映画『ベイビーわるきゅーれ』シリーズや、NHK連続テレビ小説『ばけばけ』で知られる俳優・髙石あかりさん。
映画やドラマで存在感を見せる現在からさかのぼると、出発点は宮崎で過ごした子ども時代にあります。
- 両親から『いろんなチャレンジをしていい』『楽しいこと、ワクワクすることを追いかけてほしい』と言われ、スイミング、バスケットボール、空手、乗馬、華道、茶道、ダンスなど多くの習い事を経験した。
- 小学3年生ごろ、通っていたダンススクールでエイベックスのオーディション募集を見つけ、自分から両親へ相談して応募した。
- 現在の道につながる原点:コンテスト・公募
保育園のころにはすでに俳優を夢見て、小学生になるとダンスを始め、小学6年生では一人で高速バスに乗り、宮崎から福岡まで往復約9時間をかけてレッスンへ通っていました。
その後はダンス&ボーカルユニットα-X’s(アクロス)で活動しながら宮崎と東京を行き来し、高校時代に上京すると、歌やダンスではなく俳優の道を選びます。
現在の姿だけを見ると一直線に進んできたようにも見えますが、その途中には、グループを卒業して一人になった時期や、通信制高校に通いながら舞台へ立ち続けた時間もありました。
髙石あかりの生い立ちと家族|宮崎で「俳優になる」と夢見た幼少期
髙石あかりさんは2002年12月19日生まれ、宮崎県出身です。
本人は後年、宮崎を「生まれ育った」場所として振り返っており、2026年には地元メディアでも宮崎市出身と紹介されています。
秘密基地を探し、屋根に布団を敷いていた宮崎の子ども時代
幼いころは、友達と「秘密基地を探す」と言って外へ出かけるような子どもでした。
探検は秘密基地を探すだけでは終わらず、家の屋根へ登り、布団や毛布を持ち出して友達と寝たこともあったといいます。
近所で人に会えばあいさつをするような環境の中で育ち、家の周辺や友達との遊び場が、そのまま日常の舞台になっていました。
「『秘密基地を探す!』と言って、友達と探検に出かけたり」
FASHIONSNAP
両親と兄の家族|「やってみたい」を止めなかった家庭
家族について本人が明かしているのは、父親、母親、兄1人です。
母親を中心に明るい家庭で、両親からは幼いころから「いろんなチャレンジをしていい」「楽しいこと、ワクワクすることを追いかけてほしい」と言われて育ちました。
実際に経験した習い事は、スイミング、バスケットボール、空手、乗馬、華道、茶道、ダンスなど。
一つの習い事へ絞るのではなく、本人が興味を持ったものを次々に経験できる家庭環境でした。
兄については、子どものころから「友達みたいな関係」だったそうで、大人になってからも二人で旅行へ行ったり、電話をしたりしています。
家族のグループLINEも頻繁に動いており、父親が両親の結婚記念日を「結婚記念日ウィーク」として知らせ、妻や子どもへの感謝を送ったことも本人が明かしています。
『花より男子』の井上真央に憧れ、保育園から俳優を夢見る
俳優という仕事を意識したのは、まだ保育園児だったころでした。
きっかけはドラマ『花より男子』です。
牧野つくしという登場人物になりたいと思ったのではなく、演じていた井上真央さんの「俳優」という仕事そのものに目が向きました。
周囲の園児がお花屋さんなどを将来の夢に挙げる中、本人は一人だけ「女優さんになりたい」と言っていたそうです。
テレビを見ながら俳優のまねをし、「自分のほうが早く泣けた」と遊ぶこともあり、まだ仕事を始める前から演技そのものに興味を持っていました。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
小学生で芸能界への入口へ|ダンスとキラチャレ2014
俳優になりたいという夢が、実際の行動へ変わったのは小学生のときでした。
最初から俳優のオーディションを探したわけではなく、まず始めたのはダンスです。
小学3年、金色のオーディションポスターを自分で見つける
小学3年生ごろから通っていたダンススクールで、髙石さんはエイベックスのオーディション募集を見つけました。
本人が覚えているのは、ポスターが金色でキラキラしていたことです。
それを見た瞬間に「ここに行きたい」と思い、自分から両親へ相談して応募しました。
2014年、エイベックス主催の「キラチャレ2014」モデル部門でナルミヤオンライン賞を受賞し、芸能活動への入口に立ちます。
所属後はすぐ俳優の仕事ばかりをしていたわけではなく、最初はモデル部門に入り、ウォーキングなどのレッスンも受けていました。
小学6年で受賞|宮崎から福岡へ一人で往復約9時間
賞を取れば、そのまま東京で仕事が始まるわけではありませんでした。
小学6年生のころは、宮崎から福岡のレッスンへ通っています。
移動は高速バスで、片道およそ4時間半。
往復すると約9時間になり、11歳の髙石さんが一人でバス代を払い、毎週末のように移動していました。
まだ小学生ですから、いつでも前向きだったわけではありません。
「土日は遊びたいし、嫌だって泣いた日もありました。」
JACCS Special Interview
それでもレッスンへ通う生活は続きました。
現在から振り返った本人は、11歳で払っていたバス代を「未来への一歩」だったと受け止めています。
小学4年の担任の言葉と、卒業文集に書いた将来像
小学校では、芸能活動とは別に、後まで残る言葉を担任からもらっています。
小学4年生のとき、大好きだった担任から言われたのが、朝ドラのヒロインになっている姿を見たいという言葉でした。
さらに小学校の卒業文集では、「15年後の自分」について、「エイベックスの髙石あかり」と言われるようなマルチな女優になっていると書いていました。
好きな芸能人の欄には、井上真央さんに続いて北川景子さんの名前も記しています。
北川さんとは後年、『ばけばけ』で母と娘を演じることになりますが、この時点ではまだ、髙石さんは宮崎からレッスンへ通う小学生でした。
宮崎県宮崎市。 両親から『いろんなチャレンジをしていい』『楽しいこと、ワクワクすることを追いかけてほしい』と言われ、スイミング、バスケットボール、空手、乗馬、華道、茶道、ダンスなど多くの習い事を経験した。
JACCS Special Interview|髙石あかり髙石あかりさんは2002年12月19日生まれ、宮崎県出身です。
幼いころは、友達と「秘密基地を探す」と言って外へ出かけるような子どもでした。
中学生になると、レッスンだけだった時間に実際の仕事が加わっていきます。
出身中学校については、本人が映画監督・外山文治さんとの対談で答えています。
2018年、髙石さんは15歳でα-X’sを卒業します。
小学3年生ごろ、通っていたダンススクールでエイベックスのオーディション募集を見つけ、自分から両親へ相談して応募した。
JACCS Special Interview|髙石あかり宮崎中学校時代|初映画とα-X’sで活動先へ通った日々
中学生になると、レッスンだけだった時間に実際の仕事が加わっていきます。
学校生活の拠点は宮崎に残したまま、県外へ移動する機会が増えていきました。
12歳の初仕事『島々清しゃ』|沖縄で1か月の映画撮影
事務所に所属してから初めて経験した俳優の仕事は、映画『島々清しゃ』でした。
本人によると、当時は12歳。
沖縄へ約1か月滞在し、安藤サクラさんらと撮影しました。
保育園から俳優を夢見ていた髙石さんにとって、レッスンではなく作品の撮影現場へ入った最初の経験です。
幼児期からテレビや映画へ出演する一般的な「子役」として長く活動していたわけではなく、オーディション受賞後にレッスンを重ね、12歳で映画の初仕事を経験したという順番でした。
宮崎中学校と芸能活動を往復|東京では高井戸に滞在
出身中学校については、本人が映画監督・外山文治さんとの対談で答えています。
「はい。宮崎中学校です」
テラスマガジン
中学時代は宮崎の学校へ通いながら芸能活動を続け、本人の表現では「学校とレッスンを行ったり来たり」する生活でした。
芸能活動で宮崎と東京を往復し始めたのも中学生のころで、東京では高井戸に滞在し、井の頭線をよく利用していたことを覚えています。
この時点では東京へ完全に生活拠点を移したのではなく、宮崎から通いながら活動していました。
α-X’sで歌とダンス|路上ライブから「奇跡の一枚」へ
2016年からは、エイベックスの育成ユニットα-X’s(アクロス)のメンバーとして活動します。
歌やダンスを披露し、AAAのツアーに同行したほか、各地で路上ライブも経験しました。
グループでは同世代のメンバーと行動する時間が長く、西川怜伽さんとは後に「1番の友達といっても過言ではない」と話すほど親しくなっています。
2017年には活動中に撮られた写真が大きく注目され、エイベックス自身も後に「奇跡の一枚」として紹介しました。
「今の髙石あかりの基礎を作ってくださった場所」
めざましmedia
礼儀を教えるマネージャーのもとで活動し、人前で歌い、踊り、ファンと接する日々は、後の俳優活動とは形が違っても、中学時代の大きな割合を占めていました。
15歳の分岐点と高校生活|α-X’s卒業から俳優一本へ
2018年、髙石さんは15歳でα-X’sを卒業します。
ここから、宮崎から活動先へ通っていた生活そのものが変わっていきました。
ダンス&ボーカルか俳優か|α-X’s卒業後に迷った進路
グループ活動が終わったとき、すぐに「俳優一本」と迷いなく決められたわけではありません。
本人にとってα-X’sは学生時代の「青春」で、ずっと続くと思っていた場所でした。
卒業すると仲間に頼れなくなる怖さが生まれ、ソロでダンス&ボーカルを続けるのか、それとも女優へ進むのかを考えています。
そのとき思い返したのが、テレビの俳優の芝居をまねして動画を撮っていた自分でした。
保育園から持ち続けてきた「俳優になりたい」という方向へ、ここで進路を絞ります。
2018年に上京、『スリーアウト』から女優として再出発
α-X’sを卒業した2018年、髙石さんは本格的に上京します。
新しい住まいへ入ったときは、寂しさより「ここが自分の家になる」という気持ちが強かったと後に話しています。
同年8月には舞台『スリーアウト!〜ホームラン篇〜』への出演が決まりました。
「女優としての一歩を踏み出します。」
エイベックス・ポータル
グループ卒業後の最初の公の場で、本人自身が「女優としての一歩」と言葉にした舞台でした。
通信制高校で学び、一人暮らしの部屋では自分で台本を探す
上京後の高校生活について、髙石さんは通信制の高校だったと明かしています。
具体的な校名は本人や所属先から公表されていないため、ネット上で挙げられている高校名を事実として特定することはできません。
高校生になって本格的な一人暮らしを始め、最初に住んだ街として本人が挙げているのは埼玉県のみずほ台です。
電車へ忘れ物をすることが多く、駅員に「ああ、また君か」というような反応をされたこともあったといいます。
家では、ネット上からさまざまな台本を自分で探しました。
見つけた台本をひたすら読み、一人で演じることを繰り返していたそうで、本人にとっては苦しい特訓というより、楽しくて続けていた時間でした。
高校3年間の成績はオール5|校名は公表されていない
仕事をしながら通った高校では、3年間の成績がオール5だったことも明かされています。
2025年放送の『紙とさまぁ〜ず』では、その理由を聞かれ、通信制で試験が年に一度だったことなどを答えていました。
一方で本人は、通信制だったため、一般的に想像するような学校生活を十分に経験したタイプではないとも話しています。
高校名については公表されていませんが、通信制高校で学び、2021年3月に卒業したところまでは本人発言や当時のインタビューから確認できます。
舞台『鬼滅の刃』禰豆子役|兄と喜びを分かち合った2020年
高校時代の大きな仕事の一つが、2020年1月に初演された舞台『鬼滅の刃』です。
演じたのは竈門禰豆子。
出演決定を聞いたとき、一緒に暮らしていた兄へすぐ知らせました。
兄も『鬼滅の刃』が好きだったため泣いて喜び、髙石さんもつられて泣き、兄妹二人で泣き合ったといいます。
宮崎の幼少期から続いていた兄との関係は、俳優として仕事が増えたあとも日常の中に残っていました。
高校卒業後、映像の世界へ|『ある用務員』から『ベイビーわるきゅーれ』
2021年3月、高校を卒業します。
舞台中心だった仕事も、この前後から映画やドラマへ広がっていきました。
高校卒業後の進路|大学進学について確認できる範囲
髙石さんについては「大学」という検索も多いものの、大学名や在学歴を本人・所属先が公表した事実は確認できません。
高校を卒業した2021年の本人インタビューでは、自分について「社会に出て」と表現し、「高校を卒業して女優という仕事をやっていく中で」学生時代の価値に気づいたと話しています。
そのため、公表されている経歴として確認できるのは、高校卒業後、そのまま俳優として仕事を続けていたことまでです。
根拠が示されていない特定の大学名を出身大学として扱うことはできません。
『ある用務員』で伊澤彩織と共演、次の映画へつながる
『ベイビーわるきゅーれ』の前に、髙石さんと伊澤彩織さんは映画『ある用務員』で共演しています。
阪元裕吾監督作品で、二人が演じたのは女子高生の殺し屋コンビでした。
髙石さんは当時16歳ほどで、伊澤さんにとっては俳優として芝居をする初期の現場でもありました。
後に伊澤さんは、初めてバディ役として紹介された髙石さんが9歳年下だと知って驚いたことを振り返っています。
この二人の殺し屋コンビをもう一度見たいという反応があり、阪元監督が「この子たちで新しい映画を」と考えたことから次の企画へ進みました。
『ベイビーわるきゅーれ』で映画初主演|本人が「人生を変えた」と語る作品
こうして2021年、髙石さんと伊澤さんのダブル主演映画『ベイビーわるきゅーれ』が公開されます。
髙石さんが演じた杉本ちさとは、殺し屋としての技術を持ちながら、社会生活にはうまくなじめない少女です。
撮影では銃の扱いを自然に見せるため、空き時間にも銃へ触れ、撃った際の反動や構え方まで練習しました。
同作は髙石さんにとって映画初主演作となり、その後もシリーズ化される代表作になりました。
本人も後のインタビューで、人生を変えた作品として『ベイビーわるきゅーれ』を挙げています。
宮崎で俳優を夢見た時期から約十数年、舞台中心だった仕事はこの作品を境に映像作品へ大きく広がっていきます。
朝ドラ『ばけばけ』へ|3度目の挑戦から故郷・宮崎へ戻るまで
『ベイビーわるきゅーれ』以降、映画やドラマへの出演は増えていきました。
その中で、子どものころから口にしていたもう一つの夢への挑戦も続いていました。
『舞いあがれ!』『あんぱん』を経て3度目の朝ドラオーディション
髙石さんは朝ドラのオーディションに一度だけ挑んだわけではありません。
まず『舞いあがれ!』のオーディションを受け、その後『あんぱん』にも挑戦しました。
どちらでもヒロインには選ばれず、続いて受けたのが2025年度後期の『ばけばけ』です。
「『ばけばけ』が3回目のチャレンジです。」
NHK出版 本がひらく
小学4年生で担任から朝ドラヒロインの話をされてから続いていた夢は、3度目のオーディションまで持ち越されました。
2,892人からヒロインへ|小学生から続いた朝ドラの夢が現実に
『ばけばけ』のヒロインオーディションには2,892人が応募しました。
審査では当初、着物姿に合わせて少しかしこまった芝居をしていた髙石さんへ、監督から「ここを『ベイビーわるきゅーれ』だと思って」と声がかかったといいます。
そこで作っていたものが一つ外れ、自分らしく芝居ができたと本人は振り返っています。
脚本を担当したふじきみつ彦さんも、相手役との芝居を見て、明治時代の夫婦を覗いているように感じたと選出時に説明しました。
2024年10月29日、2,892人の中から松野トキ役に選ばれたことが発表されます。
選ばれた直後は頭が真っ白になり、感情が追いつかず、一人になってから涙が出たと話しています。
『グラスハート』の歌唱はao|歌とダンスを経験してきた髙石あかりとの違い
『ばけばけ』の放送開始を控えていた2025年7月には、Netflixシリーズ『グラスハート』も配信されました。
髙石さんが演じたのは、劇中の歌姫櫻井ユキノです。
本人の公式プロフィールでは現在も歌・ダンスが特技とされ、α-X’sでも実際に歌っていましたが、『グラスハート』のユキノの歌声については別です。
Netflix公式発表では、ユキノの歌唱をアーティストのaoさんが担当したことが明記されています。
aoさんは髙石さんの表情や仕草を映像で見ながら、それに合う歌い方を考えて吹き替えを収録しました。
α-X’s時代から歌ってきた経歴と、作品中の歌唱担当は分けて見る必要があります。
2026年、宮崎の実家から短編映画の撮影現場へ通う
『ばけばけ』は2025年9月から放送され、2026年3月に最終回を迎えました。
その約2か月後、髙石さんは再び宮崎にいました。
所属するエイベックスの企画「ACTORS STAND vol.2」で制作される短編映画に主演し、宮崎県新富町で全編撮影を行ったためです。
この撮影では、東京から宮崎へ一時的に戻り、実家から撮影現場へ通いました。
小学生のころは宮崎の自宅から福岡へ高速バスで通い、高校時代には東京へ生活拠点を移した髙石さんが、今度は俳優の仕事のために宮崎の実家から現場へ向かっています。
「ここで私は俳優になりたいと夢見たんだな」
UMKテレビ宮崎
俳優になりたいと思った故郷で、朝ドラを終えたあとに主演映画を撮る時間が訪れました。
この短編映画は、2026年8月時点では2027年秋ごろにイベントで上映予定と案内されています。
宮崎で友達と秘密基地を探していた子ども時代から、福岡へのレッスン、α-X’s、高校時代の上京を経て、髙石あかりさんは俳優の仕事へ進みました。
15歳でグループを離れたときに選んだ俳優の道は、『ベイビーわるきゅーれ』や3度目の朝ドラオーディションへ続いています。
そして2026年には、かつて俳優を夢見た宮崎の実家から、主演映画の撮影現場へ通っていました。
髙石あかりと似た生い立ちの人物は?
出身地・年代・人生の原点などの共通点から探せます。











