- 出身地
- 兵庫県
- 生まれ年代
- 2000年代生まれ
- 活動ジャンル
- バスケットボール選手
- 性別
- 男性
- 育った家庭
- 兄・玲央の存在がバスケットボールへの憧れや進路意識に影響した。
- キャリアの原点
- 小学校5年生のとき、兄・玲央が北陸高校でウインターカップに出場する姿を見て、自分も同大会で優勝したいという目標を強く持った。
- 中学校
- 神戸市立本山南中学校
- 高校
- 東山高等学校
千葉ジェッツで背番号5を着け、ポイントガードとしてプレーする瀬川琉久さんは、2006年8月14日生まれのバスケットボール選手です。
東山高校3年だった2025年1月には、高校在学中の18歳で千葉ジェッツとプロ契約を結び、そのままBリーグのコートへ進みました。
- 小学生のころから兄のプレーを見て育ち、兄が高校でウインターカップに出場する姿を応援していた。
- 高校:東山高等学校
- 小学校5年生のとき、兄・玲央が北陸高校でウインターカップに出場する姿を見て、自分も同大会で優勝したいという目標を強く持った。
プロ1年目の2024-25シーズンにはB.LEAGUEのMost Impact Player(MIP)を受賞し、2026年8月には20歳を迎えています。
ここまでを見ると幼いころから一直線にエリート街道を進んできたようにも見えますが、そのスタート地点にいたのは、7歳上の兄を追いかけてバスケットボールを始めた6歳の少年でした。
小学生で全国大会、中学生で全国タイトル、東山高校では全国優勝を経験する一方、高校1年では鼻を骨折したまま大一番に出場して全国大会への道を断たれるなど、現在までの間にはいくつもの大きな場面がありました。
瀬川琉久の生い立ちと家族|兄の背中を追って6歳でバスケを始める
瀬川琉久さんは兵庫県出身で、家庭では3人きょうだいの末っ子として育ちました。
現在のプロフィールでも「尊敬する人」に兄を挙げており、バスケットボールを始めた理由にも兄の存在があります。
3人きょうだいの末っ子|7歳上の兄がバスケの最初の憧れ
7歳上の兄・玲央さんがバスケットボールをしていたため、幼い瀬川さんは兄の練習や試合へついて行く機会がありました。
本格的に競技を始めたのは小学1年生ごろで、千葉ジェッツの公式プロフィールでは開始年齢を6歳と答えています。
兄はその後、福井県のバスケットボール強豪校・北陸高校でプレーし、瀬川さんも小学4、5年生のころには兄が出場するウインターカップを会場で見ていました。
「コートにいる選手全員が格好良く、輝いて見えました」
月刊バスケットボールWEB
千葉ジェッツのプロフィールにある「子どもの頃の夢」も、すでにプロバスケットボール選手でした。
現在まで着け続けている背番号5にも兄とのつながりがあり、兄の誕生日が8月5日で、兄自身も中学や選抜で5番を着けていたことから、瀬川さんも中学時代から5番を選ぶようになりました。
東山高校でも5番を託され、プロ入り時にも番号が空いていたため、兄をきっかけに選んだ「5」がそのまま千葉ジェッツまで続いています。
魚崎ミニで全国大会へ|小学生のころから続いた勝利
地元では魚崎ミニバスケットボールクラブに所属し、本間雄二コーチの指導を受けました。
小学6年だった2019年には、国立代々木競技場で行われた第50回全国ミニバスケットボール大会へ兵庫県代表として出場します。
魚崎ミニは大会で3試合を戦い、瀬川さんを中心に3戦全勝という結果を残しました。
兄について行く側だった小学生は、自分自身が全国大会のコートに立つ選手になり、そのまま中学年代へ進んでいきます。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
| 兄 |
玲央
バスケットボール経験者
北陸高校でウインターカップに出場した兄。 |
信頼できる媒体 出典を見る |
|---|
瀬川琉久の中学時代|本山南中とゴッドドアで全国の頂点へ
中学では神戸市立本山南中学校へ進み、クラブチームのゴッドドアでもプレーしました。
この3年間には全国タイトルが続きますが、最初の全国優勝は、瀬川さんが思い描いていた終わり方とは異なりました。
全中は4校同時優勝|戦わず終わった全国大会に残った悔しさ
中学3年だった2021年、本山南中は全国中学校バスケットボール大会でベスト4まで勝ち進みました。
ところが大会は新型コロナウイルスの影響を受け、準決勝以降が行われないまま、勝ち残っていた4校が同時優勝となります。
本山南中も「全国優勝校」にはなりましたが、最後の試合を勝って頂点を決めたわけではありませんでした。
「全中では4校優勝でしたが、それがとても悔しくて」
バスケットボールキング
そこから約4か月、瀬川さんたちは次の全国大会へ向けて練習を続けました。
4か月後のJr.ウインターカップでゴッドドアを全国優勝へ
年が明けた2022年1月、ゴッドドアはJr.ウインターカップ2021-22へ出場しました。
瀬川さんは決勝までの5試合で平均24.0得点、14.8リバウンドを記録し、KAGO CLUBとの決勝でも28得点、16リバウンド、5アシストを残します。
ゴッドドアは68-58で勝利し、今度は決勝を自分たちで勝ち切って全国の頂点に立ちました。
大会ベスト5にも選ばれ、中学最後の全国大会を終えた時点で、瀬川さんはすでに世代を代表するガードの一人として知られる存在になっていました。
平良宗龍とはミニバス時代から意識し合った同世代のライバル
この年代で何度も同じ舞台に立った一人が、後に開志国際高校へ進む平良宗龍さんです。
2人はミニバス年代から互いの存在を知り、Jr.ウインターカップ2回戦で対戦した際には、瀬川さんが31得点、平良さんが30得点を記録しました。
高校進学後も互いをライバルとして名前に挙げる関係が続き、同世代のガードとして別々の強豪校で全国を目指すことになります。
瀬川琉久さんは兵庫県出身で、家庭では3人きょうだいの末っ子として育ちました。
中学では神戸市立本山南中学校へ進み、クラブチームのゴッドドアでもプレーしました。
2022年春、瀬川さんは兵庫県を離れ、京都の東山高校へ進学しました。
小学校5年生のとき、兄・玲央が北陸高校でウインターカップに出場する姿を見て、自分も同大会で優勝したいという目標を強く持った。
バスケットボールキング|ウインターカップ注目選手 瀬川琉久東山高校1年|鼻を骨折したまま挑んだ試合で初めて味わった敗戦
2022年春、瀬川さんは兵庫県を離れ、京都の東山高校へ進学しました。
全国大会常連の環境へ入った1年目から出場機会を得ますが、その年の冬に、それまでとはまったく違う経験が待っていました。
1年生から主力へ|恩師・大澤徹也監督のもとで背番号5を背負う
東山を率いる大澤徹也監督は、入学した瀬川さんへ3年間「5番」を着けるよう伝えました。
大澤監督にとって5番は信頼する選手へ託したい番号で、中学時代から兄にちなみ5番を選んでいた瀬川さんにとっても、その番号は高校でさらに大きな意味を持つようになります。
1年生ながら得点源を担い、冬の京都府予選ではエースとして全国大会出場を目指していました。
京都府予選前日に鼻を骨折、それでもフェイスガードでコートへ
2022年のウインターカップ京都府予選決勝を翌日に控えた試合で、相手選手の肘が顔に当たり、瀬川さんは鼻を骨折しました。
医師からは激しい運動を避けるよう告げられましたが、全国大会を懸けた洛南高校との決勝で、瀬川さんはフェイスガードを着けて出場します。
普段は20得点を超える試合も多かった中、この日は9得点にとどまりました。
洛南に敗れ全国を逃す|暗い体育館で流した涙と翌日の手術
試合は東山が61-86で敗れ、瀬川さんの高校最初の冬は全国大会へ届かないまま終わりました。
本人によれば、小学6年生以降は公式戦で負けておらず、勝つことが当たり前になっていた時期だったため、高校1年で味わったこの敗戦はそれまでにない出来事でした。
「めっちゃ悔しかったです。もう放心状態です。」
テレビ朝日POST
試合後のミーティングを終えると、瀬川さんは暗くなった体育館の脇で涙を流し、翌日には鼻の手術を受けました。
東山高校2年|1年前の敗戦からジャンプシュートを磨き初のウインターカップへ
高校2年になると、瀬川さんは前年の試合で必要性を感じたジャンプシュートを重点的に磨きました。
そして2023年秋、再び京都府からウインターカップを目指す時期を迎えます。
1年間磨いたシュート|京都府予選残り3分から試合をひっくり返す
京都府予選決勝では京都精華学園と対戦し、試合残り約3分の時点で東山が4点を追う展開になりました。
前年の洛南戦が頭をよぎる中、瀬川さんは3ポイントシュートやドライブで終盤に得点を重ねます。
前年の敗戦後から磨いてきたシュートを、翌年の同じ全国出場を懸けた局面で使う形となり、東山はウインターカップ出場を決めました。
インターハイ準優勝、初めて立ったウインターカップはベスト8
その前の2023年夏、東山はインターハイで決勝まで進みましたが、日本航空高校に敗れて準優勝でした。
冬には瀬川さん自身が高校で初めてウインターカップのコートへ立ち、2回戦の桜丘高校戦で40得点を記録して82-74の勝利を引き寄せます。
準々決勝では福岡第一高校と接戦になり、瀬川さんは32得点を挙げましたが、東山は71-74で敗れて初めてのウインターカップをベスト8で終えました。
佐藤凪ら新しい仲間と日本一を狙うチームへ
2年時には、1学年下の佐藤凪さんが東山へ入学しました。
1年生ながら得点力を発揮した佐藤さんが加わったことで、それまで瀬川さんへ集中していた得点面の負担が分散され、佐藤友さんらとともに複数の選手が攻撃を担う形が作られていきました。
インターハイ準優勝、U18日清食品トップリーグ準優勝、ウインターカップベスト8と、2023年は全国の上位まで進みながら、最後の一つを取り切れない大会が続きました。
東山高校3年|寮生活と海外経験を重ねインターハイ初優勝
高校最後の1年になるころ、瀬川さんの生活は東山での日常に加え、日本代表関連の活動や海外遠征まで広がっていました。
全国大会の結果だけでなく、毎日の寮生活や学校での時間にも、次の進路を見据えた習慣が増えていきます。
23時消灯の寮生活|朝7時前には一本歯の下駄を履いて体育館へ
東山高校では寮生活を送り、朝食と夕食は寮、昼食は学校の食堂で取っていました。
朝は体育館が開く7時より前から練習へ向かい、身体の軸やバランスを整えるために一本歯の下駄を履くトレーニングも行っていました。
放課後のチーム練習が終わったあとも自主練習を続ける日があり、競技中心の一日を過ごしていました。
一方、寮は23時になると消灯し、幽霊が苦手な瀬川さんは、消灯後に廊下へ出る必要があると走って移動していたそうです。
BWBや代表活動で世界の選手とプレー
2024年2月には、NBAオールスター期間中に米国インディアナポリスで行われたBasketball Without Borders Global Campへ参加しました。
世界22の国・地域から集まった有望選手40人の中に入り、日本から参加した選手として海外のサイズやスピードを体感します。
「シュート力に関しては、日本人でも負けていないと感じました」
JBA公式/スポーツナビ
5月には17歳で男子日本A代表ディベロップメントキャンプへ呼ばれ、その後もNBA Academy Games、FIBA U18アジアカップと、海外や代表の活動が続きました。
高校のチームだけでなく、A代表スタッフや海外選手と同じコートに立つ時間が増えたのが3年時です。
キャプテンとして東山高校初のインターハイ優勝
2024年夏のインターハイでは、瀬川さんがキャプテンを務める東山が決勝まで勝ち進みました。
決勝の相手は美濃加茂高校で、瀬川さんは21得点、佐藤凪さんは16得点を挙げ、東山が78-62で勝利しました。
前年の決勝で敗れてから1年後、東山高校男子バスケットボール部にとって初めてのインターハイ全国優勝を成し遂げています。
ミニバス、中学に続き、高校でも全国大会を勝ち切るタイトルがここで加わりました。
昼休みは英語の勉強|NBAを見据えて高校生のうちから準備
高校3年になるころには、瀬川さんの目標は国内の全国大会だけではなく、日本代表とNBAへ向いていました。
海外でプレーする将来を考え、学校では昼休みを使って英語を勉強するようになります。
進路についても大学だけに絞らず、海外へ出る道や、高校卒業後すぐBリーグへ入る道を考えるようになっていました。
最後のウインターカップは福岡大附大濠に敗れベスト4
高校最後の大会となった2024年ウインターカップでは、準々決勝で藤枝明誠高校と対戦しました。
瀬川さんは40得点、16リバウンドを記録し、東山は83-82の1点差で勝って準決勝へ進みます。
翌日の準決勝では福岡大学附属大濠高校の守備に苦しみ、瀬川さんは13得点、東山は58-84で敗れました。
インターハイとの高校2冠には届かず、千葉ジェッツの選手プロフィールでも現在まで「人生で一番悔しかったこと」はウインターカップの大濠戦と答えています。
大学進学ではなく千葉ジェッツへ|18歳で選んだプロへの道
福岡大附大濠に敗れた時点で、瀬川さんの高校での公式戦は終わりました。
しかし、その後の進路については、高校3年の冬に初めて動き出したわけではありませんでした。
中学時代から瀬川琉久を見ていた千葉J・池内GM
千葉ジェッツの池内勇太GMが瀬川さんを知ったのは、中学3年時のJr.ウインターカップでした。
ゴッドドアで全国優勝したころからプレーを見続け、高校進学後も複数回直接確認し、高校2年の秋ごろには本人と話をする機会を持つようになります。
高校卒業後のプロ入りは突然出てきた話ではなく、中学時代から数年かけてプレーを見てきたクラブとの間で進んだものでした。
父との面談も経て考えた海外・大学・Bリーグという進路
池内GMは瀬川さん本人だけでなく、父親とも面談し、千葉ジェッツの育成環境や将来のプランを説明しています。
瀬川さん側には大学進学、海外挑戦、Bリーグという複数の選択肢があり、家族とも相談しながら進路を考えました。
高校最後のウインターカップを終えて帰る道中でも家族と話し、試合結果だけでなく、そこまで高校3年間をやり切ったことへ声をかけてもらっています。
ロス五輪とNBAから逆算し、河村勇輝が歩いた道も参考にする
最終的に瀬川さんが選んだのは、大学へ進んで4年間プレーする道ではなく、高校卒業を待たずにBリーグのプロ環境へ入る道でした。
最初の大きな目標として考えていたのは、2028年のロサンゼルスオリンピックへの出場です。
さらに、大学在学中からBリーグでプレーし、日本代表、オリンピックを経てNBAへ挑戦した河村勇輝さんのキャリアも具体的な参考になりました。
「最終的な目標はNBAで活躍すること」
B.LEAGUE公式
出場時間だけを求めるのではなく、富樫勇樹さんや渡邊雄太さんら日本代表経験者と日常的に練習できる環境を選び、ロス五輪とNBAから逆算して千葉ジェッツ入りを決めました。
高校最後の敗戦から1週間後、千葉ジェッツとのプロ契約を発表
ウインターカップ準決勝から約1週間後の2025年1月4日、千葉ジェッツは東山高校在学中の瀬川さんを特別指定選手として獲得したことを発表しました。
18歳の高校生が背番号5のプロ選手になることが正式に決定し、中学時代から続いていた交渉が形になりました。
加入会見では高校の制服ではなく千葉ジェッツのユニフォームを着て座り、学生生活を残したままプロとしての準備を始めました。
千葉ジェッツで始まったプロ生活|高校時代の経験を持って次の舞台へ
契約発表後すぐに試合へ出たわけではなく、リーグ登録が完了したのは2025年1月24日でした。
翌日から、高校生だった瀬川さんのBリーグでの時間が実際に始まります。
18歳でBリーグデビュー|高校生からプロ選手へ生活が変わる
2025年1月25日のファイティングイーグルス名古屋戦でBリーグ初出場を果たし、フリースローでプロ初得点を記録しました。
出場2試合目となった翌26日はプレータイムが14分48秒まで増え、9得点、2アシスト、1リバウンド、1ブロックを記録します。
高校では自分がボールを持つ時間の長かったポイントガードが、今度は富樫勇樹さんらと同じロスターで、限られた時間の中から役割をつかむ生活に入りました。
神戸の母が冷凍料理を送る一人暮らし
高校時代は寮で朝夕の食事が用意されていましたが、プロになってからは生活面も大きく変わりました。
クラブで食事を取る機会に加え、地元・神戸に暮らす母親が作った料理を冷凍して送り、朝に解凍して食べることもあります。
届く料理にはチキン南蛮などの鶏肉料理が多く、高校卒業後に家を離れてプロ生活へ進んだあとも、家族とのやり取りは日々の食事の中に残っています。
ルーキーシーズンにMIP受賞、日本代表候補にも選出
2024-25シーズンはB1で22試合に出場し、平均19分11秒のプレータイムで7.3得点、2.2リバウンド、1.9アシストを記録しました。
シーズン終盤には富樫勇樹さんの離脱もあり、チャンピオンシップでは5試合すべてでスターターを務めました。
高校在学中に加入してから数か月で存在感を高め、シーズン終了後にはB.LEAGUE 2024-25 Most Impact Player(MIP)に選出されます。
「まさかこんな僕が受賞できるなんて」
B.LEAGUE公式
高校から直接プロへ入った最初のシーズンで個人賞を受賞し、その後は男子U23日本代表の活動やワールドカップ2027アジア地区予選に向けた直前合宿にも招集されました。
幼いころから着ていたEGOZARUと「RIKU 1」を作るまで
プロ入り後には、バスケットボールブランドEGOZARUとのパートナー契約も結びました。
「小さな頃からよくEGOZARUのウェアを着ていた」
EGOZARU公式
契約後は商品開発にも参加し、2025年11月には本人の名前を冠した初のシグネチャーバスケットボールシューズ「RIKU 1」が発売されました。
瀬川さん自身がテストを重ねたモデルで、カラーリングには家族や仲間への思いが取り入れられ、2026年に登場した「MARINE PACK」では幼少期を過ごした地元の海もデザインのモチーフになっています。
兄を追ってバスケを始めた子ども時代から使っていたブランドで、自分の名前が付いたバッシュを作るところまで進みました。
2026-27も千葉ジェッツでプレー|目標は日本代表、そしてNBA
千葉ジェッツは2026年5月28日、瀬川さんとの2026-27シーズンの契約継続を発表しました。
8月14日には20歳となり、背番号は変わらず5番です。
クラブでは優勝を目標に掲げながら、日本代表、さらにその先のNBAという高校時代から口にしてきた目標も続いています。
兵庫で7歳上の兄を追いかけて始めたバスケットボールは、魚崎ミニ、本山南中とゴッドドア、東山高校を経てプロのコートまで続きました。
全国大会へ届かなかった高校1年の冬を挟みながら、最後の夏には東山初のインターハイ優勝を経験し、その半年後には大学ではなくプロの環境を選んでいます。
20歳となった現在も背番号は5番のままで、子どものころから目標にしてきたプロのさらに先へ向かってプレーを続けています。
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