から怖がられる側になりたいと考えるようになり、仲のよかった不良グループと行動する時間が増えていきます。

髪を染めて学校へ戻ると、周囲の反応が変わった

髪を派手に染め、ピアスを開け、制服ではなく私服で学校へ姿を見せるようになると、それまでとは周囲の反応が変わりました。

本人は後年、いじめていた生徒たちを怖がらせたいという思いがあったと明かしており、学校へ戻る目的そのものが以前とは違っていました。

朝に帰って夕方起きる生活|両親と顔を合わせない日々

生活時間も大きく崩れ、家へ戻るのは両親が仕事へ出かけるころで、夕方に起きて外へ出るころには、まだ親が帰宅していないという日が続きました。

家へ1か月ほど帰らず、補導されて警察へ両親が呼ばれたときに久しぶりに顔を合わせたこともあったといいます。

迎えに来た親は無理やり家へ閉じ込めるのではなく、自分でしたことはいつか自分へ返ってくるという趣旨の言葉を伝えていました。

スウェットで登校して職員室で寝る|追いかけてくれたT先生

学校へまったく行かなかったわけではなく、寝間着のようなスウェット姿のまま、自転車で出席だけ取りに行くこともありました。

その格好では授業を受けられないと言われ、職員室の隅で眠り、放課後になって帰るという日もあったそうです。

そんな時期にも連絡を続け、自宅まで迎えに来たり、遊びに行きそうな場所まで探しに来たりしたのがT先生でした。

本人が学校から離れても、T先生は学校との接点を切らさずにいました。

「もうやめよう」と日記に書いた翌朝、警察が自宅へ来た

中学1年の途中から約1年、学校へ来ていない仲間たちと過ごし、万引きや無賃乗車などを繰り返して何度も補導される生活が続きました。

中学2年生になるころには学校での記憶も少なく、クラス替えのあとに登校したのは本人の記憶では1回ほどだったといいます。

逮捕される前日には、たまたま自宅へ戻り、昔から書いていた日記を開いていました。

「もうこういうことはやめよう」

文春オンライン『全てアレン様が正しいでございます』抜粋

ところが翌朝6時ごろ、両親から警察が来ていると知らされます。

この朝を境に、約2年半、自宅へ帰らない生活が始まりました。

13〜14歳頃に四国少年院へ|約2年間を過ごした中学時代

逮捕後すぐに少年院へ入ったわけではなく、警察での手続きや少年鑑別所、家庭裁判所を経て処遇が決まりました。

本人の説明では、逮捕した日から家へ帰れなかった期間が約2年半で、そのうち少年院で過ごしたのが約2年間です。

逮捕から鑑別所へ|その日から約2年半、自宅へ帰れなかった

逮捕後は留置所などを経て少年鑑別所へ入り、約1か月かけて少年院へ送致するかどうかの判断を受けました。

鑑別所では偶然、当時親しくしていた友人も収容されており、運動の時間に少し話したり、小さな窓越しに目で合図したりすることがあったそうです。

「少年院に2年半」ではなく、自宅へ帰れなかった全期間が約2年半、少年院生活そのものは約2年でした。

家庭裁判所を経て四国少年院へ|最初は一人部屋で生活

家庭裁判所には両親や学校の先生も来ており、そこで四国少年院への送致を告げられました。

そのまま車で少年院へ向かい、到着すると髪を短くされ、最初の10日ほどは単独で過ごす部屋へ入りました。

本人の回想では部屋は半畳ほどに感じる狭さで、そこで反省文を書き、幼少期からの自分や親、被害を受けた相手のことを紙へ書いていく時間が続きました。

13〜14歳ほどだったアレン様の生活は、ここで学校にも街にも自由に出られないものへ変わります。

朝7時起床、夜9時5分就寝|授業・作業・作文のある毎日

単独での生活を終えると「希望寮」という集団寮へ移り、20人あまりがいくつかの居室に分かれて暮らしていました。

朝7時に起きて点呼と朝食を済ませ、午前は授業、午後は行事や作業、夕食後は作文や読書をし、夜8時から1時間だけテレビを見ることができました。

就寝は夜9時5分で、入浴も毎日ではなく、夏は週3回、冬は週2回だったと振り返っています。

細かく決まった日課を繰り返すうちに、昼夜が逆転していた生活リズムも変わっていきました。

好きだった国語|作文発表にも力を入れた少年院時代

少年院での日課の中には、自分の過去を振り返って文章を書く作文の時間がありました。

もともと国語は好きだったといい、後年のインタビューでは、少年院時代に作文の発表会で最優秀賞を取った経験も明かしています。

SNSで独特な言葉を操る現在よりずっと前から、文章を書くこと自体は身近なものでした。

高校へ進学するも17歳で中退|一人で東京へ

少年院での生活を終えたあと、アレン様は高知で定時制高校へ進学しました。

ただし、そのまま高校卒業まで地元で過ごすことはありませんでした。

高知の定時制高校へ進学し、17歳で中退

進学した高校の正式な学校名は本人の主要な公開プロフィールでは明らかにされていませんが、高知の定時制高校へ通っていたことは本人のインタビューで確認できます。

そして17歳で高校を中退し、高知を離れることを決めました。

まだ10代のうちに一人で東京へ移り、地元で続いていた生活そのものを終えます。

地元を離れて上京|足立区のアパートでアルバイト生活

上京後は足立区のアパートで暮らし、アルバイトをしながら芸能界へ入る道を探していました。

後年には東京靴流通センターでアルバイトをしていた時期があったことも明かしており、最初から芸能活動だけで生活していたわけではありません。

17歳で上京した時点では、芸能事務所とのつながりも仕事の入口もない状態でした。

芸能界を夢見ても、東京にはコネも知り合いもいなかった

10代のころから芸能界への憧れはありましたが、本人が後年語っているように、高知から出てきた17歳に業界のコネや知り合いはいませんでした。

何か行動しなければ始まらないものの、何をすればテレビへ出られるのかも分からない状態で、東京での生活が続いていきます。

上京後に整形を始めた若い頃|外見を変えていった10代後半〜20代前半

上京後のアレン様を大きく知られるきっかけになったのが、美容整形でした。

現在は総額1億円以上を美容へ使ってきたことで知られていますが、その始まりは10代後半です。

地元で抱えたコンプレックスを背景に美容整形へ

小中学生時代に外見や振る舞いを理由にからかわれてきた経験があり、本人は後年、自分をいじめた相手に容姿やお金の面で負けたくないという気持ちもあったと語っています。

18〜19歳ごろには知人を通して富裕層が集まる場へ顔を出すようになり、双葉社のプロフィールでは19歳ごろに初めて美容整形を受けたとされています。

17歳で上京してから数年の間に、外見は少しずつ現在とは異なる方向へ変わっていきました。

整形費用を作りながら施術を重ねた若い頃

2026年にテレビ東京が過去の出演映像を振り返った際には、18〜19歳ごろに知人から紹介された集まりで支援者と知り合い、整形費用や生活費を出してもらっていた時期が紹介されています。

19〜22歳ごろの間だけでも、番組では顔の美容整形に約2500万円を使ったとされており、施術の回数も費用も増えていきました。

ただ、このころはまだ「アレン様」として広く知られる芸能人ではなく、東京で仕事をしながら芸能界へ入る方法を探している若者でした。

「整形前」「昔の写真」に残るギャル男時代

本人は公式ブログやテレビ番組で、小学生、中学生、10代後半のプリクラなど整形前から若い頃までの写真をたびたび公開しています。

髪形や服装も時期によって変わり、若いころにはギャル男風のファッションで過ごしていた姿も残っています。

番組へ直筆の手紙|2014年『私の何がイケないの?』でテレビデビュー

整形を重ねながら東京で暮らしていたころ、テレビで美容整形を扱う番組を見たことから、芸能界への入口が突然具体的になります。

それがTBS系『私の何がイケないの?』でした。

テレビの整形特集を見て、自分の経験を「武器」にできると考える

番組が美容整形を特集しているのを見たとき、すでに多額の費用を使い、見た目にも施術が分かる状態だった自分なら出演できるかもしれないと考えました。

「武器にできるかもしれない」

双葉社 THE CHANGE

美容整形を続けてきた事実を隠すのではなく、テレビへ出る材料として自分から差し出すことにしました。

写真を入れた直筆の手紙を、芸能事務所ではなく番組へ送る

選んだ方法は芸能事務所のオーディションへ申し込むことではなく、番組へ直接、直筆の手紙を送ることでした。

手紙には自分の写真も入れ、芸能事務所へプロフィールを送るような感覚でテレビ局へ届けたといいます。

返事が来る保証のない状態で、自分から番組へ出演を売り込みました。

杉並区のせんべい布団で受けた、数日後の非通知電話

手紙を出して数日後、当時住んでいた杉並区のアパートで横になっていると、携帯電話に非通知の着信がありました。

普段なら非通知には出ないのに、このときはなぜか電話を取ろうと思ったそうです。

相手は『私の何がイケないの?』のプロデューサーでした。

2014年3月の出演をきっかけにタレント活動が始まる

2014年3月24日、『私の何がイケないの?』へ出演し、テレビで知られるようになりました。

収録で話した内容が本人の意図とは違う形に編集されたことにはショックもあったと後年明かしていますが、テレビ出演そのものは芸能活動の入口になりました。

ただし、この一度の出演で現在のような人気がすぐに生まれたわけではありません。

テレビでくすぶった約6年|SNSで「素の自分」を出すまで

2014年のテレビ出演後も仕事が一気に増えたわけではなく、アレン様自身はその後に約6年間、なかなか見向きもされなかった時期があったと振り返っています。

テレビに出るために作られた人物像と、普段の本人との間にも少しずつ距離ができていました。

テレビ出演後も、なかなか注目されなかった時期が続く

17歳で上京し、番組へ自分で売り込み、テレビ出演まで実現したものの、その後しばらくは仕事が継続的に広がりませんでした。

女子SPA!のインタビューでは、足立区のアパートでアルバイトをしていたころから数えて、注目されない自分に劣等感を抱えた期間が6年ほどあったと語っています。

求められるキャラクターと普段の自分の間にあったズレ

テレビでは美容整形の話題を軸に強いキャラクターを求められ、SNSでも目立つために人へ強く突っかかるような発信をしていた時期がありました。

ところが、普段からアレン様を知る友人たちからは、私生活のほうが面白いのに、テレビやネットではなぜ構えてしまうのかと言われるようになります。

SNSで本人らしい動画を出すと「いいね」が10件から2500件へ

それまで見せていた少し格好をつけた自分をやめ、普段の話し方に近い動画をTwitterへ投稿することを決めました。

「本来の自分を出した動画をツイッターにアップしたんです」

双葉社 THE CHANGE

それまで10件ほどだった「いいね」が、その動画では約2500件まで増えたといいます。

テレビ用に整えた人物像より、普段の自分を出した動画のほうへ大きな反応が集まりました。

ここからSNS上で現在につながるアレン様の話し方やキャラクターが前面へ出ていきます。

2019〜2020年『アウト×デラックス』出演からYouTubeへ

フジテレビ系『アウト×デラックス』への初出演は、本人の公式ブログに残る出演歴では2019年9月12日です。

同年11月28日には「アウト軍団」として再び出演し、2020年にも複数回登場するようになりました。

テレビでの露出と並行して動画での活動も広がり、2020年末からはYouTube「整形ちゃんねる」でMCを務めるようになります。

2023年春には同チャンネルを離れ、その後は自身のYouTubeチャンネル「アレン様のゥットリ・ブチギレ人生」で発信するようになりました。

現在のアレン様へ|言葉・高知・両親・SNSとの付き合い方

SNSやYouTubeで本人らしい話し方が知られるようになると、活動はテレビだけでなく書籍やイベントにも広がっていきました。

一方で、成人後には長く離れていた高知や両親とも、子どものころとは違う距離で接するようになっています。

2024年に初の公式ファンブック|少年院で書いた作文から著書へ

2024年10月30日には、初の公式ファンブック『全てアレン様が正しいでございます』を発売しました。

同書では、これまでテレビで断片的に語られてきた中学時代のいじめ、非行、少年院などについても本人の文章で詳しく記されています。

2025年にはエッセーの刊行も続き、かつて少年院の作文発表で最優秀賞を取った本人が、今度は自分の言葉そのものを仕事として届ける機会が増えていきました。

2025年、故郷・高知へ|昔からの友人と過去をたどる

2025年にはABEMA『ダマってられない女たち season2』の密着で故郷の高知を訪れ、昔から知る友人とも再会しました。

子どものころに好きだったものや学校でのいじめ、その後の少年院生活まで、現在の本人が地元を歩きながら昔を振り返る機会になっています。

子どものころには早く環境を変えようとした土地へ、大人になって仕事で戻り、旧友と当時の出来事を話すまでになりました。

2026年は新たなYouTube番組も|両親とは外で食事してホテルへ

2026年4月にはYouTubeで『アレン様 美の暴走劇場』がスタートし、SNSや動画を軸にした活動はさらに続いています。

同年7月には両親との現在の関係についても語り、実家へ帰ることはあっても、ここ10年ほどは親と同じ家に泊まらず、最終的にはホテルへ宿泊していると明かしました。

「親とは1泊もしないって決めているんですよ」

ORICON NEWS

家の中で長時間一緒にいるより、外で会って食事をし、感謝を伝えて別れるほうが現在の親子には合っていると話しています。

中学生のころには生活時間がすれ違ってほとんど顔を合わせなかった両親と、現在は自分で距離を決めながら会う関係になっています。

高知で周囲との違いを感じていた子どもは、学校を変えようと中学受験を選び、その後は非行と少年院を経験しました。

17歳で東京へ出ると、整形を重ねながら自分でテレビ番組へ手紙を送り、やがてSNSでは作られたキャラクターではなく普段の自分を表に出すようになりました。

現在はその言葉や姿そのものを、テレビ、書籍、SNS、YouTubeへ広げながら活動しています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料

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