坂崎かおるの生い立ちと家族|本好きの家庭、大学・青年海外協力隊を経て作家になるまで

坂崎かおる
ひと目でわかるプロフィール 坂崎かおる
さかさきかおる
出身地
東京都
生まれ年代
1980年代生まれ
活動ジャンル
小説家
家庭環境
両親と育った
育った家庭
父・母・姉のいる本好きな家庭で育ち、家の中でも図書館でも読書が途切れない環境だった。
キャリアの原点
小学校高学年から小説を書き始め、中学生では父のお古のWindows 3.1を使って友人へ毎日のように作品を送っていた。

坂崎かおるさんは、2024年に「ベルを鳴らして」で日本推理作家協会賞短編部門を受賞し、『海岸通り』と「へび」で2度、芥川賞候補になった小説家です。

2025年には『箱庭クロニクル』で第46回吉川英治文学新人賞を受賞し、2026年にも新作を発表しています。

坂崎かおるさんを理解する3つのポイント
  1. 母が毎週のように図書館から本を借り、姉の本棚にも手を伸ばすなど、家族ぐるみで読書が身近だった。
  2. 小学校高学年から小説を書き始め、中学生では父のお古のWindows 3.1を使って友人へ毎日のように作品を送っていた。
  3. 現在の道につながる原点:コンテスト・公募

これだけを見ると昔から小説家を目指して一直線に進んできたようにも見えますが、中学生のころにはすでに友人へ小説を送り続けていた一方で、本人は作家を将来の職業として考えていませんでした。

大学卒業後には青年海外協力隊としてアフリカへ渡り、帰国後に働き始めると小説を書くことから十数年間離れています。

再び書き始めたのは2020年で、仕事と育児を終え、子どもが寝たあとの夜中に書いた「リモート」が作家活動の再出発になりました。

坂崎かおるの生い立ちと家族|「東京の外れ」の本好きな家庭で育つ

坂崎かおるさんは1984年、東京都生まれです。

本人が後年「東京の外れ」と表現した実家で育ち、父親も母親も本を読む家庭で、姉も読書が好きでした。

幼いころの生活には、本だけでなく犬や猫、外遊び、学校での音読や作文もあり、現在の作品からは見えにくい子ども時代の場面が数多く残されています。

母が毎週借りる約10冊を読み、姉の本棚にも手を伸ばした

母親は毎週のように図書館へ行き、貸出上限まで本を借りてきました。

そのうち坂崎さんが読む分は一週間で10冊ほどあり、読み終えるころにはまた次の本へ入れ替わっていたといいます。

学校の図書室も使っていましたが、中心になっていたのは自転車で行ける市立図書館でした。

一度気に入った作家を見つけると同じ作者の本を続けて探し、子どものころに読んだ『シートン動物記』は、実家を出るまで本棚に残していました。

家には姉の本棚もあり、自分で選んだ本だけでなく、姉が読んでいた本や漫画にも自然に手を伸ばしています。

姉は後に『ソフィーの世界』を寝る前に一章ずつ読んでくれ、哲学の難しい部分を飛ばしながら物語の部分を聞かせてくれたこともありました。

家の中でも図書館でも、次に読む本が途切れにくい子ども時代でした。

勝手口のある実家で犬や猫と暮らした子ども時代

実家は東京の静かな住宅地にあり、台所には細長いすりガラスの勝手口がありました。

扉の外には家の壁と塀にはさまれた細い空間があり、鍵を忘れたときにはそこから家へ入り、子どものころ叱られたときに出されたこともあったそうです。

庭へ飛び込んだボールを取ってほしい近所の子どもたちが、その勝手口から声をかけてくることもありました。

家で飼っていた犬はそこから庭へ出入りし、猫も扉の前で鳴いて開けてもらい、ときには知らない猫まで入ってきました。

本を読む時間が長かった一方で外でも遊び、転んで頭を縫ったり、自転車のチェーンに足を巻き込まれて縫ったりと、整形外科へ何度も行く子どもでもありました。

あまりに続いたため、医師から「隣に住んだほうがいい」と冗談を言われるほどだったと「作家の読書道」で明かしています。

音読と日記が好きで、小学校高学年には初めて小説を書く

小学校2年生ごろには国語の音読が好きで、抑揚をつけながら読み、友人の前で読んであげることもありました。

作文も好きで、小学3年生の夏休みの日記では、普通に一日を記録するだけでなく「水着から見た今日の一日」のように視点を変えて書いたこともあったそうです。

日記は途切れながらも高校生まで続き、小学校高学年になるころには初めて小説を書き始めました。

宇宙飛行士の毛利衛さんが宇宙へ行ったころには宇宙飛行士に憧れたり、音楽のミキサーに興味を持ったりしたものの、将来の職業を一つに決めていたわけではありませんでした。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

父

読書好きの父。父のお古のWindows 3.1が中学時代の創作に使われた。

信頼できる媒体 出典を見る
母

毎週のように図書館から本を借り、本人の読書環境を作った母。

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姉

読書好きで、本人へ本を読んで聞かせることもあった姉。

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中学校時代|父のお古のWindows 3.1で友人へ小説を送り続ける

坂崎さんは中高一貫校へ進み、中学生になると読書量だけでなく、自分で書く量も増えていきました。

ここで作品を読んでくれる相手になったのが、学校の友人です。

図書室の赤川次郎50〜60冊を1〜2日で1冊のペースで読む

中学校の図書室では本が作者名順に並んでおり、棚の最初のほうにあった赤川次郎さんの作品が目に留まりました。

そこで「全部読んでみよう」と決め、一日に一冊、遅くても二日に一冊ほどのペースで読み進めています。

最終的に読んだ作品は50〜60冊ほどになりました。

教師から本を薦められることもあり、橋本治さんの『桃尻語訳 枕草子』など、自分だけでは手に取らなかった本にも出会っています。

隣席の友人に作品を読ませ、毎日のように一編をメールする

小学校高学年から始めた創作は、中学校へ入っても続いていました。

隣の席の友人に書いたものを見せると「面白かったよ」と感想をもらい、それが次を書くきっかけになっていきます。

一時期は一日に一編ほどのペースで作品をメールしていたそうです。

使っていたのは、父親から回ってきた当時としても古いパソコンでした。

「父のお古のWindows3.1があって、それで書いていたんです」

WEB本の雑誌「作家の読書道」

当時読んでいた赤川次郎作品の影響もあり、書いていたのはミステリに近い物語だったと振り返っています。

作品を保存したフロッピーディスクは、実家のどこかにまだ残っているかもしれないとも話していました。

「作家になれば」と言われても職業には考えていなかった

これだけ頻繁に小説を書いていると、周囲からは「作家になれば」と言われることもありました。

ところが本人の中では、書くことと将来の職業は結びついていませんでした。

「文章を書いていたくせに、小説家になりたいって思ったことはないんですよ」

WEB本の雑誌「作家の読書道」

中学生ですでに小説を書く習慣がありながら、小説家は進路の選択肢に入っていませんでした。

人生年表 坂崎かおるさんの歩み
幼少期
坂崎かおるの生い立ちと家族|「東京の外れ」の本好きな家庭で育つ

坂崎かおるさんは1984年、東京都生まれです。

幼少期
勝手口のある実家で犬や猫と暮らした子ども時代

実家は東京の静かな住宅地にあり、台所には細長いすりガラスの勝手口がありました。

小学校
音読と日記が好きで、小学校高学年には初めて小説を書く

小学校2年生ごろには国語の音読が好きで、抑揚をつけながら読み、友人の前で読んであげることもありました。

中学校
中学校時代|父のお古のWindows 3.1で友人へ小説を送り続ける

坂崎さんは中高一貫校へ進み、中学生になると読書量だけでなく、自分で書く量も増えていきました。

高校
高校時代|演劇部を立ち上げ、世界文学に没頭する

そのまま中高一貫校の高校へ進むと、今度は文章だけでなく演劇にも時間を使うようになります。

高校時代|演劇部を立ち上げ、世界文学に没頭する

そのまま中高一貫校の高校へ進むと、今度は文章だけでなく演劇にも時間を使うようになります。

同じ学校にすでにある部へ入ったのではなく、仲間と新しく活動を始めました。

演劇部がなかった学校で仲間と部を立ち上げる

高校には演劇部がなかったため、演劇を好きな生徒たちと一緒に演劇部を立ち上げました。

姉も演劇が好きで、坂崎さん自身も小学生のころから音読を楽しんでいたため、演劇へ進んだことを本人はその延長線上のように捉えています。

ただ、最初の一年はそれほど活発ではなく、活動の様子が大きく変わったのは高校2年生になってからでした。

演劇に詳しい顧問との出会いで脚本を読むようになる

高校2年生のとき、演劇に詳しい教師が顧問になります。

顧問から成井豊さんや横内謙介さんの戯曲を教わり、三島由紀夫『近代能楽集』、野田秀樹『贋作・桜の森の満開の下』などにも触れました。

それまで小説を中心に読んでいた坂崎さんの読書に、舞台で演じるための言葉が加わった時期でもあります。

ドストエフスキーや太宰治を読み込み、文学コンクールでも受賞する

高校時代は、本人が後年「一番本を読んでいた」と振り返る時期です。

トルストイやドストエフスキー、夏目漱石、太宰治など、文学史で名前を見る作家を次々に読んでいました。

ドストエフスキーは作品をひと通り読み、『罪と罰』だけでなく『虐げられた人びと』などにも手を伸ばしています。

太宰治は姉の本棚にあった『晩年』から入り、筑摩書房の文庫版全集を順番に読みました。

シェイクスピア、ジェイン・オースティン、ルイス・キャロル、ブロンテ姉妹など海外文学も読み、読書の範囲は中学時代よりさらに広がっています。

創作も続けており、中高生を対象にした文学コンクールで受賞した経験があります。

本人は後年、そのコンクール名までは覚えていないと話しているため、名称までは明らかになっていません。

教育系大学|国語を専攻し、坂口安吾を卒論で研究する

高校卒業後は中高一貫校を離れ、教育系の大学へ進みました。

公開されている本人インタビューでは大学名までは明かされていませんが、国語を専門に学んだことは本人が話しています。

教師志望というより「文学が好き」で国語を選ぶ

教育系大学で国語を選んだ理由は、最初から国語教師になることだけを目標にしていたからではありませんでした。

「文学が好きだったので国語を選んだんだと思います」

WEB本の雑誌「作家の読書道」

大学では文学作品を読むだけでなく、言葉や文化を調べる授業へ進んでいきます。

言語学・文化人類学を学び『桜の森の満開の下』を論じる

履修した分野には言語学や文化人類学があり、柳田國男や折口信夫なども読みました。

卒業論文で取り上げたのは、坂口安吾の『桜の森の満開の下』です。

作品だけを読むのではなく、日本文化の中で桜が何を意味してきたのかを調べ、象徴論や文化人類学の視点から論じました。

国文学関係の論文にも当たり、作品が書かれた背景や過去の研究を調べながら自分の論を組み立てる方法を身につけています。

後に小説を書くときにも使うことになる「資料を調べる」作業を、大学では研究として経験していました。

一人で小説を書き、公募へ送っていた大学時代

大学でも小説はときどき書いていましたが、中学生のころのように友人へ見せることはなくなりました。

一人で書き、完成すると公募へ送っています。

応募先には『ダ・ヴィンチ』の文学賞などがありましたが、現在の純文学の新人が意識するような主要文芸誌の新人賞を網羅していたわけではありません。

本人は当時、いわゆる「五大文芸誌」の新人賞についても知らなかったと振り返っています。

大学卒業が近づいても、小説家になるために出版社へ近づくのではなく、進路は別の方向へ動きました。

大学卒業後|青年海外協力隊で約2年アフリカへ、帰国後は教育の仕事へ

大学を出た坂崎さんが次に選んだのは、一般企業への就職ではなく青年海外協力隊でした。

この時期から、学生生活の中にあった創作はいったん遠ざかっていきます。

就職を急がず青年海外協力隊へ応募、初海外がアフリカになる

青年海外協力隊へ応募した理由について、本人は「就職したくなかった」ことや、何もしなければ親に言われるので何かしようと考えたことを率直に語っています。

最初からすんなり派遣が決まったわけではなく、いったん予備枠となり、そこから提示された派遣先がアフリカでした。

自分でアフリカを第一希望として選んだわけではありません。

「私はその時まで海外に行ったこともなかったですし」

WEB本の雑誌「作家の読書道」

人生で初めての海外生活が、青年海外協力隊として過ごす約2年間のアフリカ生活になりました。

子ども向け施設で働き、ドミトリーに残された日本語の本を読む

アフリカでは子どもを対象とした施設で活動しました。

滞在先のドミトリーには、それまで赴任していた日本人が置いていった日本語の本がたくさん残されていました。

空いた時間にはそれを読み、真保裕一さん、篠田節子さん、東野圭吾さんなど、日本のエンターテインメント小説にも多く触れています。

本人によると、読書量だけなら高校時代に次ぐほど本を読んだ時期でした。

東京の図書館から始まった読書生活は、遠く離れたアフリカでは、前任者たちが残した本棚によって続いていました。

民間企業から教育系の仕事へ移り、小説から十数年間離れる

約2年間の活動を終えて日本へ戻ると、まず民間企業で少し働き、その後教育関係の仕事へ移りました。

中学、高校、大学と断続的に続いていた小説執筆は、働き始めると止まります。

「その間、コロナ禍になるまでは書くことは全然していなかったです」

WEB本の雑誌「作家の読書道」

学生時代まで書いていた人物が、就職後は十数年にわたって小説を完成させない時期に入りました。

ただし物語を考えること自体はなくならず、子どもの送り迎えなどをしながら「こういう話は使えるかもしれない」と頭の中で考えることはあったそうです。

2020年|『リモート』で十数年ぶりに小説を書き、Web公募へ戻る

長く小説を書いていなかった生活が動いたのは、2020年のコロナ禍でした。

入口になったのは、Webから応募できる第1回かぐやSFコンテストです。

コロナ禍と4000字の公募が創作再開の入口になる

坂崎さんはコンテストの告知を見つけ、応募作の長さが4000字であることに目を留めました。

原稿を印刷して郵送する必要もなく、オンラインで応募できるため、長く創作から離れていた状態でも参加しやすい公募でした。

そこで「一日で完成させる」「二作書く」「最後にひねりを入れる」という自分なりの条件を決めて書き始めます。

題材になったのは、学校へ本人の代わりに遠隔操作のロボットを通わせる「リモート」という物語でした。

その発想自体はコロナ禍になって初めて生まれたものではなく、以前から頭の中にあったアイデアでした。

仕事と育児を終えた夜、一晩で『リモート』を書く

当時は日中に仕事があり、帰宅後には子育てもありました。

「子供が寝静まった夜中しか執筆の時間はとれない」

坂崎かおる公式note

4000字なら夜のうちに終えられると考え、その日のうちに「リモート」を書き上げました。

十数年ぶりに完成させた小説が、第1回かぐやSFコンテストの審査員特別賞に選ばれます。

最終選考まで残ることも予想しておらず、選考が進んだ段階で家族と「どうしよう」と話したほどだったそうです。

長い準備期間を置いて作家活動へ戻ったのではなく、短い公募を見つけた夜に一作を書き切ったことから再開しました。

『電信柱より』『嘘つき姫』へ、Web公募で評価が続く

「リモート」が評価されたことで、坂崎さんは「今なら書けるかもしれない」と考え、別の公募にも作品を送り始めました。

仕事や育児と並行しているため、30枚や50枚ほどで応募できる短編の公募を探し、Webから投稿できるコンテストを利用していきます。

2021年には「電信柱より」が第3回百合文芸小説コンテストのSFマガジン賞に選ばれました。

電信柱と、それを切る職人を題材にした作品で、短い物語の外側にある時間まで想像させる作品として評価されています。

翌2022年には、1940年のパリから始まる「嘘つき姫」を第4回百合文芸小説コンテストへ投稿しました。

「嘘つき姫」は同コンテストで大賞を受賞し、その後、出版社から作品について声がかかる機会も増えていきました。

2020年の一作だけで終わらず、短編を書いては公募へ送り、結果を受けて次を書く時期が続きます。

初単著から2度の芥川賞候補へ|兼業のまま作家活動を広げる

Web公募で作品を発表し始めてから約4年後、坂崎さんの作品は単行本としてまとまります。

2024年以降は、初単著、文学賞受賞、芥川賞候補が相次ぎました。

2024年『嘘つき姫』で初単著、『ベルを鳴らして』で日本推理作家協会賞

2024年3月27日、河出書房新社から初の単著『嘘つき姫』が刊行されました。

表題作を含む9編を収めた短編集で、Web公募などで発表してきた作品が一冊にまとまっています。

刊行時期には、子ども時代を過ごした「東京の外れ」の実家が、その年の夏に取り壊される予定であることも本人が明かしました。

犬や猫が出入りした勝手口の記憶を書いた河出書房新社のエッセイは、初単著が出た春に公開されています。

同年5月には、「ベルを鳴らして」が第77回日本推理作家協会賞短編部門を受賞しました。

結果発表の日も本業があり、仕事を終えてから編集者が待つ場所へ向かっています。

お茶を注文して間もない午後4時半ごろに受賞の電話が入り、待機していた時間はわずか数分でした。

「ベルを鳴らして」はもともと別のSFコンテストで最終候補に残りながら受賞しなかった作品で、その後『小説現代』に掲載され、日本推理作家協会賞へつながりました。

一度受賞を逃した作品が別の場所で掲載され、最終的に協会賞を受賞しています。

『海岸通り』で初の芥川賞候補、『箱庭クロニクル』で吉川英治文学新人賞

2024年7月10日には、文藝春秋から『海岸通り』が刊行されました。

同作は第171回芥川龍之介賞の候補となり、坂崎さんにとって初めての芥川賞候補作になります。

受賞には至りませんでしたが、その数か月後の11月には講談社から短編集『箱庭クロニクル』が刊行されました。

2025年3月5日、『箱庭クロニクル』は荻堂顕さんの『飽くなき地景』とともに第46回吉川英治文学新人賞に選ばれます。

2020年にWeb公募へ戻ってから5年ほどで、日本推理作家協会賞と吉川英治文学新人賞の受賞、芥川賞候補まで進みました。

『へび』で2度目の芥川賞候補、『サンクトペテルブルクの鍋』も刊行

2025年9月発売の『文學界』10月号には、新作「へび」が掲載されました。

「へび」は同年12月に第174回芥川龍之介賞の候補となり、『海岸通り』に続く2度目の芥川賞候補になります。

その候補発表と近い2025年12月17日には、小学館から『サンクトペテルブルクの鍋』も刊行されました。

2026年1月14日に第174回芥川賞の選考結果が発表され、受賞作は鳥山まことさん「時の家」と畠山丑雄さん「叫び」に決まりました。

「へび」は候補作であり、芥川賞受賞作ではありません。

一方で、純文学だけに活動を絞ったわけではなく、SF、ミステリ、百合文芸など複数の場所で短編や単行本の発表が続いています。

顔を出さず、フルタイム勤務と育児を続けながら書く現在

坂崎さんは作家活動を始めてからも、自分の顔を積極的に公開していません。

2024年の公式noteでは、顔を出さない理由の一つを短くこう書いています。

「本業に差し支える」

坂崎かおる公式note

作者の姿より作品を読んでもらいたいという考えや、作者個人の情報が作品の受け取られ方へ強く入り込むことへの距離感についても、自身の文章で説明しています。

また、少なくとも2024年末の時点では教育系の仕事をフルタイムで続け、子育てと小説執筆を並行していました。

2020年に「リモート」を書いたころと同じく、作家活動だけに一日を使える生活へ切り替えたわけではありません。

2026年8月発売の『文學界』9月号には新作「わに」が掲載され、作品発表は続いています。

中学生のころは父親のお古のパソコンで友人へ作品を送り、2020年からはWeb公募を通して作品を外へ送り始めました。

本が次々に入れ替わる家庭で育ち、学生時代には小説を書きながらも、卒業後はアフリカでの生活や教育の仕事へ進みました。

小説から十数年間離れたあと、2020年に夜中の短い時間で書いた「リモート」をきっかけに再び公募へ作品を送り始めました。

そこから初単著や文学賞、2度の芥川賞候補を経て、2026年も新しい小説を発表しています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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