M!LKのメンバーとしてステージに立ち、俳優としても映画やドラマへの出演が続く山中柔太朗さんは、2026年上半期の「ViVi国宝級イケメンランキング」NOW部門1位にも選ばれました。
現在はアーティスト、俳優、さらにM!LKの衣装制作にも関わる山中さんですが、芸能界へ入る前に長く生活の中心にあったのはサッカーでした。
- 祖父母を含む家族の中で育ち、本人はサッカー、父と妹は柔道というスポーツに親しむ家庭環境だった。
- 現在の道につながる原点:スカウト
- 出身地:栃木県
5歳ごろから約10年間サッカーを続けて栃木県選抜まで進み、中学3年で原宿を訪れた日に芸能事務所からスカウトされています。
しかも原宿へ出かけた目的も芸能活動とは関係なく、友人とサッカーのスパイクを買うためでした。
山中柔太朗の生い立ちと家族|栃木県足利市で育った少年時代
山中柔太朗さんは2001年12月23日生まれで、所属事務所の公式プロフィールでは栃木県出身と紹介されています。
さらに地元の足利市も山中さんを「足利市出身」と紹介しており、足利は後に仕事でも何度も戻る場所になりました。
祖父母・両親・3歳下の妹を挙げた家族構成
山中さん自身が家族について答えたインタビューでは、祖父母、父親、母親、妹の存在を挙げています。
「僕はおじいちゃんおばあちゃん、お父さん、お母さん、妹がいますね。」
JJ
妹は3歳下で、兄妹の年齢は比較的近く、M!LKの曽野舜太さんの妹とも交流があることが同じインタビューで語られています。
一方で、祖父母を含む全員が幼少期から同じ家で暮らしていたのか、実家が足利市内のどこにあるのかといった詳しい生活場所までは公表されていません。
柔道家の父、礼儀に厳しい母、妹がいる家庭
父親について本人は柔道家だと明かしており、筋肉質でありながら普段はふざけることもある父だと紹介しています。
山中さん自身が長く取り組んだのは柔道ではなくサッカーで、同じ家庭の中でも父と息子では選んだ競技が違いました。
母親については、M!LKの吉田仁人さんが「礼儀に厳しい」と話しており、山中さんも母親がさまざまなことをしてくれる存在だと語っています。
その母親は、数年後に山中さんが芸能界へ足を踏み入れる場面でも、進む方向を決める一言をかけることになります。
小学生のころは「嫌われないように」と周囲に合わせていた
現在はステージや映像作品で人前に立つ山中さんですが、小学生のころから積極的に自分を前へ出すタイプだったわけではありません。
「小学生の頃は、八方美人だったんですよ。」
TV Bros. WEB
本人によると、当時は「みんなに嫌われないように」と考えながら過ごしていたといいます。
小学5〜6年生ごろまではサンタクロースの存在も信じており、親から正体を教えられたときには、泣きそうになりながら自分の部屋へ入ったことを後年のインタビューで覚えていました。
小学6年生のバレンタインには放課後に学校の裏へ呼び出され、合計で十数個のチョコレートを受け取ったという思い出も残っています。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
5歳から始めたサッカー|小中学生で栃木県選抜まで進む
幼少期から中学3年まで、山中さんの日常で大きな割合を占めていたのがサッカーでした。
スターダストプロモーションの公式プロフィールには、5歳から10年間サッカーを続け、栃木県選抜を経験したと記載されています。
長く続けた習い事はサッカーだった
本人は別のインタビューで幼稚園のころからサッカーを始めたと話しており、期間を「約11年」と表現することもありますが、いずれの話でも中学3年まで長く競技を続けていた点は共通しています。
学校など普段の生活では自分から人を引っ張るタイプではなかった一方、サッカーをしているときだけは積極的になれたと本人は振り返っています。
チームではキャプテンを任された時期もあり、プレー中には周囲へ指示を出したり、必要な場面では仲間へ厳しく声をかけたりしていました。
普段は友人から誘われることが多かった少年が、ピッチに入ると自分から声を出す側に変わっていたことになります。
中学で栃木県選抜、韓国遠征では急きょセンターバックへ
サッカーでは栃木県選抜まで進み、選抜チームで韓国へ遠征した経験もありました。
本人がBezzyのインタビューで振り返った遠征では、普段はミッドフィルダーだったものの、決勝戦でディフェンダーが足りなくなり、急きょセンターバックを任されています。
山中さんは背は高かったものの体格ががっしりしているわけではなく、本人によればヘディングも得意ではありませんでした。
それでも決勝では失点を許さず、こぼれ球へ先に反応することを意識してプレーし、チームは勝利しました。
試合後にはMVPのような形でソックスも受け取ったといい、長く続けたサッカーの中でも、普段とは違うポジションで結果を残した具体的な一戦として本人の記憶に残っています。
学校では人見知りでも、サッカーは高校進路の候補になる
中学・高校時代の自分について、山中さんは後年、人前でなかなか話せないほど人見知りだった時期があると語っています。
一方のサッカーは趣味の範囲を超え、高校進学でも競技を続ける道が現実的な選択肢になるほど続いていました。
中学3年の時点では、このままサッカーを軸に高校へ進む未来も残っていました。
山中柔太朗さんは2001年12月23日生まれで、所属事務所の公式プロフィールでは栃木県出身と紹介されています。
中学・高校時代の自分について、山中さんは後年、人前でなかなか話せないほど人見知りだった時期があると語っています。
事務所へ入った直後から大きな仕事が続いたわけではなく、本人によれば当初は仕事がほとんどない状態でした。
高校年代に入ると、山中さんはスターダストプロモーションの若手男性アーティスト集団EBiDANでレッスンと活動を続けます。
M!LK加入後も高校生活は続き、山中さんは18歳になった2019年度末に卒業の時期を迎えました。
2020年3月、山中さんはM!LKの公式ブログで高校を卒業したことを報告しました。
中学3年の原宿スカウト|サッカーと芸能界の間で進路が変わる
その進路へ突然別の選択肢が加わったのは、中学3年生のときでした。
オーディションを探して東京へ出てきたわけでも、芸能界を目指していたわけでもありませんでした。
サッカーのスパイクを買いに原宿へ行った日に声をかけられる
山中さんは友人と原宿へ出かけ、サッカーのスパイクを買うためにサッカーショップを訪れていました。
その帰りに竹下通りを歩いていたところ、現在の所属先であるスターダストプロモーションから声をかけられます。
それまで本人には芸能界へ進みたいという強い希望があったわけではなく、声をかけられたこと自体が予想していない出来事でした。
友人の前では名刺を断るそぶり、家へ持ち帰ると母が背中を押した
しかもその場には友人がいたため、山中さんは格好をつけたかったそうで、渡された名刺に対して「こんなのいらないよ」というような態度を見せながら歩いたと話しています。
ただし名刺そのものは捨てず、きちんと家まで持ち帰りました。
家でその名刺を見せたところ、母親が芸能活動を試してみることを勧めます。
「一応持ち帰ったら母親が『やってみなよ』ってことで。」
J-WAVE NEWS
サッカー用品を買いに出かけた一日が、芸能事務所へ入る入口になりました。
サッカーの進路より芸能活動をしやすい高校を選ぶ
事務所へ入った直後から大きな仕事が続いたわけではなく、本人によれば当初は仕事がほとんどない状態でした。
それでも高校進学を考える時期になると、サッカーを続ける高校と、芸能活動を続けやすい高校のどちらへ進むかを選ぶことになります。
サッカーでは本人が「特待みたいな」と表現する進路があり、競技を続けてきた時間を考えれば、そのままサッカーへ進む選択も現実的でした。
「サッカーは趣味でできるけどこの仕事はできないかもなって思って、思い切って芸能をしやすい高校に行きました。」
J-WAVE NEWS
中学卒業を前に、約10年間続けたサッカーではなく芸能活動を続けやすい進路を選んだことが、最初の大きな方向転換になりました。
レッスンへ通ううちに芸能活動を「楽しいかも」と感じるようになり、もともと好きだったBIGBANGのステージを見ながら、自分もステージに立つ側への興味を持つようになっていきます。
高校時代はEBiDANへ|レッスンからBATTLE BOYS全国選抜へ
高校年代に入ると、山中さんはスターダストプロモーションの若手男性アーティスト集団EBiDANでレッスンと活動を続けます。
まだ現在のM!LKメンバーとして知られる前で、歌もダンスも学ぶ研究生の一人でした。
2017年にはEBiDAN TOKYOで活動、ダンスを一から学ぶ
本人が2018年に書いた公式ブログによると、EBiDANの公式Instagramへ初めて登場したのは2017年2月11日でした。
2018年2月の時点で「EBiDANのレッスンに通い始めて1年とちょっと」と記しているため、高校へ進むころから地道なレッスン生活が始まっていたことが分かります。
2017年9月にはスターダスト公式YouTubeに、EBiDAN TOKYOの山中さんを紹介するBATTLE BOYSの個人PR動画も公開されました。
木村柾哉がダンスの先生だった研究生時代
研究生時代のダンスレッスンでは、後にINIのメンバーになる木村柾哉さんから教わっていました。
このころの2人は共演者ではなく、山中さんが生徒、木村さんがダンス講師という関係でした。
山中さんは当時のレッスンについて、木村さんから筋力トレーニングも多く課され、かなり鍛えられた記憶があると後年の対談で話しています。
サッカーをやめて新しい高校へ進んだ後は、ボールを追っていた時間が歌やダンスのレッスンへ置き換わっていきました。
2018年、BATTLE BOYS 1st全国選抜へ進む
BATTLE BOYSは、EBiDANの研究生たちが選抜や審査を重ねながら活動するプロジェクトでした。
山中さんは地域での活動を経て、2018年2月にBATTLE BOYSの全国選抜メンバーへ入ります。
選ばれた直後の本人ブログには、周囲の歌唱力やダンス力を見ながら、自分がまだ選抜された段階にいるだけだという認識も記されていました。
「みんなについていけるように頑張ります!」
EBiDAN 39&KiDS オフィシャルブログ
同年夏にはBATTLE BOYSの企画でオフィシャルブックの裏表紙メンバーにも選ばれるなど、研究生として活動する場面が増えていきました。
高校進学のときに選んだ芸能活動が、ここで初めて全国選抜という目に見える結果へ進みます。
2018年にM!LK加入|「ずっと憧れだった」グループへ
BATTLE BOYSで活動していた2018年、山中さんの立場はさらに大きく変わります。
研究生の一人から、すでに活動していたM!LKの新メンバー候補へ進みました。
自らM!LK加入を目指してオーディションを受ける
山中さんは後年、同じ研究生だった曽野舜太さんとともに、自分たちからM!LKへ入りたいと思ってオーディションを受けたことを明かしています。
原宿で偶然スカウトされたときとは違い、この段階では本人自身が次に進みたい場所を選んでいました。
2017年からレッスンを続け、BATTLE BOYSの全国選抜を経験した時間を経て、M!LK加入の機会へ進みます。
琉弥・曽野舜太と加わり、加入当日に「覚悟」を記した
2018年8月28日、東京国際フォーラム・ホールAで開催された「EBiDAN THE LIVE 2018 ~Summer Party~」で、山中さん、曽野舜太さん、琉弥さんの3人がM!LKへ加わることが発表されました。
加入したその日に更新した公式ブログでは、自分が覚悟を決めてその場所にいると書いたうえで、M!LKへの思いを言葉にしています。
「ずっと憧れだったこの場に居れることがすごく光栄ですし、とても嬉しいです。」
M!LKオフィシャルブログ
中学3年の原宿スカウトから約2年後、山中さんは憧れていたM!LKのメンバーになりました。
後年のインタビューでは、加入後最初の大舞台について、ステージ経験が少ない中で大きな会場へ出た緊張や不安を今も鮮明に覚えていると話しています。
同じ研究生時代を過ごした曽野さんと、その日の出来を話しながら支え合えたことも心強かったと振り返りました。
人見知りだった自分を少しずつ出せるようになっていく
小学生のころに周囲から嫌われないよう振る舞っていた山中さんは、M!LK加入後も最初から何でも自分の意見を出せたわけではありませんでした。
メンバーから「もっと自分を出していい」という言葉をかけられ、少しずつ自分の意見や考えを見せられるようになったと本人は話しています。
グループへ加わった2018年には日本テレビ系ドラマ「高嶺の花」に出演し、俳優としての活動も始まりました。
高校生活の途中で、歌とダンスのグループ活動に加えて演技の現場も経験する生活へ変わっていきます。
高校卒業とその後の進路|大学について公表されていること
M!LK加入後も高校生活は続き、山中さんは18歳になった2019年度末に卒業の時期を迎えました。
そのころにも、芸能活動を選ぶ前に続けていたサッカーとのつながりが残っています。
2020年1月、高校サッカー選手権で栃木県代表の矢板中央高校がベスト4へ進んだ際には、友人が試合へ出ていることに触れながら、自分もそこを目指してサッカーをしていた部分があると公式Xへ投稿しています。
高校卒業を本人が報告、学校名は明かしていない
2020年3月、山中さんはM!LKの公式ブログで高校を卒業したことを報告しました。
本人は普段「学校系」の話をあまりしてこなかったと書き、卒業という大きな区切りだったため今回は載せることにしたと説明しています。
出身高校の校名は、本人や所属事務所の公式プロフィールでは公表されていません。
中学3年で芸能活動をしやすい高校へ進むことを選んだ経緯までは本人が詳しく語っていますが、そこから特定の学校名まで断定できる公式情報は出ていません。
「1人の社会人として歩き始めます」と記した卒業時の言葉
卒業報告では、18歳になり高校を終えた自分のこれからについても触れています。
「18歳になり、高校も卒業して、1人の社会人として歩き始めます」
M!LKオフィシャルブログ
高校卒業後は、すでに所属していたM!LKと俳優の活動を続けながら次の時期へ入っています。
大学名・大学在学について断定できる公表情報はない
高校とともに気になるのが卒業後の大学ですが、山中さんが大学名や大学在学を公表した本人・所属先の公式情報は確認されていません。
本人が卒業時に「1人の社会人として歩き始めます」と書いていることは確認できますが、この言葉だけで大学へ進学しなかったと断定することもできません。
公表されている事実として分かるのは、2020年3月までに高校を卒業し、その後もM!LKと俳優の活動を継続したところまでです。
高校卒業後、M!LKと俳優の仕事が広がる
高校卒業後はM!LKでの活動を続けながら、山中さん自身が以前から好きだったものも少しずつ仕事へ入ってきます。
その一つがファッションで、もう一つが長く続けてきたサッカーでした。
好きだったファッションがM!LKの衣装制作へつながる
山中さんはもともとファッションが好きで、公式プロフィールでも衣装制作を趣味の一つとして挙げています。
2021年春のM!LKのツアーからは、実際にライブ衣装の制作にも関わるようになりました。
自分でデザイン画を描き、スタイリストと相談しながらアイテムを決め、さまざまなコレクションを見てアイデアを膨らませていったとウォーカープラスのインタビューで説明しています。
ステージに立つだけでなく、自分たちがそのステージで着る服を考える側にも回りました。
同じ2021年のインタビューでは、いつかやってみたい仕事としてサッカー番組のMCも挙げ、「好きなだけリーガの話をしていい」と言われたら幸せだと話しています。
2023年にはM!LK公式Xでも、山中さんと曽野舜太さんがサッカーをする撮影の様子が公開され、競技から離れた後もボールに触れる姿が見られました。
俳優の現場を重ね、「難しい」から「楽しい」へ変わった演技
俳優活動では2018年の初出演以降、ドラマや映画への出演が徐々に増えていきました。
ただ、山中さん自身は長く演技に対して「難しい」という感覚を持っていたといいます。
その感覚が変わったきっかけとして挙げているのが、映画監督の是枝裕和さんのワークショップでした。
2日間、それぞれ5時間にわたるワークショップへ参加して演技に対する考え方が変わり、学んだことを現場で試す時間が楽しくなったと話しています。
「実は今“一番お芝居が楽しい”と感じています。」
テレ東プラス
偶然のスカウトから始まった芸能活動の中で、演技は「難しいもの」から自分がもっと取り組みたい仕事へ変わっていきました。
研究生時代の先生・木村柾哉と俳優同士として再会する
研究生時代にダンスを教わっていた木村柾哉さんとは、その後それぞれ別のグループで活動するようになりました。
木村さんはINI、山中さんはM!LKのメンバーとして活動し、2024年公開の映画「あたしの!」では同じ作品に出演しています。
昔の木村さんから見た山中さんは、まだ学生で「弟」のような印象がある生徒でした。
ダンスレッスンの教室で向き合っていた2人が、それぞれの活動を経て映画の現場で再び顔を合わせています。
2024年にはM!LK公式Xで「オールスター感謝祭」の赤坂5丁目ミニマラソンに参加した姿も公開され、芸能活動の中でもスポーツに関わる場面が続きました。
足利とサッカーに戻る現在|昔の経験が仕事になる
活動の場が広がった後も、山中さんの出身地である栃木県足利市や、少年時代に続けたサッカーとの接点はなくなりませんでした。
2025年以降は、その二つが芸能活動の中でより直接的な仕事として登場します。
とちぎ未来大使として「ふるさと足利」とサッカーを紹介
山中さんはとちぎ未来大使を務め、栃木県の広報番組「#山中柔太朗のとち日和」に出演しました。
2025年11月放送の「ふるさと足利編」では自身の地元・足利を紹介し、12月の「とちぎのサッカー編」では栃木県内のサッカーを取り上げています。
また足利市では、2025年の足利尊氏公マラソン大会の特別応援サポーターにも就任しました。
地元の足利と、幼いころから続けたスポーツの両方が、現在は本人が栃木県を紹介する仕事のテーマになっています。
2026年には念願だったサッカーの仕事もさらに広がる
2021年には「サッカー番組のMCをやりたい」と話していましたが、その後は実際にサッカー関連の出演が増えていきました。
2026年5月にはU-NEXTの企画「M!LK 山中柔太朗とみる はじめてのエル・クラシコ」で、スペインサッカーの伝統の一戦を扱う仕事に出演しています。
さらに2026年のFIFAワールドカップでもサッカーに関する番組や配信へ出演し、少年時代から見続けてきた競技を今度は伝える側でも扱うようになりました。
サッカーのスパイクを買いに行った日に始まった芸能活動が、年月を経てサッカーそのものを仕事にするところまで続いています。
足利でサッカーに打ち込み、高校進学を前に競技と芸能活動のどちらへ進むかを選んだことが、山中柔太朗さんの最初の大きな分岐点でした。
原宿でのスカウトからEBiDANのレッスン、BATTLE BOYSを経てM!LKへ入り、その後は衣装制作や俳優の仕事にも活動を広げています。
現在はステージや映画だけでなく、地元の足利や少年時代から好きだったサッカーも、山中さんの仕事の中に再び登場しています。
山中柔太朗と似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。









