落合晃の生い立ちと家族|今津中・滋賀学園から駒澤大、日本記録と世界陸上へ

落合晃
ひと目でわかるプロフィール 落合晃
おちあいこう
出身地
滋賀県
生まれ年代
2000年代生まれ
活動ジャンル
陸上選手
性別
男性
キャリアの原点
学生時代から活動

男子800mで1分43秒45の日本記録を持つ落合晃さんは、2006年8月17日生まれで、2026年8月に20歳を迎えた駒澤大学の中距離選手です。

高校3年だった2024年に日本記録を樹立し、2025年には東京世界陸上へ出場、大学では大八木弘明総監督が率いるGgoatでトレーニングを続けています。

現在の姿だけを見ると早くから800mに絞ってきた選手にも見えますが、子どものころは水泳やスキー、体操、トライアスロンなどを経験し、今津中学校では1500mや駅伝、4×100mリレーにも出場していました。

日本記録までの道のりは、最初から800m一本で進んできたものではありません。

https://twitter.com/Ggoatpt/status/2089257044146880963

落合晃の生い立ちと家族|高島市で山や川を走り回った幼少期

落合晃さんは2006年8月17日生まれで、滋賀県高島市で育ちました。

小学校は高島市立今津北小学校に通い、琵琶湖や山々が身近にある環境で子ども時代を過ごしています。

今津北小までに体操・水泳・スキー・トライアスロンを経験

後年のインタビューでは、幼いころの高島市について、山や川を走り回って遊んでいたと振り返っています。

保育園では体操に取り組み、小学校へ上がる前には水泳も始めました。

さらに水泳のコーチがトライアスロンに取り組んでいたことから、自身も水泳・自転車・ランニングを組み合わせるトライアスロンを経験します。

ほかにもスキーや習字を習っており、一つの競技だけに多くの時間を使う生活ではありませんでした。

「小学生の頃は習い事だけで毎日がパンパン。頭の中がパニックでしたね(笑)。」

TOKYO FORWARD 2025

水の中、雪の上、自転車、ランニングと、幼い時期から体の使い方が異なる競技を経験していました。

本人は後年、こうした経験について、さまざまな筋肉や関節を使ったことや、水泳などで培った心肺機能が現在にも生きている部分があるのかもしれないと話しています。

父・母・5歳上の兄|スポーツが身近だった落合家

落合家は、家族それぞれがスポーツに親しんできた家庭でした。

父・正志さんはスキーでインターハイに出場した経験があり、母・幸子さんはソフトボールで滋賀県ベスト4まで進んだ経験があります。

5歳上の兄・亮さんも高校まで陸上を続け、滋賀県の強化選手になっていました。

水泳を始めた背景には両親、スキーには父、習字には兄の影響があり、子ども時代の習い事にも家族とのつながりがありました。

母の幸子さんによると、「晃」という名前には、覚えてもらいやすい名前にしたかったことや「晃」という漢字が好きだったことに加え、当時柴咲コウさんのファンだったことも関係していたそうです。

幸子さんは妊娠中からお腹の子に「スポーツのできる子になるように」と声をかけていたことも、後年の取材で明かしています。

兄の陸上を見ながら育ち、走ることが好きになった小学生時代

トライアスロンをしていた小学生のころ、3種目の中でも落合さんが好きだったのが走ることでした。

身近には陸上を続ける兄の姿もありましたが、この時点で陸上競技一本に絞ったわけではありません。

今津北小を卒業すると、地元の高島市立今津中学校へ進み、ここから陸上競技を本格的に始めます。

「走ることが好きだったのと、兄が陸上をやっていたから」

駒澤大学スポーツ新聞編集部

落合晃の中学時代|今津中で短距離と長距離の両方から800mへ

今津中へ入った落合さんは、現在のように800mだけを走っていたわけではありません。

短距離のスピードと長距離の持久力の両方を使いながら、自分に合う種目を探していきました。

中学で陸上部へ|1500m・駅伝・4×100mまで走った

中学1年では1500mなどを走り、800mの年次ベストは2分13秒95でした。

中学2年になると800mは2分02秒97まで縮まり、中学3年には1分56秒87を記録します。

一方で1500mや学校の駅伝にも出場し、短距離側では4×100mリレーにも加わっていました。

長い距離を走ることも、スピードを出して走ることも好きだったため、この段階ではどちらか一方だけに適性を決める必要がありませんでした。

全国を目指して顧問と相談|中2から800mへ絞った理由

転機になったのは、中学2年ごろに800mで結果が出始めたことでした。

全国大会を目指す段階で顧問と相談すると、持久力とスプリント力の両方を使える種目として800mが候補に上がります。

本人も短距離と長距離の両方に自信を持っていたため、二つの特徴を同時に生かせる800mへ重点を移していきました。

中学3年の2021年には滋賀県中学記録となる1分56秒87を出し、近畿大会でも800mを制して全国大会の出場資格を得ます。

全中を欠場した夏のあと、U16・1000mで全国4位

全国中学校陸上競技選手権への出場権をつかんだものの、中学最後の夏は本人も新型コロナウイルスに感染し、本番を走ることができませんでした。

当時は大会そのものが開催されない時期もあり、競技会へ出られることを当然とは考えなくなったと後に話しています。

「開催してもらえる事が当たり前じゃないな」

TBS NEWS DIG

その年の10月、U16大会の男子1000mへ出場し、2分32秒15で全国4位に入りました。

これが落合さんにとって初めて走ることのできた全国舞台となりました。

高校へ進んでからは3年間欠かさず陸上日誌を書き、その中にも「感謝」という言葉を何度も記すようになります。

人生年表 落合晃さんの歩み
幼少期
落合晃の生い立ちと家族|高島市で山や川を走り回った幼少期

落合晃さんは2006年8月17日生まれで、滋賀県高島市で育ちました。

中学校
落合晃の中学時代|今津中で短距離と長距離の両方から800mへ

今津中へ入った落合さんは、現在のように800mだけを走っていたわけではありません。

高校
落合晃の高校時代|駅伝を走りたくて滋賀学園へ

中学卒業後も落合さんの中には駅伝を続けたい気持ちがあり、進路には滋賀学園高校を選びました。

高校
落合晃が高校3年で日本記録へ|パリ五輪を逃した1か月後の1分44秒80

高校3年になった2024年は、それまでの自己記録を少しずつ縮めるシーズンではありませんでした。

学生時代
兄の陸上を見ながら育ち、走ることが好きになった小学生時代

トライアスロンをしていた小学生のころ、3種目の中でも落合さんが好きだったのが走ることでした。

学生時代
落合晃が駒澤大学を選んだ理由|駅伝ではなく世界へ向かった進路

高校2年まで駅伝にも取り組んできた落合さんにとって、卒業後の進路は競技人生の次の分岐点になりました。

学生時代
落合晃の大学時代と世界陸上|日本記録1分43秒45まで

駒澤大学へ進んでからは、授業、寮生活、大学陸上部、Ggoatでのトレーニングを並行する生活が始まりました。

学生時代
大学1年で日本選手権連覇、東京世界陸上の代表に

大学最初のシーズンは、4月の日本学生個人選手権で1分45秒88の大会新記録を出して優勝しました。

落合晃の高校時代|駅伝を走りたくて滋賀学園へ

中学卒業後も落合さんの中には駅伝を続けたい気持ちがあり、進路には滋賀学園高校を選びました。

高校で800mだけに専念するためではなく、全国高校駅伝の都大路も走りたいと考えての進学でした。

都大路を目指して進学|強い先輩たちと始まった高1

滋賀学園を選ぶ際には、後に駒澤大学へ進む安原海晴さんら、力のある先輩たちと練習したいという思いもありました。

陸上部は長距離を中心とする選手が多く、中距離を専門にする落合さんは、全員と同じ練習をする時間と自分だけ別のメニューをこなす時間を持つようになります。

1年目の年末には全国高校駅伝のメンバーにも入り、都大路の2区を走りました。

現在は800mの日本記録保持者として知られていますが、高校最初のシーズンには駅伝の全国舞台も経験していたことになります。

高1で好記録を出す一方、初インターハイでは予選敗退

2022年6月の近畿高校総体では、800mを1分50秒19で制しました。

当時の高校1年生として非常に速い記録でしたが、初めて出た全国インターハイでは予選を突破できませんでした。

本人は当時、上級生の後ろについてレースを進めることが多く、全国大会では周囲を強く意識して前の位置で走れなかったと振り返っています。

全国で勝つためには、誰かについていくだけでは足りないという課題が残りました。

寮生活と一人でこなす中距離練習|洗濯から陸上日誌まで

滋賀学園では親元を離れ、寮生活を送りました。

競技場では中距離の専門メニューを一人で行うことがあり、寮へ戻れば自分の洗濯も自分で済ませます。

高校2年時の取材では、洗濯を面倒に感じながらも自分でやるしかないと話し、休みの日には寝たり、寮の仲間と話したりして過ごしていました。

冬には長距離メンバーと走り込み、1回の練習で20kmや25kmを走ることもありました。

ただ距離を踏むだけではなく、駅伝やロードレースでは周囲の選手を利用して力をためる感覚を覚え、トラックシーズンが近づく2月ごろから再び別メニューへ切り替えています。

練習では下駄を履き、接地のバランスや体幹を意識するメニューにも取り組んでいました。

高校生活の間は陸上日誌を3年間欠かさず書き続け、日々の練習や競技への思いも残しています。

実家へ帰省したときには、母・幸子さんが落合さんの好物だったハンバーグを作るのが定番になっていました。

前で走るスタイルへ変え、高2インターハイ800m優勝

高校2年になると、1年目の全国大会で残った悔しさをレースの仕方へ反映させます。

「2年生では、積極的に前で走ると決めて」

月陸Online

前から押し切るためのスタミナを増やし、終盤でもう一段スピードを上げられるように練習しました。

2023年の北海道インターハイでは、男子800mを1分47秒92の大会新記録で制し、1500mでも6位に入りました。

同年8月にはモンゴル・ウランバートルで行われた東アジアユース競技大会へ日本代表として出場し、標高約1500mの競技場で1500mを4分08秒00で優勝しています。

https://twitter.com/jaaf_official/status/1693829589267853654

この年には5000mでも14分42秒72を記録しており、800mの選手でありながら長い距離を完全に切り離していたわけではありません。

高校2年のシーズンが終わるころには、大河亨監督と翌年の目標について話し、800mの日本記録だけでなくパリ五輪も視野に入れるようになりました。

落合晃が高校3年で日本記録へ|パリ五輪を逃した1か月後の1分44秒80

高校3年になった2024年は、それまでの自己記録を少しずつ縮めるシーズンではありませんでした。

春から日本のトップ選手と争い、世界大会と五輪の参加標準記録を追うシーズンへ一気に変わっていきます。

U20アジアから日本選手権優勝へ|パリ五輪を目指した春

4月にはアラブ首長国連邦で開催されたU20アジア選手権へ出場し、800mで優勝しました。

https://twitter.com/jaaf_official/status/1783386083046330507

5月3日の静岡国際では1分46秒54を記録して当時の高校・U20日本記録を更新し、シニア勢を相手に優勝します。

6月の日本選手権では、予選から1分45秒82の大会新・U20日本新を出しました。

翌日の決勝でも先頭を走り続け、1分46秒56で日本選手権初優勝を果たします。

それでも本人が狙っていたパリ五輪の参加標準記録は1分44秒70で、優勝しても五輪には届きませんでした。

「パリオリンピック出場は無理なのかって…本当に悔しいの一言でした」

あすリートチャンネル

日本選手権後は1〜2週間休養|監督からはIH欠場案も

日本選手権の大舞台を終えると、落合さんには大きな疲労が残りました。

大会後は1〜2週間、まったく走らずに休むほどの状態になり、大河監督からは無理をせずインターハイを欠場してもいいという話まで出ています。

それでも前年に続く800mの2連覇を望み、本人は出場する意思を監督へ伝えました。

そこから残された2〜3週間で状態を整え、7月31日の福岡インターハイ決勝へ向かいます。

2連覇を選んだインターハイで1分44秒80の日本記録

決勝では序盤から速い流れとなり、落合さんは先頭争いに加わりました。

最後は留学生選手との競り合いとなり、直線で前へ出てフィニッシュします。

電光掲示板に表示されたタイムは1分44秒80でした。

それまで川元奨さんと源裕貴さんが持っていた1分45秒75を0秒95更新し、日本人として初めて1分45秒を切る800mになりました。

1〜2週間走らない休養を挟み、インターハイ欠場案まで出ていた約1か月前から、結果は日本記録まで動いていました。

ペルーへ渡り、U20世界選手権800mで銅メダル

インターハイの約1か月後には、ペルー・リマで開かれたU20世界陸上競技選手権へ向かいました。

800mで日本選手として初めて同大会の決勝へ進み、決勝では1分47秒03で3位に入ります。

高校3年の夏にU20世界選手権の銅メダルまで届きました。

「今回のレースは楽しんで走ることが目標だった」

日本陸上競技連盟

レース後には、翌2025年に東京で開催される世界陸上の日本代表に選ばれ、そこで結果を残したいという次の目標を口にしました。

落合晃が駒澤大学を選んだ理由|駅伝ではなく世界へ向かった進路

高校2年まで駅伝にも取り組んできた落合さんにとって、卒業後の進路は競技人生の次の分岐点になりました。

選んだのは箱根駅伝でも知られる駒澤大学でしたが、中心にあったのは800mで世界を目指すための環境でした。

高3で世界志向が強まり、大河監督から大八木総監督へ

高校3年になって800mのタイムが大きく伸びると、本人の中では世界で戦いたいという思いが強くなっていきます。

そこで滋賀学園の大河監督が名前を挙げたのが、駒澤大学陸上競技部の大八木弘明総監督でした。

大河監督から大八木総監督へ育成を頼む形で話がつながり、大学側からも直接話を聞くようになります。

当時の落合さんにとって大八木総監督は、箱根駅伝などで見る「テレビの中」の人物に近く、初めて話したころは緊張していたそうです。

駒澤大学の新入生インタビューでは、滋賀学園の先輩である安原海晴さんから話をもらったことに加え、最終的には駒澤大学が最も熱意を示してくれたことも進学理由として挙げています。

卒業直後、入寮約1週間でアルバカーキ高地合宿へ

2025年3月、滋賀学園を卒業した落合さんは、大学の入学式を迎えるより先に駒澤大学の寮へ入りました。

ところが新しい寮での生活に慣れる前に、入寮から約1週間でアメリカへ出発します。

向かったのは標高約1900mにあるニューメキシコ州アルバカーキで、自身初の本格的な高地合宿でした。

酸素の薄い環境で約3週間過ごし、練習では中距離用の別メニューに取り組みながら、練習外ではGgoatのメンバーと一緒に生活しました。

大学の入学式を迎えた時点では、本人が「まだ寮生活に慣れていない」と答えるほど、入寮直後から環境が次々と変わっていました。

長距離の名門で一人の800m選手|Ggoatの個別練習

駒澤大学では経済学部経済学科に在籍しながら陸上競技部に所属し、大八木総監督が指導するGgoatでも練習を始めました。

ウォーミングアップなどは長距離のメンバーと行いますが、そこから先は800m用の個別メニューになる日があります。

400mや600mの設定は高校時代より2〜3秒ほど速くなり、同じ種類の練習でも求められる質が上がりました。

一人で行うメニューでは、大八木総監督がペース走で横を走ることもあります。

それでも高校時代から中距離選手がほぼ一人で、別メニューをこなすことに慣れていたため、「長距離選手に囲まれて一人だけ800mの練習」という環境自体には大きな戸惑いがありませんでした。

落合晃の大学時代と世界陸上|日本記録1分43秒45まで

駒澤大学へ進んでからは、授業、寮生活、大学陸上部、Ggoatでのトレーニングを並行する生活が始まりました。

高校卒業時に目標としていた東京世界陸上は、大学1年のうちに現実の舞台になります。

大学1年で日本選手権連覇、東京世界陸上の代表に

大学最初のシーズンは、4月の日本学生個人選手権で1分45秒88の大会新記録を出して優勝しました。

5月の静岡国際では1分45秒16まで縮め、当時の自身の日本記録1分44秒80に次ぐタイムを記録します。

7月の日本選手権では予選を1分47秒13で通過しました。

https://twitter.com/jaaf_official/status/1941072824577523957

決勝では1分45秒93で勝ち、高校3年だった前年から続く日本選手権2連覇を達成しました。

そして19歳になった2025年9月、東京で開催された世界陸上の男子800m日本代表として国立競技場へ向かいます。

東京世界陸上800m予選を走り、世界とのレースを経験

2025年9月16日の男子800m予選では5組に入り、世界のトップ選手と同じスタートラインに立ちました。

記録は1分46秒78で組7着となり、準決勝には進めませんでした。

https://twitter.com/jaaf_official/status/1967924077726929013

高校3年のU20世界選手権では同世代を相手に銅メダルまで進みましたが、東京では初めてシニアの世界選手権で800mを走ることになりました。

中学で800mを選んでから4年ほどで、全中を走れなかった選手の時間軸は、シニア世界選手権の予選まで進んでいました。

2026年に日本記録を再更新|1分43秒45へ

大学2年を迎えた2026年、800mの記録はもう一段動きます。

5月3日の静岡国際で1分43秒90を記録し、高校3年から約1年9か月保持していた自身の日本記録1分44秒80を更新しました。

日本人として初めて800mで1分44秒の壁を突破したレースでした。

さらに27日後の5月30日、駒澤大学の練習拠点にも近い世田谷で行われたMIDDLE DISTANCE CIRCUITの800mへ出場します。

そこで記録したのが、現在の日本記録である1分43秒45でした。

https://twitter.com/Ggoatpt/status/2060636966270685659

高校3年の1分44秒80から、大学2年では同じ5月だけで1分43秒90、1分43秒45と二度更新することになりました。

7月にはモナコでダイヤモンドリーグに出場し、1000mでも2分15秒24の日本記録を樹立しています。

駅伝への興味を残しながら、800mを軸に世界へ

駒澤大学にいることから箱根駅伝との関係も注目されますが、本人は800mと箱根の距離には大きな違いがあると話しています。

駅伝への興味そのものは残っているものの、現在は「出たい」という気持ちより、チームを応援する側の思いが強くなっています。

その一方で800mの両隣にある距離も強化しており、2026年には1500mを3分38秒60まで縮め、1000mでは日本記録を出しました。

小学生時代に複数のスポーツを行い、中学では短距離と長距離の間を行き来していた走りは、現在も800mだけで完全に閉じたものにはなっていません。

高島市で山や川を走り回っていた子ども時代から、今津中で800mを選び、滋賀学園では駅伝と中距離の両方を経験しました。

高校3年に世界を目指す進路へ舵を切ると、駒澤大学とGgoatへ移り、シニアの世界陸上まで進みました。

その先で20歳を迎えた現在、800mの時計は1分43秒45まで進んでいます。

参考・出典 この記事で参照した主な資料

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