野村康太さんは、184cmの長身を生かして俳優とモデルの両方で活動し、2026年には実写映画『ブルーロック』で國神錬介役を演じています。
父親が俳優の沢村一樹さんであることでも知られていますが、野村さん自身の10代は芸能活動よりも小学校から高校卒業まで続けたバスケットボールが生活の中心でした。
- 父は俳優の沢村一樹。三兄弟の次男。
- 現在の道につながる原点:その他
- 出身地:東京都
高校では親元を離れて群馬県の前橋育英高校へ進み、3年間の寮生活を送りながら全国大会を目指しています。
そして高校生活が終わりに近づいたころ、それまで打ち込んできたバスケとは別の道として俳優を考え始め、父へ一本の電話をかけました。
野村康太の生い立ちと家族|三兄弟の真ん中で育った幼少期
野村康太さんは2003年11月30日、東京都出身です。
幼いころは家の中で静かに過ごすより、外へ出て走り回ることが多い子どもでした。
本人によると、目を離すとすぐどこかへ行ってしまうようなところもあり、学校が終われば公園へ行き、体を動かして遊ぶ日々を送っていました。
外で走り回っていた子ども時代、母から教わった3つの約束
家庭では、母親から細かなことを何でも厳しく注意されていたわけではありませんでした。
その代わり、小さいころから繰り返し言われていたことが挨拶、返事、お礼の三つでした。
「挨拶をしっかりする」「返事をする」「お礼を言う」
STORY
母親は特に、何かをしてもらったときには「ありがとうございます」と言葉にすることを大切にしていたそうです。
この三つは野村さんだけの決まりではなく、三兄弟そろって守っていた家庭の約束でした。
大人になって仕事の現場へ入ってからも、多くの人に支えてもらう場面で「ありがとうございます」と伝えることを意識していると本人は話しています。
父・沢村一樹、兄と弟がいる三兄弟の家庭
父親は俳優の沢村一樹さんで、野村康太さんには兄と弟がいます。
三兄弟の真ん中にあたり、兄はモデルとして活動している野村大貴さんです。
野村さん自身は、三兄弟とも目立った反抗期がなかったと振り返っており、大人になってからも兄弟3人で出かけることがあります。
父が俳優、兄がモデルという環境ではありましたが、子どものころから芸能界入りを一直線に目指していたわけではありません。
むしろ当時の生活で大きな存在になっていったのは、兄の姿をきっかけに始めたバスケットボールでした。
兄の試合を見て小学生でバスケットボールを始める
転機になったのは、小学校6年生のころに兄のバスケットボールの試合を見に行ったことでした。
コートでプレーする兄を格好いいと思い、自分もやってみたいと考えるようになります。
当時すでに身長175cmほどあり、その体格もバスケなら生かせそうだと感じていました。
さらに本人は、「バスケをやっている子は人気者になれる」という小学生らしい噂を信じたことも、始めた理由だったと笑いながら明かしています。
放課後には公園でボールを触り、クラブチームにも入り、小学校6年生から高校3年生まで競技を続けました。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
野村康太の中学時代|バスケ中心の生活が本格化
小学生で始めたバスケは、中学校に入ってから試合で勝敗を競う時間へと変わっていきます。
高校時代の公式競技資料には、出身中学として世田谷区立梅丘中学校が記録されています。
梅丘中のバスケ選手として高校の公式記録にも名前が残る
後に前橋育英高校の選手として登録されたJBAの資料には、「野村康太」、出身校「梅丘」と掲載されています。
中学時代には、試合でミスを怖がって積極的にプレーできなくなったこともありました。
そのとき顧問からかけられた言葉を、野村さんは現在も覚えています。
「失敗を恐れるな。失敗を恐れている自分を恐れろ。」
MEN’S NON-NO WEB
ミスを避けるためにプレーを小さくするのではなく、もう一度挑戦するきっかけになった言葉でした。
中学校を卒業すると、次の環境として選んだのは群馬県の前橋育英高校でした。
中学から続く仲間と高校の寮生活へ
前橋育英へ進学すると親元を離れ、バスケットボール部の仲間たちとの寮生活が始まります。
高校時代に同じ部屋で暮らした仲間の中には、中学時代から一緒だった友人もいました。
その友人は、野村さんが悩んでいるときも嫌な顔をせず話を聞いてくれ、卒業後に俳優となってからもテレビを見たと連絡をくれる存在になっています。
野村康太さんは2003年11月30日、東京都出身です。
家庭では、母親から細かなことを何でも厳しく注意されていたわけではありませんでした。
小学生で始めたバスケは、中学校に入ってから試合で勝敗を競う時間へと変わっていきます。
後に前橋育英高校の選手として登録されたJBAの資料には、「野村康太」、出身校「梅丘」と掲載されています。
前橋育英へ進学すると親元を離れ、バスケットボール部の仲間たちとの寮生活が始まります。
高校に入ると、野村康太さんの日常は授業、練習、寮生活が一つにつながったものになりました。
本人が高校時代について尋ねられたとき、最初に出てきたのは短い言葉でした。
そんなバスケ中心の日々の中で、進路を考える時期が近づいてきます。
野村康太の高校は前橋育英|3年間の寮生活とバスケ部副キャプテン
高校に入ると、野村康太さんの日常は授業、練習、寮生活が一つにつながったものになりました。
2021年の公式選手名簿では、前橋育英高校3年、身長184cmとして登録され、別のウインターカップ選手資料ではSF、身長185cmと記録されています。
プレーの特徴として挙げられていたのは、安定した3ポイントシュートと予測力を生かしたディフェンスでした。
「バスケがすべて」だった高校生活、教室では静かで部活では盛り上げ役
本人が高校時代について尋ねられたとき、最初に出てきたのは短い言葉でした。
「バスケがすべてでした。」
Bezzy
教室では静かに過ごす一方、体育館へ行けば副キャプテンとしてチームを盛り上げる側に回っていました。
学校の教室とバスケ部では、周囲に見せる姿がかなり違っていたことになります。
2021年には関東ブロックリーグの前橋育英の選手名簿にも名を連ね、12月には高校バスケの全国大会であるウインターカップにも出場しました。
全国のコートへ進むまで、生活のほとんどを同じ部員たちと過ごしていました。
休みの日も仲間と過ごした寮生活
寮では練習が終わってもチームメートとの時間が続きました。
休日にはみんなで出かけ、寮の部屋に集まってゲームをすることもあり、学校と部活だけで顔を合わせる関係ではありませんでした。
野村さんは後年、この3年間について楽しい思い出が多かったと話しています。
一方で、全国を目指す競技生活には、いつも順調にプレーできる時期だけがあったわけではありません。
シュートが入らずバスケを嫌いになった時期を仲間に支えられる
高校では、思うようにシュートが入らず、体も重く感じる時期がありました。
長く続けてきたバスケットボールを嫌いになるほど調子を崩した時期だったと本人は振り返っています。
試合でミスをして気持ちが落ちたとき、もう一人の副キャプテンが肩をたたき、気にするなと声をかけてくれました。
監督からは下半身の使い方について指摘され、それまで以上に足を使うことを意識すると、シュートも少しずつ安定していきます。
一人でフォームを考え続けたのではなく、同じコートにいた仲間と指導者から言葉を受けながら抜け出した時期でした。
高校2年の終わりに大学か仕事かを考え始める
そんなバスケ中心の日々の中で、進路を考える時期が近づいてきます。
野村さんはプロバスケットボール選手を目指していたわけではなく、高校2年生の終わりごろになると、大学へ行くのか、それとも仕事をするのかを考えるようになりました。
そこで頭に浮かんだのが、子どものころからテレビや映画で見てきた俳優という仕事でした。
野村康太が俳優を目指したきっかけ|父への一本の電話
俳優という職業は、野村さんにとって突然初めて知った世界ではありませんでした。
家では父・沢村一樹さんが台本を読んでいる姿を見ることもあり、映画やドラマも幼いころから身近にありました。
『3年A組』の菅田将暉を見て俳優という進路が具体的になる
特に印象に残っていた作品の一つが、中学生のころに見たドラマ『3年A組―今から皆さんは、人質です―』でした。
主演の菅田将暉さんの芝居に強く影響を受け、「自分もいつか」と感じていましたが、その時点ではバスケットボールの方が日常の中心でした。
高校2年生になり進路を考え始めたことで、以前から心の中にあった俳優という選択肢が現実のものになっていきます。
大学進学だけを前提にせず、「仕事をするなら俳優をやってみたい」と進路が動き始めました。
「俳優になりたい」と父・沢村一樹へ電話する
俳優になると決めたあと、野村さんは周囲に何人も相談してから動いたわけではありませんでした。
思い立つとすぐ、父へ電話をかけています。
俳優をやりたいと伝えた息子に、沢村さんから返ってきたのは大げさな反応ではありませんでした。
「わかった」
週刊女性PRIME
高校で長く続けたバスケから俳優へ、進路が大きく切り替わった瞬間でした。
父から細かな演技の方法を教わってスタートしたのではなく、後に受け取った言葉の一つも「自分の感性を大事にしろ」というものでした。
大学へ進まず2022年4月に研音所属、卒業直後から俳優の道へ
高校を卒業した2022年春、野村康太さんは大学へ進学するのではなく芸能活動を始めました。
2022年4月11日、所属事務所の研音が俳優・野村康太さんの所属を正式に発表しています。
高校まで毎日のように続けていたバスケットボール部の生活が終わってから、ほとんど間を空けずに新しい仕事の準備が始まりました。
野村康太のデビュー直後|高校卒業から数か月でドラマの現場へ
所属から約3か月後には、初めてのドラマ撮影が始まりました。
バスケットボールの体育館とはまったく違う現場で、今度は俳優陣やスタッフに囲まれて仕事を覚えていきます。
『新・信長公記』で初めての撮影現場に立つ
俳優デビュー作は、2022年7月期の日本テレビ系ドラマ『新・信長公記〜クラスメイトは戦国武将〜』でした。
野村さんが演じたのは、戦国武将・前田利家のクローン高校生です。
当時18歳で出演者の中でも最年少だった野村さんは、クランクイン前の状態をこう説明しています。
「今回の作品が、僕にとって初めての現場」
読売テレビ『新・信長公記』公式サイト
監督や先輩俳優に声をかけてもらい、芝居のアドバイスを受けながら撮影へ通う日々が始まりました。
高校卒業までは同年代の仲間とプレーする側だった野村さんが、卒業した年の夏には幅広い世代の俳優に囲まれてカメラの前に立っていました。
『silent』など出演が続く一方、想像以上だった俳優の仕事
デビュー後は『silent』『差出人は、誰ですか?』など、続けてドラマ出演の機会が増えていきます。
外から見れば順調に作品数を重ねている時期でしたが、本人の中では仕事の難しさも大きくなっていました。
セリフを覚え、同じ場面を何度も撮り、長時間集中し続ける俳優の仕事は、高校まで経験していた生活とは違う種類の体力と集中力を必要としました。
父が長年続けてきた俳優という仕事の大変さを、自分が現場へ入ったことで初めて実感していきました。
高校時代には縁が薄かったファッションからメンズノンノ専属モデルへ
俳優活動と並行して、2023年にはもう一つ新しい仕事が始まります。
第38回メンズノンノモデルオーディションに応募し、準グランプリを受賞して専属モデルになりました。
応募の背景には、以前「おしゃれになりたい」と家族に話した際、母親から『MEN’S NON-NO』を見せてもらったことがありました。
兄の野村大貴さんも同誌の専属モデルを経験しており、野村康太さん自身も誌面を見る機会がありました。
高校時代は毎日バスケに打ち込んでいた少年が、卒業から約1年半後には俳優とメンズノンノ専属モデルという二つの仕事を持つようになります。
俳優を辞めたいと両親へ打ち明けた時期
出演作品が増える一方で、野村さんは俳優を続けること自体に迷うところまで追い込まれた時期がありました。
本人がこの時期を明かしたのは、デビューから約2年が過ぎた2024年のインタビューです。
セリフ、長時間の撮影、役を背負う日々で「向いていない」と悩む
芝居ではセリフを覚えるだけでなく、同じシーンを時間をかけて何度も撮影することがあります。
睡眠時間が少ない日もあり、集中力と体力の両方を使い続ける生活の中で、自分はこの仕事に向いていないのではないかと考えるようになりました。
「じつは一度、辛すぎて俳優業を辞めようとしたんです。」
VOCE
憧れて自分から選んだ俳優の仕事を、一度は辞めるところまで考えていました。
両親に泣きながら相談し、次の作品まで続ける
野村さんは、その状態を一人で抱え続けるのではなく両親へ話しました。
泣きながら辞めたいと伝えると、両親は話を聞き、もう少しだけ頑張ってみようと声をかけました。
すでに次の出演作品が決まっていたため、その作品までは続け、それでも辞めたければもう一度相談することにします。
「俳優を続ける」と長期の決意を固めたのではなく、まず次の一作品まで進んでみることにしたのが、この時点での選択でした。
『夫の家庭を壊すまで』で芝居の楽しさが変わる
その「次の作品」が、2024年のテレビ東京系ドラマ『夫の家庭を壊すまで』でした。
松本まりかさん演じる主人公と関わる高校生・三宅渉を演じ、現場では松本さんの芝居から多くの刺激を受けます。
それまで口では芝居を楽しいと言いながら、自分の中では完全にそう思い切れていなかった部分がありました。
この作品を経て、本人が「心の底から芝居が楽しい」と感じられる状態へ変わりました。
バスケ少年だった野村康太が現在の俳優になるまで
芝居への向き合い方が変わってからも、野村康太さんの活動には学生時代のバスケットボールが顔を出します。
競技そのものを俳優になってからも続けているわけではありませんが、体を動かすことやチームで一つの目標へ向かう感覚は残っています。
バスケで身についたチームワークと撮影現場
野村さんは高校の寮で、朝から夜まで同じ仲間たちと生活しながら、一つのチームとして試合へ向かっていました。
俳優になってから、ドラマや映画も一人では完成せず、キャストとスタッフが一つの目標へ進む点でチームスポーツと似ていると感じるようになります。
高校では副キャプテンとして部員を盛り上げる側に立ち、スランプでは仲間に支えられた経験もありました。
コートの中で一人だけでは試合が成り立たなかったように、撮影現場でも周囲と一緒に作品を作る時間が続いています。
実写『ブルーロック』國神錬介役で8kg増量
2026年には、サッカーを題材にした実写映画『ブルーロック』で國神錬介役を務めました。
國神は強靱なフィジカルを持つキャラクターで、野村さんは見た目から役へ近づくため本格的な肉体改造に取り組んでいます。
「半年で約8kg体重を増やして」
研音
週5〜6回ほどジムへ通い、半年かけて身体を大きくしました。
小学生のころに175cmの身長を生かせそうだと始めたスポーツ生活から年月がたち、今度は俳優として役のために身体を作るところまで進みました。
バスケットボール選手になる道は選ばなかったものの、10代で積み重ねた身体感覚が消えたわけではありません。
俳優・モデルとして活動する現在
現在は研音に所属し、俳優としてドラマや映画へ出演する一方、MEN’S NON-NO専属モデルとしても活動しています。
2026年8月には『ブルーロック』が公開され、テレビ朝日系『大追跡~警視庁SSBC強行犯係~Season2』にも出演しています。
幼少期に母から繰り返し教えられた挨拶やお礼、兄を見て始めたバスケ、中学でミスを恐れた試合、高校の寮で過ごした仲間との時間は、それぞれ別の時期に起きた出来事です。
そこから高校2年生で進路を考え、父への電話を経て俳優の世界へ入り、一度辞めようとした時期も越えて現在の仕事へ続いています。
三兄弟の真ん中として育ち、小学生で始めたバスケットボールは、前橋育英高校での寮生活と全国大会まで続きました。
その高校生活の終わりに俳優という別の進路を選び、デビュー後には仕事を辞めようと考える時期を経て、次の作品で芝居への感覚が変わっています。
現在は俳優とモデルの仕事を続けながら、10代のころとは別の形で、スポーツに打ち込んだ時間も役作りの中へ持ち込んでいます。
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