清水空跳さんは、石川県の星稜高校に通う男子短距離選手です。
高校2年だった2025年7月、インターハイ男子100m決勝で10秒00の日本高校記録をマークし、U20日本記録とU18世界最高記録も更新しました。
ところが、小学4年で陸上教室に入ったころに残る100mの記録は17秒16で、最初から短距離だけで全国トップを走っていたわけではありません。
父、母、姉も陸上競技を経験した家庭で育ち、小学生では水泳や体操、走幅跳にも取り組み、中学では病気を経験しながら200mの全国優勝まで進んでいます。
高校生になってからは身長164cmの体で走り方を磨き、高校1年で10秒26、高校2年で10秒00と記録を縮め、東京世界陸上の日本代表にも選ばれました。
清水空跳の生い立ちと家族|陸上一家の末っ子として育つ
清水空跳さんは2009年2月8日生まれ、石川県出身です。
日本陸上競技連盟の公式プロフィールでは石川県出身とされており、幼いころから金沢で家族と暮らしながらスポーツに親しんできました。
清水家では本人だけが陸上競技を始めたわけではなく、父、母、姉にも競技経験があります。
父は走高跳、母は100m障害、姉も陸上競技へ
父の正雄さんは走高跳の選手で、国体4位の経験があります。
母の絵美さんも100m障害に取り組み、日本選手権や国体へ出場した経験がありました。
姉の優奈さんも陸上競技を続け、全国大会を経験しています。
つまり、清水さんは父母と姉の全員が陸上競技を知る家庭の末っ子として育ちました。
ただし、幼いころから両親に短距離選手になるよう決められていたわけではなく、本人は水泳や体操も経験しながら成長していきます。
走高跳の父と「足偏」から生まれた「空跳」という名前
「空跳」と書いて「そらと」と読む名前にも、両親の陸上競技とのつながりがあります。
母の絵美さんには、子どもの名前に足偏の漢字を入れたいという思いがありました。
そこへ走高跳選手だった父の競技歴も重なり、「空跳」という名前が生まれたといいます。
「空に向かって自分の足で跳ぶ」というイメージが込められた名前でしたが、のちに本人が本格的に選んだのは跳躍ではなく100mや200mの短距離でした。
小学3年ごろは両親が営む寿司店で遊んでいた
両親は金沢駅近くで「あかめ寿司」を営んでいます。
MRO北陸放送の取材では、小学3年ごろの清水さんが店内で過ごしている映像も紹介され、母の絵美さんは当時から体を動かすことが好きな子だったと振り返っています。
寿司店は高校生になって大きな記録を出してから突然登場した場所ではなく、幼いころから清水さんの生活の中にあった場所でした。
明成小学校時代|小学4年で金沢市小学生陸上教室へ
小学校は金沢市立明成小学校に通いました。
競技記録が具体的に残り始めるのは小学4年からで、現在の10秒00とはかなり違う数字から陸上生活が始まっています。
水泳や体操も習い、姉を追って陸上を始めた
小学生時代には水泳や体操も習っていました。
陸上競技を始めたのは10歳、小学4年のころです。
姉が参加していた金沢市小学生陸上教室へ入り、本格的に陸上の練習を始めました。
「10歳(小学4年生)から始めました。家族全員が陸上をやっていたので、自分もやってみた感じです。」
星稜高校
競技一家に生まれながらも、本人の説明は「自分もやってみた感じ」とシンプルで、小学4年の時点で将来の100m日本高校記録まで見据えていたわけではありません。
最初の100mは17秒16、5年生では走幅跳で県2位
金沢市小学生陸上教室へ入ったころに残る100mの記録は、17秒16でした。
同じ4年生のうちに14秒台まで記録を縮め、翌年には短距離だけでなく走幅跳にも取り組んでいます。
小学5年では県大会の走幅跳で4m04を跳び、2位に入りました。
当時の指導者だった野村泰裕さんは、ラダーやミニハードルを使いながら、走ることだけに偏らず基本的な体の動きを身につける練習を行っていました。
清水さんにも走幅跳で5mなど具体的な目標を設定し、いろいろな種目や動きに取り組ませていたといいます。
6年生はコロナ禍で大会が中止、秋の代替県大会へ
小学6年になった2020年は、新型コロナウイルスの影響で競技環境が大きく変わりました。
県の小学生大会や全国につながる大会が中止となり、練習や試合の予定もそれまで通りには進みませんでした。
大会が戻ったのは秋で、代替となる県大会に出場しています。
6年生の秋に県大会リレー優勝、100mは13秒18まで伸びた
秋の大会ではリレーで優勝しました。
個人の100mも、小学6年時には13秒18まで記録を伸ばしています。
小学4年の17秒16から、およそ3年間で4秒近く記録が変わりました。
このころまでに短距離の記録は伸びていましたが、中学校へ進む際には別の問題がありました。
清水空跳さんは2009年2月8日生まれ、石川県出身です。
小学校は金沢市立明成小学校に通いました。
清水さんは小学校卒業後、金沢市立長田中学校へ進みました。
中学を卒業すると、姉も通っていた星稜高校へ進学しました。
星稜高校を選んだ理由について、本人は強豪校としての実績だけではなく、実際に練習へ参加したときの雰囲気を挙げています。
高校へ入ると、100mのタイムはすぐに10秒台前半へ入りました。
高校1年で10秒26まで進んだあと、清水さんは単にレース数を増やすのではなく、冬を使って体と走りを整えていきました。
2025年7月26日、広島で行われたインターハイ男子100m決勝が、清水さんの競技歴で大きな節目になりました。
長田中学校時代|陸上部を求めて進学し、200m全国優勝へ
清水さんは小学校卒業後、金沢市立長田中学校へ進みました。
ここから100mと200mを中心とするスプリンターとして記録が大きく動き始めます。
近隣中学に陸上部がなく長田中を選んだ
中学校選びには、陸上を続けられる環境が関係していました。
自宅近くの中学校には陸上部がなかったため、陸上部のある長田中学校へ進学しました。
小学校で始めた競技を続けるために、進学する学校そのものを選んだ形です。
中学1年春に重症筋無力症と診断された
長田中へ入学した直後の中学1年春、清水さんは重症筋無力症と診断されました。
国が指定する難病で、一時期は体力も落ちました。
その後は薬で症状を安定させながら生活し、陸上競技も続けています。
「薬で安定させるようになって、突然治ったというか、特に気にすることなく生活しています」
PRESIDENT Online
本人はこの病気について必要以上の深掘りを望んでいないことも伝えており、その後の競技生活では毎年100mの記録を更新していきました。
100mは11秒71→11秒40→10秒75、3年生で県大会3冠
100mのシーズンベストは、中学1年の11秒71から始まりました。
中学2年では11秒40、中学3年では10秒75まで短縮しています。
中学3年の石川県中学校陸上では100mを10秒75の県中学新記録で制し、200mも22秒11で優勝しました。
さらに4×100mリレーでも勝ち、100m、200m、リレーの3冠となりました。
全中200mを21秒99で制した
2023年8月の全国中学校体育大会では男子200mに出場しました。
予選で21秒84をマークし、決勝では21秒99で全国優勝しています。
中学最後の冬には室内60mにも出場し、2024年2月のU16日本室内陸上で6秒88の大会記録を出して優勝しました。
星稜高校への進学|練習の「楽しそう」が決め手になった
中学を卒業すると、姉も通っていた星稜高校へ進学しました。
遠方へ競技拠点を移すのではなく、家族や中学時代からの仲間がいる金沢に残る道を選びます。
体験練習で先輩たちと接し、地元の星稜高校へ
星稜高校を選んだ理由について、本人は強豪校としての実績だけではなく、実際に練習へ参加したときの雰囲気を挙げています。
「練習の雰囲気が楽しそうで、実際参加したら先輩達が面白い人だらけだったから選びました。」
星稜高校
入学後には、中学時代から一緒に走ってきた仲間もいる環境で練習を続けました。
高校1年のインターハイ後には、記録が伸びた背景として地元の金沢に残れたことや、両親、先生、中学からの仲間の存在を本人自身が挙げています。
「地元の金沢に残って、陸上ができていることが大きいです。」
BBMスポーツ
高1夏に10秒26、高校1年最高記録を更新
高校へ入ると、100mのタイムはすぐに10秒台前半へ入りました。
2024年7月15日の国民スポーツ大会石川県予選会で10秒26をマークし、当時の高校1年最高記録を更新します。
中学3年のベスト10秒75から、1年足らずで0秒49縮めたことになります。
約2週間後の初インターハイは10秒50で全国2位
10秒26を出した約2週間後には、福岡で行われたインターハイ100mに出場しました。
決勝は向かい風1.5mの条件で10秒50をマークし、高校1年生で全国2位に入りました。
男子100mで1年生がインターハイのメダルを獲得したのは31年ぶり、2位以上は42年ぶりでした。
なお、10秒26はインターハイ決勝の記録ではなく、その前の石川県予選会で出したタイムです。
休みの日は友達と遊び、課題は早めに終えていた
全国の表彰台に立つ一方、学校生活では高校生らしい時間も過ごしていました。
星稜高校のインタビューでは、部活が休みの日は友達と遊びに行くことが多く、自主練習はあまりしないと答えています。
学校の課題や勉強ノートはできるだけ早めに終わらせ、練習へ集中できるようにしていました。
高校2年|身長164cmで走りを磨き、日本選手権10秒19へ
高校1年で10秒26まで進んだあと、清水さんは単にレース数を増やすのではなく、冬を使って体と走りを整えていきました。
本人が高校1年時に答えていた身長は164cmで、同世代のトップスプリンターの中では小柄な体格です。
金沢の冬は外を走れない分、基礎体力と全身づくりへ
金沢の冬は雪や雨が多く、関東や近畿のように一年中屋外で走れる環境ではありません。
清水さんはその時期を、心拍数を上げる練習や全身の筋力、基礎体力を高める期間として使っていました。
練習ではメディシンボール、鉄棒、体幹トレーニング、ドリルなども取り入れ、走路だけで完結しない体づくりを続けています。
「動き作り」と股関節周りの使い方を磨いた
星稜高校のインタビューでは、自分の課題を見つけ、それを直すためにさまざまな「動き作り」を徹底すると説明しています。
父によると、小さいころから背の順は1番前かその後ろあたりで、体格の大きさで押し切るタイプではありませんでした。
本人が自分の走りを説明するときに挙げたのが、股関節周りの使い方です。
「身体の中心の股関節周りから前に突き飛ばすイメージ」
THE ANSWER
高校ではオリンピック、世界選手権のメダリストである末續慎吾さんから指導を受ける機会もあり、自分の動きを細かく見直していきました。
U18アジア選手権優勝から日本選手権準決勝へ
高校2年になった2025年4月には、サウジアラビアで行われたU18アジア選手権の男子100mに出場しました。
決勝は追い風2.3mのため参考記録でしたが、10秒38で金メダルを獲得しています。
7月の日本選手権では100m予選を10秒19で走り、当時の自己ベストを更新しました。
高校生で準決勝まで進み、国内の大学生や実業団選手と同じ舞台で走った数週間後、広島でインターハイを迎えます。
インターハイ100m10秒00|日本高校新とU18世界最高記録
2025年7月26日、広島で行われたインターハイ男子100m決勝が、清水さんの競技歴で大きな節目になりました。
前年は2位だった100mで、今度は高校日本一を狙う立場としてスタートラインへ向かいます。
大会前は父の寿司、決勝前には家族と偶然会った
高校生になってからも、大きな大会へ向かう前には父が握った寿司を食べるのが恒例になっていました。
好きなネタはマグロやトロです。
2025年のインターハイでは両親が店を休み、姉も含めた家族で応援に訪れました。
100m決勝前には競技場の外で家族と偶然会い、清水さんは9秒台を狙う気持ちを伝えています。
父母から「力むなよ」「楽しんでこい」と送り出され、決勝のスタート地点へ向かいました。
10秒00、1000分の1秒では9秒995だった
決勝では追い風1.7mの中、10秒00で優勝しました。
桐生祥秀さんが洛南高校時代の2013年に出した10秒01を0秒01更新する日本高校新記録でした。
同時にU20日本記録、U18日本記録となり、日本陸連ではU18世界最高記録として扱われています。
1000分の1秒まで測ったタイムは9秒995で、100mでは100分の1秒へ切り上げられるため公式記録は10秒00となりました。
身長164cmで48.9歩、平均ストライドは約204.5cm
日本陸連はこの10秒00のレースについて、歩数やストライドも分析しています。
スタートからゴールまでの歩数は48.9歩でした。
平均ストライドは約204.5cmで、164cmという本人の身長の約124.7%に相当します。
高校1年のころから本人が課題として意識していた「ストライドを大きくする」という部分も、数字として確認できる走りになっていました。
200mも制し、競技後は家族のもとへ向かった
インターハイでは100mだけで終わらず、200mにも出場しました。
追い風2.7mのため参考記録ながら20秒39で優勝し、100mとの2冠を達成しています。
競技後の取材では、姉が先に帰ってしまうことを気にして家族のところへ向かい、トロフィーを母へ渡して父母姉と4人で写真を撮りました。
幼いころから陸上を知る家族がそろった大会で、高校日本記録と2冠が同じ数日間に重なりました。
「自分の舞台が出来上がった」
星稜高校陸上競技部
10秒00の先で東京世界陸上日本代表へ
インターハイの10秒00は高校記録だけでなく、その年の東京世界陸上へつながるタイムにもなりました。
高校2年、16歳で初めてシニアの世界選手権日本代表へ入ります。
観客として見るはずだった世界大会で代表入り
もともと清水家では、東京で開催される世界陸上を観客として見る予定もありました。
ところが本人が10秒00を出したことで状況が変わり、清水さん自身が男子4×100mリレーの代表候補として大会へ参加することになります。
高校生で世界選手権日本代表となり、桐生祥秀さん、小池祐貴さん、柳田大輝さん、鵜澤飛羽さんらと同じ日本代表チームに入りました。
4×100mリレーのメンバーに選ばれたが出走はなかった
東京世界陸上ではリレーメンバーとして代表入りしたものの、実際のレースを走る機会はありませんでした。
日本は予選、決勝ともに小池祐貴さん、柳田大輝さん、桐生祥秀さん、鵜澤飛羽さんの4人で走り、決勝6位となっています。
清水さんは大会後、自身のInstagramで代表チームに入って学んだことと、次は自分が世界の舞台を走るという目標を記しました。
「必ず世界にも通用する選手になって次は走りたい」
日刊スポーツ
世界陸上後も国スポなど国内外の大会へ進んだ
世界陸上後の9月にはU20東アジア選手権100mに出場し、予選で10秒14をマークしたあと、決勝で銀メダルを獲得しました。
10月の滋賀国民スポーツ大会では少年男子A100mを10秒19で制し、高校2年のシーズンを走り切っています。
12月には日本陸連のアスレティックス・アワードで新人賞を受賞し、翌シーズンへ進みました。
高校3年の現在|故障から再出発し、秋の国スポへ
10秒00を出した翌年の2026年は、高校3年のシーズンを故障と向き合いながらスタートしました。
前年のように春から100mを走り続けるのではなく、レースへ戻る時期を探すシーズンになっています。
4月の右膝裏、5月の左ハムストリングで初戦が延びた
4月中旬に右膝の裏へ違和感が出たため、4月12日の大会と29日の織田記念への出場を見送りました。
5月のセイコーゴールデングランプリでは出場を予定していましたが、前日の練習で今度は左ハムストリングを痛めて欠場します。
本人は硬いスパイクへ変更したことも原因の一つではないかと考え、それまで使っていたタイプへ戻しました。
インターハイ石川県大会の個人種目も欠場し、前年に2冠を取ったインターハイへ100m、200mで進む道はここでなくなりました。
6月にリレー復帰、7月の布勢スプリントで100m10秒28
最初に実戦へ戻ったのは6月の北信越高校総体でした。
4×100mリレーでは星稜高校のアンカーを務めましたが、故障明けのため最初から全力で走る計画ではありませんでした。
「西野弥希先生とも8、9割がマックスで、それ以上は絶対に上げない約束で出場しました。」
BBMスポーツ
星稜高校は4×100mリレーを40秒66で制し、清水さんは4×400mリレーにも出場してこちらも優勝しました。
7月5日の布勢スプリントでは、個人100mとしては約260日ぶりのレースを走り、予選を10秒28で通過しました。
ところが決勝では途中から左ハムストリングに痛みを感じ、自分でスピードを落として11秒52でフィニッシュしています。
U20世界選手権などを欠場し、秋のレースを見据える
8月に予定されていたU20世界選手権では100mと4×100mリレーの代表に選ばれていましたが、肉離れからの回復状況を踏まえて欠場となりました。
目先の大会を優先せず、安全面とその後のレースを考えた判断とされています。
2026年8月時点では、次の大きな目標として秋の国民スポーツ大会を見据えています。
高校3年のシーズンは、前年の10秒00をすぐ更新する流れではなく、走れる状態を取り戻しながら次の100mへ進む時間になっています。
小学4年で陸上教室に入り、17秒台から始まった100mは、中学と星稜高校での競技生活を経て10秒00まで進みました。
高校2年では日本高校記録と世界選手権代表を経験し、高校3年では故障からもう一度レースへ戻る過程にいます。
家族や金沢の競技環境の中で始まった陸上生活は、次の100mへ向かって続いています。
清水空跳と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。






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