『佐久間宣行のNOBROCK TV』で芸人たちのネタに思わず笑ってしまう姿が注目され、現在は俳優・タレントとしてドラマやバラエティーへ活動を広げている二瓶有加さん。
1995年10月20日生まれで、所属事務所の公式プロフィールでは東京都出身とされていますが、本人は東京都三鷹市で生まれ育ったことを明かしています。
現在の姿から芸能界へ一直線に進んできたようにも見えますが、中学生でAKB48のオーディションを受け、一度アイドルになる道から離れ、大学へ進学したあとにもオーディションの不合格を経験しています。
さらにPINK CRES.として日本武道館に立ったあと、グループ解散後には週4〜5日コールセンターで働きながらオーディションを受ける生活もありました。
中学生から何度も芸能界を目指し、20代半ばでアルバイト生活に戻り、そこから自分でYouTubeを始めた先にNOBROCK TVでの転機が待っていました。
二瓶有加の生い立ちと家族|三鷹で育ち、幼い頃からダンスへ
二瓶有加さんの人生の出発点は、現在も「地元」としてたびたび名前を出している東京都三鷹市です。
父親、母親、兄がいることは本人のYouTubeやSNSから分かっており、成人後もそれぞれとの交流を発信していますが、幼少期に家族の誰と同居していたかといった詳しい家庭状況までは公表していません。
三鷹で生まれ育った子ども時代と家族
二瓶さん自身は、後年のインタビューで自分を振り返った際に「東京の三鷹で生まれ育った」と話しています。
芸能人の多い家庭で育ったわけではなく、本人の感覚では、当時の自分は三鷹で暮らしている普通の女の子でした。
その一方で、父親とは現在も一緒に旅行して酒を飲みながら動画に出演する関係で、本人は父との動画を公開する際に「私の性格は父譲り」と紹介しています。
母親についても成人後に母の日を一緒に過ごしたことや二人で高尾山へ出かけたことを発信し、兄とも大人になってから二人で外出する様子を見せています。
こうした現在の交流から父・母・兄の存在は分かりますが、子ども時代の家族関係について明かされている情報は多くありません。
小さい頃から続けたダンスとステージへの憧れ
学校生活とは別に、子どもの頃から長く続いていたのがダンスでした。
2020年のPINK CRES.インタビューでは、本人が小さい頃からずっとダンスを習い、ステージに立つことが好きだったと話しています。
「私は小さい頃からずっとダンスをやっていて、とにかくステージに立つことが大好きだった」
Billboard JAPAN
後のインタビューではPINK CRES.加入時点でダンス歴が約15年だったことも語られており、20歳でメンバーになるよりずっと前から踊る生活が続いていたことになります。
芸能界へ入る前の二瓶さんには、すでに長年続けてきたダンスという一つの武器がありました。
小中学生のころに経験した人間関係を本人が振り返る
華やかな芸能活動とはかなり離れたところで、本人は小中学生のころの人間関係でつらい経験があったことも自身のYouTubeで明かしています。
公式チャンネルでは学生時代について振り返る動画を公開し、自ら「学生時代いじめられてました。」とタイトルに掲げています。
ただし、その時期にも芸能界への興味は消えておらず、中学生になるとテレビ番組との小さな接点が生まれました。
中学・高校時代|アイドルを夢見てAKB48オーディションへ
中学生になった二瓶さんは、見る側だった芸能界へ自分から近づき始めます。
2024年に『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』へ出演した際には、実は中学生のころ同番組の街頭インタビューを受けていたことも明かしました。
当時はインタビューされたことで「これでデビューだ」と思ったものの、実際の放送では全カットされ、十数年後にスタジオゲストとして戻った際にその映像が発掘されています。
中学3年でAKB48・11期生オーディションに初挑戦
本格的なオーディションへ踏み出したのは中学3年生のころでした。
初めて受けたのはAKB48の11期生オーディションで、会場には同じようにアイドルを目指す女の子たちが集まっていました。
そこで周囲を見た二瓶さんは、それまで自分が暮らしてきた日常と、目の前に広がる芸能界との距離を強く意識したといいます。
「あぁ、自分は東京の三鷹で生まれ育った、ただの“芋っ子”だったんだな」
スタジオパーソル
この11期生オーディションでは合格に届きませんでしたが、その後も二瓶さんは一度受けて終わりにはせず、複数のオーディションへ挑戦していきました。
AKB48・14期で仮研究生候補まで進み、一度夢から離れる
何度か挑戦を重ねる中で、AKB48の14期生オーディションでは、それまでより先まで進みました。
正規メンバーになる前段階の仮研究生候補まで残ったものの、この時期の二瓶さんには交際していた相手がいました。
恋愛禁止のルールがあるAKB48へ進むなら、当時の恋人との関係を終える必要があると考え、二瓶さんは目の前の生活を選びます。
芸能界へ最も近づいたところで、一度アイドルを目指す道から離れることになりました。
都立神代高校でダンスとオーディションを続ける
高校は東京都立神代高等学校へ進んだことを、本人への密着インタビュー動画の経歴で確認できます。
アイドルの道を一度手放したからといって、芸能界への興味まで完全になくなったわけではありませんでした。
10代を通してオーディションを受け続けながら、子どもの頃から続けていたダンスも継続していきます。
後年のエッセーでは、10代のころから付き合いが続く親友が2人いることも書いており、24歳の誕生日にはその2人が一緒に祝っていました。
芸能界の外にも長く続く友人関係を持ちながら、高校卒業後は大学へ進みます。
二瓶有加さんの人生の出発点は、現在も「地元」としてたびたび名前を出している東京都三鷹市です。
二瓶さん自身は、後年のインタビューで自分を振り返った際に「東京の三鷹で生まれ育った」と話しています。
中学生になった二瓶さんは、見る側だった芸能界へ自分から近づき始めます。
高校は東京都立神代高等学校へ進んだことを、本人への密着インタビュー動画の経歴で確認できます。
高校を卒業した二瓶さんは明星大学へ進学し、経済学部で大学生活を送りました。
大学時代には居酒屋やパン屋などで働き、18〜19歳ごろには居酒屋でビールのジョッキを何度も運んでいました。
2016年8月、PINK CRES.は日本武道館で行われたBuono!の公演でお披露目されました。
2023年3月から二瓶さんは『佐久間宣行のNOBROCK TV』へ出演するようになり、それまでとは違う形で名前が広がっていきます。
大学時代|アルバイトをしながら残っていた芸能界への夢
高校を卒業した二瓶さんは明星大学へ進学し、経済学部で大学生活を送りました。
この時点ではまだ芸能活動だけで生活していたわけではなく、大学へ通いながらさまざまなアルバイトを経験しています。
明星大学へ進学し、居酒屋やパン屋でアルバイト
大学時代には居酒屋やパン屋などで働き、18〜19歳ごろには居酒屋でビールのジョッキを何度も運んでいました。
本人が後年かなり具体的に覚えていたのが、地鶏の皿を下げていた際に黒い油を客の白いTシャツへかけてしまった失敗です。
片手にはジョッキを持っていたため皿が傾き、その場で大慌てで謝ったところ、客は笑って許してくれたと振り返っています。
当時のファッションについては、つけまつげやカラコンを取り入れたかなりギャル寄りのスタイルだったとも話しています。
現在のテレビで見せる姿とはまた違い、大学へ通い、アルバイトへ行き、友人たちと過ごす20歳前後の生活がありました。
就職が近づく中、憧れの夏焼雅の新グループオーディションを知る
大学生活が進むにつれて、二瓶さんにも就職を考える時期が近づきます。
そんな時期に知ったのが、Berryz工房の無期限活動停止後、二瓶さんが以前から好きだった夏焼雅さんが新グループを作るためのオーディションでした。
本人は募集を知った翌日には応募しており、このときは就職活動まであと1〜2年という状況から「ラストチャンス」という意識もあったといいます。
しかし、その一度目のオーディションでは合格できませんでした。
1度目は落選、2度目の挑戦でPINK CRES.メンバーに選ばれる
最初の審査会場では、周囲の参加者を見てまた自信を失いかけたものの、長く続けてきたダンスの審査になると行動が変わりました。
「ダンス審査のときだけは、審査員の人をめちゃくちゃガン見しながら踊っていました」
Billboard JAPAN
一度落ちたあと、再び行われたオーディションにも参加し、2度目は本人が後から映像を見ても驚くほど堂々と踊っていました。
選考する側だった夏焼さんも、当時の二瓶さんについてダンスの見せ方がうまく、クールでキリッとした印象だったと後年のインタビューで語っています。
1回目では落ちたオーディションへもう一度挑み、2016年、20歳でPINK CRES.のメンバーに選ばれました。
最終審査まで進んだ段階では、長く付き合っていた恋人との関係にも区切りをつけ、今度は芸能活動へ進む選択をしています。
PINK CRES.時代|20歳で武道館に立ち、憧れの夏焼雅と活動
PINK CRES.のメンバーになった二瓶さんは、大学へ通う生活から、一気にステージに立つ側へ進みます。
しかも、最初に待っていた舞台は小さなライブハウスではありませんでした。
大学3年・20歳、ほぼ初めてのステージが日本武道館
2016年8月、PINK CRES.は日本武道館で行われたBuono!の公演でお披露目されました。
当時の二瓶さんは20歳の大学3年生で、本人公式ブログにもその年齢と学年がはっきり残っています。
「東京都出身、20歳で大学3年生です」
PINK CRES. official blog
本人によれば、それは「ほぼ初のステージ」でもあり、武道館では緊張してあまり話せなかったと書いています。
長くオーディションに落ち続けた大学生が、メンバーに選ばれて間もなく日本武道館のステージへ立ちました。
ただし本人の中では、武道館へ立ったから自信が生まれたわけではありませんでした。
最初は夏焼雅のファンを前に自信を持てなかった
夏焼雅さんはBerryz工房やBuono!ですでに長く活動していたため、会場には当然、夏焼さんを以前から知っているファンが多くいました。
二瓶さんは後年、PINK CRES.としてデビューしたばかりのころを振り返り、自分を見に来ている人はいないと感じていた時期があったと話しています。
2016年のブログでも、ステージを降りたあとでさえ夏焼さんを見て「かわいい」と思ってしまい、まだファンの目線が残っている様子を書いていました。
それでも、メンバーとして活動する以上は夏焼さんの背中を追うだけではいけないと考え、レッスンやライブを重ねていきます。
ダンスを武器にしながら、振付も担当するようになる
長年続けてきたダンスは、PINK CRES.の活動でも二瓶さんの大きな持ち味になりました。
グループの楽曲では「fun fun fun」の振付を担当するなど、自分が踊るだけでなく振付を作る側にも回っています。
PINK CRES.加入当初はクールな印象を持たれていた二瓶さんですが、活動を続けるうちにステージ外でのキャラクターも表へ出るようになりました。
2020年のインタビューでは、夏焼さんが二瓶さんをグループの「爆弾」と表現し、困った場面で振ると一気に展開を作れる存在だと説明しています。
NOBROCK TVで知られるより前から、PINK CRES.では予想外の反応を返すメンバーとして周囲に見られていました。
2021年、約5年の活動を終えてグループが解散
2017年にはアルバム『crescendo』を発売し、ライブツアーやイベントなどを重ねたPINK CRES.でしたが、2021年6月30日の公演をもって活動を終了しました。
加入した2016年からおよそ5年がたち、二瓶さんは25歳になっていました。
グループ時代の終盤には自分のファンがいる実感を持ち、活動を楽しめるようになっていたといいますが、その場所はここでなくなります。
日本武道館から始まったアイドル生活を終えたあと、二瓶さんの日常には再びアルバイトが入りました。
PINK CRES.解散後|週4〜5日のコールセンターと女優オーディション
PINK CRES.を離れた二瓶さんは、個人で女優を目指して活動を続けます。
2022年1月にはジャストプロへ所属しましたが、芸能活動だけで生活できる状態ではありませんでした。
グループを離れ、生活費のためコールセンターへ
生活費を得るために始めたのがコールセンターのアルバイトで、シフトは週4〜5日入れていました。
電話に出るだけではなく、一件ごとの問い合わせ内容や自分が行った対応を記録する作業も必要でした。
二瓶さんは電話対応を終えると記録を忘れてしまうことがあり、社員から何度も注意されたと振り返っています。
職場には二瓶さんと同じように、舞台俳優や声優を目指しながら働いている人もいました。
電話対応に苦戦しながら、芸能の仕事では月7,000円ほどの時期も
コールセンターで一日働き、電車に揺られて帰る生活の一方で、映画やドラマ、舞台のオーディションも受け続けました。
しかし結果はなかなか出ず、芸能の仕事から得られる収入が月7,000円ほどだった時期もあったといいます。
周囲の友人が結婚していく年齢になり、ご祝儀を出すとその月の生活費が足りなくなることもありました。
それでも元アイドルだったことから、友人にはお金がない状況をなかなか話せなかったと振り返っています。
数年前には武道館に立っていた人が、25歳を過ぎて週4〜5日のコールセンター勤務と不合格続きのオーディションを行き来していました。
「自分は女優になるためにこの事務所に入ったはずなのに、夢って何だったっけ?って」
スタジオパーソル
辞めることも考える中、YouTubeとファンクラブを自分で始める
芸能活動そのものを諦めることまで考えた二瓶さんが次に始めたのは、誰かに選んでもらうためのオーディションではありませんでした。
2022年に「二瓶有加ch」を立ち上げ、自分で動画を公開するようになります。
撮影や編集には時間が必要だったため、目の前の収入が減ることを承知でコールセンターのシフトを減らしました。
「自分の未来のために時間を使ってみようと決めたんです」
スタジオパーソル
同時期には自身のファンクラブ「にへの町」も開設し、自分から発信する場所を増やしました。
すると事務所側からも新しい企画を提案される機会が増え、その中に『佐久間宣行のNOBROCK TV』がありました。
2023年のNOBROCK TVが転機|作っていない自分が仕事になる
2023年3月から二瓶さんは『佐久間宣行のNOBROCK TV』へ出演するようになり、それまでとは違う形で名前が広がっていきます。
現在の所属事務所プロフィールでも、同チャンネルには2023年3月から準レギュラーとして出演していると紹介されています。
自分から動いたことで事務所から新しい仕事の提案が増える
NOBROCK TVへの出演だけを切り取ると突然のチャンスにも見えますが、その前には自分のYouTubeを始め、ファンクラブを作り、アルバイトの時間まで減らした期間がありました。
本人も、自分から動き始めたことで事務所から「こんなことをやってみよう」と声をかけられる機会が増えたと説明しています。
NOBROCK TVも、その流れの中で事務所から提案された仕事の一つでした。
NOBROCK TVで思わず笑うリアクションが注目される
番組で注目されたのは、作り込んだ特技や新しいキャラクターよりも、芸人のネタを前にした二瓶さん自身の素のリアクションでした。
それまでは女性タレントとしてイメージを崩してはいけないという意識もありましたが、思わず笑ってしまう姿を視聴者が面白がったことで状況が変わります。
2026年のインタビューでも、NOBROCK TV出演当初は友人や昔からのファンから「猫を被っている」と言われるほど緊張していたことを明かしました。
「普段の自分をそのまま世に出せたからだという感覚です」
ENCOUNT
PINK CRES.時代に夏焼雅さんから「爆弾」と表現されていた反応の速さが、別の場所ではバラエティーの見どころになりました。
バラエティだけでなく俳優の仕事へ活動が広がる
NOBROCK TVで名前が知られたあと、すぐにすべてが変わったわけではなく、本人は佐久間宣行さんからテレビの仕事が増えるまでには時間がかかると言われていました。
その後は『踊る!さんま御殿!!』などのテレビ番組へ出演しながら、ドラマでは『こういうのがいい』『初恋不倫』『グラぱらっ!』などへ出演しています。
所属事務所が現在掲げている肩書きも「俳優・タレント」で、バラエティーだけに活動を絞っているわけではありません。
コールセンター勤務中に受けては落ちていた俳優の仕事が、NOBROCK TVで名前が広がったあと少しずつ増えていきました。
三鷹とのつながり、そして2026年に再びアイドルのステージへ
芸能活動の幅が広がったあと、二瓶さんの仕事には子どものころから暮らしてきた三鷹市も再び登場します。
さらに30歳を迎えたあとには、10年前とはまったく違う経緯で再びアイドルグループのメンバーになりました。
2025年、ふるさと三鷹応援団に就任
2025年、二瓶さんは三鷹市の魅力を発信する「ふるさと三鷹応援団」に就任しました。
三鷹市も二瓶さんを市内で育った人物として紹介しており、6月には味の素スタジアムで行われるFC東京の「三鷹の日」に応援団として参加することを本人が告知しています。
同じ2025年には兄が撮影した写真をInstagramへ投稿し、大人になってから兄と二人で出かける日はかなり少なかったため、自分にとって珍しい一日だったとも書いています。
幼少期の家族エピソードとして前半へ移動させるのではなく、これは29歳になった二瓶さんと兄の現在の交流として見ることができます。
30歳でDRAW♡MEに参加し、10年ぶりの新しいアイドル活動へ
2026年2月3日、NOBROCK TVのイベント『NOBROCK FES 2026 ~夢を語ったら叶っちゃった夜~』で、二瓶さんはDRAW♡MEのメンバーとしてステージへ立ちました。
DRAW♡MEは森脇梨々夏さん、立野沙紀さん、二瓶有加さん、福留光帆さん、風吹ケイさん、みりちゃむさんの6人で結成され、当初はイベントのための一夜限りのグループでした。
ところがイベント後の反響を受けて活動継続が決まり、6月10日には全国流通CD「素直でごめんね」を発売しました。
6月14日にららぽーと立川立飛で開催されたリリースイベントでは、ソニーミュージックからのメジャーデビューも発表されています。
PINK CRES.で初めて武道館へ立ってから約10年後、30歳になった二瓶さんは別のグループでもう一度アイドルとしてステージに立つことになりました。
メジャー1stシングルは2026年秋ごろのリリース予定と発表されており、8月16日時点ではまだ発売前です。
俳優・タレント・アイドルが並ぶ現在
DRAW♡MEで再びアイドルとして活動する一方、二瓶さんは俳優としてドラマや舞台への出演を続け、バラエティーやラジオの仕事にも出演しています。
2026年のインタビューで、これまでの芸能生活で最も大切だった出会いを聞かれた際には、10年前に自分をPINK CRES.へ選んだ夏焼雅さんの名前を挙げました。
「やっぱり、夏焼雅さんと一緒に活動できたことです」
ENCOUNT
ハロー!プロジェクトやBerryz工房を見ていた少女が、夏焼さんのグループへ2度目のオーディションで入り、そのグループがなくなったあとにはコールセンターへ通いました。
そこで終わらず自分のYouTubeを始めた先でNOBROCK TVへつながり、2026年にはそのNOBROCK TVから生まれたDRAW♡MEで再びメジャーデビューを目指しています。
三鷹で育ち、10代でオーディションへ通い始めた二瓶有加さんは、20歳で憧れていた人と同じグループに入りました。
PINK CRES.解散後にはコールセンターで働く生活を挟み、自分で始めた発信からNOBROCK TVという新しい仕事へ進みました。
30歳になった現在は俳優・タレントの仕事を続けながら、DRAW♡MEでもう一度ステージに立っています。
二瓶有加と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。






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