STARGLOWの最年長メンバーとして、洋楽のニュアンスを感じさせる歌声を響かせているADAM(アダム)さん。
2005年4月24日生まれ、東京都出身で、BMSG主催のオーディション『THE LAST PIECE』からRUIさん、TAIKIさん、KANONさん、GOICHIさんとともにSTARGLOWのメンバーへ選ばれました。
- 父が車内などで90年代R&Bや海外アーティストの楽曲を流す家庭で育ち、歌うことが自然に身近だった。
- 高校2年生でスカウトを受けたことをきっかけに、長く続けていたサッカーから芸能・音楽の道へ進んだ。
- 現在の道につながる原点:オーディション
現在の姿だけを見ると、幼いころから歌やダンスのレッスンを積み重ねてきたようにも見えますが、学生時代に約8年間続けていたのはサッカーでした。
子どものころの夢も最初からアーティストではなく、大好きな飛行機に関わるパイロットでした。
音楽への憧れを持ちながらサッカーに打ち込み、高校2年生で受けたスカウトを境に芸能の世界へ入り、その後は事務所退所、韓国でのオーディション、不合格も経験しています。
ADAMの生い立ちと家族|洋楽が流れる家庭で育った子ども時代
ADAMさんが音楽に触れ始めた場所は、芸能スクールやレッスンスタジオではありませんでした。
幼いころから家や車の中で音楽が流れる家庭で育ち、歌うこと自体は芸能活動を始めるずっと前から身近にありました。
東京都で育ち、父の好きな90年代R&Bを聴いて歌っていた
ADAMさんは2005年4月24日生まれで、公式プロフィールでは東京都出身と紹介されています。
父親はオーストラリア人で、幼少期のADAMさんに音楽を身近なものにした人物でもありました。
父親は車の中などでBackstreet BoysやBoyz II Men、マイケル・ジャクソンといった海外アーティストを流しており、ADAMさんは1980〜90年代の洋楽を聴きながら育っています。
音楽をただ耳にしていただけではなく、自分でも自然と一緒に歌っていました。
「いつも歌っているような子でした。」
smart Web
現在の歌声につながる最初の音楽体験は、父親が日常の中で流していた洋楽でした。
成長するとBIGBANGやONE OK ROCKにも強く惹かれ、ライブ映像や楽曲を繰り返し見るようになります。
特にBIGBANGのSOLさんは、のちにADAMさんがロールモデルとして名前を挙げる存在になりました。
飛行機を見るため空港へ通い、将来はパイロットを夢見ていた
歌うことが好きだった一方で、幼いADAMさんが将来の職業として思い描いていたものは音楽とは別の世界でした。
飛行機が大好きで、毎週のように空港へ通っていたと本人が明かしています。
そのころの夢はパイロットでした。
現在の公式プロフィールでも「小さい頃の夢」としてパイロットが挙げられており、後年に作られたプロフィール用のエピソードだけではなく、本人の幼少期の記憶とも一致しています。
家では音楽を聴き、外へ出れば飛行機を見るため空港へ向かうという子ども時代を過ごしていました。
この時点では、歌うことは好きでも「歌手になるためには何をすればいいのか」という具体的な道筋までは見えていません。
日本とオーストラリアにルーツを持つADAMの名前と家族
ADAMさんはオーストラリア人の父親と日本人の母親を持ちます。
韓国JTBCのオーディション番組『PROJECT 7』に参加した際には、AYALON ADAM(アヤロン・アダム)という名前でプロフィールが公開され、日本・オーストラリアの参加者として紹介されました。
「ADAMの本名」としてAYALON ADAMが紹介されることもありますが、確認できる確実な事実は、少なくとも『PROJECT 7』でこの名前を使用していたことです。
家族は音楽の原点になっただけではなく、のちにADAMさんがサッカーから芸能の道へ進路を変える場面にも登場します。
サッカーを辞めて音楽をやりたいと両親に伝えたとき、細かな理由を問われることはありませんでした。
「やりたいならやりなさい」
STORY
この言葉を受けるころまで、ADAMさんの日常で大きな割合を占めていたのがサッカーでした。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
サッカーに夢中だった学生時代|8年間続けた競技が生活の中心に
音楽が身近にある家庭で育っても、学生時代のADAMさんが最初からアーティスト一本で生活していたわけではありません。
本人が約8年間続けたと語っているサッカーが、長い間もう一つの大きな軸になっていました。
アーティストへの道を知らず、サッカー選手を目指していた
子どものころからサッカーに熱中し、一時期は漠然とサッカー選手を目指していました。
一方で、音楽への興味が消えていたわけではありません。
家では海外の音楽に触れ、BIGBANGなどのダンス&ボーカルグループにも惹かれていましたが、自分がアーティストになるために何をすればよいのか分からなかったといいます。
「アーティストになる道しるべを知らなかった」
STORY
音楽への憧れはありながら、実際の進路として目の前にあったのはサッカーでした。
現在も趣味としてサッカー観戦を挙げており、競技を辞めたあともサッカーそのものから離れたわけではありません。
中学時代の監督から教わった「技術だけではない」考え方
長く続けたサッカーの中で、後年のインタビューにまで登場するのが中学時代の監督です。
ADAMさんによると、その監督はサッカーの技術だけを求める人ではありませんでした。
「人間性をすごく大事にする方」
smart Web
本人はこの監督から受けた影響について、周囲を大切にすることや人として誠実でいることと結びつけて語っています。
高校生になって進路が大きく変わったあとも、中学時代に教わった考え方は残りました。
高校2年で受けたスカウトが進路を変えた
長く続いたサッカー中心の生活が動いたのは、高校2年生のときでした。
この時期にスカウトを受け、芸能の世界へ入ります。
それまで「どうすればアーティストになれるのか」が分からなかったADAMさんに、初めて具体的な入口が現れました。
高校2年生で受けたスカウトが、サッカーを続けていたADAMさんの進路を音楽へ向ける最初の大きな転機になりました。
両親にサッカーを辞めて音楽をやりたいと話し、芸能活動へ進むことになります。
ただし、ここで所属先が決まったからといって、すぐに現在のSTARGLOWへつながったわけではありません。
ADAMさんが音楽に触れ始めた場所は、芸能スクールやレッスンスタジオではありませんでした。
長く続けたサッカーの中で、後年のインタビューにまで登場するのが中学時代の監督です。
長く続いたサッカー中心の生活が動いたのは、高校2年生のときでした。
音楽が身近にある家庭で育っても、学生時代のADAMさんが最初からアーティスト一本で生活していたわけではありません。
高校時代に芸能界へ入ったあと、ADAMさんは一度所属先を離れています。
芸能活動を始めるもデビューには届かなかった時期
高校時代に芸能界へ入ったあと、ADAMさんは一度所属先を離れています。
その後は日本だけに活動の場所を限定せず、韓国のオーディションにも挑戦しました。
スカウトをきっかけに事務所へ所属し、サッカーから音楽へ進む
スカウト後は芸能事務所に所属し、アーティストを現実の仕事として目指し始めました。
幼少期から歌うこと自体には親しんでいたものの、長期間のダンス経験を持つタイプではありませんでした。
のちに『THE LAST PIECE』へ参加した際にも、歌声は本人が強みとしている一方、ダンスでは経験豊富な参加者との違いに向き合うことになります。
最初の事務所ではデビューには至らず、やがて退所しました。
事務所を離れたあともアーティストへの挑戦を続けた
所属先を離れたあとも、ADAMさんは高校時代まで続けていたサッカーへ進路を戻しませんでした。
音楽を続けながら生活する中では、シュラスコ店でアルバイトもしていました。
この仕事については、STARGLOWとしてデビューした後の2026年4月、公式YouTube企画『STAR★STUDIO』で実際に働いていた店へ戻り、メンバーにシュラスコを振る舞う様子が公開されています。
公式Xでは本人が「シュラスコ店員兼アーティストついに卒業」と記しており、デビュー後まで続いていた仕事だったことも分かります。
芸能活動だけをしてデビューを待っていたのではなく、仕事を続けながら次のチャンスを探していた時期がありました。
その次の挑戦先として選んだのが、日本ではなく韓国のサバイバルオーディションでした。
AYALON ADAMとして韓国『PROJECT 7』へ参加した
2024年、ADAMさんは韓国JTBCのボーイズグループサバイバル番組『PROJECT 7』へ参加しました。
参加者プロフィールで使われた名前はAYALON ADAM。
生年月日は2005年4月24日、国籍・地域は日本/オーストラリアとして紹介されています。
日本で事務所に所属した経験を持ったうえで韓国へ渡りましたが、『PROJECT 7』でも最終的なデビューメンバーには入りませんでした。
高校2年のスカウトから芸能界へ入り、所属先を離れ、さらに韓国まで挑戦の場所を広げても、この時点ではデビューに届いていません。
日本へ戻ったADAMさんが次に見つけたのが、のちにSTARGLOWを生む『THE LAST PIECE』でした。
『THE LAST PIECE』を「最後のチャンス」と考えて応募
韓国での挑戦を終えたあと、ADAMさんがBMSGを知るきっかけの一つになったのは、ちゃんみなさんがプロデューサーを務めたオーディション『No No Girls』でした。
番組からBMSGに興味を持ち、関連する発信を見る中で、新たなボーイズグループオーディションを知ります。
『No No Girls』を見てBMSGの新オーディションを知った
BMSGが開催することになったのが、10代を対象とした『THE LAST PIECE』です。
ADAMさんは2005年生まれで、参加できる年代の中では上の世代にいました。
すでに一度は芸能事務所に入り、そこを離れ、韓国のオーディションにも挑戦しています。
その状況で『THE LAST PIECE』の募集を知り、本人は迷わず応募しました。
「これがラストチャンスかもしれない」
smart Web
『PROJECT 7』でデビューに届かなかったあと、次に見つけたオーディションを本人は「ラストチャンス」と考えていました。
ここから、BMSG TRAINEEとして長く育成を受けてきた参加者たちと同じ審査へ入っていきます。
歌とダンスの経験差がある一般応募組として審査へ入った
『THE LAST PIECE』には、RUIさん、TAIKIさん、KANONさんのようにBMSG TRAINEEとして活動してきた参加者もいました。
ADAMさんは一般応募から審査へ参加しています。
歌については以前から自分の強みとして意識していましたが、ダンスでは経験の長い参加者との差がありました。
それでも審査が進む中で課題を一つずつ通過し、合宿へ残っていきます。
共同生活やレッスンでは、すべてを一人で解決するのではなく、周囲の参加者へ相談する場面もありました。
特に後のクリエイティブ審査では、TAIKIさんへ何度も相談しながら自分のパートを作り直しています。
クリエイティブ審査で自分の得意な声を探し始めた
ADAMさん自身が、オーディション中の「運命を分けた瞬間」として挙げているのがクリエイティブ審査です。
このときSKY-HIさんから伝えられたのは、歌い方やメロディーの正解そのものではありませんでした。
「もっとADAMの得意なところを探したら?」
ORICON NEWS
その言葉を受け、自分で作っていたメロディーや歌詞を何度も大きく変えました。
具体的な答えを渡されたわけではなかったため、自分で試しながら得意なものを探すことになります。
その過程ではTAIKIさんにも相談し、本人はこの時期に自分が大きく伸びたと振り返っています。
経験の長さを追いかけるだけではなく、自分にしか出せない歌声や表現を探す方向へ審査が進みました。
ADAMさんはその後も審査を通過し、10人のファイナリストへ残ります。
一般応募からSTARGLOWのADAMへ
最終審査を迎えたころには、高校時代のスカウトからすでにいくつもの所属先やオーディションを経験していました。
『THE LAST PIECE』では最終的に5人だけが、新しいグループのメンバーとして選ばれます。
最後に名前を呼ばれ、5人組STARGLOWのメンバーになった
2025年9月19日、デビューメンバーとして順番に名前を呼ばれたのは、RUIさん、TAIKIさん、KANONさん、GOICHIさん、そしてADAMさんでした。
ADAMさんは5人目、最後のメンバーとして名前を呼ばれています。
発表前にはSKY-HIさんが「尖ったグループになる」と話していたため、自分にも可能性があるのではないかという感覚があったそうです。
名前を呼ばれた瞬間は大きく驚くというより、結果を噛み締めるような反応になりました。
「想像してた未来を現実にできた感じでした。」
ORICON NEWS
こうして一般応募から参加したADAMさんも、STARGLOWを構成する5人の一人になりました。
高校2年で初めて芸能界への入口を見つけ、所属先を離れ、韓国でも不合格になったあとに迎えたメンバー発表でした。
両親はそれまでの進路変更を否定せずに見てきましたが、『THE LAST PIECE』の結果発表日については、本人が連絡すると「そうだったの?」という反応だったことも明かされています。
本人は、そんな家族の距離感だったからこそ必要以上のプレッシャーを感じずに済んだのかもしれないと話しています。
『Moonchaser』でプレデビューし、2026年1月に正式デビュー
5人のグループ名はSTARGLOW(スターグロウ)に決まりました。
メンバー発表から3日後の2025年9月22日には、最終審査でも使われた「Moonchaser」をプレデビュー曲として配信します。
「Moonchaser」はBillboard JAPAN Hot 100で初登場7位を記録しました。
同年9月の『BMSG FES’25』では、STARGLOWとして初めて観客の前でステージに立っています。
ADAMさんは後年、このステージについて約4万人を前にした初舞台だったと振り返りながら、自分でも驚くほど緊張しなかったと語りました。
そして2026年1月21日、デビューシングル「Star Wish」をCDリリースし、STARGLOWは正式デビューを迎えます。
高校2年生で受けた一度のスカウトから始まった芸能活動が、数年を経てSTARGLOWでのデビューへたどり着きました。
父から受け取った洋楽のルーツを、現在の歌声と世界への目標につなげる
STARGLOWになったあとも、ADAMさんが自分の最大の武器として挙げているものは歌です。
父親が車で流していた海外音楽に始まり、BIGBANGやONE OK ROCKなどの歌やステージを見続けてきました。
本人は、自分が洋楽や英詞の音楽に長く触れてきたことで、発声にもJ-POPとは少し異なる部分があるのではないかと考えています。
「自分の歌唱スタイルは誰にもない個性」
QJWeb
その歌声はメンバーからも違いとして見られています。
KANONさんは同じボーカリストの立場から、ADAMさんについて自分にはできない声の出し方をすると話し、『BMSG FES’25』での高音フェイクを具体的に挙げました。
幼少期の家庭で自然に触れていた音楽が、デビュー後には周囲からも分かる歌声の個性になっています。
父親が車で流していた海外の音楽は、現在ADAMさん自身が「武器」と考える歌唱スタイルまで続いています。
オーストラリア人の父親を持つADAMさんは、今後のSTARGLOWについて日本国内だけで完結する目標を語っていません。
全編英語の歌詞への挑戦にも意欲を示し、世界へ届ける音楽を作ることを目標にしています。
「STARGLOWにしかできない音楽を世界に提示していく」
QJWeb
ADAMさんの出発点には、父親が流していた洋楽と、飛行機に夢中になった子ども時代、そして約8年間続けたサッカーがありました。
高校2年生でのスカウトから進路が変わり、事務所退所や韓国での不合格を経て、「最後のチャンス」と考えた『THE LAST PIECE』でSTARGLOWのメンバーに選ばれています。
現在は、幼いころから耳にしてきた海外音楽を自分の歌声へ重ねながら、STARGLOWで世界へ届ける音楽を目指しています。
ADAM(STARGLOW)と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。









