ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトでプレーする小杉啓太さんは、2006年3月18日生まれのサッカー選手です。
2026年8月21日のDFBポカールでは左サイドバックとしてフランクフルトでの公式戦デビューを飾り、いきなり3アシストを記録しました。
さらに8月29日のウニオン・ベルリン戦では先発し、20歳でブンデスリーガ初出場を果たしています。
10代でスウェーデンへ渡り、その約2年後にはドイツ1部へ進んだ経歴を見ると、子どものころから左サイドバック一本で歩んできた選手のようにも見えます。
ところが、小学生時代までの主なポジションはフォワードで、中学年代には思うように試合へ出られない時期もありました。
鎌倉で兄を追いかけて始めたサッカーから、湘南ベルマーレのアカデミー、年代別日本代表、高校卒業直後のスウェーデン行きへと、進む先は少しずつ変わっていきます。
小杉啓太の生い立ちと家族|鎌倉で兄を追って始めたサッカー
小杉啓太さんは神奈川県鎌倉市で生まれ育ちました。
後に欧州へ向かうことになるサッカーとの最初の接点は、家族の中にありました。
幼稚園年長で6歳上の兄を追い、西鎌倉SCへ
小杉さんには6歳上の兄がおり、幼稚園年長のころ、兄の影響を受けてサッカーを始めました。
最初に所属したチームは、地元の西鎌倉SCです。
鎌倉市が公表している経歴でも、2017年まで西鎌倉SC、2018年から湘南ベルマーレU-15という所属歴が確認できます。
現在の小杉さんは左サイドバックですが、このころから守備の選手だったわけではなく、小学校6年生まではフォワードを務めていました。
父親も後のサッカー人生に関わっており、本人によると、父からの助言を受けて英語も勉強していました。
10代で一人海外へ渡ったとき、その英語がチーム内でのコミュニケーションに使われることになります。
小学校高学年で湘南ベルマーレの強化特待に選ばれる
西鎌倉SCでプレーしていた小杉さんは、小学校高学年になると湘南ベルマーレの強化特待に選ばれました。
2017年に発表された湘南ベルマーレU-11強化特待クラスのメンバーにも名前があり、西鎌倉SCから湘南の育成環境へ入っていったことが分かります。
その後、2018年に湘南ベルマーレU-15へ加入しました。
JFAが公開した2018年のU-15大会資料では、当時の小杉さんは西鎌倉SC出身の湘南ベルマーレU-15選手として登録されています。
しかし、湘南へ進んだことで、そのまま順調に出場時間が増えていったわけではありませんでした。
湘南U-15時代|FWで試合に出られず左サイドバックへ
小杉さんの現在のポジションが決まったのは、湘南ベルマーレU-15に入ってからでした。
きっかけは「左サイドバックになりたい」と希望したことではなく、試合に出られなくなった時期とチーム内の負傷者でした。
小6までFWだったが、中学年代で出場機会を失う
西鎌倉SC時代まで前線でプレーしていた小杉さんは、湘南U-15へ入ると競争の中で出場機会を失います。
「小6までFWだったんですが、湘南U―15で試合に出られなくなったんです」
スポニチ Sponichi Annex
JFAの2018年大会資料ではDF登録だったものの出場はなく、2019年の高円宮杯ではDFとして2試合160分に出場しています。
試合へ出られなくなった時期の途中で、本人のポジションが前線から守備へ変わっていきました。
左利きの仲間の負傷から始まった左SBが転機になる
左サイドを担当していた左利きのミッドフィルダーと左サイドバックが相次いで負傷したことで、小杉さんに左サイドバックを務める機会が回ってきました。
当初は「試合に出られる」というところから始まったポジションでしたが、実際にプレーするうちに面白さを感じるようになったと本人は明かしています。
偶然空いた左サイドバックの場所が、その後の日本代表と欧州挑戦まで続く主戦場になりました。
当時のU-15年代を知る選手からも、小杉さんの存在は強く意識されていました。
湘南の同世代でプレーした渡邉優空さんは、後のインタビューで刺激を受けた選手として小杉さんと石井久継さんの名前を挙げています。
小杉啓太さんは神奈川県鎌倉市で生まれ育ちました。
西鎌倉SCでプレーしていた小杉さんは、小学校高学年になると湘南ベルマーレの強化特待に選ばれました。
湘南U-18では、選手自身が互いの考えを伝えながらプレーする育成環境の中で3年間を過ごしました。
湘南U-18を卒団する小杉さんには、日本国内にも次の選択肢がありました。
フランクフルトへ移籍したからといって、すぐブンデスリーガでプレーできたわけではありません。
左サイドを担当していた左利きのミッドフィルダーと左サイドバックが相次いで負傷したことで、小杉さんに左サイドバックを務める機会が回ってきました。
湘南U-18時代|世代別代表へ進みU-17日本代表の主将に
中学年代を終えた小杉さんは、2021年から湘南ベルマーレU-18へ昇格しました。
ここからクラブでの経験と年代別日本代表での活動が重なっていきます。
高校年代は湘南ユースで「自分で考える」環境に身を置く
湘南U-18では、選手自身が互いの考えを伝えながらプレーする育成環境の中で3年間を過ごしました。
2022年にはU-16日本代表のルーマニア遠征メンバーに選ばれ、JFAの登録でもDFとして湘南ベルマーレU-18所属と記録されています。
小杉さん自身も後に、ユースではミスを恐れずチャレンジする感覚があった一方、プロになってからは勝敗に直結するリスクまで考えるようになったと話しています。
高校年代については湘南U-18での活動が公式資料で詳しく確認できますが、一般の高校名については本人や所属先などによる確実な公表を確認できません。
そのため「七里ガ浜高校」「仙台育英高校」などの学校名を小杉さんの出身高校として断定できる根拠はありません。
U-17アジアカップ全6試合に先発し、キャプテンとして優勝
2023年6月にタイで開催されたAFC U17アジアカップでは、小杉さんは日本代表のキャプテンを務めました。
初戦のウズベキスタン戦から決勝の韓国戦まで全6試合で先発し、グループリーグ最終戦のインド戦を除いてキャプテンマークを着けています。
日本は準々決勝でオーストラリアを3-1、準決勝でイランを3-0で破り、決勝では韓国に3-0で勝利しました。
17歳の小杉さんは、アジア王者になったU-17日本代表の最終ラインでキャプテンを務めていました。
JFAは後に小杉さんの特徴として、豊富な運動量、高い戦術理解、左足のキックに加え、U-17ワールドカップでも主将を務めたリーダーシップを挙げています。
U-17W杯で世界との差を知り、海外への思いを強める
アジアカップでU-17ワールドカップ出場権を獲得した日本は、同年11月にインドネシアで世界大会へ臨みました。
小杉さんはここでもU-17日本代表のキャプテンを務め、世界各国の同世代と直接対戦します。
海外でプレーしたいという思い自体はサッカーを始めたころから持っていましたが、アジア予選で後にバイエルンへ進むネストリ・イランクンダ選手と対戦し、ワールドカップでも各国の選手とぶつかったことで、その希望はより具体的になりました。
「自分もそういった環境に身を置きたいと感じました」
サッカーキング
高校年代の最後が近づくころ、小杉さんの進路は「湘南からどこへ進むか」という段階に入っていました。
高校卒業前の進路|湘南トップや大学ではなく欧州を選ぶ
湘南U-18を卒団する小杉さんには、日本国内にも次の選択肢がありました。
湘南から大学進学を勧められ、トップチームからの誘いも受けていたことを本人が明かしています。
海外挑戦を決め、18歳前後でユールゴーデンのトライアルへ
小杉さんは日本での進路を選ばず、卒団するタイミングで海外へ挑戦することを決めました。
向かったのはスウェーデン1部のユールゴーデンIFです。
18歳になる前後の2024年3月に現地トライアルへ参加し、本人は見学に行く感覚ではなく、最初から契約を取るつもりでスウェーデンへ向かっていました。
「契約を勝ち取りに行く前提で現地に行っていた」
サッカーキング
3月18日に18歳となり、その直後に契約を結びました。
湘南トップチームや大学という道がある中で、Jリーグ公式戦を経験せず、そのまま欧州のトップチームへ入る選択でした。
ユールゴーデンから湘南へ育成費が支払われることになったことも、本人が決断する材料になりました。
若い選手が主力となり、そこから欧州の上位リーグへ移籍していく例があることも、小杉さんがスウェーデンを選んだ理由の一つでした。
父の助言で続けた英語も武器にスウェーデンへ渡る
18歳で海外のロッカールームへ入るには、プレー以外にも生活と言葉の変化が待っていました。
小杉さんは以前から父親の助言を受けて英語を勉強していたため、渡欧後もコミュニケーション自体には大きな問題がなかったと話しています。
英語が完成していたから終わりではなく、スウェーデンに着いてからも勉強を続けました。
ピッチで使われるスウェーデン語は、分からない言葉が出るたびにメモして覚えるようにしていました。
チームメートとカフェへ出かけて話す機会も増やし、練習中だけではなく普段の生活から言葉を覚えていきます。
サイドバックは前後左右の選手と連係するため、自分の意思を伝えようとする姿勢を小杉さんは重視していました。
18歳でユールゴーデンへ|試合のアップもできない日々から定位置獲得
2024年春、小杉さんは湘南のアカデミーを離れ、ストックホルムで一人暮らしを始めました。
プロとしての生活は、契約を取ったところからもう一度競争が始まります。
森の中の練習場と厳しい寒さ、言葉を覚えながら始まった生活
ユールゴーデンの練習場は、本人の表現ではほぼ森の中にあり、目の前には牧場があって馬や牛もいる環境でした。
3月のトライアル時には、耳が痛くなるほどの寒さも経験しています。
ストックホルムについては歩いて回るのが好きだった一方、家族や友人が近くにいない生活には寂しさもあったと現地メディアへ語っています。
空いた時間には自分で料理し、野菜をまとめて取れるスープのような料理や、炭水化物としてパスタを食べるなど、食事のバランスも考えていました。
英語の勉強と、強度の高い練習から回復するための時間にも多くを使っていました。
チーム内ではFWのムサ・グルバンリ選手が面倒を見てくれ、練習へ車で一緒に向かい、インド料理やエチオピア料理を食べに連れて行ってもらうこともあったそうです。
初めてトップチームの試合へ出場した2024年5月には、勝利後のロッカールームでチームメートから歌うよう促され、応援歌を声いっぱいに歌ったという出来事もありました。
ピッチ外では少しずつ輪へ入っていましたが、ピッチ内ではまだ定位置を持っていませんでした。
最初の1〜2か月は出番なし、監督へ自ら出場を直訴する
加入当初、左サイドバックにはサムエル・ダール選手がおり、小杉さんはまずそのプレーを見ながら出番を待ちました。
本人によると、最初の1〜2か月は試合前のアップにも加われない状態でした。
それでもダール選手について「学ぶことが多い」と話し、出番が来たときに信頼される選手になることを目標にしていました。
5月12日のエルフスボリ戦で終盤から出場し、これがプロのトップチームでの公式戦デビューとなります。
夏になるとダール選手がASローマへ移籍し、小杉さんにも左サイドバックを争う機会が広がりました。
ただし、新しい競争相手も加わったため、空いたポジションがそのまま小杉さんのものになったわけではありません。
そこで小杉さんは試合の2日前、監督のもとへ自ら出向き、試合へ出る準備ができていることを伝えました。
待つだけではなく、自分から監督へ出場を訴え、その直後の試合で先発の機会を得ています。
その試合では終盤に足がつりながらもプレーを続けました。
先発をつかみ初得点、欧州カップ戦でも存在感を高める
夏以降、小杉さんは左サイドバックとして出場時間を伸ばしていきました。
2024年10月6日のカルマル戦では、強烈なシュートを決めてスウェーデン1部初得点を記録します。
このころにはリーグ戦で連続先発するようになり、湘南U-18時代に出せていたプレーをプロの試合でも少しずつ出せるようになったと本人は感じていました。
春には試合前のアップにも入れなかった18歳が、同じ年の秋にはユールゴーデンの先発左サイドバックになっていました。
プロになったことで、ユース時代のように何でもチャレンジするだけではなく、試合の勝敗を考えて「絶対に犯してはいけないリスク」を避ける意識も持つようになりました。
19歳で欧州カップ戦ベスト4へ|家族が訪ねたスウェーデン生活
プロ2年目となった2025年には、ユールゴーデンでの経験が国内リーグから欧州カップ戦へ広がりました。
18歳で一人始めたスウェーデン生活には、このころ家族が現地を訪れる機会も生まれています。
カンファレンスリーグでゴールを決め準決勝へ
2024-25シーズンのUEFAカンファレンスリーグで、ユールゴーデンは決勝トーナメントを勝ち上がりました。
2025年4月17日の準々決勝第2戦、ラピード・ウィーンとのアウェーゲームでは小杉さんも先発しました。
1-1で迎えた77分に小杉さんがゴールを決めると、試合は延長戦へ入り、ユールゴーデンが4-1で勝利しました。
19歳になったばかりの左サイドバックが、欧州カップ戦の準々決勝でゴールを決めてベスト4進出に加わりました。
準決勝の相手はチェルシーで、小杉さんは第1戦でも先発し、79分までプレーしています。
ユールゴーデンは準決勝で敗れましたが、欧州大会でチェルシーまで勝ち上がった経験は、その後の移籍市場でも小杉さんが注目を集める材料となりました。
父・母・兄がストックホルムを訪れた2025年
18歳で移籍した直後には「家族や友人がいない生活は寂しい」と現地メディアへ話していた小杉さんですが、2025年には家族がストックホルムを訪れています。
現地報道では、父親、母親、兄がスウェーデンを訪問したことが伝えられました。
幼稚園時代にサッカーを始めるきっかけになった兄も、この時点では弟が欧州カップ戦を戦うプロ選手となった姿を現地で見る立場になっていました。
同年6月に日本へ戻った際には、出身地の鎌倉市役所も表敬訪問しています。
一方でシーズン中には海外クラブからの関心も報じられるようになり、ユールゴーデンでの時間は次の移籍へ向かい始めていました。
2025年7月には足首を痛めた翌日もエルフスボリ戦へ先発し、ユールゴーデンのヤニ・ホンカヴァーラ監督から「Iron Man」と呼ばれる場面もありました。
8月には試合後、相手への敬意としてスタジアム周辺のゴミ拾いを手伝ったことも、後にフランクフルト公式サイトで紹介されています。
フランクフルトへ|スウェーデンでの62試合を経てブンデスリーガ挑戦
2025年秋、小杉さんはU-20日本代表としてFIFA U-20ワールドカップに出場しました。
その大会期間中に、ドイツから次のキャリアにつながる連絡が届きます。
U-20W杯中の連絡から2026年1月の移籍へ
フランクフルトから最初の接触があったのは、本人によるとU-20ワールドカップ開催中の2025年秋でした。
12月18日、アイントラハト・フランクフルトは小杉さんを2026年1月1日付で獲得すると正式発表しました。
ユールゴーデン在籍中の公式戦成績は、フランクフルト公式発表で62試合5得点7アシストです。
2024年3月に湘南U-18からスウェーデンへ渡ってから、2年弱でブンデスリーガのクラブへ進むことになりました。
Jリーグを経由しないまま、湘南のユースからユールゴーデン、そしてフランクフルトへキャリアを進めました。
フランクフルト加入時には、左足を自分の強みとして挙げる一方、戦術面と守備面にはまだ改善できる部分があると話しています。
スウェーデンへ渡ったときに英語を学び続けたのと同じように、ドイツへ移る前にはドイツ人講師からドイツ語も学び始めていました。
出場なしの半年を経て、プレシーズンから公式戦デビューへ
フランクフルトへ移籍したからといって、すぐブンデスリーガでプレーできたわけではありません。
2025-26シーズン後半戦のリーグ戦では出場機会を得られず、再び試合を待つ時間が続きました。
ただ、クラブのトップチームで練習を続けながら、6月には日本のU-21代表としてウズベキスタンU-23、ウクライナU-21との試合に出場し、実戦経験を積んでいます。
夏には新体制で迎えたプレシーズンにトップチームの一員として参加しました。
7月の合宿では、加入から半年を経て初めてフランクフルトでの本格的な夏の準備期間を過ごします。
8月15日のブレントフォードとのテストマッチでは左サイドバックとして先発し、62分までプレーしました。
そして8月21日、DFBポカール1回戦のSCザンクト・テーニス戦でフランクフルト加入後初の公式戦を迎えます。
左サイドバックで先発して90分間プレーし、チームが11-0で勝利した試合で3アシストを記録しました。
1月の加入から約8か月待った公式戦デビューで、3つのゴールを演出しました。
その8日後の2026年8月29日には、ブンデスリーガ開幕戦のウニオン・ベルリン戦でも左サイドバックとして先発しました。
フランクフルトは3-3で引き分け、小杉さんはこの試合でブンデスリーガデビューを果たしています。
18歳でユールゴーデンへ渡ったときも、加入直後は試合に出られず、そこから出場機会をつかみました。
ドイツでも再び出場を待つ期間を経て、20歳の夏に公式戦とリーグ戦の先発機会が続けて訪れました。
20歳で鎌倉へ戻り、次世代の選手とボールを蹴る
フランクフルトで出場機会を待っていた2026年6月、小杉さんはシーズンオフを利用して故郷の鎌倉へ戻りました。
6月23日には、鎌倉インターナショナルFCのU-13、U-14のトレーニングへ特別参加しています。
そこには、小杉さん自身が育った西鎌倉SC出身の選手も所属していました。
練習開始前からジュニアユースの選手と話し、ミニゲームでは同じピッチに入ってボールを蹴っています。
幼稚園年長で兄を追ってサッカーを始めた鎌倉へ、ブンデスリーガの選手として戻ってきました。
西鎌倉SCから湘南へ進み、中学でFWから左サイドバックへ移ったことが、小杉啓太さんのサッカー人生の方向を変えました。
高校年代の日本代表を経て18歳でスウェーデンへ渡り、出場できない時期から定位置をつかんだ先に、フランクフルトへの移籍がありました。
そして20歳となった2026年8月、DFBポカールでの3アシストに続いてブンデスリーガのピッチにも立ち、次のシーズンを始めています。
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