飯塚唯の生い立ちと家族|15歳の修行から渋谷109店員、ギャル霊媒師になるまで

飯塚唯
ひと目でわかるプロフィール 飯塚唯
いいづかゆい
出身地
東京都
生まれ年代
1980年代生まれ
活動ジャンル
霊媒師・占い師
性別
女性
育った家庭
曾祖母・祖母・母へと続く家族史の中で育ち、本人は曾祖母を初代、祖母を2代目とする霊媒師家系について公に語っている。
キャリアの原点
本人の説明では、高校時代の強い霊体験をきっかけに家系の仕事へ関わるようになり、先代の死後に3代目として活動するようになった。

金髪に華やかなネイルという姿で霊視や鑑定を行い、YouTubeでも知られるようになった「ギャル霊媒師」飯塚唯さん。

現在は個人での鑑定や出張での活動に加えて、自身のYouTubeチャンネルでさまざまな現場へ足を運ぶ姿も発信しています。

飯塚唯さんを理解する3つのポイント
  1. 曾祖母と祖母が霊媒師として活動し、母も助手として鑑定やお祓いを支えていたという家族環境で育った。
  2. 本人の説明では、高校時代の強い霊体験をきっかけに家系の仕事へ関わるようになり、先代の死後に3代目として活動するようになった。
  3. 現在の道につながる原点:家族・家庭環境の影響

2026年9月3日時点では、YouTubeチャンネルの登録者数は73万4000人に達しています。

ところが時間を戻すと、現在の肩書につながる道のりは、15歳から始めた修行と、18歳で入った渋谷109でのショップ店員生活という、かなり異なる二つの世界から始まっていました。

飯塚さん自身も、後年のインタビューで「ギャル霊媒師」と呼ばれるより前からギャルだったと語っており、現在のスタイルのために後から作られたキャラクターではありません。

飯塚唯の生い立ちと家族|曾祖母・祖母から続く家系で育つ

飯塚唯さんの現在の仕事をたどるうえで、最初に登場するのが曾祖母、祖母、母へと続く家族の話です。

本人の説明によると、一族には東南アジアにルーツがあり、曾祖母が初代、祖母が2代目として霊媒師の仕事をしていました。

曾祖母が初代、祖母が2代目だったと本人が語る家族のルーツ

2025年の日刊SPA!のインタビューで、飯塚さんは自身の家系について、ひいおばあちゃんが初代、おばあちゃんが2代目だったと説明しています。

公式ブログでも、初代と先代が各地を回って活動していたという家族内の伝承を繰り返し紹介してきました。

ただし、霊能力や霊的な現象そのものは客観的に検証できる性質のものではないため、ここで扱うのは飯塚さん本人が語っている家族史です。

「ウチはルーツが東南アジアにある霊媒師の家系」

日刊SPA!

本来の3代目候補だった母が継承を辞退

家族の中で当初3代目になる予定だったのは、飯塚さんではなく母親だったと本人は話しています。

母親は曾祖母や祖母の仕事から離れていたわけではなく、公式ブログによれば、助手の立場で鑑定やお祓いを手伝っていました。

後年、飯塚さんが「そこまで助手として修行していたのになぜ継がなかったのか」と尋ねたところ、母親は先代たちを近くで見てきた経験から継承しなかった理由を話したといいます。

「覚悟出来なかった。」

飯塚唯 公式ブログ

母親が3代目を継がなかったことで、次にその立場へ進んだのが飯塚さんでした。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

祖母 霊媒師

本人が先代として語る祖母。霊的能力そのものではなく、本人が公表している家族史のみを登録。

本人・家族本人の発言 出典を見る
母 先代の鑑定・お祓いの助手

母が助手として先代を支えていたことを本人が公式ブログで説明。氏名は登録しない。

本人・家族本人の発言 出典を見る
曾祖母 霊媒師

監修公式プロフィールで曾祖母・祖母が霊媒師の家系と紹介。

公式情報 出典を見る

15歳から始まった高校時代|修行中も霊媒師とは公言しなかった

家族内の継承が飯塚さんへ移ると、まだ学生だった時期から現在の仕事につながる準備が始まります。

一方で、学校生活の中で「霊媒師」として振る舞っていたわけではありませんでした。

母に代わって3代目を継ぐことになり15歳から修行へ

2025年の本人インタビューによると、15歳から精神力を鍛える修行を始めています。

ただ、そのころはまだ修行中だったため、周囲には霊媒師であることを公言していなかったそうです。

「15歳から精神力を鍛える修行を始めました。」

日刊SPA!

現在の肩書からは早くから仕事一本だったようにも見えますが、10代の飯塚さんには、修行する時間と普通に学校へ通う時間が同時に存在していました。

高校時代の強烈な体験を「能力が覚醒した時期」と本人側プロフィールが紹介

飯塚さんが監修する公式占いサイトでは、高校時代の強烈な霊体験を通して能力が覚醒したとプロフィールで紹介されています。

一方、具体的な高校名についてはインターネット上で特定の学校名が広まっているものの、本人の主要なインタビューや現在の公式プロフィールでは校名までは明記されていません。

そのため、高校生活について確実に追えるのは、15歳から修行をしていたこと、在学中に強烈な体験があったと本人側が紹介していること、卒業後に渋谷109へ進んだことまでです。

誕生日については、本人の公式ブログで2月26日と確認でき、2021年末には自身について「34年近く」と記しているため、一般に紹介されている1988年2月26日生まれという情報と整合し、2026年9月時点では38歳にあたります。

人生年表 飯塚唯さんの歩み
幼少期
霊媒師の家系の中で育つ

曾祖母と祖母が霊媒師として活動し、母も助手として鑑定やお祓いを支える家庭環境で育った。

高校卒業後
渋谷109でショップ店員として働き始める

家系の仕事だけに進むのではなく、本人が好きだったギャル文化の中で社会人生活を始めた。

15歳ごろ
高校時代の強い霊体験をきっかけに修行へ

本人の説明では、この経験をきっかけに家系の仕事へ本格的に関わるようになった。

109勤務時代
休憩時間などに相談を受けるようになる

ショップ店員として働きながら相談を受ける機会が増え、現在の活動につながる経験を重ねた。

その後
占いの館での仕事、個人での活動へ

109での経験を経て、鑑定を仕事として行う場が広がっていった。

高校卒業後、18歳で渋谷109へ|ギャル店員だった飯塚唯の昔

高校を卒業した飯塚さんが向かったのは、霊媒師として働く場所ではなく、当時のギャル文化を象徴するSHIBUYA109でした。

本人によれば、18歳でアパレルショップの採用を受け、ショップ店員として働き始めています。

4人の採用枠に400人|真夏にファーベストで面接へ

2025年の日刊SPA!で飯塚さんが語ったところでは、採用枠は4人に対して応募者約400人だったそうです。

洋服についてはほとんど知識がなかったものの、店舗のコンセプトに合わせるため、真夏の面接にファーのベストを着て参加しました。

このころについて飯塚さんは後年、ギャル霊媒師と呼ばれる以前から自分はギャルだったと話しています。

2014年に公式ブログへ載せた昔のプリクラでも、109店員だったころを「ガングロギャル全盛期」と振り返り、遊ぶ場所は主に渋谷で、夜はクラブで踊ることがストレス発散だったと書いています。

昼は109の売り場に立ち、仕事を離れれば渋谷の街で友人たちと遊ぶという生活が、当時の本人が残した言葉から見えてきます。

勤務したショップについては資料によって記述が分かれており、2023年のインタビューではLIZ LISAと本人が答える一方、2011年の公式ブログでは109を再訪した際にDelyleを「私が働いてたショップ」と紹介しています。

複数店舗や複数ブランドで働いた時期があった可能性はありますが、公開されている本人発信だけでは勤務順までは断定できません。

109の店内で起きた出来事から同僚に知られるまで

109で働き始めても、飯塚さんは当初、自分が修行をしていることを職場では明かしていませんでした。

ところが本人の説明では、営業中に店内のディスプレイが突然落ち、お客さんやスタッフがその場を離れる出来事がありました。

飯塚さんにはラックの裏に母子の霊が見えたといい、人がいなくなったところで本人が「お祓いをした」と話しています。

その様子を戻ってきた副店長に見られ、何をしていたのか尋ねられたことで、それまで伏せていた話を職場の人たちへ伝えることになりました。

ここから109での仕事に、店員仲間から相談を受ける時間が入り始めます。

14時の休憩室に人が集まり「109の江原さん」と呼ばれる

一度知られると、相談は同じ店のスタッフだけでは収まらなかったようです。

2023年のインタビューで飯塚さんは、当時の休憩開始が14時だったため、「14時に休憩所へ行けば会える」という話が広まったと語っています。

「当時は私の休憩時間が14時からだったんです」

音楽と人.com

他のショップからも相談したい店員が来るようになり、当時テレビで人気だった江原啓之さんになぞらえて、「109の江原さん」「マルキューの江原さん」と呼ばれるようになりました。

業務で別店舗の売上を聞きに行ったときにも、逆に恋愛や運気の相談を持ちかけられることがあったと本人は話しています。

ショップ店員として働きながら、同じ109で働く人たちから相談を受ける日々が続き、その評判はやがて館の外へ広がっていきました。

109から渋谷の占いの館へ|スカウトで仕事が変わった

109で評判が広がったあと、飯塚さんのもとへ渋谷の「占いの館」から声がかかります。

ここで初めて、休憩時間などに行っていた鑑定が、店舗でお客さんを迎える仕事へ変わっていきました。

占い師を実際に占う実技面接と接客審査

声をかけられたからといって、そのまま所属が決まったわけではなく、飯塚さんは面接を受けています。

その内容は一般的な面接だけではなく、面接官を実際に占う実技形式も含まれていました。

さらに、占いも接客業であることから、言葉遣いやお客さんへの接し方も見られたと本人は説明しています。

109で身につけてきた接客と、それまで公には仕事にしていなかった鑑定が、ここで一つの職業として重なりました。

テレビ出演が増える一方、出演を断るようになった時期

占いの館で活動を始めると、飯塚さんは「ギャル霊媒師」という肩書でも知られるようになり、テレビ出演の機会が増えていきます。

本人は2025年のインタビューで、新春特番の「さんまのまんま」などへ出演したと振り返っています。

ところが約2年後から、番組側の演出や使用できる言葉との間にずれを感じるようになり、出演依頼を断るようになったと話しています。

一度メディア出演を増やしたあと、店舗での鑑定や本人が希望する形の活動へ軸を戻した時期がありました。

2011年ごろ、実家の居酒屋で父・母・弟らに囲まれた誕生日

仕事で知られるようになった時期の公式ブログには、家族との日常が見える投稿も残っています。

2011年2月26日の誕生日には、待ち合わせ場所だった実家の居酒屋へ行くと、友人に加えて弟が待っていたと書いています。

友人を送って店へ戻ったあとには父親たちからケーキが用意されており、投稿の最後では、友人、弟、父、母、先輩、後輩らに祝ってもらったことを記しています。

子どものころの家族関係について公開されている具体的な話は多くありませんが、成人後も実家の店に父・母・弟が集まる場面は本人のブログから確認できます。

2015年12月に入籍|仕事では「飯塚唯」を継続

その後、飯塚さんは2015年12月24日に入籍しました。

翌年の公式ブログで、結婚後の名前が「武内唯」になったことを報告しています。

「仕事上では『飯塚唯』のままでやっていきます」

飯塚唯 公式ブログ

そのため、結婚後も活動名は変えず、現在まで飯塚唯の名前で仕事を続けています。

占いの館から個人活動へ|弟子と現場へ出る仕事が増える

占いの館で経験を重ねた飯塚さんは、次第に店舗の外で行う仕事を増やしていきます。

このころから、現在のYouTubeでも見られる各地へ自ら出向く活動に近い形がはっきりしてきました。

約6年の所属後、店への出演を減らして個人活動を拡大

2023年のインタビューでは、占いの館に所属して約6年がたったころ、活動の幅を広げるため店舗への出演日数を減らしてもらったと説明しています。

その時点では館との関係を完全に終えたのではなく、所属を続けながら個人としての仕事を増やす形でした。

出張鑑定など、依頼者のもとへ自分から向かう仕事も行うようになります。

109の売り場、占いの館、そして全国各地の現場へと、仕事をする場所そのものが少しずつ広がっていきました。

作業服と軍手で現場を片付ける仕事を本人が語る

個人での活動が増えたあとに本人が語っている仕事風景は、華やかな外見から想像する鑑定のイメージとはかなり違います。

日刊SPA!のインタビューでは、孤独死などがあった場所へ弟子数人と入り、現場の状況によっては作業服と軍手を着けて片付けから始めると話しています。

大量の物を袋へ詰めたあと、本人が供養や本人のいう「除霊」を行うケースもあるそうです。

店舗で座って相談を受ける仕事だけではなく、現場へ入り、片付けを含む作業まで行うようになっていました。

実弟・摩鎖弥が「一番弟子」として一緒に活動

家族の中では、弟の摩鎖弥(まさや)さんも後に鑑定や出張での活動へ加わっています。

2019年の飯塚さんの公式ブログでは、摩鎖弥さんについて「飯塚唯の一番弟子であり弟」とプロフィールで明記しています。

同じ投稿では、摩鎖弥さんが飯塚さんと一緒に出張での仕事を行ってきたことも紹介されていました。

曾祖母、祖母、母という前の世代から始まった家族の話は、時間が進むと今度は弟と一緒に仕事をする関係として再び現れます。

入院と治療で仕事を絞った時期|「活動休止」で何があった?

個人活動を続ける一方、飯塚さんはこれまでに体調不良や入院について本人のブログで複数回報告しています。

検索上では「活動休止」という言葉も見られますが、時期によって状態が異なるため、本人が実際に公表した内容を時系列で見る必要があります。

体調不良と入院について本人がブログで報告

2020年には持病の悪化などで数か月にわたり治療と検査を受けていることをブログで報告しました。

2021年には入院し、投薬などの治療を受ける中で強い副作用が出たことや、さらに細菌性肺炎を発症したことを本人が詳しく記しています。

肺炎のあとには両肺の無気肺が生じ、酸素を外した後もリハビリを続けていたと説明していました。

この時期は、通常どおり仕事を続けられる状態ではなく、治療と身体機能の回復が生活の中心になる期間がありました。

2023年には「仕事を8割制限」と説明|完全休止とは異なる状態

さらに2023年には、3月中旬からリンパの病気になり、鑑定中に発作が出ることや寝込む日が増えたことを本人が公表しています。

その投稿では治療と検査を続け、医師から仕事を止められている部分もあったため、予約を待たせている状態だと説明しました。

「仕事の幅を8割制限していて」

飯塚唯 公式ブログ

つまり、この時点については「完全にすべての活動を休止した」とするより、仕事を大幅に制限しながら治療を続けていたというのが本人の発信に近い表現です。

YouTubeで再び広がった現在|ギャル霊媒師として73万人規模へ

体調と向き合いながら活動を続ける中で、飯塚さんを以前より幅広い層へ知られるきっかけになったのがYouTubeでした。

もともとYouTubeアカウント自体は以前から存在していましたが、2023年以降は本人のチャンネルでの発信が大きく増えています。

2023年以降、YouTubeで再び大きく注目される

2022年ごろからは人気YouTuberとのコラボが目立つようになり、公式ブログでもコムドットとのコラボをきっかけに新規の問い合わせが増えたことをスタッフが伝えています。

2025年の日刊SPA!では、2023年11月以降にチャンネルが急拡大し、1年足らずで登録者40万人を超えたと紹介されました。

現在のチャンネルでは、本人が現場へ向かう企画、ゲストとの対談、鑑定に関する内容などが継続的に公開されています。

2026年9月には登録者73万人規模に

2026年9月3日時点の集計では、公式チャンネル「ギャル霊媒師⭐︎飯塚唯チャンネル」は登録者73万4000人、累計再生数約2億7800万回となっています。

2026年6月に本人の公式チャンネルで公開された動画では、概要欄で登録者70万人突破を報告していました。

109時代から変わらない「ギャル」を現在の活動でも掲げる

現在の飯塚さんを象徴する「ギャル霊媒師」という呼び名を、109時代まで戻って見ると印象が変わります。

18歳で109へ入った当時からギャル文化の中で生活し、昔のプリクラには友人たちとの渋谷での日常を残していました。

そこへ、15歳から続けていたという修行、109の休憩時間に始まった相談、占いの館での仕事が後から重なっています。

現在の「ギャル霊媒師」という名前には、109に入る以前から続く家族の背景と、本人自身がもともと好きだったギャル文化の両方が入っています。

家族の中で継承する立場になり、15歳から修行を始めた飯塚唯さんは、高校卒業後には霊媒師ではなく渋谷109のショップ店員として社会人生活を始めました。

109の休憩室で相談を受けるようになったことから占いの館へ仕事が移り、個人活動、入院と治療を挟みながら、仕事をする場所は店舗から全国各地の現場へ広がっていきました。

現在のYouTubeで見える姿の前には、家族の仕事を知りながら過ごした10代と、渋谷でギャルとして働いていた時間が長く続いています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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