女子800mで1分59秒52の日本記録を持つ久保凛さんは、2026年から積水化学に所属する中距離ランナーです。
高校2年で日本女子初の800m1分台へ入り、高校3年では東京世界陸上にも出場しました。
- 小学生時代はサッカーに打ち込み、中学から本格的に陸上競技を始めた。高校進学後は母ときょうだいの住む大阪の家から通学した。
- 中学時代の走りを見た東大阪大敬愛高校の指導者から声がかかり、高校進学が競技飛躍の転機になった。
- 現在の道につながる原点:学生時代から活動
これだけを見ると、幼いころから陸上一筋だった選手を想像しますが、久保さんが小学校時代に熱中していたのは陸上ではなくサッカーでした。
中学で陸上部に入ってからも、当初は走ることがそれほど好きではなく、祖母に「試合に出たくない」と話す時期がありました。
そこから中学日本一、高校日本一、そして日本記録へと進んでいく過程には、サッカー一家で育った環境や、祖母との陸上、和歌山から大阪へ移った高校生活が重なっています。
久保凛の生い立ちと家族|和歌山・串本で育ったサッカー少女
久保凛さんは2008年1月20日、和歌山県串本町に生まれました。
家族には父、母、兄、弟がおり、兄と弟もサッカーをしていたことが報じられています。
さらに父・建二郎さんもサッカー経験者で、久保さんにとってボールを蹴ることは身近な環境にありました。
父や兄弟と同じように小学生の6年間はサッカーを続けた
久保さん自身も小学1年から6年まで串本JFCでサッカーを続け、主に右ミッドフィルダーとしてプレーしました。
和歌山県U-12トレセンメンバーに選ばれた経験もあり、単に家族についてサッカーをしていたという程度ではありません。
当時好きだった選手として、なでしこジャパンで活躍した澤穂希さんやブラジル代表のネイマールを挙げています。
一方、後年の取材では自分を「結構、インドア派」と表現しており、外でスポーツをする一方で家で過ごすことも好きな子どもでした。
サッカーを続けるうちには、身体の接触がある競技よりも自分の走力を生かせる競技のほうが合っていると感じるようになっていきます。
祖母の陸上クラブへ通い、駅伝で走る楽しさを知った
サッカーと並行して久保さんを陸上へつないだのが、祖母・浩子さんでした。
浩子さんは陸上クラブを指導しており、久保さんは小学校低学年のころからサッカーのない日にクラブへ顔を出していました。
最初から800mを走っていたわけではなく、ハードルにも取り組んだ時期がありますが、本人は後に自分には向いていなかったと振り返っています。
小学校高学年になると駅伝大会にも参加し、区間賞を獲得するようになりました。
小学生の久保さんにとって、サッカーと陸上はどちらか一方ではなく、しばらく並行して存在していました。
久保建英はいとこ|父同士が兄弟という家族関係
久保凛さんとサッカー日本代表の久保建英さんはいとこです。
凛さんの父・建二郎さんの兄が、建英さんの父にあたります。
久保さんは高校1年時の取材で、建英さんとは最近会っていないとしたうえで、世界で活躍する姿から刺激を受けていることを話しています。
「私も世界で活躍できるようになりたい」
スポニチ Sponichi Annex
ただし、久保さんが陸上を始めた直接のきっかけは建英さんではなく、祖母の陸上クラブと本人自身の競技経験でした。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
潮岬中学校で陸上へ|「帰りたい」と泣いた時期から全中日本一へ
小学校を卒業すると、久保さんは串本町立潮岬中学校へ進み、本格的に陸上競技を始めます。
ところが、ここでサッカーへの気持ちがきれいに消えたわけではありませんでした。
サッカー部を横目に見ながら陸上部を選んだ中学1年
中学では最初にハードル種目へ取り組み、その後、中学1年の途中から中距離へ移っています。
陸上部で練習しながら、サッカー部が活動する姿を羨ましく見ていた時期もありました。
「中学時代はそんなに走ることが好きじゃなかったんです」
月陸Online
現在の日本記録保持者からは想像しにくいものの、中学に入った時点では「陸上選手になる」と気持ちを固めていたわけではありませんでした。
試合に出たくない久保凛を支えた祖母とのやり取り
大会へ一人で出ることに心細さを感じ、祖母に「試合に出たくない」とこぼすこともありました。
別の取材では、試合会場で「帰りたい」と泣くこともあったと紹介されています。
浩子さんはそんな孫に対して、嫌ならサッカーをやればいいという趣旨の言葉をかけました。
一方で、陸上を始めたころには祖母と「日本一」を目指す約束もしていました。
中学3年で全中800m優勝、祖母との「日本一」の約束を果たす
中距離へ移ってから少しずつ結果が出始め、中学3年だった2022年には全日本中学校陸上競技選手権大会の女子800mで優勝しました。
陸上を始めたころに祖母と交わしていた「日本一」の約束を、中学生のうちに実現したことになります。
このころには、高校でも陸上を続けることを考えるようになっていました。
後に久保さんは、高校でも続けると決めたことで「自分の可能性を見てみたい」「ちゃんとやって強くなりたい」と考えるようになったと話しています。
都道府県女子駅伝で8人抜き、ドルーリー朱瑛里との差を意識する
高校進学直前の2023年1月には、全国都道府県対抗女子駅伝にも出場しました。
同大会では区間2位のタイムで8人抜きを見せています。
同学年には、この大会で17人抜きを演じて注目されたドルーリー朱瑛里さんがいました。
久保さんは高校1年のインターハイ後、中学時代にはドルーリーさんへ「足元にもおよばなかった」と感じていたことを明かしています。
和歌山県串本町。 小学生時代はサッカーに打ち込み、中学から本格的に陸上競技を始めた。高校進学後は母ときょうだいの住む大阪の家から通学した。
THE ANSWER|監督が惚れ込んだインハイ3連覇・久保凛の強さ久保凛さんは2008年1月20日、和歌山県串本町に生まれました。
小学校を卒業すると、久保さんは串本町立潮岬中学校へ進み、本格的に陸上競技を始めます。
2023年春、久保さんは東大阪大学敬愛高校へ進学しました。
高校1年の夏、北海道インターハイ女子800m決勝では、残り200mから順位を上げ、最後の直線で先頭に立ちました。
高校2年になると、久保さんのレース相手は高校生だけではなくなっていきます。
高校3年になった2025年も、久保さんは800mを中心に国内外の大会へ出場しました。
東大阪大敬愛高校へ|和歌山を離れて始まった3年間
2023年春、久保さんは東大阪大学敬愛高校へ進学しました。
それまで暮らしていた和歌山県串本町を離れ、高校時代は母や兄弟と大阪府吹田市で生活し、父は串本で仕事を続けていました。
「ここなら強くなれる」名門校を進路に選んだ理由
東大阪大敬愛高の野口雅嗣監督は、久保さんが中学生だったころから走りに注目していました。
中学2年時の近畿総体を動画で見て将来性を感じ、その後の全国大会を見て力を確信したとされています。
中学3年の春には練習見学へ進み、久保さん自身も「ここなら強くなれるかもしれない」と感じました。
野口監督からは、日本トップで活躍し、世界へ羽ばたこうという言葉もかけられています。
練習量も環境も変わり、入学直後は心身にストレスを感じた
地元の中学校から全国レベルの選手が集まる高校へ移ると、練習の質も量も一気に変わりました。
久保さんは高校卒業前のインタビューで、入学直後は環境の変化も重なり、心身にストレスを感じていた時期があったと明かしています。
しかも高校入学時に掲げていた800mの目標は、2分07秒切りでした。
後に1分台へ入る選手ですが、この時点では日本記録を目標に高校生活を始めていたわけではありません。
高校1年でインターハイ800m優勝、日本トップへ近づく
高校1年の夏、北海道インターハイ女子800m決勝では、残り200mから順位を上げ、最後の直線で先頭に立ちました。
タイムは2分06秒41で、1年生ながら高校日本一になっています。
「まさか1年目から勝てるとは」
月陸Online
中学時代は弱点だと感じていたラスト局面を練習で強化し、それが全国大会の勝負どころで出ました。
同じ2023年8月には日韓中ジュニア交流競技会にも出場し、初めて日本代表として海外選手と同じレースを走っています。
高校2年で800m日本記録|2分07秒が目標だった選手が1分台へ
高校2年になると、久保さんのレース相手は高校生だけではなくなっていきます。
2024年春には日本グランプリシリーズでシニアのトップ選手と競い、結果を重ね始めました。
田中希実とのレースを経てシニア選手の中でも勝てるようになる
4月の金栗記念では、久保さんが以前から憧れの選手として名前を挙げていた田中希実さんらと800mを走り、勝利しました。
5月の静岡国際では2分03秒57を記録し、当時のU18日本記録を更新しています。
高校の野口監督は、久保さんに周囲と同じメニューをそのまま課すのではなく、独自のメニューを与え、練習では一人で走らせることも多くありました。
2023年末には野口監督から、翌年の800mでパリ五輪を目指そうという話も出るようになっていました。
日本選手権初出場で優勝し、その2週間後に日本女子初の1分台
2024年6月の日本選手権では、高校2年生で女子800mを制しました。
その約2週間後の7月15日、奈良県で行われた競技会で1分59秒93を記録します。
日本女子選手として初めて800mで2分の壁を破り、19年間更新されていなかった日本記録を塗り替えました。
高校入学時には2分07秒切りを目標にしていた久保さんが、約1年半後には1分59秒台へ入っています。
U20世界選手権で初めて世界の決勝を走る
同年8月にはペルー・リマで開催されたU20世界選手権に出場しました。
800mで決勝まで進み、2分03秒31で6位に入賞しています。
国内の高校大会だけを走っていた前年から、わずか1年で日本選手権、日本記録、U20世界選手権決勝まで舞台が広がりました。
高校3年で世界陸上へ|日本記録更新と初めての世界選手権
高校3年になった2025年も、久保さんは800mを中心に国内外の大会へ出場しました。
そのシーズン最大の目標の一つが、東京・国立競技場で開催される世界陸上でした。
1分59秒52へ日本記録を更新し日本選手権2連覇
2025年7月5日の日本選手権女子800m決勝では、世界陸上の参加標準記録1分59秒00を意識し、前半から速いペースで入りました。
400mを約59秒で通過し、そのまま先頭で走り切って1分59秒52を記録しました。
前年に自分で作った日本記録を0秒41更新し、日本選手権も2連覇しました。
参加標準記録の1分59秒00には届かなかったものの、その後ワールドランキングによって世界陸上の出場権を得ます。
高校生で東京世界陸上に出場し、予選敗退で涙を流す
2025年9月、久保さんは17歳で東京世界陸上の女子800mに出場しました。
世界選手権の800mに出場した日本女子としては4人目で、久保さんにとって初めてのシニア世界大会でした。
大会前には、初めての舞台を楽しみながら自己ベストを狙い、ファイナルへ残りたいという目標を掲げています。
しかし予選は2分02秒84の組7着となり、準決勝へ進むことはできませんでした。
日本記録を持って国立競技場へ戻った高校3年生にとって、世界のレースは国内大会とは違う結果になりました。
高校最後の1年を終え、卒業後の環境を選び始める
高校3年間を振り返った取材では、撮影の際に制服のリボンを学校指定の別デザインへ替えながら、「卒業する実感がまだ湧かない」と話す場面もありました。
全国タイトルや日本記録を持つ選手である一方、学校では卒業を控えた高校生としての時間も過ごしていました。
2026年2月には東大阪大敬愛高校を卒業し、久保さんと野口雅嗣監督が高校3年間を振り返るロングインタビューも公開されています。
久保凛の進路は積水化学|大学ではなく競技専念の道を選んだ理由
高校卒業後の進路として久保さんが選んだのは、大学ではなく積水化学でした。
2026年4月に積水化学へ入社し、女子陸上競技部「セキスイフェアリーズ」に所属しています。
大学進学より「800mでもっと強くなる」環境を優先
進路について久保さんは、大学へ進むか実業団へ進むかで長く迷っていたわけではありませんでした。
「800メートルでもっと強くなりたい」
日刊スポーツ
自分が最も強くなれると考えた環境が、積水化学とTWOLAPSでした。
別の取材では、進路を考える際に「大学というのはなかった」とも話しています。
高校を卒業したら大学へ進むという一般的な流れより、800mで世界へ近づける環境を優先しました。
横田真人コーチの指導を求めてTWOLAPSへ
進路選択の大きな理由になったのが、男子800mでロンドン五輪に出場した横田真人さんの存在です。
積水化学側から声をかけられた久保さんは、800mで世界を経験した横田さんに指導してもらいたいと考えました。
進路を固めた時期については、2025年の東京世界陸上前後だったと本人が振り返っています。
高校時代を支えた野口監督のもとから、世界経験を持つ800mの専門家のもとへ環境を移したことになります。
母と愛犬も東京へ、新社会人として生活環境も変わる
競技拠点が東京へ変わるため、生活面も高校時代から大きく変わりました。
久保さんは母親がしばらく東京で一緒に暮らし、自分が家事をできるようになるまで支えてくれる予定だと話しています。
さらに、シーズーの雄「ふうた」も一緒に東京へ移りました。
ふうたについては、帰宅すると寄ってくる一方、それ以外は距離を取ることもある「ツンデレ系」と紹介しており、高校時代から久保さんにとって癒やしの存在でした。
積水化学で始まった社会人生活|世界で勝つための次の段階へ
2026年春からは積水化学所属・TWOLAPSで活動する新しい競技生活が始まりました。
高校時代に記録が急上昇した一方、社会人最初のシーズンは最初から順調に進んだわけではありませんでした。
社会人デビュー戦の涙から日本選手権3連覇へ
2026年5月10日の木南記念が社会人としての初戦となりました。
1周目を3番手で通過したものの後半に順位を落とし、2分07秒47の総合7位でレースを終えています。
レース後には涙を流し、指導する横田コーチも、日本記録保持者として新しい環境で迎える初戦にプレッシャーがあったのではないかと見ていました。
それでも約1か月後、6月の日本選手権ではレースプランを修正し、前半を抑えて後方から走りました。
最後の直線で塩見綾乃さんとの競り合いを制し、2分01秒54で優勝しています。
高校2年から続く日本選手権800mを3連覇し、愛知・名古屋アジア大会の日本代表にも内定しました。
「本当に良かったー!」
日本陸上競技連盟
U20世界選手権5位で見えた世界との差
続く2026年8月には、アメリカ・オレゴンで開催されたU20世界選手権へ出場しました。
予選を2分03秒27の1着で通過し、準決勝も突破して、2大会連続で800m決勝へ進みました。
決勝は2分04秒00で5位となり、前回2024年の6位から順位を一つ上げています。
ただし、目標としていたのは優勝でした。
「優勝を目指していたので悔しい気持ちでいっぱいです」
積水化学
帰国後には、レース展開をうまく作れなかったことを課題に挙げ、次のアジア大会では優勝と自己ベスト更新を狙うと話しました。
アジア大会代表として続いていく18歳の挑戦
2026年8月末時点で、日本記録1分59秒52は現在も久保さんが保持しています。
積水化学の公式プロフィールでは、今季の目標としてアジア大会とU20世界選手権での優勝を掲げていました。
U20世界選手権では優勝に届かなかったため、次は日本で開催される愛知・名古屋アジア大会へ向かいます。
競技を離れた休日は「家でゆっくり」過ごすといい、Netflixでドラマを見ることも好きだと積水化学のプロフィールで答えています。
和歌山・串本でサッカーをしていた久保凛さんは、祖母の陸上クラブを入り口に中距離へ進み、中学で初めて全国の頂点に立ちました。
高校では大阪へ生活拠点を移し、入学時に掲げていた2分07秒切りから日本女子初の1分台まで記録を伸ばし、卒業後は大学ではなく800mに専念できる積水化学とTWOLAPSを選びました。
18歳になった現在は、日本記録保持者という立場で、次の世界大会やアジア大会へ向かっています。
久保凛と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。





