STARGLOWのメンバーとしてステージに立ち、低音を生かした歌声や表現力を見せているKANONさん。
俳優としては「日穏(KANON)」名義で映画主演も経験しており、音楽と演技の両方で活動しています。
- 幼いころは家族の前でモノマネや自作ネタを披露し、人を笑わせることが好きだった。
- 幼稚園時代に『コドモ警察』を見て俳優を志し、小学6年生でYouth Theatre Japanへ入ったことが芸能活動の入口。
- 現在の道につながる原点:オーディション
現在の姿からは音楽一筋で育ってきたようにも見えますが、最初に思い描いていた将来はアーティストではなく、幼稚園のころに憧れた俳優でした。
俳優を目指して入った劇団で歌やダンスと出会い、そこからBMSGへ向かう道が開いていきます。
しかも最初に参加したBMSGのオーディションではデビューできず、そこからトレーニーとして約3年間を過ごしていました。
STARGLOW KANONの生い立ちと家族|幼稚園で俳優を夢見た原点
KANONさんの出身は福岡県と公表されています。
さらに詳しい市町村名についてさまざまな情報がありますが、本人や所属先が公表している情報として明確に確認できるのは福岡県までです。
芸能の世界を意識するより前から、家の中では人前で何かをするのが好きな子どもでした。
福岡県出身、家では両親を笑わせるにぎやかな子どもだった
幼いころのKANONさんは、家族の前でお笑い芸人のモノマネや自作のネタを披露していました。
さらに、のちに音楽面でも大きな存在になるマイケル・ジャクソンのモノマネも、すでにこのころからやっていたそうです。
「人を笑わせたり、笑顔にさせるのが好き」
smart Web
当時は両親を相手に芸を見せていた一方、KANONさんは後年、家庭環境が変わり、途中から母親が一人で育てる環境になったことも明かしています。
その変化が起きた具体的な時期については公表されていません。
また、KANONさんには実兄がいます。
のちに初主演映画『代々木ジョニーの憂鬱な放課後』で役作りをするときには、主人公の一部が兄に似ていると感じ、実兄を参考にしたことも話しています。
インターナショナルスクールの幼稚園と『コドモ警察』が俳優への入口に
KANONさんは幼稚園時代、インターナショナルスクールに通っていました。
そのため幼少期には英語を使う環境があり、卒園後も英語を完全に忘れないよう、洋画を英語で見ることなどを意識していたそうです。
現在の仕事へ直接つながる出来事も、この幼稚園時代に起きました。
家族が録画していたドラマを見るなかで、鈴木福さん主演の『コドモ警察』に出会います。
「自分もテレビの中の人になるんだ!」
CREA
幼稚園のころから「俳優になりたい」と考えるようになりました。
母はすぐ劇団へ入れず、小学6年生までさまざまな経験をさせた
俳優になりたいと言えば、そのまますぐ芸能活動が始まったわけではありません。
母親には、役者になるならその前にさまざまな経験をして、人の気持ちを知ったほうがいいという考えがありました。
そのためKANONさんは小学6年生になるまで劇団には入らず、複数の習い事を経験しています。
母親の知人だった芸能関係者へ相談した際にも、まず劇団で学ぶことを勧められ、ようやく小学6年生で実際の活動へ踏み出しました。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
小学生のKANONは「やんちゃ」だった|小学6年生で劇団へ
小学生になると、現在の落ち着いた話し方からは少し意外な学校での姿も見えてきます。
本人は当時、自分のやりたいようにしたいタイプで、学校でも「やんちゃな奴」だと思われていたと振り返っています。
叱るより自分で考えさせた母とのやり取り
何か問題を起こしたとき、母親は強く叱りつけるだけではありませんでした。
なぜそうしたのか、これからどうすればいいと思うのかを尋ね、KANONさん自身に答えさせていたそうです。
「全部僕の口から言わせる」
QJWeb
本人は、こうした母親とのやり取りのなかで、自分にとって何を選ぶべきなのかを考えるようになったと話しています。
家庭環境が変わったあとも、母親はKANONさんが「やりたい」と言ったことを支えていました。
後年のインタビューでは、母親一人で育てるようになってから家計が以前より厳しくなったことにも触れています。
それでも芸能活動を続ける環境を支えてもらいながら、小学6年生で次の段階へ進みました。
小学6年生でYouth Theatre Japanへ入団
小学6年生になると、Youth Theatre Japanへ入ります。
KANONさんによると、所属していた劇団は座学のように演技だけを習うのではなく、実際に作品へ出演しながら演技を深めていくスタイルでした。
幼稚園のころから待っていた場所でしたが、本人は構えすぎることなく、自由に活動できていたと話しています。
劇団への所属は中学3年生まで続きました。
俳優を目指した劇団で歌とダンスにも出会う
ここでKANONさんの進路に、俳優とは別の選択肢が少しずつ入り始めます。
劇団では芝居だけでなく、歌やダンスにも取り組んでいました。
最初は俳優になるために入った場所でしたが、歌やダンスのレッスンを続けるうちに音楽を聴くこと自体がどんどん好きになっていきます。
俳優を目指して選んだ劇団が、結果的にはアーティストを目指す入口にもなりました。
KANONさんの出身は福岡県と公表されています。
中学生になっても劇団を続ける一方、学校では別のことにも夢中になっていました。
中学を卒業すると、高校生活が始まります。
高校へ進学したKANONさんは、最初の1学期だけ軽音部に所属していました。
幼稚園時代に『コドモ警察』を見て俳優を志し、小学6年生でYouth Theatre Japanへ入ったことが芸能活動の入口。
smart Web|STARGLOW KANONインタビュー音楽を「聴くもの」から自分の進路として考えるきっかけになったのが、2021年に行われたBMSGのオーディション『THE FIRST』でした。
中学時代は劇団と野球部を両立|音楽へ気持ちが動き始める
中学生になっても劇団を続ける一方、学校では別のことにも夢中になっていました。
それが、現在も好きだと公言している野球です。
野球部に入りながら劇団へ通った中学生活
中学校では野球部に所属し、劇団の活動と並行して学校の部活動にも取り組んでいました。
野球への興味は芸能活動が忙しくなったあとも続き、プロ野球観戦はKANONさんの趣味の一つになっています。
2026年7月には東京ドームの巨人対中日戦で人生初の始球式を務めることになり、仕事の合間にピッチング練習も重ねました。
中学生の放課後に取り組んでいたものが、数年後には東京ドームのマウンドへつながっています。
SHOと同じ劇団で過ごした「学校以上に思い出の多い」時間
劇団では、後に『THE LAST PIECE』へ一緒に参加するSHOさんとも出会いました。
二人の関係はオーディションで偶然知り合った参加者同士ではなく、中学生のころから同じ劇団で時間を過ごしてきた間柄です。
KANONさんは後に、学校での記憶と比べてもSHOさんとの思い出が多いと話すほど、長い時間を一緒に過ごしていました。
この関係は数年後、『THE LAST PIECE』の途中でKANONさんが気持ちを切り替える大きな出来事へつながります。
マイケル・ジャクソンや母の好きな久保田利伸から音楽を深掘り
音楽を好きになるなかで、自分が惹かれる曲も探すようになりました。
幼いころからモノマネをしていたマイケル・ジャクソンに加え、R&Bや少し昔のポップスなどにも興味が広がります。
もう一人、家庭からつながった存在が久保田利伸さんでした。
もともと母親が好きで聴いていたアーティストで、KANONさん自身が音楽をするようになってから改めて聴き、その心地よさに惹かれたと話しています。
『THE FIRST』を見てBMSGでデビューしたいと思う
音楽を「聴くもの」から自分の進路として考えるきっかけになったのが、2021年に行われたBMSGのオーディション『THE FIRST』でした。
それまでKANONさんが持っていたオーディションのイメージは、決められた枠の中で審査されるようなものでした。
「こんなに自由なオーディションもあるんだ!」
CREA
当時はボーイズグループそのものに強い興味があったわけではなく、自分がアーティストになることも具体的には考えていませんでした。
それでも『THE FIRST』を見て、自分のような人間でも受け入れてもらえるのではないかと感じたことが、その後の応募につながります。
俳優を目指していた進路に、「BMSGで音楽をやる」という新しい目的が加わりました。
高校1年生で『MISSION×2』へ|軽音部からBMSGオーディションへ進んだ
中学を卒業すると、高校生活が始まります。
しかし一般的な高校生活を長く送ったあとで芸能活動へ進んだのではなく、入学した年のうちに大きな選択がやってきました。
高校では1学期だけ軽音部に所属
高校へ進学したKANONさんは、最初の1学期だけ軽音部に所属していました。
中学では野球部だったため、学校での部活動もこの時期に音楽へ変わっています。
ただし軽音部で高校3年間を過ごすことはありませんでした。
高校1年生だった2022年、BMSGが次のボーイズグループを作るために始めた『MISSION×2』へ参加することになったからです。
『MISSION×2』へ応募しファイナリストまで進む
『THE FIRST』を見てから数か月後、新たなオーディションの募集が始まりました。
KANONさんはそこへ応募し、のちにMAZZELを生み出す『MISSION×2』でファイナリスト10人まで残ります。
ただ、このときはまだ本人の中でも「アーティストとして生きる」という覚悟が完全に固まっていたわけではありませんでした。
後年、最終審査に進みながら自分がMAZZELに入っている姿をうまく想像できなかったことや、自分の強みを見つけきれていなかったことを明かしています。
最終的にMAZZELのメンバーには選ばれませんでした。
最初のBMSG挑戦では、デビューに届かなかったのです。
MAZZEL入りを逃したあとBMSG TRAINEEになった
しかし『MISSION×2』の終了が、KANONさんとBMSGの関係の終わりにはなりませんでした。
オーディション後、BMSGで育成を受けるBMSG TRAINEEとして活動する道が用意されます。
BMSGは2023年4月3日、KANONさんがトレーニーとして所属することを正式に発表しました。
デビューできなかった場所を離れるのではなく、そのBMSGに残って次の機会を目指す生活が始まりました。
約3年間のBMSGトレーニー時代|デビューを待ちながら経験を重ねた
『MISSION×2』後から『THE LAST PIECE』までの間には、KANONさんのキャリアで見落とせない時間があります。
すぐ次のグループが決まったわけではなく、約3年間をBMSG TRAINEEとして過ごしました。
BMSGのステージに立ち、歌・ダンス・表現を磨いた
トレーニーになってからは、レッスンだけを続けていたわけではありません。
BMSGのイベントやステージに出演し、人前でパフォーマンスする経験を積んでいきます。
2024年にはRUIさん、TAIKIさん、KANONさんを中心とした「BMSG TRAINEE Showcase 2024」が発表され、名古屋、福岡、大阪、東京のZeppを回りました。
福岡公演も含まれており、KANONさんにとっては出身県でステージに立つ機会にもなりました。
同年にはRUIさん、TAIKIさんとの楽曲「Forked Road」も形になり、それぞれがソロ曲も発表しています。
『MISSION×2』では自分の強みを見つけられていないと感じていたKANONさんが、歌やダンスだけでなく、自分一人で曲を背負う経験まで重ねていった時期でした。
「オーディションに落ちた高校1年生」のまま待っていたのではなく、ステージへ立ちながら次のデビューへ備えていました。
アーティストを目指しながら幼少期からの俳優の夢も追い続けた
BMSGへ入ってから歌とダンスを優先するようになったため、劇団時代から続けてきた芝居はいったん休むことになりました。
それでも俳優になるという幼稚園時代からの希望を手放したわけではありません。
マネージャーらにも「演技の仕事をやりたい」と繰り返し伝えていました。
音楽活動を選んだから俳優をやめたのではなく、BMSGでアーティストを目指しながら、もう一つの希望も残していました。
TRAINEE時代に映画初出演・初主演への話が動き出す
その希望は、まだSTARGLOWとしてデビューする前に動き始めます。
映画『代々木ジョニーの憂鬱な放課後』への出演が決まり、しかも映像作品への初出演で主演を任されました。
主演となればセリフの量も多くなりますが、小学6年生から中学3年生まで劇団で作品に出演してきた経験がここで使われました。
台本は最初に通して読み、覚えた部分を隠しながら何度も確認するという、劇団時代から身についた方法でセリフを入れていたそうです。
『THE LAST PIECE』で再びデビューへ|SHOとの別れが変えた気持ち
トレーニーとして経験を積んだ先で、BMSGの3組目となるボーイズグループを作るオーディション『THE LAST PIECE』が始まりました。
BMSGはオーディション開始前から、RUIさん、TAIKIさん、KANONさんを含むBMSG TRAINEEが参加すると公式に発表しています。
もう一度BMSGのボーイズグループオーディションへ挑戦
KANONさんにとって、BMSGでのグループデビューをかけた最終審査は初めてではありません。
『MISSION×2』で一度、最後まで進んだうえでデビューを逃しています。
ただ、本人が後から映像を見比べたとき、『MISSION×2』の最終審査と『THE LAST PIECE』の最終審査では、自分の顔つきがまったく違って見えたそうです。
その間には、トレーニーとしてステージへ立ち続けた時間がありました。
今度は「アーティストとしてやっていく」という覚悟を持った状態で、同じBMSGのデビュー審査へ戻ってきました。
中学時代から一緒だったSHOの離脱で「先にデビューする」と決める
『THE LAST PIECE』には、KANONさんが中学生のころから知るSHOさんも参加していました。
同じ劇団で長く過ごしてきた二人が、今度はBMSGのオーディションという場所で同じデビューを目指すことになります。
ところが、審査の途中でSHOさんが離れることになりました。
「絶対に俺が先にデビューして道を作る」
ORICON NEWS
KANONさん自身が、『THE LAST PIECE』のなかで運命が変わった瞬間として挙げている出来事です。
学校以上に思い出が多いと話す友人との別れが、「自分が先にデビューする」という新しい目的へ変わりました。
最終審査を経てSTARGLOWのKANONになる
『THE LAST PIECE』の最終審査で結成されるグループは5人組でした。
最初にRUIさん、続いてTAIKIさんの名前が呼ばれ、3人目にKANONさんが選ばれます。
そこで自分のデビューが決まっても、残り二枠しかないことに驚いたと話しており、最後まで一緒に過ごした仲間たちの存在も意識していました。
最終的にRUIさん、TAIKIさん、KANONさん、GOICHIさん、ADAMさんの5人が選ばれ、STARGLOWが誕生しました。
高校1年生の『MISSION×2』では届かなかったBMSGからのグループデビューを、約3年後の『THE LAST PIECE』でつかみました。
STARGLOWデビューと俳優「日穏」|子どものころの二つの興味が現在へ
STARGLOWのメンバーは2025年9月19日に発表され、9月22日にプレデビュー曲「Moonchaser」を配信しました。
その一方で、トレーニー時代に撮影していた俳優の仕事も世に出ていきます。
2025年にSTARGLOW結成、2026年に正式デビュー
2026年1月21日、STARGLOWはデビューシングル「Star Wish」をリリースし、正式デビューしました。
高校1年生で初めてBMSGのオーディションへ参加してから、すぐにたどり着いたデビューではありません。
『MISSION×2』、BMSG TRAINEE、『THE LAST PIECE』という時期を順番に進んだ先でした。
デビューショーケースでは、自身をTRAINEE時代から追ってきた人たちにも触れながら、STARGLOWとしての第一歩を踏み出せたことをステージから伝えています。
映画初主演で幼稚園から抱いていた俳優の夢も形になる
STARGLOW結成直後の2025年10月には、映画『代々木ジョニーの憂鬱な放課後』が公開されました。
KANONさんは「日穏(KANON)」として主人公・代々木ジョニーを演じ、映画初出演で初主演となりました。
幼稚園で『コドモ警察』を見て俳優を夢見てから、小学6年生で劇団へ入り、中学3年生まで芝居を経験したあと、BMSGでは歌とダンスを優先していました。
それでも「芝居をやりたい」と伝え続けた先で、最初の映像作品から主演という仕事がやってきました。
音楽へ進んだことで消えたように見えた幼稚園時代の夢も、STARGLOWのデビューとほぼ同じ時期に実現しています。
STARGLOW公式YouTubeの「SG LAB」では、ADAMさんとともに藤井風さんの「優しさ」もカバーしています。
歌を聴くことに夢中になった中学生時代から続いてきた音楽が、現在は自分自身の歌として発信されるようになりました。
母に支えられた過去から「恩返ししたい」と話す現在
幼稚園で俳優を志したころから、KANONさんの進路には何度も母親が登場しています。
すぐ劇団へ入れるのではなく経験を増やしたことも、家計の状況が変わったあとも本人の「やりたい」を支えたことも、その時期ごとに形は違いました。
「これからは母に恩返ししていけたら」
STORY
2026年にはSTARGLOWとしてデビュー後初のファンミーティングを行い、夏には横浜アリーナとGLION ARENA KOBEでも公演を開催しました。
幼稚園で俳優を夢見た少年は、劇団で音楽に出会い、一度デビューを逃したBMSGで約3年間を過ごしたあと、STARGLOWのメンバーになりました。
家族の前でモノマネをしていた幼少期から、小学6年生で劇団へ入り、その劇団で音楽と出会ったことからKANONさんの進路は少しずつ変わっていきました。
高校1年生の『MISSION×2』ではデビューを逃しましたが、その後のトレーニー期間と『THE LAST PIECE』を経てSTARGLOWへ進んでいます。
現在はアーティストとしてステージに立ちながら、幼稚園のころから目指していた俳優の仕事にも活動の幅を広げています。
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