2026年7月、「ゾンビ回収婦」で第175回芥川龍之介賞を受賞した小説家・小砂川チトさん。
2022年のデビュー作「家庭用安心坑夫」、続く「猿の戴冠式」も芥川賞候補となっており、商業デビュー後に発表した3作品すべてが芥川賞の候補に選ばれています。
そんな小砂川さんは1990年に岩手県盛岡市で生まれ、中学校まで盛岡で過ごしたあと、高校進学を機に上京しました。
その後は慶應義塾大学文学部を卒業し、同大学大学院社会学研究科で心理学を専攻しています。
ただ、幼い頃から小説だけを書き続けていたわけではなく、本格的に小説を書き始めたのは、大学院修了を迎える25歳ごろでした。
小砂川チトの生い立ちと家族|1990年、盛岡市に生まれる
小砂川さんの歩みは、現在も故郷として紹介される岩手県盛岡市から始まります。
家族について公開されている情報は多くありませんが、後年のインタビューでは父親や家族との具体的な場面が、創作を始めた時期や作品の着想とともに登場しています。
1990年に盛岡市で誕生|本名は公開プロフィールで明かされていない
小砂川チトさんは1990年、岩手県盛岡市生まれです。
講談社や慶應義塾、日本文学振興会などのプロフィールでは一貫して「小砂川チト」の名で紹介されており、本名についての記載はありません。
そのため、小砂川チトが本名なのかペンネームなのか、別に戸籍上の名前があるのかまでは本人の公表情報から確認できません。
生年月日についても「1990年生まれ」までがプロフィールに掲載されており、月日は公表されていません。
子どもの頃、動物に信用されることへ感じていた特別なあたたかさ
盛岡で過ごした子ども時代について学校生活の細かな記録は多くないものの、後に作品へ続いていく感覚を本人が語ったことがあります。
2024年、「猿の戴冠式」について朝日新聞のインタビューを受けた際、小砂川さんは子どもの頃と動物の関係を振り返りました。
「子供の頃から、動物に信用されることに特別なあたたかさを感じていた」
好書好日
同じインタビューでは、人間と類人猿が親しくなっていく物語をデビュー前から温めていたことも明かしています。
両親・兄弟姉妹は?公開されている家族情報の範囲
父親については、後に「ゾンビ回収婦」が生まれるきっかけとなったゲームの思い出の中で本人が触れています。
一方、母親の名前や職業、兄弟姉妹の有無といった詳しい家族構成は、出版社などが掲載しているプロフィールでは明らかにされていません。
家族についてもう一つ具体的に分かっているのは、大学院修了期に一般的な就職活動をしない道を選んだ際、家族が最終的にその選択を応援していたことです。
その出来事は成人後に起きているため、大学院からデビュー前へ進む時期で詳しく見ていきます。
小砂川チトの中学・高校時代|高校進学を機に盛岡から上京
盛岡で続いていた生活は、高校進学の時期に大きく変わります。
IBC岩手放送は2024年、小砂川さんについて中学校まで盛岡で過ごし、高校進学に伴って上京したと報じています。
中学校までは盛岡市で生活していた
中学校までの生活の拠点は盛岡市でした。
ただし、現在確認できる報道や出版社の公式プロフィールでは、通っていた小学校名・中学校名までは明らかになっていません。
特定の中学校を出身校として挙げる情報もありますが、本人や学校、出版社などによる裏付けのある学校名は公表されていない状態です。
高校進学で上京|高校名・中学校名は公表資料では未確認
地元を離れたのは高校進学のタイミングでした。
大学進学を待たず、高校から東京で生活するようになったことになります。
一方で、出身高校についても学校名を確認できる一次資料や信頼性の高い本人発言は公表されていません。
ネット上では特定の高校名を挙げた推測もありますが、確認できるのは「高校進学に伴って上京した」というところまでです。
小砂川さんの歩みは、現在も故郷として紹介される岩手県盛岡市から始まります。
中学校までの生活の拠点は盛岡市でした。
地元を離れたのは高校進学のタイミングでした。
盛岡で続いていた生活は、高校進学の時期に大きく変わります。
上京後、小砂川さんは慶應義塾大学文学部へ進みます。
慶應義塾が2026年の芥川賞受賞時に発表した経歴では、文学部卒業・大学院社会学研究科修了と確認されています。
興味深いのは、大学や大学院で過ごしていたころから「小説を書く」という考え自体は持っていたことです。
小説を書くと決めても、すぐに作家として生活できるようになったわけではありません。
慶應義塾大学・大学院時代|文学部から心理学専攻へ
上京後、小砂川さんは慶應義塾大学文学部へ進みます。
大学を卒業するとそのまま同大学の大学院へ進学し、研究を続けました。
慶應義塾大学文学部を卒業し、大学院社会学研究科へ
慶應義塾が2026年の芥川賞受賞時に発表した経歴では、文学部卒業・大学院社会学研究科修了と確認されています。
講談社の著者紹介ではさらに詳しく、大学院では社会学研究科心理学専攻だったことが記載されています。
文学部で学んだあと、大学院では心理学を専攻したという進路です。
ただ、心理学を専攻していたことだけを理由に、小説の人物描写や作風が心理学研究から生まれたと結びつける本人発言は確認されていません。
また、ネット上で見られる「心理士として勤務していた」という情報についても、本人が後年明かしている仕事は医療関係の業務委託であり、心理士だったとは断定できません。
「小説を書く」と言いながら、学生時代はまだ本格的に書いていなかった
興味深いのは、大学や大学院で過ごしていたころから「小説を書く」という考え自体は持っていたことです。
2026年の文春オンラインのインタビューでは、学生時代から周囲に小説を書くと宣言しながら、実際には書かないことを繰り返していたと明かしています。
つまり、作家を意識したのが25歳で突然ゼロから始まったわけではないものの、「書きたい」と「実際に書く」の間にはしばらく時間があったことになります。
25歳、博士課程も就職も「ちょっと違う」と感じた
大学院の修士課程を出るか出ないかというころ、進路を決める時期がやってきました。
博士課程へ進む道もあれば、修了後に就職する道もあります。
ところが当時25歳ほどだった小砂川さんは、どちらにもそのまま進みませんでした。
「博士課程に進むのも、今から就職するのも『ちょっと違うな』」
文春オンライン
ここで一般的な就職活動へ進まず、それまで実行に移していなかった小説を本格的に書く方向へ動き始めます。
小砂川さんの作家への道が具体的に始まったのは、この大学院修了期でした。
デビュー前の約7年間|医療関係の仕事をしながら新人賞へ投稿
小説を書くと決めても、すぐに作家として生活できるようになったわけではありません。
ここから2022年のデビューまでには、働きながら作品を書いて新人賞へ送る時間が続きます。
就活をせず創作へ|家族の「おやおや?」が「頑張れ」に変わる
大学院を出るころ、就職活動はせず、医療関係の業務委託として働きながら小説を書く道を選びました。
会社へ入り、決まったキャリアを進んでいく形とは少し違う選択だったため、本人によれば家族から見ても最初は「おやおや?」という進路だったそうです。
それでも家族は最終的に「頑張れ」と励ましてくれたといいます。
この生活はデビューまで約7年間続きました。
業務委託の仕事は、忙しい時期もあれば比較的時間を取れる時期もあり、その合間に執筆を進めています。
仕事の具体的な勤務先や担当業務までは本人のインタビューで明かされていませんが、少なくとも「医療関係の業務委託」として働いていたことは本人の言葉で確認できます。
時間さえあればどこでも書き、数か月で300枚のファンタジーを完成
書き始める前までは「小説を書く」と言いながらなかなか実行できていませんでしたが、実際に始めると状況が変わりました。
本人によると、書き始めてからはアイデアが次々に出てきたといいます。
最初に完成させた作品は、数か月で原稿用紙約300枚に達したファンタジー小説でした。
しかも、その作品をエンターテインメント系の新人賞へ投稿すると、最終選考の一つ手前まで進みました。
初めて本格的に書いた作品がそこまで残ったことで、投稿生活はそのまま続いていきます。
最終選考目前まで進んだあと、賞に引っかからない時期が続く
最初の手応えだけを見ると、そのまま短期間でデビューしても不思議ではなさそうでした。
ところが「これはいける」と投稿を続けてからは、しばらく賞に引っかからない時期が訪れます。
それでも「何年で結果が出なかったら辞める」といった期限は設けませんでした。
デビューできなかった場合を具体的に決めていたわけではなく、本人は後年、長く続けていればいつか作家になれるのではないかと考えていたと話しています。
新人賞への投稿そのものを「楽しい試み」だと感じるようにもなっていきました。
2020年「かわいい標識魚のためのバイエル」が文藝賞最終候補に
投稿を始めて数年が過ぎた2020年、一つの変化が起こります。
それまで最初に投稿したのはエンターテインメント系の賞でしたが、このころ純文学の新人賞へ作品を送ってみました。
「かわいい標識魚のためのバイエル」が第57回文藝賞の最終候補3作品の一つに選ばれます。
本人も2026年のインタビューで、2020年ごろに思い切って純文学の賞へ応募したところ最終候補に残ったと振り返っています。
ただし、本人には「純文学向け」「エンタメ向け」と作品を書き分けていた感覚はなかったそうです。
2022年「家庭用安心坑夫」でデビュー|7年の投稿生活が実る
2020年の最終候補からさらに2年後、投稿生活に大きな区切りが訪れます。
講談社の文芸誌「群像」が主催する新人文学賞へ送った作品が当選作となりました。
2072篇から群像新人文学賞の当選作に選ばれる
2022年、第65回群像新人文学賞には2072篇の小説が寄せられていました。
そこから小砂川さんの「家庭用安心坑夫」と、平沢逸さんの「点滅するものの革命」が当選作に選ばれます。
25歳ごろから続けていた投稿が、約7年を経て商業作家としてのデビューにつながりました。
「家庭用安心坑夫」で第65回群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビューします。
デビュー作がそのまま第167回芥川賞候補へ
新人賞を受賞した作品は「群像」2022年6月号へ掲載され、同年7月に講談社から単行本として刊行されました。
そしてデビュー作のまま、第167回芥川龍之介賞の候補に選ばれます。
大学院修了時に小説を書き始めたころから見ると長い時間を経ていますが、商業デビュー後は最初の一作から文学賞の舞台へ進みました。
2023年、故郷・岩手の文芸誌「北の文学」に巻頭コラムを寄稿
デビュー翌年の2023年には、岩手日報社が発行する文芸誌「北の文学」第86号にも登場しています。
盛岡市出身の作家として、巻頭コラム「罪やかなしみでさへ、そこでは」を寄稿しました。
高校から生活の拠点を東京へ移していましたが、作家としてデビューしたあとも故郷・岩手との接点が続いています。
2作目「猿の戴冠式」|デビュー前から温めていた類人猿の物語
デビュー作の次に発表した「猿の戴冠式」では、競歩選手の女性と、言葉を学習させられたボノボの交流が描かれます。
この物語の原型は、デビューしてから急に思いついたものではありませんでした。
人間と類人猿が懇意になる物語を形にする
小砂川さんは、子どものころから動物に信用されることへ特別な感覚を持っていたと話していました。
さらに人間と類人猿が親しくなっていくストーリー自体は、作家デビュー前から温めていたと明かしています。
そのアイデアが、競歩選手「しふみ」とボノボ「シネノ」が独自の手話を通して関わっていく「猿の戴冠式」として形になりました。
執筆は順調だったわけではなく、2作目ではデビュー後のプレッシャーもあり、本人が「これまでにないくらい執筆が難航した」と語るほど苦戦しています。
芥川賞・三島由紀夫賞・野間文芸新人賞の候補へ
「猿の戴冠式」は「群像」2023年12月号に掲載され、翌2024年に単行本化されました。
作品は第170回芥川龍之介賞の候補となり、選考では次点まで残りました。
さらに単行本は第37回三島由紀夫賞、第46回野間文芸新人賞の候補にもなっています。
デビュー後2作品連続で芥川賞候補となり、2作目ではほかの文学賞にも候補が広がりました。
2度目の芥川賞落選後、担当編集者から届いた一言
2024年1月、「猿の戴冠式」は芥川賞を逃しました。
そのころのことを、小砂川さんは2026年8月の芥川賞贈呈式で振り返っています。
普段はめったに褒めないという担当編集者が、落ち込んでいた小砂川さんへ短い言葉をかけました。
「小砂川さんには才能があります」
PHPオンライン
本人はその言葉が実はとてもうれしかったと、受賞後になって思い出したそうです。
3作目「ゾンビ回収婦」|昔のアイデアを取り出し、3度目の芥川賞へ
次に何を書くかを考えたとき、小砂川さんは以前から残していた電子上のネタ帳を見返しました。
そこには、父親が遊んでいたゲームを見たことから生まれたアイデアが残っていました。
電子メモに眠っていた「ゾンビを回収している女の子」を3作目へ
父親が遊んでいたのはゾンビが登場するゲームでした。
古いゲームでは、倒れていたゾンビが視点を変えたあと一瞬で画面から消えてしまうことがあります。
小砂川さんが注目したのは、ゾンビを倒す側ではなく、その消え方でした。
「ものすごいスピードで片付けている人がいたら面白いな」
TOKYO FM「三菱地所レジデンス Sparkle Life」
電子上のネタ帳には、「ゾンビを回収している女の子」という短いメモを残していました。
3作目を考える段階でそのメモを取り出し、「主人公NPC」という発想などを加えながら「ゾンビ回収婦」へと育てていきます。
3作連続の芥川賞候補、2026年に初受賞
「ゾンビ回収婦」は「群像」2026年5月号へ掲載され、同年7月9日に講談社から単行本が刊行されました。
そして3作目も、第175回芥川龍之介賞の候補に選ばれます。
これで「家庭用安心坑夫」「猿の戴冠式」「ゾンビ回収婦」と、発表した3作品すべてが芥川賞候補になりました。
2026年7月15日の選考会で、「ゾンビ回収婦」が第175回芥川龍之介賞の受賞作に決定します。
初めて候補になったときから本人は、自分の作品が芥川賞の場にいることへどこか意外さを感じていたそうです。
3回目についても最初から受賞を確信していたわけではなく、受賞直後には「人ごとみたいだった」と感じていたことをTOKYO FMで明かしています。
受賞後も机へ戻り、次の作品を書き始める
8月21日に開かれた贈呈式では、受賞という結果だけを握りしめ続けるのではなく、そのあと何をするかへ話を進めました。
創作時間の大部分を占めるのは、結果が出た瞬間ではなく、作品に悩み、うまく書けず、試行錯誤している時間です。
小砂川さんは、そうやって作品の途中にいる自分のほうが好きなのだと、受賞を通して改めて感じたと語っています。
現在の執筆は自宅のデスクを中心に、2台のディスプレイへ原稿とプロットをそれぞれ表示して進めています。
書きたいフレーズや途中の場面を先に思いつき、そこから前後を考えていくことが多く、行き詰まったときにはカフェへ場所を変えてパソコンに向かうこともあるそうです。
大学院を出るころに初めて本格的な小説を書き、医療関係の仕事と並行しながら約7年間新人賞へ送り続けた時間から、執筆そのものを続ける生活は途切れていません。
盛岡で子ども時代を過ごし、高校進学で上京した小砂川チトさんは、大学・大学院を経て25歳ごろになってから本格的に小説を書き始めました。
すぐにデビューしたのではなく、仕事をしながら新人賞への投稿を約7年間続けた先に「家庭用安心坑夫」があり、その後も作品を重ねていきました。
そして3作目「ゾンビ回収婦」で芥川賞を受賞した現在も、次の作品を書くために再び机へ向かっています。
小砂川チトと似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。












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