『騎士竜戦隊リュウソウジャー』のアスナ/リュウソウピンク役をはじめ、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、連続テレビ小説『虎に翼』などで俳優として知られる尾碕真花(おさき・いちか)さん。
2012年の「第13回全日本国民的美少女コンテスト」で審査員特別賞を受賞して芸能界へ入りましたが、子どものころから女優を目指して一直線に進んできたわけではありません。
- 芸能活動で悩んだ時期、母との日常的な電話が精神的な支えになった。
- 『血ぃともだち』のワークショップ型オーディションで即興芝居や相手の言葉を受けて返す演技に触れ、芝居の奥深さと楽しさに気づいたことが、俳優としての向き合い方が変わる転機になった。
- 現在の道につながる原点:コンテスト・公募
小学6年生ごろから毎週土日に高知から飛行機で東京へ通っていた一方、本人は歌やダンス、演技など、人前へ出るレッスンをかなり苦手にしていました。
しかも10代には、理由の異なる二度の「辞めたい」をマネージャーへ伝えています。
その途中には、東京の高校の制服を見て進路を変えた時期もあれば、芝居ができないことを初めて悔しいと感じた舞台もありました。
尾碕真花の生い立ちと家族|高知で育った負けず嫌いな少女
尾碕真花さんは2000年12月2日生まれ、高知県出身です。
幼いころの生活について本人が語った話を追うと、芸能界より先に見えてくるのは、高知で家族と暮らしていた普通の小学生としての姿です。
2歳下の妹と育ち、背の高さからモデルを意識するようになった
家族には2歳下の妹がおり、本人は子どものころについて、気が強く負けず嫌いだったと明かしています。
小さいころから周囲の同年代より背が高く、「スタイルがいい」と褒められる機会が多かったことで、次第にモデルという仕事を意識するようになりました。
ただし、当時から芸能界だけを目指していたわけではなく、小学校で書いた将来の夢にはモデルや芸能人だけでなく、パン屋や歯医者なども並んでいました。
「“じゃあモデルになれるかな”なんて、なめた感じで思っていました(笑)」
双葉社 THE CHANGE
2023年には、小学生のころに自分で考えていたキャラクターが商品デザインになったことも公式Instagramで紹介しています。
参観日で将来の夢を見た父親が「モデルになりたかったの?」
芸能界への入口になった出来事は、小学校の参観日にありました。
教室に掲示されていた将来の夢を見た父親が、モデルに興味があったことに気づき、「モデルになりたかったの?」と声をかけます。
当時、尾碕さんが好きだった芸能人の一人が上戸彩さんでした。
そこで家族で上戸さんがどのように芸能界へ入ったのかを調べたところ、オスカープロモーションの全日本国民的美少女コンテストへ行き着きます。
父親が娘の将来の夢を見た参観日から、コンテスト応募へ話がつながりました。
家族で上戸彩の経歴を調べ、両親も応募を後押しした
コンテストを見つけた時点で、募集締め切りまではほとんど時間がありませんでした。
本人は後年、締め切りの2〜3日前だったと複数のインタビューで説明しています。
「締め切りの3日前で、記念受験で出してみました。」
ブルボン presents Shining Star
両親も応募には前向きで、締め切り直前に写真を準備して申し込みました。
この時点では、家族も本人も、芸能界を人生の進路として固めていたわけではありません。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
| 母 |
上京後も高知に住む母とほぼ毎日電話し、本人の支えになっていた。氏名など非公表情報は登録しない。 |
信頼できる媒体 出典を見る |
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小学6年で美少女コンテストへ|高知から毎週東京へ通った中学時代
2012年、小学6年生だった尾碕真花さんは「第13回全日本国民的美少女コンテスト」へ出場します。
記念受験に近い感覚で始まった応募でしたが、その後の生活は大きく変わりました。
締め切り2〜3日前の「記念受験」で審査員特別賞を受賞
コンテストでは、尾碕さんが審査員特別賞を受賞しました。
高知の小学生が締め切り直前に応募したコンテストをきっかけに、東京で芸能活動のためのレッスンを受ける生活が始まります。
ただし、この時点で家族ごと東京へ移ったわけではなく、生活の拠点は引き続き高知県の実家でした。
毎週土日は飛行機で東京|歌・ダンス・演技から3言語まで習った
小学6年生ごろからは、レッスンや仕事のたびに高知から東京へ通うようになります。
毎週土日に飛行機へ乗って上京し、東京では歌、ダンス、演技だけでなく、マナー、ポージング、ウォーキングなども習いました。
さらに英語、中国語、韓国語といった語学の時間もありました。
遊びに来ているわけではないため、東京へ着いても自由に観光したり遊んだりする時間はほとんどなく、そのままレッスンへ向かいます。
なかでも好きだったのは、意外にも語学の授業でした。
座って授業を聞けるためで、反対に前へ出なければならない歌、ダンス、演技は本人が特に嫌っていた分野です。
後年には、当時は「いかにサボるか」を考えていたとまで率直に振り返っています。
X21へ|人見知りで、待ち時間は同い年の井頭愛海と一緒だった
2013年には、美少女コンテストのファイナリストを中心に結成されたX21でアイドル活動が始まりました。
テレビ番組やイベントにも出演し、翌2014年にはグループがCDデビューします。
華やかなアイドル活動の一方、当時の本人は人見知りで、X21の公式リレーブログには、同い年の井頭愛海さんがいて安心したことや、イベントの待ち時間には一緒にいることが多かったという話も残っています。
高知では中学生として生活し、週末になると飛行機で東京へ移動し、レッスンやX21の活動に参加する日々でした。
尾碕真花さんは2000年12月2日生まれ、高知県出身です。
2012年、小学6年生だった尾碕真花さんは「第13回全日本国民的美少女コンテスト」へ出場します。
X21で活動していても、尾碕さんの中で演技への興味が急に強くなったわけではありませんでした。
当時は、芸能活動を続けながら東京の学校へ進むのではなく、高知の地元の高校へ進学することを考えていました。
中学校卒業後は高知を離れ、東京の堀越高等学校へ進学しました。
『血ぃともだち』のワークショップ型オーディションで即興芝居や相手の言葉を受けて返す演技に触れ、芝居の奥深さと楽しさに気づいたことが、俳優としての向き合い方が変わる転機になった。
マイナビニュース|『リュウソウジャー』尾碕真花、不遇の時代に救われた母の『ヒマ電』中学3年で一度目の「辞めたい」|東京の高校進学で仕事を続けた
X21で活動していても、尾碕さんの中で演技への興味が急に強くなったわけではありませんでした。
高校受験が近づいた中学3年生のころ、最初の大きな進路変更が起こります。
演技に興味がなく、地元の高校へ行こうとしていた
当時は、芸能活動を続けながら東京の学校へ進むのではなく、高知の地元の高校へ進学することを考えていました。
レッスンも楽しいとは思えず、演技への興味も薄いままで、マネージャーへ辞めたい意思を伝えます。
「レッスンも楽しくないからもう辞めたいです」
双葉社 THE CHANGE
これが一度目の「辞めたい」でした。
何か大きな失敗をしたからではなく、「演技に興味がない」「地元の高校へ行きたい」という、中学生だった本人の進路希望から出た言葉でした。
東京の学校の新しい制服を見て「じゃあ、行きたいです」
辞める意思を伝えたあと、事務所側からは東京の高校へ進学する案を提示されます。
その学校は制服が新しくなるタイミングで、本人は写真を見せてもらいました。
「それを見て“じゃあ、行きたいです”ってなりました(笑)」
双葉社 THE CHANGE
芸能活動を辞めようとしていた中学生の進路を、東京の高校の制服写真が動かしました。
特別演技レッスンを受け、もう少し仕事を続けることにした
制服だけで進路がすべて決まったわけではありません。
事務所からは通常とは別に演技の特別レッスンも用意され、本人は「目をかけてもらっている」と感じたと話しています。
こうして退所はせず、高知の高校へ進む予定を変え、東京で学校と芸能活動を続けることになりました。
ただ、この段階でも「俳優になる」とはっきり決めたわけではなく、芝居への意識が変わるのは高校へ入ってからです。
堀越高校で芝居への向き合い方が変わった
中学校卒業後は高知を離れ、東京の堀越高等学校へ進学しました。
週末だけ飛行機で東京へ来ていた生活から、東京で学校へ通いながら仕事をする生活へ変わります。
井頭愛海と同じクラス|入学式には2人で靴下のまま帰った
X21でも一緒だった井頭愛海さんとは堀越高校でも同級生となり、同じクラスで3年間を過ごしました。
学校が終わると一緒にレッスンへ向かうこともあり、美少女コンテストからX21、高校生活まで同じ時間を過ごす関係が続きます。
卒業時には井頭さんが尾碕さんを長い付き合いの「心の支え」だったと表現し、尾碕さんも井頭さんについてライバルというより良い友達だったと話しました。
高校生活の思い出には、入学式当日の小さなハプニングもあります。
履いていたローファーがきつく、帰りには2人とも靴を脱ぎ、靴下のまま歩いて帰ったというエピソードを、卒業会見で井頭さんが明かしています。
高校1年の初舞台|芝居ができないことを初めて悔しいと思った
演技への感覚が初めて大きく変わったのは、高校1年生だった2016年です。
舞台『RYOMA~アメリカ第51番州ニッポン~』でヒロインを務め、初めて本格的に舞台へ立ちました。
そこで直面したのが、思うように芝居ができないという問題でした。
「お芝居があまりにもできなくて、悔しかったんです。」
双葉社 THE CHANGE
小中学生のころは演技を避けたいと思っていたのに、高校では「できないことが悔しい」という反応へ変わりました。
練習を重ねるうちに、演出側からなぜ注意されているのかも少しずつ理解できるようになり、芝居に面白さを感じ始めます。
高知の母とはほぼ毎日電話|3時間続くこともあった「ヒマ電」
高知を離れて東京で暮らすようになったあとも、家族との接点が途切れたわけではありません。
特に母親とは、学校やレッスン場への行き帰りを使って、ほぼ毎日のように電話をしていました。
帰宅してから話が続き、3時間ほど電話をする日もあったといいます。
内容は重い相談ばかりではなく、「今日は卵が安かった」といった日常の話まであり、母娘はその電話を「ヒマ電」と呼んでいました。
本人は後年、そうした何気ない会話が知らないうちに自分を救ってくれていたと振り返っています。
体育祭や追試も経験した、高校生としての3年間
仕事がある高校生活では、学校行事へ毎回参加できたわけでもありませんでした。
卒業会見では、体育祭に参加できたのは3年生のときで、1、2年時も出ればよかったと思ったことを話しています。
勉強については仕事や友人との時間を優先してしまったとも話し、追試を経験しながら卒業までたどり着きました。
科目による差も大きく、世界史では89点を取った一方、日本史の点数については公表したくないと笑っています。
高校3年で二度目の「辞めたい」|X21解散から『リュウソウジャー』へ
高校生活の終盤には、アイドルと俳優という二つの活動にも大きな変化が訪れます。
中学3年時とは別の理由で、本人はもう一度、仕事を辞めることを考えるようになりました。
2018年にX21が解散し、『さくらの親子丼2』へ
X21は2018年11月末に解散し、尾碕さんが中学生のころから続けてきたグループ活動が終わりました。
同年12月からはドラマ『さくらの親子丼2』に出演し、俳優として作品へ参加する時間が増えていきます。
初舞台を経験して演技が少し面白くなっていたとはいえ、まだ自信が十分についていたわけではありませんでした。
泣く芝居ができず「向いていない」と再び辞める意思を伝えた
『さくらの親子丼2』では、泣かなければならないシーンで思うように涙を出せず、自分は芝居に向いていないと落ち込みました。
さらに、人前で演技をして報酬を受け取ることそのものが怖くなったといいます。
「“辞めます”ってマネージャーさんに話した」
双葉社 THE CHANGE
中学3年時に続く、二度目の「辞めたい」でした。
一度目は演技そのものへの興味が薄かった時期でしたが、二度目は俳優として現場に立ったあと、自分の芝居に自信を失った末の言葉です。
別ドラマの撮影の合間に『リュウソウジャー』のオーディションへ
再び辞める意思を伝えた時期に、次の大きな仕事が動きました。
『騎士竜戦隊リュウソウジャー』のオーディションは、別作品の撮影期間中に行われています。
その日は撮影の中空き時間ができたため、役用のメイクを落とし、髪もストレートへ戻してオーディション会場へ向かいました。
辞める意思を伝えたタイミングで、リュウソウピンク/アスナ役が決まりました。
2019年2月6日、本人は公式Xでリュウソウピンク/アスナ役を務めることを発表しました。
二度目に辞めようとした直後、1年間続くスーパー戦隊シリーズのヒロインという仕事へ入ることになります。
堀越高校を卒業|大学へは進まず俳優の仕事を選んだ
『リュウソウジャー』への出演発表から間もない2019年2月、堀越高校を卒業しました。
大学には進学せず、卒業後は俳優の仕事へ力を入れる進路を選びます。
卒業会見には井頭愛海さんとそろって出席し、高校生活の思い出や今後について本人たちが語りました。
『リュウソウジャー』の先で芝居が本当に楽しくなった
高校を卒業した2019年3月、『騎士竜戦隊リュウソウジャー』の放送が始まりました。
一年を通して同じ役と向き合う現場は、その後の俳優活動でも大きな位置を占めることになります。
アスナ役を経ても残っていた芝居への苦手意識
アスナは明るさと怪力を持つキャラクターで、尾碕さんは撮影中、殺陣にも取り組みました。
撮影の休憩時間にも剣を使って練習し、スーツアクターの動きを観察するなど、それまでとは違う経験が続きます。
2019年の撮影を通して、カメラの前で考えてきた芝居を出す勇気も以前より持てるようになったと話しています。
ただし本人は後年、『リュウソウジャー』のころにも、まだ芝居への苦手意識があったと明かしました。
押井守監督『血ぃともだち』の即興芝居で見え方が変わった
芝居そのものへの感覚がさらに変わったのは、『リュウソウジャー』に続いて受けた押井守監督の映画『血ぃともだち』のオーディションでした。
最終審査はワークショップ形式で、監督から直接指導を受けながら、エチュードと呼ばれる即興芝居にも取り組みました。
決められた台詞を正確に言うだけではなく、与えられた状況から相手役とその場で芝居を作る経験に触れます。
その中で、相手の言葉を聞かなければ会話として芝居を返せないという考え方にも出会いました。
「お芝居の奥深さや楽しさに気づいて、もっと研究してみたいと思いました」
双葉社 THE CHANGE
本人が「本気で芝居が楽しい」と感じる地点まで来たのは、戦隊ヒロインを経験したあとでした。
『鎌倉殿の13人』『虎に翼』から連続ドラマ主演へ
俳優として作品を重ね、2022年にはNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』へ出演しました。
翌2023年には地元・高知へ戻り、4年ぶりの通常開催となったよさこいを見たことを公式Instagramで報告しています。
高知にはその後も年に数回は帰るようにしており、2025年には帰省すると鰹のタタキを食べることも本人が話しています。
2024年には連続テレビ小説『虎に翼』へ初出演し、岡田将生さん演じる星航一の娘・のどか役を担当しました。
そして2025年には『コールミー・バイ・ノーネーム』で連続ドラマ初主演を経験し、『シンデレラ クロゼット』など主演作・主要作が続きます。
小学生のころは人前へ出る演技のレッスンを避け、中学3年では仕事そのものを辞めようとしていました。
高校で芝居のできなさを悔しいと感じ、もう一度辞めようとした先で『リュウソウジャー』が決まり、そのさらに先で芝居をもっと研究したいと思うようになりました。
高知の小学生から始まった道のりは、何度も方向を変えながら、俳優として作品に向き合う現在まで続いています。
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出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。











