午前0時のプリンセス(ぜろぷり)のJESSICAさんは、SNSで見せる明るいキャラクターだけでなく、長くダンサー・振付師として活動してきた人物です。
1995年8月25日生まれの大阪府出身で、2025年には「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2025」に選ばれ、現在はKADOKAWA DREAMSのAVANCEでもプロダンサーとして活動しています。
- プロドラマーの父や祖父母に囲まれ、幼いころから音楽が身近にあった。
- 小学2年生のころ、家で踊る姿を見た父がダンスを勧め、スクールへ連れて行ったことが本格的なダンス開始のきっかけ。
- 現在の道につながる原点:幼少期から活動
その原点にあるのが、小学2年生から長く続けてきたダンスです。
高校卒業後には雑貨店でアルバイトをしながら大阪と東京を行き来し、やがてDREAMS COME TRUEのバックダンサーに選ばれますが、その後も生徒が誰も来ないダンス講師時代など、現在の姿からは見えにくい時期が続いていました。
JESSICA(ゼロプリ)の生い立ちと家族|父と祖父母に囲まれた大阪の幼少期
JESSICAさんが育ったのは大阪の父子家庭でした。
父親はプロのドラマーで、幼いJESSICAさんの身近には早くから音楽がありました。
父子家庭で父・姉と育ち、祖父母からも愛情を受ける
家族には父親と姉がおり、子ども時代には祖父母もJESSICAさんの生活を支えていました。
本人は後年、父子家庭だったことを隠すようには話さず、父親からたくさんの愛情を受けて育ったと振り返っています。
「うちは父子家庭だけど、父親からすごく愛をもらって育った」
MORE
祖父母についても、父とともに自分へ愛情を注いでくれた存在として話しており、食卓では唐揚げをたくさん食べて育ったという、家庭の景色が伝わる思い出も残っています。
父だけでなく祖父母も身近にいる環境が、幼い頃のJESSICAさんの日常でした。
母親については詳しい事情を公に語る機会は多くなく、幼少期について本人が具体的に話しているのは、父や祖父母と過ごした日々です。
小学2年生、家で踊る姿を見た父のひと言でダンススクールへ
JESSICAさんがダンスを習い始めたのは小学2年生だった2002年です。
当時はBoAさんなど、歌いながら踊る女性アーティストに憧れ、家でも音楽に合わせてよく踊っていました。
その姿を見ていた父親がダンスを習うことを勧め、実際にスクールへ連れて行ったことから、本格的なレッスンが始まりました。
プロドラマーだった父親は音楽の世界を仕事にする厳しさも知っていましたが、ダンスを始めたい娘を止めるのではなく、最初の一歩を作ったのも父親でした。
小中学生時代、体型をからかわれながらダンスは一度も辞めなかった
一方、小学校から中学校にかけては、体型について周囲から言葉を向けられることがありました。
本人によると幼稚園の頃からふっくらした体型で、学校では「デブ」と呼ばれたり、体型にちなんだあだ名を付けられたりしたこともあったそうです。
それでも、いくつか経験した習い事のなかで、ダンスだけは続いていました。
「ダンスだけは一度も辞めなかった」
Woman type
体型について言われることへの葛藤はありながらも、自分自身を完全に嫌っていたわけではなかったと本人は話しています。
周囲から体型をからかわれていた時期にも、踊ることは生活から消えませんでした。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
JESSICAの高校時代|20キロ以上の減量と「ダンスで生きる」進路
中学校を終える頃になると、体型だけでなく高校や将来の進路も現実的な問題になっていきました。
ここでも父親は、音楽関係の仕事を知る立場から娘の進路に具体的な助言をしています。
高校進学前に20キロ以上痩せ、自信まで失った
高校へ入る前、JESSICAさんは体型について言われ続けることが嫌になり、本格的にダイエットへ取り組みました。
その結果、20キロ以上の減量を経験しています。
数字だけを見れば目標を達成したように見えますが、本人の感覚はそれとは違っていました。
痩せたあと、以前より自信がなくなり、ダンサーとしての自分の魅力まで薄れたように感じたといいます。
「痩せればすべてが変わる」という経験にはならず、10代の間にはダイエットとリバウンドを繰り返したことも、2026年にKADOKAWAが発表した本人初エッセイの紹介で明かされています。
プロドラマーの父に勧められ商業科へ、簿記などの資格を取る
高校選びでは、父親から資格を取れる学校を勧められました。
音楽一本で生活する難しさを知っていた父親からの提案を受け、JESSICAさんは商業科へ進学しています。
そこでダンスだけをしていたわけではなく、学校では簿記検定などの資格も取得しました。
高校名そのものは公表されていませんが、商業科で資格を取りながらダンスを続けていたことは本人が具体的に明かしています。
父親が小学2年生の娘をダンススクールへ連れて行った一方、高校では別の進路にも使える資格を勧めていたことになります。
卒業時に大学や就職を選ばず、ダンスを続ける道へ進む
高校卒業が近づくと、同級生たちは大学進学や就職について考え始めました。
JESSICAさんの場合、この時点で進みたい方向は決まっていました。
「ダンスで生きていきたい」
Woman type
2013年に高校を卒業すると、大学へ進んだり一般企業へ就職したりするのではなく、ダンスを続けながら仕事をする生活へ入りました。
ただし、卒業と同時にダンサーだけで生活できるようになったわけではありません。
ここから約6年間、アルバイトとダンスを並行する時期が始まります。
JESSICAさんが育ったのは大阪の父子家庭でした。
中学校を終える頃になると、体型だけでなく高校や将来の進路も現実的な問題になっていきました。
高校へ入る前、JESSICAさんは体型について言われ続けることが嫌になり、本格的にダイエットへ取り組みました。
一方、小学校から中学校にかけては、体型について周囲から言葉を向けられることがありました。
高校卒業が近づくと、同級生たちは大学進学や就職について考え始めました。
高校卒業後の下積み|雑貨店で働きながら大阪と東京を往復
高校を出た2013年、JESSICAさんの生活に加わったのが雑貨店でのアルバイトでした。
大阪を拠点に働きながら、レッスンやダンサーとしての機会を求めて動き続けます。
2013年、雑貨店のアルバイトとダンスを両立する生活が始まる
卒業後は雑貨店で働いて収入を得ながら、空いた時間をダンスへ使っていました。
高校時代までの「学校とダンス」という生活が、この時期から「アルバイトとダンス」へ変わったことになります。
アルバイトを始めたあとも、地元の範囲だけでレッスンを完結させていたわけではありません。
より多くのレッスンを受けるため、東京まで足を運ぶようになりました。
夜行バスで東京へ通い、お金がない時には公園で寝泊まり
大阪から東京への移動に使っていたのは夜行バスでした。
東京でレッスンを受け、再び大阪へ戻る生活を繰り返していましたが、毎回ホテルを取れるだけのお金があったわけではありません。
本人は後年、宿泊費がなく、東京の公園で寝泊まりしたこともあったと話しています。
2026年10月発売予定の初エッセイ『選んだ道やで絶対正解』のKADOKAWA公式紹介でも、この時期について所持金1万円以下で東京の公園に泊まっていた下積み時代として紹介されています。
雑貨店で働きながら夜行バスへ乗り、レッスンを受けて大阪へ戻る日々の途中で、最初の大きな仕事が決まりました。
19歳でDREAMS COME TRUEのバックダンサーに選ばれる
2014年、JESSICAさんはDREAMS COME TRUEのバックダンサーオーディションを受けました。
オーディションに合格し、19歳でDREAMS COME TRUEのバックダンサーとして大きなステージへ立つことになります。
本人は、大きな会場で誰もが知る楽曲を踊る経験だったと振り返っています。
高校を卒業してからまだ間もない時期に、有名アーティストの後ろで踊る仕事まで届いたことになります。
しかし、その経験だけでアルバイトを辞められるほど仕事が安定したわけではなく、翌年からは別の形でダンスと関わり始めました。
20代前半のダンス講師時代|生徒0人の日から仕事だけで生活できるまで
ステージで踊る仕事を経験したJESSICAさんが、次に始めたのは人へダンスを教える仕事でした。
きっかけを作ったのは、それまで世話になっていたダンスの先生です。
20歳頃、先生に誘われてダンスインストラクターになる
20歳頃、その先生からダンスインストラクターをやってみないかと声をかけられました。
2015年から、JESSICAさんはダンスインストラクターとしても活動を始めます。
DREAMS COME TRUEのバックダンサーを経験した直後ではありますが、講師として最初から多くの生徒を抱えていたわけではありません。
教える側では、ステージとはまったく違うところからのスタートでした。
スタジオに生徒が誰も来ない日もアルバイトを続けながら教える
講師を始めたばかりの頃、レッスンをするためスタジオへ行き、ドアを開けても生徒が一人もいない日がありました。
それでも雑貨店のアルバイトを続けながら、ダンサーとインストラクターの仕事を重ねていきます。
有名アーティストのバックダンサーを経験したあとに、生徒0人の教室へ通う時期が続いたことになります。
24歳でエイベックスの講師オーディションに合格し、2019年にアルバイトを辞める
講師として経験を重ねていた24歳の頃、JESSICAさんはエイベックスのダンス講師オーディションを受けました。
そこで合格すると、レッスンを受け持つ日が増え、ほぼ毎日のように教える環境へ変わっていきます。
MOREに掲載された本人の年表では、2019年に雑貨店のアルバイトを退職しています。
高校卒業から続けていたアルバイトを離れ、ダンサーとインストラクターの仕事へ軸足を移したのがこの時期です。
生徒がいない日もあった講師生活から、ほぼ毎日レッスンを持てる状態へ変わり、ようやくダンスの仕事だけで生活することが現実味を帯びてきました。
『うたコン』の振付から指名仕事が増え、NAOKOら生徒も育っていく
講師の仕事が増えた頃、振付師としての活動にも新しい動きがありました。
NHKの音楽番組『うたコン』からエイベックスへ振付の依頼が入り、そのタイミングで対応できたJESSICAさんが担当することになりました。
番組ではIZ*ONE「CAT’S EYE」の振付も手がけています。
この仕事のあと、今度は「JESSICAさんにお願いしたい」と名前を挙げて振付を依頼される機会が増えていきました。
ステージで踊る側、教える側に続いて、振付を作る側にも仕事の範囲が広がっていきます。
講師として教えた生徒のなかには、のちにガールズグループHANAのメンバーとなるNAOKOさんもいました。
この師弟関係が再び公の場で交わるのは、さらに数年後の2025年です。
2020年代にSNSへ|プラスサイズモデルとぜろぷりにつながった発信
ダンスだけで生活できるようになった頃、社会では新型コロナウイルスの流行によって活動環境が大きく変わりました。
JESSICAさん自身も、この時期にSNSで自分から発信することへ力を入れ始めます。
コロナ禍のコメント欄を見て、自分から発信したいと思う
きっかけの一つになったのは、SNSに投稿された動画のコメント欄でした。
ダンス動画などに登場する人たちの容姿へ、体型を理由にした否定的な言葉が寄せられているのを目にしました。
小中学生の頃に自分も体型について言われてきたJESSICAさんは、そこで自分自身の姿をもっと発信する方向へ動き始めます。
ダンサーとして作品を見せるSNSだけではなく、自身の体型やファッションを含めて前に出る発信が増えていきました。
SNSをきっかけにプラスサイズモデルの仕事が始まる
SNSでの発信を続けていると、今度はプラスサイズモデルとして声がかかりました。
最初のきっかけは、大きいサイズのウエディングドレスを扱う仕事からの依頼でした。
担当者が見ていたのは、JESSICAさんがSNSへ投稿していた、自分の姿を堂々と写した写真や動画でした。
その仕事をきっかけに別のブランドからも声がかかり、ダンサーとは別に、プラスサイズモデルという仕事が加わっていきます。
2022年9月、午前0時のプリンセスを結成
そして2022年9月1日、JESSICAさんはmomohahaさん、聖秋流さん、大内さんとともに「午前0時のプリンセス」として活動を始めました。
グループ名を略した「ぜろぷり」として、YouTubeやTikTokなどを中心に4人で動画を発信していきます。
2002年にダンスを始めてから20年がたった2022年、JESSICAさんの活動に「YouTuber」という新しい肩書きが加わりました。
ぜろぷりで知られるようになってからもダンスを離れたわけではなく、振付やレッスン、モデルの仕事と並行して活動しています。
動画活動が広がるほど、以前から知るダンサーや生徒との関係も、別の場所で再び現在の活動へ現れるようになりました。
2025年から現在|家族との再会とダンサーとして広がった現在地
2025年には、JESSICAさんの過去と現在が重なる出来事が続きました。
一つは家族との再会で、もう一つはダンス講師時代の生徒との再会です。
2025年5月、16年間会っていなかった姉と再会
2025年5月21日、ぜろぷり公式YouTubeに、JESSICAさんと姉との再会を扱った動画が公開されました。
幼少期に同じ父のもとで育った姉とは、その後16年間会わない時期が続いていました。
JESSICAさん自身、家族に関する内容だけに動画を公開するか迷ったと説明しています。
「16年を経て再会できて、仲良くなれた。」
午前0時のプリンセス公式YouTube
2025年に16年ぶりの再会を果たし、その後は姉と再び交流できる関係になったことを本人が明かしました。
2025年8月、元教え子HANA・NAOKOとForbesの舞台に立つ
姉との再会から約3か月後の2025年8月25日、30歳の誕生日を迎えたJESSICAさんは「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2025」の受賞者として式典へ登壇しました。
同じ受賞者のなかには、HANAのNAOKOさんがいました。
NAOKOさんは、JESSICAさんがダンス講師をしていた頃のレッスン生です。
JESSICAさんによると、二人は以前から一緒にステージへ立つことを話していました。
「昔、いつか一緒のステージに立ちたいね」
エイベックス・ポータル
授賞式ではNAOKOさん自身も、JESSICAさんとの関係に触れました。
「私の師匠にあたる方。」
エイベックス・ポータル
さらにNAOKOさんは、アーティストとしてだけでなく、人として教えてもらったものが現在の自分を作っているという趣旨の言葉を続けています。
講師だったJESSICAさんと元生徒のNAOKOさんが、2025年に同じForbes受賞ステージへ立つことになりました。
生徒が誰も来ないレッスンを経験した時代から約10年後、教え子と並ぶ舞台が生まれたことになります。
ぜろぷり・振付・Dリーグでダンスを続ける現在
2026年現在も、JESSICAさんの活動からダンスがなくなったわけではありません。
KADOKAWA DREAMSではAVANCEのメンバーとして登録され、プロフィールにはダンスジャンルHipHop、身長156cm、ダンサー・振付師としての経歴が掲載されています。
AVANCEはD.LEAGUE登録選手として活動するプロダンサーによるチームで、JESSICAさんもダンサーとして所属しています。
一方のぜろぷりは、2026年9月1日に結成4周年を迎えました。
2026年にはぜろぷりとして大阪成蹊大学のテレビCMに出演し、ABEMA PrimeのレギュラーMCにも加わるなど、4人での活動も続いています。
8月25日には31歳を迎え、10月26日には初の著書となる『選んだ道やで絶対正解』の発売が予定されています。
同書では、父と祖父母に囲まれた幼少期、10代の体型への悩み、東京の公園に泊まったダンスの下積み時代など、これまで本人が語ってきた過去もまとめられる予定です。
小学2年生で始めたダンスは、24年が過ぎた2026年にもJESSICAさんの仕事として続いています。
父や祖父母と過ごした大阪での生活から始まり、JESSICAさんは小学2年生で出会ったダンスを手放さずにきました。
高校卒業後のアルバイトや東京通い、教える仕事を経て、踊ることに振付、モデル、発信という仕事が少しずつ加わっていきました。
2026年現在も、ぜろぷりのJESSICAでありながら、キャリアの最初に選んだダンサーとして活動を続けています。
JESSICA(ゼロプリ)と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。



