松本麗世の生い立ちと家族|兄と遊んだ鹿児島時代からニコプチ・仮面ライダーまで

松本麗世
ひと目でわかるプロフィール 松本麗世
まつもとれいよ
出身地
鹿児島県
生まれ年代
2000年代生まれ
活動ジャンル
女優
性別
女性
育った家庭
兄がいる家庭で育ち、幼いころは兄の影響で仮面ライダーを見たり、一緒にヒーローごっこをしていた。
キャリアの原点
オーディション

『仮面ライダーガッチャード』の九堂りんね役やSeventeen専属モデルとして知られる松本麗世さんは、2008年2月29日生まれの鹿児島県出身です。

2026年には大学生活を送りながら俳優とモデルの仕事を続け、鹿児島市の「鹿児島ファン拡大アンバサダー」も務めています。

松本麗世さんを理解する3つのポイント
  1. 鹿児島で兄と一緒に遊び、仮面ライダーのベルトでヒーローごっこをするような幼少期を過ごした。
  2. 現在の道につながる原点:オーディション
  3. 出身地:鹿児島県

現在の落ち着いた雰囲気からは少し意外ですが、子どものころは兄たちと外を走り回り、日焼けして真っ黒になるほど活発に遊んでいました。

しかも、兄たちと仮面ライダーの変身ベルトを着けてヒーローごっこをしていた少女が、高校生になると同じシリーズへ出演することになります。

小学生モデル、コロナ禍でのSNS発信、女優を目指した時期、鹿児島から東京への引っ越しと、現在へ続く道の途中にはいくつもの出来事がありました。

松本麗世の生い立ちと家族|鹿児島で兄と外を走り回った子ども時代

松本麗世さんは鹿児島県で育ち、幼いころから家の中より外で体を動かすことが好きな子どもでした。

家族について本人の話にたびたび登場するのが兄たちで、2023年の『仮面ライダーガッチャード』制作発表では2人の兄がいることも紹介されています。

2〜3歳から公園が大好き|兄と鬼ごっこをして傷だらけで帰った

2〜3歳の写真を紹介したSeventeenの企画で、本人は当時について男の子に間違われることも多かったと振り返っています。

遊び場は公園で、兄と一緒に鬼ごっこをするのが日常でした。

「公園で遊ぶのが好きで、お兄ちゃんと一緒に鬼ごっこしては、転んで傷だらけで帰ってきたらしい(笑)」

Seventeen-Web

小学2年生ごろになっても外遊びは変わらず、兄とほぼ一日外で過ごすこともあったため、本人いわく一年中かなり日焼けしていたそうです。

日焼け止めのベタつきが苦手で塗りたがらなかったという話まで残っており、現在のモデル写真とはかなり違う子ども時代が見えてきます。

小学生になるとサッカーや野球、仮面ライダーの戦いごっこ

小学生になると、兄たちの影響でサッカーや野球、戦いごっこなどをして遊んでいました。

学校でも友達を集めて鬼ごっこをしていたと後年のインタビューで明かしており、休み時間にも体を動かしていた様子があります。

家には『仮面ライダーキバ』と『仮面ライダー電王』の変身ベルトがあり、兄たちとヒーローごっこをすると、松本麗世さんはいつも負ける側でした。

このころ遊びで身についた体の動かし方は、後に本人が『ガッチャード』のアクションを楽しめた理由として挙げるほど残っていました。

家族旅行で鹿児島各地へ|祖父母との思い出も残る

外遊びだけでなく、松本家は家族で旅行やお出かけをすることも好きで、幼いころから鹿児島の自然や歴史に触れる機会がありました。

本人は後に、家族で観光を重ねるうちに鹿児島をもっと知りたい、ほかの人にも紹介したいと思うようになったと話しています。

祖父母との交流もあり、2月29日生まれの松本麗世さんは、誕生日が一日違いの2月28日生まれの祖父と一緒にお祝いしていたことをニコ☆プチ時代のブログに残しています。

家族と出かけた鹿児島の場所は、この時点では休日の思い出でしたが、中学生になると別の形で登場することになります。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

兄

本人が、兄の影響で仮面ライダーを見て一緒にヒーローごっこをしていたと語っている。氏名など非公表情報は登録しない。

本人・家族本人の発言 出典を見る

松本麗世の小学校時代|小学5年でニコ☆プチモデルになる

ファッションモデルとして知られる以前にも、松本麗世さんは子どものころから撮影の現場を経験していました。

2015年には当時の所属先だったアクティブハカタの公式XにCM「ヒガシマル《五穀スープ篇》」への出演が記録され、2016年にも住宅メーカーの撮影やCM、テレビ東京系ドラマ『巨悪は眠らせない 特捜検事の逆襲』への出演告知が残っています。

その後、小学校高学年で本人が強く憧れていたファッションモデルへの道が開きます。

なお、通っていた小学校・中学校・高校の校名については、本人や所属事務所の公式プロフィールでは公表されていません。

かわいい服を着るモデルに憧れ、ニコ☆プチのオーディションへ

外を走り回ることが好きだった一方、松本麗世さんはかわいい服を着て笑顔で写るモデルにも憧れていました。

小学5年生だった2018年に『ニコ☆プチ』の第7回モデルオーディションを受け、プチモに選ばれます。

2018年12月31日に公開された初めてのプチモブログには、自分を「小学校五年生 松本れいよ」と紹介し、モデルに選ばれた喜びを記していました。

2019年から専属モデルとして本格的に誌面へ登場し、鹿児島から撮影に参加する生活が始まりました。

雑誌では洋服を着てカメラの前に立つ一方、地元へ戻れば普通の小学生として学校へ通っていました。

小学6年は学校生活と撮影を両立|運動会・修学旅行・友達との夏祭り

2019年4月、小学6年生になった本人は、新学期に向けて集めていたお気に入りの文房具を使えることをブログで喜んでいます。

買ってもらったばかりの携帯電話では自撮りやオフショットの撮り方を練習し、ブログももっと楽しくしたいと試行錯誤していました。

夏休みには宿題を進めながら、友達と地元のお祭りへ出かけ、雑誌の付録を使って初めてのメイクにも挑戦しています。

運動会や修学旅行といった学校行事についても当時のブログに書いており、雑誌のモデルをしながら、地元の学校で友達との時間や行事も過ごしていたことが分かります。

同じ2019年、鹿児島で大雨となった際には学校が2日間休みになり、祖母の家へ避難したことも本人が記録していました。

ダンス発表会からネイル好きに|撮影では表情やポージングに苦戦

このころ好きだったものの一つがネイルで、興味を持ったきっかけはダンスの発表会でした。

現在の公式プロフィールにもジャズ、ヒップホップ、ジャズヒップホップ、ブレイクダンスが特技として並んでおり、ダンスは長く続いてきた習い事です。

一方、ニコ☆プチへ入ったばかりのころは、カメラの前で表情を作ったりポージングをしたりすることには戸惑いがありました。

後年ニコ☆プチへ戻ったインタビューでも、当時の自分についてかなりシャイで、人とうまく話せずモジモジしていたと振り返っています。

撮影を重ねていくうちに服に合わせて表情を変える経験が増えましたが、その途中で社会全体を大きく変える出来事が起こりました。

人生年表 松本麗世さんの歩み
幼少期
松本麗世の生い立ちと家族|鹿児島で兄と外を走り回った子ども時代

松本麗世さんは鹿児島県で育ち、幼いころから家の中より外で体を動かすことが好きな子どもでした。

小学校
松本麗世の小学校時代|小学5年でニコ☆プチモデルになる

ファッションモデルとして知られる以前にも、松本麗世さんは子どものころから撮影の現場を経験していました。

中学校
松本麗世の中学校時代|コロナ禍でモデル活動が止まりSNSを始めた

2020年に中学生になるころ、新型コロナウイルスの感染拡大で県をまたぐ移動や撮影が難しくなりました。

高校
松本麗世の高校時代|女優を目指し『仮面ライダーガッチャード』へ

SNSへ力を入れていた中学時代、もう一つ本人の中で大きくなっていたものが俳優への興味でした。

高校
高校生活と仕事を続けながらモデル・俳優の両方へ

『ガッチャード』が終わったあとも、どちらか一方に仕事を絞ることはありませんでした。

高校
高校卒業後は大学へ|鹿児島で始まった経験を現在の活動へ

2026年2月に18歳となり、高校卒業後も俳優・モデルとして活動を続けています。

松本麗世の中学校時代|コロナ禍でモデル活動が止まりSNSを始めた

2020年に中学生になるころ、新型コロナウイルスの感染拡大で県をまたぐ移動や撮影が難しくなりました。

鹿児島から東京へ撮影に通っていた松本麗世さんにとって、その影響はモデル活動へそのまま及びます。

東京へ撮影に行けない日々が続き「自分で発信する」と決める

プチモとして活動している途中から撮影へ行けない日が続き、外出そのものも難しくなりました。

そこで選んだのが、以前から興味を持っていたTikTokでした。

「これは自分でSNSを利用して情報発信をするしかない!」

ニコ☆プチ

撮影の依頼を待つのではなく、自分で撮って自分で公開する活動へ踏み出したのが中学生のころでした。

動画では流行している音源を確認し、服や小物、撮影場所まで毎回変えながら、冒頭の数秒で目を止めてもらう方法を考えていました。

モデル撮影でカメラの前に立つのとは違い、SNSでは企画するところから本人と家族の手で進めることになります。

2021年にニコ☆プチ卒業|同期とペンキまみれになった最後の企画

撮影が十分にできない時期を経て、2021年にニコ☆プチを卒業しました。

最後に同期のプチモがそろった卒業企画では、みんなで自由にペンキを塗る撮影が行われました。

会えない期間が続いた後だったこともあり、互いにペンキを塗ったり塗られたりしながらはしゃいだことを、後年のインタビューでも印象深い思い出として挙げています。

そのときにもらった衣装は、卒業後も「宝物」として手元に残しているそうです。

雑誌を離れたからといって発信まで終えることはなく、むしろここからSNSへ使う時間が増えていきました。

鹿児島の景色を家族と撮影|TikTokとInstagramが次の活動場所に

卒業後はTikTokに加えてInstagramも本格的に使い、鹿児島の景色を取り入れた写真や動画を投稿するようになります。

撮影場所を決めるときに役立ったのが、それまで家族で出かけながら知ってきた鹿児島の場所でした。

本人によると、家族で撮影場所を選び、一緒に写真や動画を作っていたそうです。

TikTokでは短い時間で目やしぐさを使って自分を表現することを覚え、Instagramでは鹿児島の風景を一枚の写真で伝える方法を試していました。

2022年11月のニコ☆プチ取材時にはInstagramのフォロワーが12万人を超えており、雑誌卒業後の活動場所としてSNSが大きくなっていました。

2023年3月には自身のInstagramで中学校卒業を報告し、翌月から高校生になりました。

松本麗世の高校時代|女優を目指し『仮面ライダーガッチャード』へ

SNSへ力を入れていた中学時代、もう一つ本人の中で大きくなっていたものが俳優への興味でした。

高校へ進学するころには、その興味が実際のオーディションへ向かいます。

コロナ禍でドラマを見る時間が増え「女優になりたい」と思う

外出しにくかったコロナ禍には、自宅でドラマや映画を見る時間も増えていました。

『君の膵臓をたべたい』や『3年A組―今から皆さんは、人質です―』などの作品に触れ、俳優が発する言葉に気持ちを動かされる経験を重ねます。

「私も自分の言葉で誰かの心に寄り添ったり心を打つような作品に出たい」

日刊スポーツ

モデルとして服を見せる仕事から、役の言葉や感情を届ける仕事へ興味が広がった時期でした。

高校1年生になった2023年、その希望に重なる大きなオーディションの結果が届きます。

子どものころ遊んだ仮面ライダーにヒロインとして出演

2023年8月9日、『仮面ライダーガッチャード』の制作発表で、松本麗世さんが九堂りんね役を務めることが発表されました。

制作発表で出演決定を振り返ったときに出てきたのが、幼いころ兄たちと遊んでいた変身ベルトの話でした。

いつもヒーローごっこで兄に負けていた松本麗世さんは、オーディション合格を知らせた際、兄へ「今回は私の勝利」と自慢したそうです。

兄からは「先越されたか…」という反応が返り、最後には鹿児島弁で「頑張ってね」と送り出されました。

小学生のころ家にあった仮面ライダーのベルトは、高校1年生になると仕事の現場で扱う世界になりました。

出演決定を機に鹿児島から上京|キャリーケースで渋谷へ

『ガッチャード』への出演が決まると、撮影へ通うのではなく鹿児島から東京へ移ることを決めました。

家族から上京について聞かれたときはすぐに「行きます」と返事をしたといい、高校生活が始まったばかりの時期に生活環境も大きく変わります。

「キャリーケースを持って渋谷に着いた時は人が多すぎて人酔いしましたね」

日刊スポーツ

鹿児島では家族と自然や史跡へ出かけていた少女が、15歳でキャリーケースを持って東京で暮らし始めました。

最初は人の多さにも驚いたものの、少しずつ東京での生活へ慣れ、撮影中心の日々へ入っていきます。

上京後はSeventeenモデルと俳優を両立

2023年の夏は、『ガッチャード』だけでなくモデルとしても次のステージへ進んだ時期でした。

小学生のころに始めたモデル活動も、今度は10代向けファッション誌へつながっていきます。

ミスセブンティーン2023合格|電話を4、5回聞き直した

高校1年生だった松本麗世さんは「ミスセブンティーン2023」へ応募し、2,971人の中から最終的に新専属モデル5人の一人へ選ばれました。

合格を知らせる電話を受けたときは信じられず、相手の言葉を4、5回聞き直したとSeventeenで話しています。

『ガッチャード』の出演発表とSeventeen加入は、ともに2023年8月でした。

ニコ☆プチ卒業後にSNSで発信を続けてきた期間を挟み、再び雑誌の専属モデルとして撮影へ通うようになりました。

モデル経験とは違った俳優の現場|九堂りんねと1年間向き合う

ファッション撮影では何年もカメラの前に立っていましたが、一人の役を長期間演じる仕事は勝手が違いました。

九堂りんねはクールで人との間に壁を作る人物だったため、普段の自分とは真逆に感じ、撮影の初期にはどう演じればいいのか分からないこともあったそうです。

そこで、りんねがどのように育ったのか、なぜそう考えるのかといった背景まで考えながら役を作っていきました。

物語が進むにつれて、りんねの悩みや強がる部分に自分との共通点も見つけ、最初には分からなかった人物を少しずつ理解していったと話しています。

アクション撮影では、小さいころから兄たちと走り回った経験に加え、長く続けていたダンスの動きも役立ちました。

本人はアクションについて、むしろ楽しみながら撮影できたとニコ☆プチのインタビューで語っています。

2024年8月にテレビシリーズが最終回を迎えるまで、およそ1年間にわたって九堂りんね/仮面ライダーマジェードを演じました。

高校生活と仕事を続けながらモデル・俳優の両方へ

『ガッチャード』が終わったあとも、どちらか一方に仕事を絞ることはありませんでした。

Seventeenでは専属モデルを続け、俳優としては2025年にドラマ『スプリング!』や『なんで私が神説教』などへ出演しています。

子どものころに短いCMやドラマの撮影を経験し、小学生でモデル、中学生ではSNS、高校生では連続ドラマと、カメラの前で求められるものが少しずつ変わっていきました。

高校を卒業する2026年春には、仕事を続けながらさらに大学へ進学する道を選びます。

高校卒業後は大学へ|鹿児島で始まった経験を現在の活動へ

2026年2月に18歳となり、高校卒業後も俳優・モデルとして活動を続けています。

同時に、4月からは新しい学校生活も始まりました。

2026年4月から大学生に|仕事と学業を続ける

2026年5月、Seventeen公式ブログで大学へ進学したことを本人が報告しました。

「私も、4月から大学生になり、大学生活が始まりました!!」

Seventeen-Web

入学直後は新しい環境に戸惑うこともあったものの、友人ができ、自分が学びたい分野の講義も楽しんでいると綴っています。

仕事と大学の予定を入れすぎてしまうこともあったそうですが、少しずつ新しい生活リズムにも慣れてきました。

進学先の大学名は公表されていません。

確認できる現在地は、2026年4月から大学へ通いながら、俳優とSeventeenモデルの仕事も続けているというところまでです。

鹿児島ファン拡大アンバサダー就任|家族と巡った故郷を今度は仕事で伝える

大学進学より少し前の2025年には、鹿児島市から「鹿児島ファン拡大アンバサダー」を委嘱されました。

2026年6月にも引き続きアンバサダーへ就任し、公式SNSなどを通じて鹿児島市の魅力を発信しています。

中学生のSNS活動で鹿児島の自然や歴史的な場所を撮影していたころは、家族と場所を選び、自分の投稿として紹介していました。

幼いころから家族と出かけていた鹿児島は、現在では本人が仕事として魅力を発信する場所にもなっています。

兄との外遊びやダンスも俳優のアクションへ生きている

現在の所属事務所プロフィールには、ダンスのほか水泳も特技として掲載されています。

『ガッチャード』のアクションについて尋ねられた際には、兄たちと昔からはしゃいで遊んでいたため運動神経で困ったことはなく、撮影自体を楽しめたと話していました。

別のインタビューでは、ダンスで身につけた動きがアクションシーンで生きることも多く、習っていてよかったと感じたと明かしています。

公園での鬼ごっこ、兄たちとの戦いごっこ、長く続けたダンスは、役者になってから実際に体を動かす場面で使う経験になりました。

鹿児島で兄たちと走り回っていた子ども時代から、小学生モデル、中学生のSNS発信へと活動する場所は少しずつ広がっていきました。

高校進学期には『仮面ライダーガッチャード』出演と上京で生活そのものが変わり、俳優とSeventeenモデルの二つの仕事が同時に始まりました。

2026年現在は大学生活も始まり、子どものころから親しんだ鹿児島との関係も残したまま、俳優・モデルとして活動を続けています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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