岸谷蘭丸の生い立ちと家族|小児リウマチ、早実から海外留学・起業まで

岸谷蘭丸
ひと目でわかるプロフィール 岸谷蘭丸
きしたにらんまる
出身地
東京都
生まれ年代
2000年代生まれ
活動ジャンル
起業家
性別
男性
育った家庭
父・岸谷五朗さん、母・岸谷香さんの長男として育った。芸能一家に生まれた一方、小児リウマチや海外留学を経験し、俳優・音楽ではなく…
キャリアの原点
海外留学や受験経験をもとに教育・留学分野で発信し、事業を立ち上げた。
人生の転機
高校からの米国留学と2度の海外大学受験で得た経験を、海外留学支援サービス「MMBH留学」の立ち上げへつなげ、個人の留学経験を事業へ変えた。

岸谷蘭丸さんは、海外進学支援サービス「MMBH留学」の代表を務めながら、ニュース番組やトーク番組でMC・コメンテーターとして活動しています。

本名で表に出たのは2024年12月で、それ以前は祖母の名字を借りた「柚木蘭丸」として動画を発信し、父が俳優の岸谷五朗さん、母がミュージシャンの岸谷香さんであることを伏せていました。

岸谷蘭丸さんを理解する3つのポイント
  1. 著名な俳優の父とミュージシャンの母を持つ家庭で育ち、小児リウマチの治療も経験した。
  2. 海外留学や受験経験をもとに教育・留学分野で発信し、事業を立ち上げた。
  3. 高校からの米国留学と2度の海外大学受験で得た経験を、海外留学支援サービス「MMBH留学」の立ち上げへつなげ、個人の留学経験を事業へ変えた。

3歳から続いた小児リウマチ、早稲田実業高等部へ進まない決断、アメリカの高校での孤独、浪人を経た海外大学合格が、現在の教育事業より前にありました。

病室で本を読んでいた子どもが、どのように海外進学を支える会社を始めるまでになったのでしょうか。

岸谷蘭丸の生い立ちと家族|3歳で始まった小児リウマチ

岸谷蘭丸さんは、2001年7月7日に東京都で生まれました。

物心がつくころには病院へ通う生活が日常になっていましたが、家では両親と妹に囲まれて育っています。

父・岸谷五朗、母・岸谷香、2歳下の妹と暮らした4人家族

父は俳優の岸谷五朗さん、母はPRINCESS PRINCESSのボーカルとしても知られる岸谷香さんで、蘭丸さんは夫妻の第1子です。

きょうだいは2歳下の妹が1人で、幼少期の岸谷家は父、母、蘭丸さん、妹の4人家族でした。

「蘭丸」という名前は、母が響きを気に入り、男の子の名前に「丸」を付けたかったことから選ばれたもので、歴史上の人物にちなんだ名ではないと本人が明かしています。

両親は病気を理由に行動を狭めず、体調が許す範囲でスキー、水泳、サッカーにも連れて行きました。

幼稚園より病院が身近だった時期、本と絵が日課になった

3歳で若年性特発性関節炎、いわゆる小児リウマチを発症し、原因が分かるまでの約1年間、両親はいくつもの病院へ蘭丸さんを連れて行きました。

症状が特に強かった4歳から6歳ごろは、座っていることさえつらく、車いすで移動した時期もありました。

3〜4日ほどの入院を何度も繰り返し、幼稚園へ通えたのは全体の4分の1ほどだったといいます。

「終わったな、人生の終わりだ」

たまひよ

病室では食事をして眠り、面会時間に来た両親と少し遊び、許された時間だけ携帯ゲーム機の「ポケモン」を楽しみました。

残る時間に手を伸ばしたのが本で、『はらぺこあおむし』『たんたのたんてい』から始まり、小学生になると青い鳥文庫や『マジック・ツリーハウス』を読むようになりました。

色鉛筆や絵の具を使って画用紙に絵も描き、読書と絵が、体を動かせない病室で続けられる日課になりました。

治療で大量のステロイドを服用したため、顔が丸くなる、体毛が濃くなる、身長が伸びにくくなるといった副作用も出ました。

小学校低学年には約3年間ほとんど身長が伸びず、2歳下の妹に追い越されたことも覚えています。

9歳の新薬で翌日から痛みが消え、10歳で寛解した

週2回の注射治療が体に合わないなか、9歳で月1回注射する新薬「アクテムラ」の治験に参加しました。

注射を受けた翌日には、それまで常にあった痛みを感じなくなりました。

「健康な体ってこういうものなんだ」

たまひよ

10歳で寛解し、10歳以降は治療も特別な薬の服用も必要なくなりました。

幼稚園の卒園式で友だちが受け取る皆勤賞を見ていた蘭丸さんは、元気になった体で、次は学校を休まずに通うことを目標にします。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

父 岸谷五朗 俳優

公に活動する俳優。

信頼できる媒体 出典を見る
母 岸谷香 ミュージシャン

元PRINCESS PRINCESS。本人が母から受け継いだ価値観について語っている。

信頼できる媒体 出典を見る

トキワ松学園小学校|受験の不合格後に出会った学びの場

小学校受験では志望校に届かなかったものの、蘭丸さんは病気への理解がある私立のトキワ松学園小学校へ進みました。

体調に波が残る時期の登校を、学校側も一緒に考えてくれました。

病気を受け入れた小学校で、短時間登校から皆勤を目指した

受験準備では、病室でも続けていた絵が得意分野になり、箸で豆を一つの皿から別の皿へ移す練習にも取り組みました。

入学後も早退して病院へ向かい、週末に入院する生活が続きましたが、欠席した授業は先生が補ってくれました。

体調が悪い日には、1時間だけでも授業へ出られるよう学校が調整し、幼稚園のころから望んでいた皆勤賞を目指せる環境ができました。

新薬が効いてからは友だちと同じ一日を過ごせるようになり、卒業時には念願だった皆勤賞を受け取っています。

小学5年生でSAPIXへ、母のプリプリ再結成と重なった中学受験

トキワ松学園は当時、中学校から女子校になるため、男子児童の多くが中学受験へ進む環境でした。

小学5年生でSAPIXへ入り、入院中から本を読んでいたため国語は得意でしたが、ほとんど手を付けていなかった理科と社会は中ほどの成績から始まりました。

理科と社会を学び始めるとテストごとにクラスが上がった一方、同じ2012年、母の岸谷香さんは東日本大震災の復興支援のため、PRINCESS PRINCESSを16年ぶりに再結成しました。

それまで子どもたちにとって母は家にいる「普通のお母さん」で、同級生からテレビ出演の話をされるようになった蘭丸さんは反発を強めました。

「学校に来ないでくれ」「駅で名前を呼ぶな」「ミニスカートでテレビにでるな」

STORY

母が活動で家を空ける間はママ友が塾の送迎を助けましたが、蘭丸さんの成績は20あるクラスのうち10クラスほど下がりました。

その年のNHK紅白歌合戦を終えた翌日から、母は再び説明会、願書、塾の送り迎えに時間を使っています。

追い込みを経て、第一志望の早稲田実業中等部に合格した

第一志望に選んだのは、大学まで続く系属校であり、男女共学でもある早稲田大学系属早稲田実業学校中等部でした。

「入学後はもう勉強したくない」という考えも志望理由の一つでしたが、受験前には落ちたクラスを戻すため、母とともに立て直しています。

小学6年生で第一志望の早稲田実業中等部に合格し、皆勤賞も手にしてトキワ松学園を卒業しました。

謝恩会で母に歌ってほしいという案が出た際は「お母さんが歌うなら僕は出ない」と譲らず、企画は中止になっています。

人生年表 岸谷蘭丸さんの歩み
幼少期
岸谷蘭丸の生い立ちと家族|3歳で始まった小児リウマチ

岸谷蘭丸さんは、2001年7月7日に東京都で生まれました。

小学校
トキワ松学園小学校|受験の不合格後に出会った学びの場

小学校受験では志望校に届かなかったものの、蘭丸さんは病気への理解がある私立のトキワ松学園小学校へ進みました。

小学校
病気を受け入れた小学校で、短時間登校から皆勤を目指した

受験準備では、病室でも続けていた絵が得意分野になり、箸で豆を一つの皿から別の皿へ移す練習にも取り組みました。

高校
アメリカの高校時代|英語の最下位クラスから進学校へ

日本の高校へ内部進学する道を離れた蘭丸さんは、全寮制高校を探してアメリカ各地の学校を受験しました。

早稲田実業中等部|成績低迷から高等部へ進まない決断まで

望んだ中学校へ入ると、蘭丸さんには多くの友だちができました。

一方で、受験という目標を失ったあと、授業へ向かう理由を見つけられなくなっていきます。

遅刻と保健室が増え、学力テストは250人中243位へ

入学当初は順調でしたが、中学2年生ごろから校風や規則が合わないと感じ、授業中に眠ったり保健室で過ごしたりする日が増えました。

昼休みになると登校し、友だちと弁当を食べてから保健室へ向かうこともあり、学校を離れても友人関係だけは続いていました。

中学2年生の学力テストでは、250人中243位まで順位が下がりました。

親に見せる点数を取り繕うため、成績のよい同級生から小テストを買い取ったことも、後年の番組で自ら話しています。

薬の副作用などで増えた体重は、中学2年生の冬に食事と運動を見直して約20キロ落としました。

中学3年生で内部進学を辞退し、セブ島から海外へ目を向けた

漫画やゲームにも飽き、何にも取り組まない日々への不安が大きくなると、蘭丸さんは高等部へ進まず、環境を変える案を考え始めました。

母へ相談すると、逃げるだけではなく次の目標へ進むなら協力すると返され、中学3年生の夏休みにフィリピン・セブ島で短期留学を経験します。

帰国後はアメリカの高校を目指すと決め、早稲田実業中等部を卒業したうえで、高等部への内部進学を辞退しました。

「早稲田実業を中退」したのではなく、中等部は卒業しています。

渋谷の留学塾で、のちの共同創業者・坂本雄大と出会った

15歳になると、渋谷の留学準備塾キャタルへ通い、同じく高校留学を目指していた坂本雄大さんと出会いました。

「とにかく授業中ずっとゲームやっているやつだな」

MMBH留学公式note・坂本雄大さん

休み時間に皆が「モンスト」で遊ぶ横で、蘭丸さんは1人で「城とドラゴン」を続けていたため、坂本さんには単独行動の印象が残りました。

留学準備コースで話すうち、2人とも中高一貫校の先へ進まないことや、中学受験へ力を注いだことが分かり、親しくなっていきます。

留学までの数か月には、朝6時ごろ起きて湘南へサーフィンに行き、午後は塾、その後はダーツやカラオケ、古着店を回る日もありました。

アメリカの高校時代|英語の最下位クラスから進学校へ

日本の高校へ内部進学する道を離れた蘭丸さんは、全寮制高校を探してアメリカ各地の学校を受験しました。

友だちも家族もいない場所で、まず英語を学ぶところから高校生活が始まります。

20校以上へ出願し、ニューヨーク州のRoss Schoolへ進んだ

20校以上を受験した末、ニューヨーク州イーストハンプトンのRoss Schoolへ進学しました。

英語力別のクラスでは一番下からの出発で、1学期ごとに一つ上のクラスへ進む目標を決めました。

多い日は1日15〜16時間を勉強に使い、ほかの生徒が集まる時間にも机へ向かいました。

その結果、本来3年かかる留学生向けESL課程を1年で修了し、飛び級で次の学年へ進みます。

The Hun School of Princetonへ転校し、友人を失うほど勉強した

Ross Schoolで1年を過ごすと、大学受験を見据えて、ニュージャージー州プリンストンの進学校The Hun School of Princetonへ転校しました。

ESLを終えても、大学上位校を目指す生徒たちが速い英語で交わす会話はほとんど理解できず、授業以外で話す相手がいない時間が長く続きました。

早稲田実業では授業を避けても一緒に弁当を食べる友だちがいましたが、新しい学校では、勉強を続ける代わりに友人との時間が消えていきました。

食欲が落ちて体が細くなり、朝起きられず遅刻が増え、学校のカウンセリング室へ通ったこともあります。

留学初期には週末にマンハッタンで会い、電話で近況を話し、感謝祭で寮が閉まる時期には、それぞれの母親を交えた4人でステーキ店へ出かけました。

転校後に勉強が激しくなるにつれて、坂本さんとは一時疎遠になりました。

長髪とメイクを楽しむなか、ジェンダーを問われ続けた

16〜17歳ごろは髪を長く伸ばし、メイクやファッションを楽しんでいましたが、周囲から性自認や性的指向をはっきり示すよう求められることが重なりました。

自分をバイセクシュアルやクィアと表現した時期もあったものの、帰国後に公開した公式動画では、現在の認識を次のように話しています。

「僕のジェンダーはゴリゴリの男なんですよね」

岸谷蘭丸とフレンズ公式YouTube

髪型やメイクは本人にとってファッションであり、現在の性自認は男性、性的指向は異性愛だと説明しています。

浪人期と柚木蘭丸としての発信|UCL・ボッコーニ大学合格まで

アメリカの高校を終えるころ、蘭丸さんは現地の大学へ出願しました。

一度決まった進学先へそのまま入るのではなく、日本で1年間を使って受験し直す道を選びます。

フォーダム大学に合格後、進学せず1年間のギャップイヤーを選んだ

ニューヨークのフォーダム大学に合格しましたが、納得できる受験結果ではないと考え、進学を見送りました。

日本へ戻ったギャップイヤーには、インターンや家庭教師を経験し、Liberty English Academyで英語を学び直します。

TOEFLのスコアは98点から110点へ上がり、海外大学への再出願に備えました。

2021年、両親を伏せて「柚木蘭丸」の発信を始めた

浪人中の2021年、祖母の名字を使った「柚木蘭丸」としてYouTubeとTikTokへの投稿を始めました。

発信したのは教育、留学、社会の話題などで、岸谷五朗さんと岸谷香さんの息子であることは明かしていません。

親の知名度とは別に自分の考えを見てもらい、仕事の形ができるまでは本名を前面に出さない方針でした。

UCLとボッコーニ大学に合格し、ミラノで学ぶ道を選んだ

再受験では、イギリスのUCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)と、イタリアのボッコーニ大学の両方に合格しました。

進学先にはミラノのボッコーニ大学を選び、2022年に入学します。

専攻はEconomics and Management for Arts, Culture and Communicationで、経済や経営を土台に、芸術・文化・コミュニケーション分野を学ぶコースです。

ボッコーニ大学とMMBH創業|留学経験が仕事になるまで

大学に進んだ2022年、蘭丸さんは海外大学を目指す生徒の家庭教師や願書添削を始めました。

まだ会社はなく、アメリカの高校と2度の海外大学受験で身につけた方法を、目の前の生徒へ渡す仕事でした。

芸術と経営を学びながら、海外大学受験の個別指導を始めた

ボッコーニ大学では会計、統計、経済、マーケティングなどを学びながら、ロンドンやアメリカの大学を志望する生徒を個別に支えました。

TOEFLやIELTSの対策だけでなく、学校選び、願書、エッセイまで、かつて自分が迷った工程を指導内容に変えていきます。

坂本雄大とステーキ店で再会し、2023年2月に会社を作った

疎遠になっていた坂本さんは、蘭丸さんがInstagramのストーリーズに載せたボッコーニ大学合格の報告を見つけ、連絡を取りました。

2人は、留学時代に通ったステーキ店の日本店で再会し、その食事中に会社を作る話を決めました。

2023年2月14日にMMBH株式会社を設立しましたが、当初は何を事業にするか決まっていませんでした。

ライブコマースのアプリは見積もりが500万〜1000万円になって断念し、アパレルも自分たちに思い入れがないと気づいて続きませんでした。

月6万円の雑居ビルに事務所を借り、床を自分たちで張り、窓用パネルを使ってエアコンの費用を抑えました。

ジモティーで譲り受けた横幅約3メートルのホワイトボードは、岸谷家のバンを使って運び、蘭丸さんが張った床は帰宅後に坂本さんがすべてやり直しています。

先に買った作業椅子などで資金が減ると、蘭丸さんがオフ会でチェキを販売し、約50万円を補填した時期もありました。

英語塾での講義と失敗を重ね、「MMBH留学」が形になった

転機は2023年3月、YouTubeのトマホークチャンネルで、浪人期に通ったLiberty English Academyの名を出したことでした。

問い合わせが増えたことから同校へ企画を提案し、修了生としてTOEFLや海外大学受験を教える講義を任され、開催回数は100回を超えました。

法人研修を売り込む営業ではダメージジーンズを注意され、英語試験会場の近くで配ったチラシは、受け取った人が高校生1人だけの日もありました。

講義では、海外受験を経験した年齢の近い修了生として、生徒の質問や進路相談へ直接答えました。

2024年夏には、90分授業4回を1万円に設定したスピーキング・ライティングのブートキャンプを開き、蘭丸さんが受講生全員をマンツーマンで教えています。

2024年11月から12月ごろ、海外進学支援サービスに「MMBH留学」と名付け、英語試験対策と願書添削を軸に開校しました。

本名・岸谷蘭丸を公表|教育事業とメディア活動の現在

教育事業が形になった2024年末、蘭丸さんは、発信名と会社代表者名が違う状態を終えることにしました。

ここから「柚木蘭丸」ではなく、本名でのメディア活動が始まります。

2024年12月、祖母の名字から本名の「岸谷蘭丸」へ変えた

2024年12月の「ABEMA Prime」生放送で、父が岸谷五朗さん、母が岸谷香さんであることと、本名が岸谷蘭丸であることを公表しました。

会社の公式サイトにはすでに創業者として本名が掲載されており、教育事業で信頼を得るうえでも、活動名との不一致を残さない時期だと判断したためです。

両親の知名度より先に、自分の発信と事業の実績を作りたかったという考えも明かしました。

「今後は本名でやっていこうと思います」

ORICON NEWS

23年間伏せていた「岸谷」の姓を活動名に戻し、SNSの表示名も変更しました。

2025年、母と妹とロサンゼルスでコーチェラを楽しんだ

本名公表後の2025年春には、母の岸谷香さん、妹とともに、ロサンゼルス近郊で開かれる音楽フェスCoachellaへ出かけました。

日本、ニューヨーク、シアトルからロサンゼルスへ集合し、観たいアーティストを家族で相談しながら会場を回った様子を、母が公式Instagramで公開しています。

Nスタ出演と小児医療支援を経て、大学は休学しながら事業を続ける

2025年4月にはTBS系「Nスタ」へ出演し、地上波で初めてコメンテーターを務めました。

同年9月には、病気や長期治療を経験する子どもの作品を展示するWonderMeta美術館の公式アンバサダーに就任し、作品選考と講演にも参加しました。

病室で絵を描いていた自身の経験を公表したのは、メディア出演を始めてからで、闘病中の子どもや家族へ向けた活動にも時間を使うようになっています。

「自分が救われたように、勉強に救われる人がいるんじゃないか」

ORICON NEWS

2026年にはMMBH留学の代表として、願書作成、学校選び、TOEFL・IELTS対策などのサービスを運営しながら、「ABEMA Prime」をはじめとする番組への出演を続けています。

ボッコーニ大学については、2026年5月時点で3年生として在籍し、現在は休学中と本人が説明しており、卒業済みではありません。

大学を卒業する意向も示しながら、教育事業とメディア活動を並行しています。

病室で本と絵に向き合った時間の先に、目標を決めて学ぶ小学生の日々がありました。

早稲田実業の内部進学を辞退して渡米し、浪人まで含めた海外受験を終えたあと、その経験は生徒へ教える仕事になりました。

岸谷蘭丸さんは現在、大学へ戻る道を残したまま、留学支援の会社とメディアの両方で活動しています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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