勝倉千尋の生い立ちと家族|本好きの少女が上智・三菱UFJ銀行を経てナレソメ予備校へ

勝倉千尋
ひと目でわかるプロフィール 勝倉千尋
かつくらちひろ
出身地
東京都
生まれ年代
1980年代生まれ
活動ジャンル
経営者
性別
女性
生年月日
1989年
現在の肩書き
株式会社ナレソメ取締役/ナレソメ予備校塾長
主な前職
三菱UFJ銀行(旧・三菱東京UFJ銀行)
家庭環境
両親と育った
育った家庭
会社員の父と専業主婦の母がいる家庭で育ち、家には多くの本や絵があった。
キャリアの原点
2017年に情報収集用として始めたSNSで恋愛相談を受けるようになり、モテコンサルへ活動を広げた。
人生の転機
2019年に三菱UFJ銀行を退職し独立。2021年からナレソメ予備校を開始した。

結婚相談所「ナレソメ予備校」の塾長として、恋愛や結婚について歯切れよく語る姿で知られている勝倉千尋さん。

1989年に東京都で生まれ、2026年8月の本人インタビュー時点では37歳で、現在は株式会社ナレソメの取締役として顧客支援の統括やサービス部門のマネジメントも担っています。

勝倉千尋さんを理解する3つのポイント
  1. 2〜3歳ごろから本に親しみ、父の『三国志』、母の林真理子のエッセイなど、家の本棚から幅広く読書を続けた。
  2. 高校:東京都立両国高等学校/大学:上智大学外国語学部ドイツ語学科
  3. 2017年に情報収集用として始めたSNSで恋愛相談を受けるようになり、モテコンサルへ活動を広げた。

現在の仕事だけを見ると婚活一筋のキャリアにも見えますが、大学卒業後に入ったのは婚活業界ではなく、当時の三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)でした。

そこから2019年に銀行を退職して独立するよりずっと前、子どものころの勝倉さんは、2〜3歳ごろから本を読み続けていた少女でした。

都立両国高校では古典を原文で読み、上智大学ではドイツ語を学び、銀行では法人営業と不動産ファイナンスを経験したあと、2017年に始めたSNSが後の仕事を大きく変えていきます。

勝倉千尋の生い立ちと家族|本と絵が身近な東京都の家庭で育つ

勝倉千尋さんは東京都で、会社員の父親と専業主婦の母親がいる家庭で育ちました。

両親はいずれも高校卒業で、家庭では進学や勉強を強く迫られるより、家の中にたくさん置かれていた本や絵に本人が自分から近づいていく環境だったといいます。

2〜3歳から本を読み、祖父母の「飛ばし読み」に気づいていた

読書との付き合いは文字を自分で読むようになってからではなく、祖父母に本を読んでもらっていた幼い時期から始まっていました。

祖父や祖母が読み聞かせの途中でページを飛ばすと、まだ2〜3歳ほどだった勝倉さんが話の違いに気づいて指摘したというエピソードが残っています。

読み聞かせの順番が変わったことを幼児のころから覚えていたほど、物語そのものに集中していたようです。

小学生になると特に好んだのは人物の伝記で、マザー・テレサやカエサルをはじめ、さまざまな人物がどのように生きたのかを追っていました。

父の『三国志』、母の林真理子、家に飾られた絵から人間へ興味を広げた

家にあった本の中では、父親が『三国志』を好み、母親は林真理子さんのエッセイをよく読んでいました。

家の中には本だけでなく絵も飾られていて、階段にあったベラスケスの『ラス・メニーナス』を見たことからスペイン王室へ興味を持ったこともあります。

図鑑や機械より人物が登場する本や絵に惹かれ、歴史上の人物の考え方や人間関係を追うことに時間を使っていました。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

父 会社員

『三国志』を好んで読んでいたと本人取材で紹介されている。氏名などは登録しない。

信頼できる媒体 出典を見る
母 専業主婦

林真理子のエッセイを好んで読んでいたと本人取材で紹介されている。氏名などは登録しない。

信頼できる媒体 出典を見る

小学校〜中学校時代|休み時間は本を読み、先生と話して過ごした

学校へ通うようになっても、本を読む時間は減りませんでした。

むしろ同年代の子どもたちが遊んでいる休み時間にも読書を続けたことで、周囲の大人が心配する出来事が起きています。

一人で本を読む姿を心配した担任が自宅へ連絡した

小学生のころ、休み時間に一人で本を読み続ける様子を見た担任は、クラスでいじめられているのではないかと考え、勝倉さんの自宅へ連絡しました。

ところが本人にとっては、一人で本を読んでいること自体が好きな時間で、孤立して仕方なく読書をしていたわけではありませんでした。

本から離れた休み時間には同級生の輪へ向かうより、先生のところへ行って話をすることもあったそうです。

後年、幼いころの会話について本人はこう振り返っています。

「幼稚園くらいの頃から、大人と話すほうが楽しいと思っていました」

東洋経済オンライン

幼稚園のころから大人との会話を好み、中学受験は選ばなかった

家庭でも両親から「勉強しなさい」と強く言われることはほとんどなく、母親から進学先として短大を勧められることがある程度でした。

周囲に私立中学校へ進学する子が多くなかったため、中学受験はせず、地元で学校生活を続けています。

本人は当時、周囲と会話や興味が合わず「浮いている」と感じることはありましたが、そのまま高校進学の時期を迎えました。

人生年表 勝倉千尋さんの歩み
幼少期
2〜3歳ごろから本に親しみ、人物の伝記や家にあった本・絵から人間そのものへの興味を深める。

人の考え方や関係性を観察する土台になった。

東洋経済オンライン
高校時代
都立両国高校で古典を原文まで読み、図書館・職員室とアルバイトを行き来する生活を送る。

自分で調べて深く掘る習慣が、後の仕事の情報整理にもつながっていく。

大学時代
上智大学外国語学部ドイツ語学科へ進学し、アルバイトをしながら英国へ半年間留学。

国内だけでなく海外の価値観に触れ、進路の選択肢が広がった。

前職
現在につながる前職・活動

三菱UFJ銀行(旧・三菱東京UFJ銀行)

都立両国高校時代|図書館・職員室と飲食店のアルバイトを行き来

高校は東京都立両国高等学校へ進学しました。

定期試験では順位が校内に掲示される環境で、学校で勉強する時間とアルバイトをする時間の両方を持つ高校生活になります。

放課後は図書館や職員室で勉強していた

授業が終わったあとによく向かったのは、学校の図書館や職員室でした。

図書館で本を読むだけではなく、職員室にも入り浸るようにして勉強していたといい、小学校で先生のもとへ話しに行っていた姿とは別の形で教師の近くにいる時間が続いています。

一方、放課後をすべて学校で過ごしていたわけではなく、飲食店でもアルバイトをしていました。

バイト代の多くを本に使い、『源氏物語』『吾妻鏡』まで原文で読んだ

飲食店で働いて受け取ったアルバイト代は、その多くが新しい本の購入へ向かいました。

夏目漱石などの文豪を読み、高校で古文を学び始めると、現代語訳だけではなく『宇治拾遺物語』『源氏物語』『吾妻鏡』を原文で読むようになります。

さらに古典から関心を広げ、シェイクスピアなど海外の作品にも手を伸ばしていきました。

上智大学時代|ドイツ語学科を選び、半年間イギリスへ留学

高校を卒業した勝倉さんは、上智大学外国語学部ドイツ語学科へ進みました。

文学や海外文化への関心はありましたが、大学の学科選びではかなり現実的な判断もしています。

上智大学外国語学部ドイツ語学科を選んだ現実的な理由

なぜ英語ではなくドイツ語だったのかを聞かれた本人の答えは、華やかな留学への憧れや特別な研究テーマではありませんでした。

「発音しやすそうだったから」

東洋経済オンライン

英語学科は授業が厳しいと聞いていた一方、ドイツ語学科は卒業しやすいという情報もあり、時間の使い方まで考えて学科を選んでいました。

アルバイトをしながら英国へ留学し、ヨーロッパ各地を回った

大学では授業に通うだけではなくアルバイトも続け、その途中で半年間イギリスへ留学しています。

ヨーロッパに滞在している機会を使って各国へ足を運び、歴史や文化とともに、その土地で暮らす人たちの考え方や価値観にも触れました。

高校まで本の中で読んできた海外の文化を、大学時代には実際の土地を移動しながら見る時間が加わっています。

強い志望業界はないまま、内定を得たメガバンクへ進んだ

大学生活を終えるころ、特定の業界へどうしても入りたいという明確な目標は持っていませんでした。

銀行に入った経緯については、後年のキャリアインタビューでもかなり簡潔に説明しています。

「とりあえず内定が取れたから入社しました」

トプシュードットコム

2013年、大学卒業後の最初の職場として、当時の三菱東京UFJ銀行へ入行しました。

三菱UFJ銀行時代|神保町支社から不動産ファイナンスへ

銀行へ入ったあと最初に配属されたのは、神保町支社でした。

ここから2019年の退職まで、同じ銀行の中でも仕事内容が大きく変わっていきます。

2013年に入行し、神保町支社で中小企業営業を担当した

神保町支社では中小企業を担当する法人営業として、融資を含む企業向けの仕事に携わりました。

担当企業は20社ほどで、営業では1日5社への訪問が目標とされていたため、同じ取引先へ繰り返し足を運ぶことも求められます。

勝倉さんは用事がない状態で相手の時間をもらう訪問に意味を感じられず、訪問件数そのものを目的にする営業には納得できなかったと後年話しています。

数字を扱うこと自体には苦手意識がありながら、現実を整理して筋道を立てて考える部分には銀行員としての適性を感じていました。

25歳で結婚と離婚を経験した20代

銀行員として働いていた25歳のころには、私生活で最初の結婚を経験しています。

その結婚は長く続かず離婚となり、本人は後年、自身の恋愛歴を紹介する文章の中でも25歳で結婚と離婚を経験したことを明かしました。

この時点ではまだ恋愛や結婚を仕事にはしておらず、そのまま銀行で次の部署へ進みます。

2016年の本部異動で外資系ファンド向け不動産ファイナンスを担当

2016年には本部のストラクチャードファイナンス部門へ異動し、仕事内容が大きく変わりました。

外資系ファンドが日本国内の不動産を取得する案件などで、大型不動産ファイナンスのスキーム組成に携わります。

案件ごとに条件を整理し、どのような仕組みを組めば成立するのかを考える仕事は、訪問件数を追う支社時代より本人に合っていたといいます。

後年の出演では20代で数十億円規模の融資を扱っていたことも明かしており、独立直前まで金融の現場で大きな案件を担当していました。

大型案件を担う一方、会社員を続けた先も考え始めた

仕事が嫌で直ちに辞めたいという状態ではありませんでしたが、本部で働きながら、会社員としてそのまま年齢を重ねた場合の収入や役職も計算するようになります。

高いスキルを持つ行員たちが組織の給与体系の中で働く様子を見ながら、自分なら別の場所でどこまで価値を作れるのかも考え始めました。

2017年「黒ギャル銀行員」からモテコンサルが始まった

銀行で働く一方、勝倉さんは趣味として仮想通貨の情報を追うようになりました。

その情報を集めるために2017年、「黒ギャル銀行員」名義でTwitterを開始したことが、予定していなかった次の仕事につながります。

仮想通貨の情報収集用Twitterで男性から恋愛相談を受けるようになった

仮想通貨のコミュニティには、高学歴だったり仕事では高い能力を発揮したりしながら、恋愛や身だしなみにはあまり関心を向けてこなかった男性が多くいました。

やがて男性から恋愛の相談を受けるようになると、女性との会話、服装、髪型、デートでの振る舞いなど、どこを変えれば相手からの見え方が変わるかを具体的に伝えるようになります。

銀行で不動産の価値を見ながら改善策を組み立てていた時期に、SNSでは人の魅力が相手へ伝わっていない状態を目にするようになったのです。

小さな有料相談から「モテコンサル」を本格化した

最初から会社を作って大きなサービスを始めたのではなく、個人で恋愛相談を受ける小さな形からスタートしました。

2026年のABEMA出演では、最初の恋愛相談は1時間6,600円ほどで、LINEの返信や女性との会話の進め方などを教えていたと明かしています。

2018年5月ごろからは「モテコンサル」を本格的に名乗るようになり、恋愛に関する発信も増えていきました。

2019年の新R25の取材時には1時間8,000円で、相談だけで終わる人のほか、一緒に服を買いに行ったりデートの練習をしたりする利用者もいたと説明しています。

このころ私生活では、のちに夫となる「ポメさん」とも出会っています。

二人が出会った場所について、夫のポメさんは後年のインタビューでこう明かしました。

「勝倉と初めて会ったのは恵比寿の街コンです(笑)」

ナレソメノート

何度か食事へ行くうちに交際へ進み、その後結婚し、ポメさんは銀行を辞めて独立する時期の勝倉さんを近くで見ていました。

顔出し取材の拡散で活動が勤務先に知られた

SNS上の「黒ギャル銀行員」は徐々に知られるようになり、メディアから顔写真付きで取材を受ける機会も生まれました。

2019年6月にもまだ「黒ギャル銀行員@モテコンサル」の名前で発信しており、銀行員と恋愛コンサルの二つの活動が並行していた時期の投稿が残っています。

転機になったのは、モテコンサルとして受けたWebメディアの取材が広く拡散され、Yahoo!のトップニュースにも掲載されたことでした。

顔写真と活動が広く知られたことで、勤務先にも恋愛コンサルの活動が伝わります。

2019年に銀行を退職|モテコンサル勝倉として独立

活動を知った銀行側から呼び出されると、勝倉さんは人事担当者らを交えた面談を受けました。

恋愛コンサルをやめるか銀行を辞めるかという選択が現実のものになり、ここでそれまで並行していた二つの仕事が分かれます。

三菱UFJ銀行を辞め、株式会社SHOW MEを設立した

いったん話を持ち帰ったあと、オフィスへ戻った勝倉さんが部長へ伝えた言葉は短いものでした。

「辞めます」

東洋経済オンライン

2019年7月に三菱UFJ銀行を退職し、株式会社SHOW MEを設立して「モテコンサル勝倉」として独立しました。

銀行員という肩書きと匿名性のある「黒ギャル銀行員」から、実名の勝倉千尋として恋愛支援を仕事にする時期へ入ります。

恋愛相談から結婚支援へサービスを広げていった

独立後は男性向けのモテコンサルだけにとどまらず、女性からの相談にも対応するようになりました。

個別相談、恋活に関するサービス、書籍での発信などへ活動を広げるうち、相談内容も「どうすればモテるか」から、その先の交際や結婚まで含むものになっていきます。

銀行員時代から少しずつ試していたサービスにすでに利用者の反応があったため、退職した日にゼロから事業を考え始めたわけではありませんでした。

2021年、宇波と「ナレソメ予備校」をスタートした

独立から約2年後の2021年、婚活事業を手掛けてきた宇波さんとともに結婚相談所「ナレソメ予備校」をスタートしました。

個人の恋愛相談から始まった仕事が、結婚相手との出会いを支援する事業へ広がった時期です。

2023年には株式会社ナレソメが設立され、勝倉さんは取締役として事業運営にも携わるようになりました。

ナレソメ予備校と現在|仕事と家族の現在地

現在はナレソメ予備校の塾長として表に立つ一方、会社では顧客支援全体やサービス部門のマネジメントも担当しています。

そこで使われている考え方の一部は、恋愛業界へ入る前の銀行員時代に身につけたものだと本人が明言しています。

銀行で身につけた課題整理とロジカルな提案を婚活支援へ

銀行では企業や案件の現状を確認し、問題を洗い出したうえで、どの方法なら解決できるかを組み立てて顧客へ説明することが求められました。

恋愛相談へ移ってからも、感覚だけで助言するより、目標から逆算して行動を分けていく方法を使っています。

「現実を直視して課題を洗い出し、解決策を検討する」

トプシュードットコム

銀行で身につけた課題整理と論理的な提案の方法は、職種が金融から恋愛・婚活へ変わったあとも本人が使い続けている仕事の技術です。

現在の夫と家族について確認できる範囲

銀行退職前に結婚した現在の夫は、本人やナレソメの発信では「ポメさん」の呼び名で登場しています。

2024年の夫へのインタビューでは、ポメさんは日系大手金融機関で管理職を務めており、夫婦で仕事と家庭の役割を固定せずに暮らしていることが語られました。

同年には子どもの誕生を前にポメさんが1年間の育児休業を取得し、その後、二人の間に男の子が誕生しています。

現在の公式媒体では、勝倉さんは夫と息子との3人暮らしをする一児の母として紹介されています。

2026年には家族で旅行した様子も本人のInstagramに投稿され、ポメさんの誕生日を家族で過ごしたことが紹介されました。

一児の母・ナレソメ取締役として結婚後まで扱うサービスへ

現在のナレソメでは、相手を探して成婚するところだけではなく、成婚後の夫婦関係や妊活、育児など、その後のライフステージまで視野に入れたサービスが展開されています。

最初の離婚を経験し、再婚、独立、子どもの誕生と自身の生活も変わる中で、勝倉さんは現在の会社が目指すものについて次のように言葉にしています。

「私は自分が離婚を経験しているからこそ、結婚をゴールにしたくない」

株式会社ナレソメ

現在はナレソメ予備校塾長、株式会社ナレソメ取締役、一児の母という複数の立場を持ち、恋愛相談から始まった活動範囲は結婚後の生活へも広がっています。

2〜3歳で物語の続きを覚えていた子ども時代から、高校・大学を経て金融の現場へ進み、長いあいだ人や物事を細かく見る時間を重ねてきました。

その後、銀行員のかたわらで始めたSNSと小さな恋愛相談が2019年の退職と独立へつながり、仕事の軸が金融から恋愛・結婚へ移りました。

現在は、結婚相手を見つけるところだけで終わらず、その先の家庭まで扱う事業の中で活動を続けています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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