STARGLOW GOICHIの生い立ちと家族|小学1年からダンス、高校でラップに出会うまで

STARGLOW GOICHI
ひと目でわかるプロフィール STARGLOW GOICHI
ごいち
出身地
埼玉県
生まれ年代
2000年代生まれ
活動ジャンル
男性アイドル
性別
男性
育った家庭
父・母・弟のいる家庭で育ち、幼少期から家族と音楽や映像に親しんだ。
きょうだい構成
2人きょうだい・本人は1番目
キャリアの原点
幼稚園のころ、嵐のライブDVDを見ながら踊る姿を母が見てダンスを勧め、小学1年生からレッスンを始めた。

STARGLOWで低く力強いラップを響かせるGOICHIさん。

2006年12月14日生まれ、埼玉県出身で、本名は福井護一(ふくい ごいち)さんです。

STARGLOW GOICHIさんを理解する3つのポイント
  1. 仮面ライダーや『おかあさんといっしょ』が好きで、弟とは家の中で戦いごっこをしていた。
  2. 幼稚園のころ、嵐のライブDVDを見ながら踊る姿を母が見てダンスを勧め、小学1年生からレッスンを始めた。
  3. 現在の道につながる原点:オーディション

現在の姿を見ると、子どものころからラッパーを目指してきたようにも思えますが、最初に夢中になったのはラップではなくダンスでした。

小学1年生から続けてきたダンスに、高校2年生で偶然ラップが加わり、現在のGOICHIさんにつながっていきます。

しかも、そのラップとの出会いは、発表会で本来担当するはずだった人が休んだことから始まったものでした。

STARGLOW・GOICHIの生い立ちと家族|踊ることが好きだった子ども時代

GOICHIさんの音楽との接点は、ステージやダンススクールより前の幼いころから始まっていました。

家族と過ごす日常の中に、現在まで残っているものがいくつも登場します。

「おかあさんといっしょ」と仮面ライダーが好きだった幼少期

幼いころのGOICHIさんは、本人いわく走り回ったり大きな声を出したりする活発な子どもでした。

特に好きだったのが仮面ライダーや戦隊モノで、2026年のSPURのインタビューでも子どものころの夢として「仮面ライダー」を挙げています。

放送時期が自分の誕生前だったシリーズまでDVDで見ており、変身ベルトも数多く持っているほどでした。

もう一つ夢中になっていたのが「おかあさんといっしょ」です。

コンサートへ行くほど好きで、家族によれば、小さいころにはベビーカーに乗りながらDVDを持ち歩いていたそうです。

「ある意味僕の音楽の原点」

SPUR

このころからテレビの前で自然に踊っていました。

弟とは家の中で戦いごっこ|父・母・弟と過ごした家族の時間

家族について本人の話から分かっているのは、父親、母親、弟の存在です。

仮面ライダーや戦隊モノにはまっていたころは、弟を相手に家の中でよく戦いごっこをしていました。

「弟とよく家の中で戦っていました」

smart Web

後に長く続くダンスについては、母親の存在が大きく関わっています。

母親はその後もレッスンの送迎を続けましたが、本人によれば、厳しい言葉で奮い立たせたり、熱心に進路を押しつけたりするタイプではありませんでした。

嵐を見て踊る姿を母が見つけ、小学1年生からダンスへ

GOICHIさんがダンスを本格的に始めたきっかけは嵐のライブDVDでした。

幼稚園のころ、ライブ映像を見ながらテレビの前で踊っていた姿を母親が見て、ダンスを勧めます。

本人は後年、「嵐になりたい」と思っていたことも明かしています。

小学1年生になると、本格的にダンスのレッスンへ通い始めました。

現在のGOICHIさんのキャリアを長い順に並べると、ラップでも歌でもなく、まずダンスが一番最初に来ます。

家族情報

公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。

父

一般人家族のため氏名など未確認情報は登録しない。

信頼できる媒体 出典を見る
母

幼少期にダンスを勧め、レッスン生活を支えた。

信頼できる媒体 出典を見る
弟

幼少期に家で戦いごっこをしていた弟。氏名などは登録しない。

信頼できる媒体 出典を見る

小学生のGOICHIはダンスだけを続けた

ダンスを始めたからといって、子ども時代から活動を一つに絞っていたわけではありません。

小学生のころには、ほかのスポーツにも触れていました。

サッカーや水泳にも挑戦したが、ダンスだけは楽しかった

GOICHIさんは幼少期にサッカーや水泳など、いろいろなことを経験しています。

ところが本人によれば、ほかのものは思うようにできず、特に球技は得意ではありませんでした。

その中でダンスだけは違いました。

「唯一取り柄というか、楽しいと思いながらとことんやってきたのがダンス」

QJWeb

得意なものを何でもこなした結果としてダンスを選んだのではなく、複数の経験の中からダンスだけが長く残りました。

小学校低学年で「ダンスを続ける」と決める

小学1年生でレッスンを始めると、GOICHIさんは小学校低学年のうちにこの先もダンスを続けていこうと考えるようになります。

学校生活の外ではダンスの練習を続け、後にEXPG STUDIO OMIYAで活動するまでになりました。

母親はレッスンへの送迎を続けており、長期間にわたるダンス生活を日常の中で支えていました。

EXPG STUDIO OMIYAで磨いたダンス|テレビ出演も経験

本名の福井護一という名前は、BMSG加入以前のEXPG公式記録に残っています。

2022年7月、EXPG STUDIOはテレビ東京系『リズスタ -Top of Artists!-』について、EXPG STUDIO OMIYAの福井護一さんが覆面ダンスユニット「アノニマス」役として第14話から出演していることを発表しました。

まだSTARGLOWもBMSG TRAINEEも存在していない時期ですが、すでにテレビ番組でダンスを披露する経験を積んでいました。

GOICHIという活動名になる前から、「福井護一」の名前でダンサーとして公式記録が残っていることになります。

2024年5月には、EXPG STUDIO OMIYAの生徒として秋本彩陽さんとFM NACK5『FANTASTICS 佐藤大樹のぼっちマイク』へ出演。

番組では「Z世代との関わり」をテーマに、EXPG STUDIO内の流行や将来の夢について話しました。

人生年表 STARGLOW GOICHIさんの歩み
幼少期
テレビの前で踊ることが好きな子ども時代

仮面ライダーや「おかあさんといっしょ」が好きで、音楽や映像に合わせて自然に体を動かしていた。後のダンス人生につながる最初の土台となった。

SPUR
幼少期
育った場所・環境

埼玉県。 仮面ライダーや『おかあさんといっしょ』が好きで、弟とは家の中で戦いごっこをしていた。

smart Web|GOICHIインタビュー
家庭
家族・家庭環境から受けた影響

母がダンスを勧め、その後もレッスンの送迎を続けたことが長いダンス歴の土台になった。

smart Web|GOICHIインタビュー
小学校低学年
ダンスをこの先も続けていこうと決める

複数の経験をする中でもダンスだけは長く残り、学校生活の外でも練習を継続。後にEXPG STUDIO OMIYAで活動するまでになった。

QJWeb
高校2年
発表会で急きょラップを担当する

本来ラップを担当する予定だったメンバーが欠席し、GOICHIが代役へ。「意外とできるかも」という感覚を得て、歌って踊るアーティストという進路を意識し始めた。

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原点
現在の道へ進んだきっかけ

幼稚園のころ、嵐のライブDVDを見ながら踊る姿を母が見てダンスを勧め、小学1年生からレッスンを始めた。

smart Web|GOICHIインタビュー
幼稚園〜小学1年
嵐のライブDVDをきっかけにダンスを始める

ライブ映像を見ながら踊る姿を母親が見てダンスを勧めた。小学1年生から本格的にレッスンへ通い始める。

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2022年
福井護一名義で「リズスタ」に出演

EXPG STUDIO OMIYAでダンスを磨きながら、テレビ東京系「リズスタ -Top of Artists!-」へ出演。デビュー以前からステージ・映像出演を経験した。

中学から高校へ|ダンスを続けながら音楽の幅が広がる

ダンスを長く続ける一方で、聴く音楽は次第に広がっていきました。

その中に日本語ラップも入ってきます。

J-POPから日本語HIPHOPまで聴くようになった音楽遍歴

きっかけになった嵐の存在もあり、GOICHIさんは現在もJ-POPやアイドルの楽曲を聴きます。

ダンスレッスンではHIPHOPの楽曲に触れる機会もあり、聴くジャンルが増えていく中で日本語ラップにも出会いました。

後に低音ラップが強い印象を残すことになりますが、音楽の入口からHIPHOP一色だったわけではありません。

ZORNのラップに惹かれても、自分がラッパーになるとは考えていなかった

日本語ラップの中で特に大きな影響を受けたのがZORNさんです。

GOICHIさんはZORNさんを現在も一番好きなラッパーとして挙げ、声も含めて無意識に影響を受けていると話しています。

ただし、このころの本人はあくまでラップを聴く側でした。

日本語ラップが好きでも、自分がプレイヤーになったりラッパーを目指したりする考えは持っていませんでした。

高校名は公表されていない|学校生活と活動を両立

GOICHIさんは2025年春に高校を卒業していますが、通っていた高校名は公表されていません。

一方で高校在学中もEXPGでの活動は続いており、高校1年生にあたる2022年には『リズスタ -Top of Artists!-』へ出演しています。

2024年5月にもEXPG STUDIO OMIYAの生徒としてラジオ出演しているため、高校後半までダンスを中心とする活動を続けていたことが確認できます。

そして高校2年生のころ、その後の進路を動かす出来事が起こりました。

高校2年生の発表会で初めてマイクを握った

長く続けてきたダンスからアーティストへの進路が見え始めたのは、計画していた出来事からではありませんでした。

発表会当日に起きた予定変更がきっかけです。

ラップ担当が欠席し、急きょGOICHIが代役へ

高校2年生のとき、発表会で一緒に出演する予定だったラップ担当のメンバーが休むことになりました。

そこで急きょラップを担当することになったのがGOICHIさんでした。

それまでラッパーを目指していなかったGOICHIさんが、人前で本格的にラップへ踏み込む最初の場面です。

長く磨いてきたダンスとは違い、ラップについては誰かに本格的に習ってきたわけでもありませんでした。

「意外とできるかも」からアーティストを進路として考え始める

実際にラップを担当してみると、GOICHIさんの中にはこれまでとは違う感覚が残りました。

「あれ? 意外とできるかも」

smart Web

この経験から、歌って踊るアーティストになる道を以前より具体的に考えるようになります。

年齢が上がるにつれて進路を決める時期も近づいており、ずっと続けてきたダンスを将来へどうつなげるかが現実的な問題になっていました。

高校在学中にBMSGのトレーニーオーディションへ

GOICHIさんが次に動いたのがBMSGでした。

本人は、好きだったラップと、自分自身が「カッコいい」と感じるアーティストがBMSGにいたことを応募理由として挙げています。

大学受験へ向かうのではなく、アーティストになる可能性を試すため、高校在学中にBMSGのトレーニーオーディションを受けました。

高校2年生で初めてラップを担当したあと、進路として音楽を選ぶ動きが具体化していきました。

BMSG TRAINEE時代|ラップが「好き」から武器に変わる

2024年、GOICHIさんはBMSG TRAINEEとして活動を始めます。

ここからダンスに加え、ラップそのものを本格的に磨く時間が始まりました。

2024年からBMSG TRAINEEとして活動

BMSG加入前の2024年5月にはEXPG STUDIO OMIYAの生徒としてラジオ出演しており、その後BMSG TRAINEEへ移りました。

同年7月にはBMSGの公式イベント告知で新しいTRAINEEの一人としてGOICHIが紹介されます。

本人によると、ラップを本格的に始めたのはこのBMSG TRAINEE時代からです。

それ以前は独学で、ラップは自分で演じるものというより好きで聴いていた音楽でした。

「SUPER IDOL」などでステージ経験を重ねたSHOWCASE TOUR 2024

2024年10月から11月にかけて、BMSG TRAINEEは『BMSG TRAINEE SHOWCASE TOUR 2024』を開催しました。

Zepp Nagoya、Zepp Fukuoka、Zepp Namba、Zepp Hanedaの4都市を回り、GOICHIさんも13人のTRAINEEの一人として出演しています。

ツアーファイナルではRENさん、KAIRIさん、RYOMAさんと「SUPER IDOL」を披露し、公式ライブレポートではRENさんとGOICHIさんの出だしについて、気合いと表現力の変化に触れられています。

さらに「Boom Boom Back」「Message」にも参加し、最後の「D.U.N.K.」ではTRAINEE全員とステージに立ちました。

高校生活を送りながら、全国4都市のZeppを回るステージ経験を重ねていました。

独学だったラップを本格的に磨き、低音を自分のスタイルへ

BMSG TRAINEEになってからの変化について、GOICHIさんは「好きだったもの」が自分の武器へ変わっていく感覚があったと話しています。

「最初は“ただ好き”だったものが、“自分の武器”に変わっていく感覚」

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長年のダンス経験へ低音のラップが加わり、現在知られているGOICHIさんの輪郭がこの時期に強くなっていきます。

高校卒業後は大学へ進まず『THE LAST PIECE』へ

2025年3月、GOICHIさんは高校を卒業しました。

BMSGは同年3月27日、高校卒業を迎えた所属アーティストやTRAINEEを祝う『Graduation Party 2025』を開催し、GOICHIさんもKANONさん、KEIさんらと出演しています。

卒業後は大学には進みませんでした。

18歳のGOICHIにとってオーディションは「就活」だった

高校を卒業した直後、BMSGの3組目のボーイズグループを作るオーディション『THE LAST PIECE』が始まります。

GOICHIさんは当時18歳。

BMSG TRAINEEになって約1年が経ち、大学にも進学していなかったため、このオーディションを単なる経験の一つとは考えていませんでした。

「“就活”でしたね」

Real Sound

TRAINEE時代から『THE LAST PIECE』でデビューするつもりで、「ここしかない」と考えていました。

同世代と過ごした合宿|海、食事、黒ひげ危機一発の時間

デビューを目指す選考の最中でも、参加者同士の時間は競争だけではありませんでした。

GOICHIさんは後年、制作で悩む時間があった一方、みんなで海へ行ったり食事をしたりしたことも覚えていると話しています。

参加者は同世代が多く、合宿所ではくだらない話をしながら、「黒ひげ危機一発」や「ナンジャモンジャ」で遊ぶこともありました。

最初は自分自身のデビューが中心だった気持ちも、一緒に過ごすうちに「みんなでデビューしたい」という方向へ変わっていきました。

「天井が見える」と言われ、自分からSKY-HIに質問した

順調に進んでいたGOICHIさんに、大きな課題が提示されたのは5次の擬似プロ審査でした。

審査後、SKY-HIさんから、期待どおりではあるものの想像を超える部分がなく、スタイルの振れ幅や深さで一度目の「天井」が見えてきているという指摘を受けます。

GOICHIさん自身も審査後には悔しさを感じていました。

そこで一人で答えを探し続けるのではなく、SKY-HIさん本人へ「どうしたら天井を壊せますか?」と質問しました。

返ってきたのは、力やバイブスだけで突き破ろうとするのではなく、楽曲へきちんと入り込むという助言でした。

得意だった強い低音ラップを捨てるのではなく、そのまま表現の幅を増やすことが次の課題になりました。

GOICHIがSTARGLOWになるまで

「天井」という言葉を受けたあと、GOICHIさんはそれまでとは違う声や表情を試していきます。

ここで変えたのは、自分の核そのものではありませんでした。

強い低音だけではなく、柔らかい表現にも挑戦

GOICHIさんがそれまで得意としていたのは、「Fantasista」のような強い楽曲や低音ラップでした。

そこへ新しく加えたのが、優しい声や柔らかい表情です。

自分のスタイルを変えるのではなく、できることを増やすと決め、楽曲ごとに表現を変える練習を続けました。

ファイナリスト10人による「PIECES」では、これまでの強さとは異なる繊細な歌唱にも取り組みます。

「今は、自分より音楽の立場を上にして」

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自分をどう格好よく見せるかという考えから、曲をどうよく見せ、どうよく聴かせるかへ意識も変わりました。

最終審査を経てSTARGLOWの5人に選ばれる

最終審査を終えた2025年9月19日、BMSGの新グループSTARGLOWのメンバーが発表されました。

選ばれたのはRUIさん、TAIKIさん、KANONさん、GOICHIさん、ADAMさんの5人です。

小学1年生からダンスを続け、高校2年生で初めてラップを担当したGOICHIさんは、18歳でBMSGのボーイズグループの一員になりました。

9月22日には最終審査の課題曲でもあった「Moonchaser」でプレデビューしました。

デビュー決定を母へ報告|レッスン送迎を続けた母が見せた涙

STARGLOWへの加入が決まったあと、GOICHIさんは母親へオーディションの結果を伝えました。

小学1年生から始まったダンス生活の中で、母親はレッスンへの送迎を続けてきました。

一方で普段は、厳しい言葉や熱い言葉を頻繁にかける人ではなかったといいます。

その母親が、デビュー決定の知らせを受けたときには電話の向こうで泣いていました。

「実は心配してくれていたんだな、とすごく嬉しかったです」

STORY

STARGLOWで始まった現在|昔のダンスとラップが一つになる

STARGLOW結成後は、GOICHIさんが長く磨いてきたダンスと、10代後半から本格的に始めたラップを同じステージで見せる生活が始まりました。

現在もラップについては、グループの担当パートだけで終わらない目標を持っています。

「Moonchaser」でプレデビューし「Star Wish」でメジャーデビュー

2025年9月22日に「Moonchaser」でプレデビューしたSTARGLOWは、2026年1月21日にデビューシングル「Star Wish」をリリースしました。

その後も「USOTSUKI」「Drivin’ My Life」と作品を重ね、2026年夏には初のファンミーティングツアーを開催しています。

8月の横浜アリーナ、GLION ARENA KOBEで行われた追加公演では、GOICHIさんが自作の新曲「5164」を一人で披露しました。

STARGLOW公式のライブレポートでは、草加で育った自身の背景も織り込んだラップとして紹介されています。

ラップを本格的に始めてから約3年で、自作曲をアリーナのステージで一人で披露するところまで進みました。

父からもらったサングラスとリングを今も大切にする

家族との話は、STARGLOWになったあとにも続いています。

GOICHIさんは2026年のsmart Webの企画で、必需品として父親からプレデビュー祝いにもらったサングラスを挙げています。

さらにリングも父親からもらったもので、現在の活動の中で身につける品として紹介しました。

幼少期の家族構成とは別の時期に、父親との現在の関係が具体的な品物として見えるエピソードです。

地元の公園へ戻ってサッカー|19歳になったGOICHIの現在

2026年には、GOICHIさん自身が地元へ帰ったときの出来事も話しています。

向かったのは、昔からよく遊んでいた公園でした。

「いつも行っていた公園でサッカーして」

SPUR

子どものころには「球技は得意ではない」と話していた本人が、デビュー後に昔の公園へ戻り、サッカーをして過ごしています。

「ひとりのラッパーとしてHIPHOPで評価されたい」という次の目標

高校2年生まで、GOICHIさんはラッパーになることを考えていませんでした。

発表会の代役で初めてラップを担当し、BMSG TRAINEEになってから本格的に練習を始めました。

現在はSTARGLOWのラップパートを担うだけでなく、個人としても次の目標を口にしています。

「ひとりのラッパーとしてもしっかり評価されたい」

smart Web

高校の発表会で予定外に握ったマイクは、現在では自作曲を一人で披露するためのマイクに変わっています。

テレビの前で踊っていた幼少期から、小学1年生で始めたダンスを長く続け、高校時代には思いがけない形でラップと出会いました。

その後、EXPGからBMSG TRAINEEへ進み、高校卒業直後の『THE LAST PIECE』でSTARGLOWのメンバーに選ばれています。

ダンスだけだった子ども時代から始まった道は、現在、GOICHIさん自身の言葉とラップをステージで届けるところまで続いています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
正本DB確認日:2026-09-15

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