7人組ガールズグループHANAのKOHARU(こはる)さんは、しなやかな身体表現と場を明るくするキャラクターで知られています。
本名は井埜心晴(いの・こはる)さんで、2005年10月9日生まれの20歳、埼玉県出身です。
- 家族みんなが明るく前向きで、母はダンスの先生、2人の姉も高いダンス力を持つ環境で育った。
- 幼少期からダンスが身近にあり、母から表現だけでなく生き方まで教わった。
- 現在の道につながる原点:幼少期から活動
2026年7月には個人Instagramも開設し、HANAのステージとは少し違う表情や、自身で描いた絵などを発信するようになりました。
『No No Girls』応募時の経歴は、歌唱・ラップ経験なし、ダンス歴15年3か月という、はっきりした偏りがありました。
しかも、幼い頃から思い描いていたアーティストの夢を、応募前には一度諦めかけていたといいます。
HANA・KOHARUの生い立ちと家族|ダンススタジオで育った三姉妹の末っ子
KOHARUさんの幼少期には、生活のすぐそばに家族が営むダンススタジオがありました。
三姉妹の末っ子として過ごした幼少期には、音楽と踊る人の姿が日常の景色に溶け込んでいました。
1歳、スタジオの隅でつかまり立ちしながら踊る
親が運営していたスタジオの隅で、1歳の頃からつかまり立ちをしながら「カクカク」と踊っていたそうです。
物心がつく前から音楽に囲まれ、自分を表現することが好きで、アーティストがどんな仕事なのかを詳しく知らない頃にも、自分はアーティストになると思っていました。
ダンス歴の起点は3歳で、クラシックバレエ、ジャズダンス、コンテンポラリーダンスなどへ踊りの幅を広げていきます。
保育園へ全力で走った三姉妹の末っ子
三姉妹が過ごす家の中はいつもにぎやかで、家族はそろって明るく前向きだったといいます。
保育園へ送られる朝にも、母にしがみつくより先に、入口へ向かって走っていく子どもでした。
「私は振り返りもせず全力ダッシュで保育園に向かっていました(笑)」
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活動名「KOHARU」のもとになった本名の「心晴」については、心が晴れると書くからこそ、晴れやかな存在でありたいと話しています。
母からダンスと「どうありたいか」を学ぶ
母はダンスの先生でもあり、KOHARUさんにとって表現の土台を作った人でした。
教わったのは振りや体の使い方だけではなく、価値観、社会でのあり方、自分がどうありたいかという、毎日の生き方に近いことでした。
二人の姉もダンサーとして踊り、母と姉たちが同じ世界にいる家庭で、末っ子のKOHARUさんも稽古を重ねていきました。
二人の姉は人間性や才能、実力に加えて努力を続けられる人で、KOHARUさんは自分もそうありたい、そうあるべきだというプレッシャーを感じて育ちました。
恵まれた環境への感謝がある一方、自分軸ではなく、他人を基準に自分を判断する苦しさもあったといいます。
「お姉ちゃんに比べて勉強ができないとか、お姉ちゃんと比べて私のダンスは…というふうに。」
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家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
小学生時代|先生に叱られながらバレエの舞台へ
小学生になると、学校でのやんちゃな姿と、舞台で一人の役を踊る姿が並ぶようになります。
目立ちたがりのやんちゃな小学生
本人が覚えている小学生時代は、目立ちたがりで、やんちゃな子でした。
先生から説教を受けることも多かった一方、バレエではコンクールの舞台へ向けて稽古を続けていました。
2017年、八王子と横浜のコンクールで奨励賞
2017年には、エプリバレエスタジオの生徒として全国バレエコンクールin八王子の児童II部門で奨励賞を受けました。
同年の第15回バレエコンクールin横浜でも、クラシックジュニア3部門の奨励賞に名前が残っています。
KOHARUさんの幼少期には、生活のすぐそばに家族が営むダンススタジオがありました。
KOHARUさんの出身中学・高校の校名は公表されていません。
舞台以外の学校生活が見える数少ない話として、高校3年生の授業でアイススケートをしたことを明かしています。
小学生になると、学校でのやんちゃな姿と、舞台で一人の役を踊る姿が並ぶようになります。
合格後は、審査で身につけ始めた歌とラップを、HANAの作品として録音し、観客へ届ける日々が始まりました。
中学・高校時代|学校名は明かさず、舞台で踊り続ける
KOHARUさんの出身中学・高校の校名は公表されていません。
「上尾高校」と断定できる本人や学校側の発信はなく、大学へ進学したかどうかも明らかにされていません。
その一方で、10代の学校生活と同じ時期に続けていた舞台の記録は、複数の大会に残っています。
2018年、フロリナ王女を踊ってジュニアA9位
中学へ進んだ直後の2018年5月、ジャパン ダンス コンペティションでクラシックバレエ・ジュニアA部門の9位に入りました。
踊ったのは『眠れる森の美女』のフロリナ王女のヴァリエーションで、指導者は榊原有佳子さん、所属先はエプリバレエスタジオと記録されています。
13歳、キトリで中学生の部19位
2018年の東京アートブリッジでは、13歳で中学生の部へ出場しました。
演目は『ドン・キホーテ』第3幕のキトリで、319点を獲得して19位でした。
16歳と17歳、CJDでティーンズ・シニア部門3位
2022年のCJD ART DANCE competitionでは、16歳でティーンズ部門3位に入っています。
翌2023年には、17歳でシニア部門へ上がり、再び3位を獲得しました。
好きで始めたダンスでも毎日泣いていた時期がありましたが、踊ることだけはやめませんでした。
「今の自分があるのは『ダンスのおかげ』だと思います。」
ENCOUNT
高校3年の授業ではアイススケートに挑戦
舞台以外の学校生活が見える数少ない話として、高校3年生の授業でアイススケートをしたことを明かしています。
授業では、両足のかかととつま先を開閉して進む「ひょうたん」に挑戦し、後にアニメ『メダリスト』のイベントで「あの難しさがわかります」と話しました。
No No Girls応募直前|振付師アシスタントをしながら夢から離れていた
高校を終える頃まで踊り続けたKOHARUさんは、積み上げた技術を仕事へつなげます。
ただし、その時点で子どもの頃の「歌って踊るアーティスト」という夢へ一直線に進んでいたわけではありませんでした。
15年以上続けたダンスを仕事へつなげる
『No No Girls』へ参加した時の職業は、振付師のアシスタントでした。
勤務先や誰のアシスタントをしていたかは公表されていませんが、ダンスは習い事から、人の舞台を支える実務へ変わっていました。
募集文を読み、アーティストになりたかった自分が戻る
幼い頃にはアーティスト以外の夢が思い浮かばなかったものの、さまざまな出来事を経て、一度は本当の夢を諦めた時期がありました。
その詳しい理由は語っていません。
転機になったのは、ちゃんみなさんとSKY-HIさんが掲げた『No No Girls』の募集案内でした。
「一気にアーティストになりたかった自分が帰ってきました。」
ViVi
No No Girls前半|歌唱・ラップ未経験からチームの支柱へ
2024年に始まった審査では、長いダンス歴が最初から武器になる一方、歌とラップはゼロからの挑戦でした。
2次審査で「First Love」と「美人」を選ぶ
応募プロフィールに記した経験は、歌唱歴なし、ラップ歴なし、ダンス歴15年3か月でした。
2次審査の歌唱曲には宇多田ヒカルさんの「First Love」、ダンス曲にはちゃんみなさんの「美人」を選びました。
公式の2次審査映像には、細かく表情を変えながら「美人」を踊り、その後に立ったまま「First Love」を歌う姿が残っています。
ちゃんみなさんは、ダンサーとして使いたいほど上手なのに歌までうまいと驚き、未経験だった歌も次の審査へ進む力になりました。
3次審査で支柱を任されても頭の中は「カオス」
3次審査では、KOKOAさん、MAHINAさん、REIさん、SAYAKAさんとDチーム「まるでざっそう」を組み、椎名林檎さんの「本能」へ挑みました。
振付の読み込みが速いKOHARUさんは初日からチームを引っ張り、KOKOAさんからも、明るく真面目で雰囲気をよくしてくれる存在として信頼されていました。
しかし、自分の振りを完璧にする前に仲間へ教えることを求められ、本人の内側には焦りが生まれていました。
「カオスです」
QJWeb
それでもMAHINAさんとともに練習を先導し、チームは本番で「本能」を披露しました。
4次審査のカマキリダンスから5次審査「Tiger」へ
4次のクリエイティブ審査では、KAEDEさん、MOMOさんとCチームを組み、初日にKOHARUさんから「お互いを知ろう」と声をかけました。
2人と1人という感覚で進むチームと、3人で進むチームでは差が生まれると考え、制作へ入る前に互いを知る時間を取りました。
自分は周囲から否定されるより先に、自分自身へ「No」を言ってしまう人間だと打ち明けました。
同じ時期の家族インタビューで姉は、嫌いな部分を無理に好きになるのではなく、受け入れられる範囲を広げることが自分と向き合う時間だと伝えています。
曲の出発点になったのはKOHARUさんが思い浮かべた「ドロドロ」で、3人は過去の自分や嫌な部分を振り払い、そこからはい上がる方向を決めます。
作曲歴8年のKAEDEさんがメロディーと歌詞を進める姿はKOHARUさんの安心材料になり、振付ではダンスを得意とするKOHARUさんとMOMOさんが前に出ました。
得意分野の違う3人が作ったオリジナル曲の題名は「不撓」です。
本番のアウトロには、腕を上げて虫のように進む振付を入れ、候補生たちの「カマキリ」コールに「KOHARUカマキリ」と応じて会場を笑わせました。
続く5次審査は、わずか実質9日間で「Tiger」と「NG」のリミックスを仕上げる擬似プロ審査でした。
BチームはKOKOAさん、JISOOさん、JEWELさん、NAOKOさん、MAHINAさん、MOMOさん、KOHARUさんの7人です。
宿舎へ入ると真っ先に部屋長へ立候補し、ゴミをきちんと捨てるよう声をかけると、メンバー全員がそろって返事をしました。
パート決めでは、自分の第1希望だった箇所もJEWELさんの声質に合うと考え、どのパートでも自分は輝けると切り替えました。
合宿4日目、歌詞がまとまらず別室で一人昼食を取っていたMOMOさんのもとへMAHINAさんが入り、その後にKOHARUさんも訪れて一緒に言葉を考えました。
5次の結果発表では、未経験から歌唱テクニックを身につけ、ダンスと歌を「二つで一つ」に近づけた点も評価されました。
ちゃんみなさんは、KOHARUさんがいるチームはなぜかいつも空気がいいと評価し、自分とチームの両方へ力を注げるようになったとして最終審査へ送り出しました。
最終審査|姉とのピクニックから「ディスタンス」へ
5次審査の通過後、候補者は最終審査の会場が約2万人規模のKアリーナ横浜だと初めて知らされました。
最終審査には、KOKOさん、JISOOさん、MAHINAさん、YURIさんと5人で課題曲「Drop」を披露するグループ審査と、候補生ごとのソロ審査が用意されました。
「Drop」の本番ではKOHARUさんが約2万人へ呼びかけ、審査で見せてきた晴れやかな声から、濁りのある挑発的な声へ切り替えて冒頭を担いました。
KOHARUさんへちゃんみなさんが提案したソロ曲は、3拍子の物語性を持つ「ディスタンス」でした。
姉の言葉で心が軽くなり、歌詞を組み替える
最終審査前の面談で、自分にはできないと考えて世界を狭めてきたことを明かし、オーディションで自分を変えられる可能性を感じていました。
「人は変われると一番伝えたい」
QJWeb
ファイナリスト10人が思いを伝え合った場では、同じ夢を追うライバルであり、ふざけ合う友人であり、弱った時に支え合った存在だと仲間へ伝え、どんな形でも花を咲かせて幸せになろうと結びました。
自宅では録音したボイストレーニングを聴き返して毎日基礎練習を続け、ノートへ原曲の言葉と自分が伝えたい意味を書き、歌詞を組み替えていきました。
演出に迷っていた時、姉とピクニックへ出かけ、自分を愛せるのは自分だけだという言葉を受け取ります。
ずっと言ってほしかった言葉に涙が出て、そこから心が軽くなり、自分へ伝えたい言葉を誰かへ届く歌に変えていきました。
紫と緑、二つの映画世界からソロステージを作る
「ディスタンス」を初めて聴いた時に浮かんだ色は紫と緑で、その色を衣装へ取り入れました。
レトロな空気には好きな映画『ムーラン・ルージュ』を重ね、コンテンポラリーダンスで「いい意味で気持ち悪い」と評価されてきた動きには、ティム・バートン監督作品の世界を重ねました。
歌、書き換えた言葉、色、映画、コンテンポラリーを一つの舞台に集め、Kアリーナ横浜で一人の物語として見せます。
本番では暗闇を舞う蝶の映像から始まり、椅子と丸いテーブルを使って踊り、ダンスブレイクの末に床へ倒れ込んだあと、起き上がって笑顔を見せました。
ちゃんみなさんは、すばらしいアーティストだったこと、仲間のために力を尽くしたこと、自分の代弁者になってくれたことを伝えました。
2025年1月11日にHANA入りを決め、父が涙を見せる
2025年1月11日、Kアリーナ横浜で行われた「No No Girls THE FINAL」で、KOHARUさんはデビューメンバーに選ばれました。
グループ名はHANAで、CHIKAさん、NAOKOさん、JISOOさん、YURIさん、MOMOKAさん、MAHINAさんと7人で活動することが発表されます。
合格を父へ報告すると、父は涙を流しました。
KOHARUさんにとっては父が泣くところを初めて見た瞬間で、驚いたと後にテレビ番組で明かしています。
HANAとして現在へ|歌・ラップ・振付へ広がる表現
合格後は、審査で身につけ始めた歌とラップを、HANAの作品として録音し、観客へ届ける日々が始まりました。
「Drop」から「ROSE」へ、2025年4月にメジャーデビュー
最終審査のグループ課題曲だった「Drop」は、HANAのプレデビュー曲として2025年1月31日に配信されました。
同年4月2日に「ROSE」を配信し、4月23日にCDを発売してメジャーデビューしました。
2025年末には日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦へ初出場しました。
声色とラップを研究し、作曲も目標にする
デビュー後のKOHARUさんは、長く磨いたダンスと同じように、歌とラップも細かく研究するようになります。
全編ラップの「NON STOP」では、MOMOKAさんとNAOKOさんにアタック、リズム、発音を質問し、さまざまなアーティストの声を聴いて自分に合う声色を探しました。
目標は歌い方を増やすことだけにとどまりません。
「作曲を学んで、いつか自分たちでHANAの曲を作れるようになりたい!」
ViVi
2026年、自作コレオと「素であることの強さ」へ
2026年2月23日に1stアルバム『HANA』のデジタル版、25日にCDを発売し、3月から初の全国ホールツアー「Born to Bloom」が始まりました。
同年3月、YouTube企画『HIGHLIGHT』では、オリジナル音源「Still Afraid, Still Alive」に合わせた約2分間のソロダンスを披露しています。
一発撮りの冒頭は、無音の中に裸足の足音、衣服の擦れる音、呼吸だけが響き、ビートが入ると床すれすれの低い動きからバレエ経験を感じさせる回転まで、正方形の舞台を上下左右へ使いました。
正方形の空間で踊るという条件から発想を広げ、コレオはKOHARUさん自身が制作し、音源にも自分の思考や体内のイメージを反映してもらいました。
「起承転結、起。です!」
THE FIRST TIMES
HANAとして掲げている目標の一つは、「素であることの強さ」を伝え続けるアーティストでいることです。
さらに、歌、ラップ、作曲、ライブのプロデュースへ関心を広げています。
家族のスタジオで音に反応していた幼いKOHARUさんは、踊り続けるうちに、人の舞台を支える仕事まで進みました。
そこで戻ってきたアーティストの夢を『No No Girls』へ持ち込み、自分の言葉と声を加えてHANAの一員になりました。
現在は、長く磨いた体の表現を軸に、歌やラップ、自作のコレオへ活動を広げています。
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出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。








