NHK夜ドラ『ひらやすみ』で、美大に通う横山あかりを演じた光嶌なづなさん。
2002年7月10日生まれの大阪府出身で、2026年8月現在は24歳、ドラマや映画、CM、舞台へ出演する俳優です。
映像作品で知った人には以前から芸能活動をしていたようにも見えますが、本人が初めて芝居をしたのは、高校3年生だった18歳のときです。
それ以前には小学生のころからダンスを続け、高校では大人数のダンス部で振り付けや構成まで考えながら大会へ出場していました。
さらにさかのぼると、共働きだった両親に代わって放課後や習い事を支えてくれた祖母、夏休みに一緒に電車へ乗って祖母の家へ通った兄など、現在のプロフィールだけでは見えてこない大阪での暮らしがあります。
光嶌なづな公式Instagramの投稿
光嶌なづなの生い立ちと家族|大阪で祖母や兄と過ごした子ども時代
光嶌なづなさんは2002年7月10日、大阪府出身です。
出生した市町村までは公表されていませんが、本人が後年につづった文章には、大阪で両親や兄、祖父母と過ごした子ども時代の場面が残されています。
2002年に大阪府で育ち、共働きの両親を祖母が支えていた
子どものころは父親、母親、兄がいる家庭で育ち、両親はともに仕事をしていました。
両親が働いている間、放課後の時間や習い事の送り迎えで頼りになったのが祖母でした。
学校が終わったあとや習い事へ向かう日常の中に、祖母がそばにいることが多かったと本人は振り返っています。
「私は昔からばあちゃんっ子でした。」
POPEYE Web
大人になってからも祖母との関係は続いていますが、子どものころからすでに、祖母は日々の生活を支える身近な存在でした。
兄と電車で祖母の家へ通った夏休み
夏休みには、兄と二人で電車に乗り、祖母の家へほぼ毎日のように通っていた時期もありました。
祖母は帰りの駅で孫たちをホームまで見送るために入場券を買って付き添っていました。
あるとき兄が、もう二人だけで大丈夫だという趣旨のことを祖母へ伝えたことも、光嶌さんの記憶に残っています。
幼稚園ではパンダ役、小学生からヒップホップを始める
人前で何かを演じた最も古い思い出の一つが、幼稚園のお遊戯会です。
演目は絵本『どうぞのいす』で、光嶌さんはパンダ役を演じました。
『どうぞのいす』は大人になってからも好きな絵本として挙げており、幼いころの舞台の記憶と一緒に残っています。
本格的に身体を使った表現へ触れ始めたのは小学生のころで、最初に習ったのはヒップホップでした。
小学生時代にはアザラシのキャラクター「しろたん」も好きになり、2026年になってもぬいぐるみやTシャツなどのグッズを集めています。
子どものころから俳優として仕事をしていたわけではなく、まず長く続いていったのはダンスでした。
中学・高校時代|運動部を経て約30人のダンス部で大会へ
小学生から始めたダンスは、学校生活が進んでも続いていきます。
中学生のころについては、後年、些細なことにも傷つきやすく、物事へ敏感になっていた時期だったとも話しています。
中高では運動部で活動し、勝負になると熱が入った
本人によると、中学・高校では運動系の部活動に取り組み、勝負事になると熱が入るタイプでした。
一方で、現在まで確認できる本人や所属事務所の公表情報には出身高校の学校名は記載されていません。
学校名より具体的に分かっているのが、高校で続けたダンス部での活動です。
高校ダンス部で振り付けやフォーメーションも自分たちで作った
高校のダンス部は約30人の部員がいる規模で、光嶌さんたちは大会にも出場していました。
決められた振り付けを踊るだけではなく、部員同士で振り付けやフォーメーションを考え、曲の歌詞や感情をどう身体の動きへ落とし込むかも話し合っていたといいます。
高校時代には、複数人で一つの表現を組み立てるところまでダンス部の仲間と経験していました。
高校の同級生が撮影した光嶌なづなのInstagram投稿
卒業後も高校の同級生との交流は続いており、本人はInstagramで写真を撮ってくれた友人をダンス部時代の「戦友」と紹介しています。
高校3年生の進路選びで「ダンス以外の舞台表現」を考えた
長くダンスを続けていたものの、高校3年生になると卒業後の進路を考える時期がやってきました。
テレビドラマや映画を見ることも好きで、以前から芝居への興味は少しずつ芽生えていたそうです。
そこで考えたのが、自分が好きな「舞台」という場所でした。
舞台上でダンスとは違う方法を使って表現するなら演劇ではないかと考え、高校3年生で芝居の道へ踏み出します。
光嶌なづなさんは2002年7月10日、大阪府出身です。
小学生から始めたダンスは、学校生活が進んでも続いていきます。
高校のダンス部は約30人の部員がいる規模で、光嶌さんたちは大会にも出場していました。
長くダンスを続けていたものの、高校3年生になると卒業後の進路を考える時期がやってきました。
ダンスを始めてから長い時間がたっていましたが、演劇については高校卒業間近からのスタートでした。
決選大会では別の参加者がグランプリを受賞し、光嶌さんがこのオーディションをきっかけにホリプロ所属となったわけではありません。
進学先は日本大学芸術学部演劇学科です。
2026年に本人が「東京に来て6年目」とつづっていることからも、大学進学期から東京で過ごしてきた流れが分かります。
18歳で初めて芝居へ|高校3年生でホリプロTSC決選10人に
ダンスを始めてから長い時間がたっていましたが、演劇については高校卒業間近からのスタートでした。
2020年には、その新しい進路を決めた直後に全国規模のオーディションへ挑むことになります。
子役ではなく、初めて芝居をしたのは18歳
幼稚園のお遊戯会や長年のダンス経験はありますが、本人が語る芝居の出発点は18歳です。
「初めてお芝居をしたのは18歳です。」
ローチケ演劇宣言!
そのため、子どものころから子役として作品へ出演し続けていた経歴ではなく、ダンスを長く経験したあとに演劇へ移ったタイプの俳優です。
「光安なづな」名義で1万9,115人からファイナリストへ
高校3年生だった2020年、第44回ホリプロタレントスカウトキャラバンへ参加しました。
当時の公式発信では現在の「光嶌」ではなく、「光安なづな」の名前で紹介され、大阪府出身の18歳、高校3年生と記録されています。
同オーディションには全国から1万9,115人が応募し、歌やダンス、演技などの審査を経て10人が決選大会へ進みました。
光嶌さんも、その決選へ進んだ10人のファイナリストの一人でした。
受賞・ホリプロ所属ではなく、演劇を学ぶため大学へ進む
決選大会では別の参加者がグランプリを受賞し、光嶌さんがこのオーディションをきっかけにホリプロ所属となったわけではありません。
高校卒業後に選んだのは、演技の仕事だけへ直ちに入る道ではなく、大学で演劇を学ぶ進路でした。
日本大学芸術学部演劇学科へ|学生から舞台俳優へ進んだ大学時代
進学先は日本大学芸術学部演劇学科です。
大阪でダンスを続けてきた生活から東京で演劇を学ぶ学生生活へ移り、舞台を観るだけでなく、自分で演じながら学ぶ時間が始まりました。
大阪を離れ、演劇を学ぶ大学生活が始まる
2026年に本人が「東京に来て6年目」とつづっていることからも、大学進学期から東京で過ごしてきた流れが分かります。
普段は標準語を話すため大阪出身だと驚かれることがある一方、本人によると頭の中で入るツッコミは関西弁のままだそうです。
大学では演劇を学び、友人が関わる舞台を観に行くこともあり、学校の外も含めて演劇に触れる時間が増えていきました。
20歳の誕生日に感じていた、まだ届いていない目標
大学在学中の2022年7月10日、20歳の誕生日は友人の家で迎えました。
日付が変わる瞬間にはジャンプをし、翌日は友人とディズニーへ出かけるという誕生日でしたが、本人の中では成人になることへの複雑な気持ちもありました。
自分で決めていた目標へまだ届いていないことが気になり、20歳になることを素直に喜べない時期でもあったと、後年のエッセイで明かしています。
「目標を達成できないまま20歳を迎えることが、悔しくて仕方なかった」
POPEYE Web
その目標の具体的な中身までは明かしていません。
翌日のディズニーでキャストから誕生日を祝われ、これからできることが増えていくという言葉をかけられた出来事も、20歳の記憶として残っています。
2023年『巌流島-外伝-』で外部舞台へ出演
大学で演劇を学んでいた2023年、学校の外で俳優として舞台へ立つ機会が増えていきます。
舞台『巌流島-外伝-』ではおつう役で出演し、当時の公演記録には「光安なづな」の名が残っています。
大学在学中に、演劇を学ぶ学生生活と外部の舞台へ出演する俳優活動が重なり始めました。
『プロポーズ』でナターリャ役、磯村勇斗らと稽古を重ねる
同じ2023年には、沼津市制100周年記念事業として上演されたチェーホフ作『プロポーズ』へ出演しました。
光嶌さんが演じたのはナターリャ役で、磯村勇斗さんらとともに舞台を作っています。
出演者たちは5月ごろから準備を重ね、公演直前には磯村さんも沼津へ滞在して本格的な稽古を行いました。
大学3年生の時期に、外部舞台でヒロインを務めるところまで活動が進んでいました。
舞台『プロポーズ』に関する光嶌なづなのInstagram投稿
BLUE LABEL所属、「光嶌なづな」として新しく歩き始める
『プロポーズ』の公演を終えた2023年12月1日、BLUE LABELへの所属が発表されました。
芸能活動で使う名前も、この時期から現在の「光嶌なづな」へ移っていきます。
それ以前のTSCや大学、舞台の記録では「光安なづな」という表記が確認できますが、本人や所属事務所は「光安」を本名として公表していないため、本名とは断定できません。
2023年にはポテトピクチャーズの短編作品『甘くて苦いバレンタイン「ハグぐらいしたら?」』にも出演し、舞台以外の作品へも活動が広がり始めていました。
大学卒業から『ひらやすみ』へ|絵の具をつけて挑んだオーディション
所属先が決まったあとも大学生活は続き、学内の公演と映像作品の現場が並行していきます。
そして2025年、大学卒業とほぼ同じ時期から、テレビドラマで名前を見る機会も増えていきました。
大学在学中からドラマ・映画へ活動が広がる
2024年2月、日本大学芸術学部演劇学科の総合実習公演『白い病』へ出演した記録が残っています。
この大学公演では旧活動名の「光安なづな」が使われており、芸能活動の表記が「光嶌」へ移ったあともしばらく大学側の公演記録には以前の名前が残っていました。
同じ2024年にはNHK『作りたい女と食べたい女』第15回、テレビ東京『量産型リコ -最後のプラモ女子の人生組み立て記-』第8話へ出演し、映画『おとなになりたくなれますように』にも参加しています。
大学で演劇を学びながら、実際の映像現場へ出る機会が少しずつ増えていった時期でした。
2025年、日本大学芸術学部演劇学科を卒業
2025年3月、日本大学芸術学部演劇学科を卒業しました。
高校3年生で初めて芝居を始めてから、大学では演劇を専攻し、その途中で舞台と映像の仕事を経験して卒業を迎えています。
日本大学芸術学部卒業時の光嶌なづな公式Instagram投稿
卒業した2025年にはCBC『もしもこの世界に「レンアイ」がなかったら』などへ出演し、その先にNHK夜ドラ『ひらやすみ』のオーディションが待っていました。
美大生役になるためTシャツと手に絵の具をつけて参加
『ひらやすみ』で光嶌さんが受けたのは、美大へ通う横山あかりの役でした。
オーディションへ向かう際には、役の設定に合わせてTシャツと自分の手へ絵の具をつけた状態で参加しています。
「美大生役だったので、Tシャツや手に絵の具を塗ってオーディションに挑みました(笑)。」
anan
横山あかりは福岡出身という設定で、作中では博多弁を話す人物のため、大阪出身の光嶌さんが福岡の方言を使って演じる役でもありました。
初レギュラーの横山あかり役で演技への向き合い方が変わる
オーディションを経て横山あかり役に決まり、『ひらやすみ』は光嶌さんにとって連続ドラマ初レギュラーとなりました。
『ひらやすみ』出演を知らせた光嶌なづなの公式Instagram投稿
最終オーディションでは主人公のいとこ・なつみを演じる森七菜さんと一緒に芝居をし、本番で二人が友人として見せる空気感も選考の段階から見られていました。
演出の松本佳奈さんは、オーディション時の光嶌さんについて、あかりの雰囲気が最初からあったと語っています。
「最初からまとっている雰囲気があかりんぽいなと思った」
マイナビニュース
撮影では台本どおりに演じるだけでなく、なつみとあかりが歩いて帰る場面などでアドリブも交えています。
眼鏡を外す場面では何度も撮影を重ね、料理を「微妙」と評するシーンでは実際にはおいしいアクアパッツァを前に、その反対の反応を作る難しさも経験しました。
作品を終えたあと、光嶌さんはそれまで自分のために演じる感覚が強かったところから、演技が誰かの力になることもあると感じるようになったと話しています。
初レギュラーとなった『ひらやすみ』は、仕事の規模だけでなく、本人の演技への向き合い方にも変化が起きた作品になりました。
光嶌なづなの現在|映像が増えても「舞台」を原点と語る
大学を卒業し、『ひらやすみ』を経験したあと、2026年は映像、CM、舞台と仕事の幅がさらに広がっています。
その中で再び大きな位置を占めたのが、高校時代から進路を考える軸にもなっていた舞台でした。
2026年、3年ぶりの舞台『わたしの書、頁を図る』へ
2026年7月3日から19日まで、紀伊國屋ホールで上演された『わたしの書、頁を図る』に小山田奏那役で出演しました。
2023年の舞台以来となる約3年ぶりの舞台出演で、不登校の中学生という役を演じています。
本人は中学生だった自分にも敏感で傷つきやすいところがあったと振り返り、そのころの自分を客観的に見ながら役へ重ねていく方法を取っていました。
舞台について語る際には、幼いころから続けてきたダンスの記憶も出てきます。
初めて「表現」と出会った場所がダンスを踊った舞台上だったため、本人は舞台を自分の「原点のようなもの」と位置づけています。
私服グラビアやCM、映像作品へ活動が広がる
2026年1月にはテレビ朝日の「Daily logirl」に登場し、同企画が掲げる「私服グラビア」として写真が公開されました。
これは本人の私服を撮影するWeb企画で、所属事務所の出演歴でもドラマや映画とは別の活動として紹介されています。
CMでは日本HPパソコン、新菱冷熱工業「私たちは新菱冷熱です」合同説明会篇、enki.jpのブランドムービーなどへ出演しています。
映像ではPrime Originalドラマ『犯罪者』に小川奈津役で出演しており、「犯罪者」は本人についての呼称ではなく2026年7月17日に配信が始まったドラマの作品名です。
8月12日からはDisney+でTHE ONE SHOTショートフィルム『筆』の独占配信も始まりました。
2025年から2026年にかけてドラマ、映画、CM、配信作品が続きますが、出演歴を振り返ると大学卒業後に突然活動を始めたのではなく、高校3年生から大学在学中に積み重ねた舞台経験の先に現在の映像作品があります。
幼いころから立ってきた舞台と、これから演じたい役
ダンスを離れて俳優へ進んだあとも、身体を動かすこと自体をやめたわけではありません。
本人は現在も、考えがまとまらないときなどにダンスを踊ることがあると話しています。
高校まで続けたダンスは、現在では身体の使い方や考えを整理する方法として芝居のそばに残っています。
2026年のインタビューでは、映像だけでなく舞台での身体表現にも関心を持ち続けていることを話し、将来については朝ドラでヒロインを演じることも目標に挙げています。
大阪で祖母や兄と過ごし、小学生からダンスを続けた時間の先で、高校3年生の光嶌なづなさんは演劇を選びました。
18歳で初めて芝居をしてから日芸で学び、大学在学中の舞台を経て、『ひらやすみ』では初レギュラーの役をオーディションでつかんでいます。
24歳になった現在は映像作品へ活動を広げながら、舞台とダンスで身につけてきた表現を芝居の中で使い続けています。
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