朝ドラ『あんぱん』や大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』などにも出演し、俳優として活動の幅を広げている濱尾ノリタカさん。
185cmの長身と印象的なルックスから俳優・モデルのイメージが強い一方、芸能界へ入るまでの生活の中心にあったのは演技ではなく競泳でした。
- 生後半年ごろから水泳を始め、家では父の影響で仮面ライダーなどの特撮作品を見て育った。
- 大学で競泳の進路に悩んだとき、幼少期から好きだった仮面ライダーをきっかけに俳優という道を本格的に考えた。
- 現在の道につながる原点:オーディション
生後半年から水泳を始め、高校ではインターハイやジュニアオリンピックに出場し、大学でも体育会水泳部に所属しています。
ところが大学に入ると、それまで全国大会で戦ってきた競泳で思うように結果が出なくなり、水泳以外の道を初めて本格的に探すようになります。
そのとき浮かんだのが、子どものころに父親と見ていた『仮面ライダー』でした。
濱尾ノリタカの生い立ちと家族|水泳と仮面ライダーが身近にあった幼少期
濱尾ノリタカさんは1999年11月26日生まれ、東京都出身です。
所属事務所・研音のプロフィールには、趣味にファッション、特技に競泳が挙げられています。
生後半年から始まった水泳生活
水泳との付き合いは、本人が自分で習い事を選べるようになるよりずっと前から始まっていました。
生後半年ごろからベビースイミングへ通い、物心がついたころには泳ぐことが生活の一部になっていたといいます。
小学生になると水泳以外のスポーツも経験しましたが、その中で「水泳なら周囲より得意だ」と感じるようになり、少しずつ競技へ気持ちが向いていきました。
「水泳だけは周りの誰よりも得意だった」
BRUTUS.jp
後に俳優になってからも泳ぎ続けていることを考えると、水泳は学生時代だけの部活動ではなく、幼いころから切れ目なく続いてきた習慣でした。
特撮好きの父の影響で仮面ライダーに憧れる
もう一つ、幼少期から身近にあったのが特撮作品です。
父親が特撮好きだったため、濱尾さんも物心がつく前から『仮面ライダー』などを見て育りました。
1999年11月生まれの濱尾さんがまだ赤ちゃんだった2000年1月には『仮面ライダークウガ』の放送が始まり、家族から長く「クウガ坊や」と呼ばれていたというエピソードもあります。
このころに好きだった仮面ライダーが、約20年後、競泳とは別の人生を探す場面で再び進路の候補として浮かびます。
家族との関係と「実家がお金持ち」といわれる背景
家族について本人が語っている具体的な話を見ると、父親だけでなく、母親や妹とのエピソードも確認できます。
母親については、濱尾さんが初めて写真集を出した際、自身のサインを考えるときに書道経験のある母親にも相談したことを明かしています。
子どものころには、実家の近所にあるステーキハウスで母親が友人を呼び、誕生日会を開いてくれた思い出も残っています。
妹とは大人になってからも二人で食事をしており、2023年には久しぶりに一緒にランチをした日の様子を本人がXへ投稿しました。
一方、濱尾さんについては「実家がお金持ちなのではないか」という話も見られます。
後述するように小学生から大学卒業まで一貫校へ16年間通ったことなどは本人の発信でも確認できますが、父親や母親の職業、実家の資産や具体的な世帯収入は公表されていません。
そのため「裕福な家庭だった」と断定できる根拠までは確認できません。
家族情報
公開情報で確認できている家族について、続柄・職業・補足・出典を整理しています。
小学校時代|6年間同じ先生と過ごし教師を夢見る
水泳が少しずつ得意なものになっていく一方、小学生の濱尾さんには、俳優とは別の将来像がありました。
そのきっかけになったのは、学校で毎日顔を合わせていた担任の先生です。
水泳だけは周囲より得意だと気づいた小学生時代
小学生になると、濱尾さんは水泳だけでなくほかのスポーツにも触れました。
そこで、水泳では自分が周囲より先に進める感覚を持ち、それが競技を続ける楽しさになっていきます。
幼児期から何となく続いていた水泳が、自分自身で「得意なもの」と認識するものへ変わった時期でもありました。
6年間同じ担任に教わり「先生と一緒に働きたい」と考える
2026年の『めざましmedia』のインタビューで、濱尾さんは小学校時代について少し珍しい学校生活を明かしています。
6年間クラス替えがなく、担任の先生も変わらなかったというのです。
「6年間毎日、同じ先生に教えていただきました」
めざましmedia
その先生への憧れが強くなり、濱尾さんは小学校の教師になりたいと思うようになります。
教師への思いは一時的なものではなく、高校生になるころまで進路候補として残っていました。
俳優になってからも先生との交流は続き、出演作が決まった際に連絡することがあると話しています。
16年間続いていく友人関係の始まり
学校でできた友人たちとの関係も、小学生時代だけでは終わりませんでした。
濱尾さんは後に、小学校から大学まで16年間同じ一貫校へ通ったと自身のXで明かしています。
大学卒業時には、自分の卒業式を友人たちと一緒に残す企画まで立ち上げました。
小学校のころから付き合いが続く4人組にも触れており、芸能活動を始めた後も学生時代の友人関係が続いていたことが分かります。
濱尾ノリタカさんは1999年11月26日生まれ、東京都出身です。
水泳が少しずつ得意なものになっていく一方、小学生の濱尾さんには、俳優とは別の将来像がありました。
中学生になると、水泳は習い事というより競技としての色が濃くなっていきます。
高校ではバタフライを中心とする競泳選手として活動し、インターハイやジュニアオリンピックにも出場しています。
小学生になると、濱尾さんは水泳だけでなくほかのスポーツにも触れました。
中学・高校時代|競泳へ本気で向き合い全国大会へ
中学生になると、水泳は習い事というより競技としての色が濃くなっていきます。
大きく環境が変わったのは中学3年生のころでした。
中学3年でクラブチームへ移り競泳が本格化
中学3年になるころ、濱尾さんはクラブチームに所属し、より本格的に競泳へ取り組むようになります。
そこには世界レベルで戦う選手もおり、自分より速い選手を日常的に見る環境になりました。
本人は後年、自分よりタイムが速い相手がいても、取り組み方や努力では負けたくなかったと当時を振り返っています。
周囲に強い選手が増えたことで、水泳は「得意だから続けるもの」から「全国で戦うために取り組む競技」へ変わっていきました。
インターハイ・ジュニアオリンピックで戦った高校時代
高校ではバタフライを中心とする競泳選手として活動し、インターハイやジュニアオリンピックにも出場しています。
慶應義塾體育會水泳部には高校・大学時代の競技記録が残っており、「濱尾矩考」という氏名で100mバタフライなどの記録を確認できます。
芸能活動ではカタカナの「ノリタカ」を使用していますが、競泳時代の記録や映画情報媒体などでは本名を「濱尾矩考」とする資料があります。
このころの生活は、学校と競泳が大きな割合を占めていました。
男子校生活の一方で高校まで教師を目指していた
全国大会へ出るほど競泳へ打ち込んでいても、「将来は水泳選手になる」と一本に決めていたわけではありませんでした。
小学校時代に抱いた教師への憧れは高校まで残っており、大学進学を考える段階でも教える仕事が将来の選択肢にありました。
一方で、水泳では高校まで全国の舞台で戦えていたため、大学へ進んでも競技を続けます。
大学時代|男子寮で競泳に打ち込み、初めて壁にぶつかる
大学へ進むと、競泳生活はさらに濃くなりました。
濱尾さんは体育会水泳部の男子寮へ入り、練習だけでなく日常生活も水泳部の仲間や先輩と共に過ごします。
体育会水泳部の男子寮で始まった共同生活
寮では男子4人が1部屋で生活していました。
1年生だった濱尾さんから見ると4年生の先輩たちはかなり大人に見え、中でも部屋をまとめてくれる先輩の姿が記憶に残っているといいます。
食事を誰かが用意すれば、その人にきちんとお礼を伝えるなど、練習以外の時間も先輩・後輩と一緒に過ごす生活でした。
このころの先輩との関係は卒業後も残り、当時の先輩が濱尾さんの初舞台を観に来てくれたことも明かされています。
2025年には、大学水泳部時代の写真を見返し、楽しそうな写真ばかりだったことや当時の記憶がよみがえったことをXにつづっています。
全国で戦えた高校時代から一転、タイムが伸びなくなる
楽しい寮生活の一方、競技では高校までとは違う問題に直面しました。
高校時代までは全国大会で戦えていたものの、大学へ進むと、それまでのようにひたすら練習を重ねるだけではタイムが伸びなくなったのです。
「壁にぶつかって、すごく苦しかったんですよね」
BRUTUS.jp
生後半年から続け、全国大会まで進んだ水泳で、大学に入って初めて大きな壁を感じました。
長い時間を注いできたものだからこそ、水泳以外で自分が「特別だ」と思えるものを探したい気持ちも生まれていきます。
水泳の仲間と関わり続けるためアナウンサーも考えた
競泳選手として先へ進めないと考え始めても、濱尾さんはすぐ水泳から完全に離れようとしたわけではありません。
2026年のインタビューでは、当時アナウンサーも進路として考えていたことを明かしています。
競泳をリポートする仕事なら、水泳を続ける仲間たちと同じ現場に関われるのではないかと考えたためでした。
小学生のころの教師志望に続き、「人前で伝える仕事」が次の候補として現れます。
大学2年で人生が動く|3か月水泳を休み俳優の道を探す
競泳で感じた壁を抱えたまま大学生活を続けるのではなく、濱尾さんは一度、別の可能性を探す時間を作ることにしました。
ここで、幼少期から大学まで一直線だった水泳中心の生活が初めて大きく動きます。
「3か月だけ時間をください」と両親と部活へ頼む
大学2年生のとき、濱尾さんは両親と水泳部へ相談しました。
水泳を3か月だけ休み、その間に別の世界へ飛び込むきっかけを探すことにしたのです。
「3ヵ月だけ時間をくださいとお願いして水泳を休んで」
BRUTUS.jp
その期間にはオーディションを受けたり、さまざまな人に会いに行ったりして、自分が進める道を探しました。
大学や部活をその場で辞めてしまうのではなく、期限を決めて一度競技から離れた形でした。
幼いころ好きだった仮面ライダーから俳優という仕事を思い出す
水泳以外の道を考える中で思い出したのが、父親の影響で幼いころから見ていた仮面ライダーでした。
「仮面ライダーになりたい」と考えたところから、初めて俳優という職業が現実的な進路になります。
芸能界そのものへの漠然とした憧れからではなく、「仮面ライダーへ出演したい」という具体的な目標から俳優を目指し始めました。
2021年に『仮面ライダーリバイス』への出演が発表された際には、本人も公式Xで同シリーズを「俳優を志したきっかけの作品」と表現しています。
セレクトショップで働きながらファッションも学ぶ
大学時代には、俳優を目指す動きと並行してセレクトショップでアルバイトも始めました。
服へ本格的に興味を持ち始めたのは大学1年生の途中で、俳優を目指すならファッションも勉強した方がいいと勧められたことがきっかけだったといいます。
勤務先にはスタイリストや芸能関係者も訪れ、店で扱うブランドの歴史やデザイナーについて、自分で調べながら知識を増やしていきました。
研音の現在の公式プロフィールでも趣味はファッションと記載されており、この大学時代に興味が深まったことが分かります。
研音所属からデビューへ|初仕事は憧れていた『GQ JAPAN』
俳優になると決めても、濱尾さんに芸能事務所とのつながりがあったわけではありませんでした。
所属先も自分で調べ、その中から研音へ応募しています。
自分で事務所を調べ研音へ応募する
研音には、以前から憧れていた反町隆史さんをはじめ、テレビで見てきた俳優たちが所属していました。
濱尾さんは自分で芸能事務所を調べた際、知っている俳優ばかりだと感じたことを覚えていると話しています。
そして2019年7月、研音への所属が発表されました。
所属決定直後に親へ電話した
所属が決まったときには、普段とは少し違う行動もしています。
本人によれば、自分のことを親へあまり話すタイプではなかったそうですが、事務所を出るとすぐに電話しました。
「所属できることになったよ!」
研音 KEN MAGA
幼少期から水泳を支えてきた家族へ、競技とは違う道で最初の大きな報告をした場面でした。
初仕事でルイ・ヴィトンを着て『GQ JAPAN』に登場
所属後の最初の仕事は、ドラマではありませんでした。
『GQ JAPAN』のルイ・ヴィトンとのタイアップ撮影です。
大学時代にセレクトショップでブランドについて調べ、ファッション誌にも憧れていた濱尾さんにとって、思いがけない形で仕事につながりました。
「初めてのお仕事で、本当に夢のようでした」
研音 KEN MAGA
その経験をきっかけに、俳優だけでなくファッションの世界でも仕事をしたいという思いが強くなっていきました。
初ドラマで初めてカメラの前でセリフを話す
俳優としては、2020年放送のドラマ『ピーナッツバターサンドウィッチ』などから本格的に活動を始めます。
学生時代に本格的な演技経験があったわけではなく、小学校の学芸会程度だったという濱尾さんにとって、撮影現場は初めて経験することばかりでした。
競泳では長く結果を残してきましたが、演技では再び基礎から覚えていくことになります。
仮面ライダーのオーディション落選から『リバイス』へ
研音に所属した目的の一つには、はっきりと仮面ライダーシリーズへの出演がありました。
ただし、事務所へ入っただけで子どものころからの憧れがすぐ実現したわけではありません。
最初のオーディションで演技ができず落選
濱尾さんが研音へ所属したころには『仮面ライダーゼロワン』のオーディションはすでに終わっており、その次の作品でチャンスが訪れました。
しかし、そこで役をつかむことはできませんでした。
初めて受けた仮面ライダーのオーディションでは思うように演技ができず、不合格になっています。
水泳なら何年も積み上げてきた基礎がありましたが、芝居ではその土台自体がまだありませんでした。
基礎練習とワークショップを重ねる
落選後に濱尾さんが始めたのは、派手なことではなく発声、ストレッチ、トレーニングなどの基礎でした。
さらに、自分で監督や演出家が主宰する俳優向けワークショップを探し、参加するようになります。
水泳で身につけてきた「まず基礎を作る」という考え方を、始めたばかりの芝居にも持ち込みました。
競泳とはまったく別の仕事へ進んだように見えて、この時期には水泳時代と似た練習の積み重ねが始まっています。
子どものころからの憧れだった『仮面ライダーリバイス』出演へ
次に巡ってきたオーディションで役をつかみ、2021年から放送された『仮面ライダーリバイス』へジョージ・狩崎役で出演します。
父親と特撮を見ていた幼少期から始まった「仮面ライダーになりたい」という思いが、大学での競泳生活を経て仕事として実現しました。
劇中では、濱尾さん自身が特に好きな『仮面ライダークウガ』を意識した動きを取り入れたことも本人が明かしています。
大学卒業とその後|競泳で過ごした時間が俳優の仕事へ残る
俳優活動を始めた後も大学生活は続き、濱尾さんは仕事と学業を並行しました。
そして2022年3月、長く通ってきた学校生活にも区切りがつきます。
16年間同じ学校で過ごした友人と迎えた大学卒業
卒業時、濱尾さんは小学校から16年間通った一貫校を卒業したことを自らXで報告しました。
さらに、卒業式を友人たちと残す企画を自らプロデュースしています。
芸能活動だけを撮影する企画ではなく、長く一緒に過ごしてきた友人たちとの卒業の場面を形にしたものでした。
男子寮の記憶を役作りに使うようになる
大学時代が過去になったあと、寮生活で見てきた先輩・後輩の姿が俳優の仕事で再び出てくることもありました。
2023年のドラマ『マイ・セカンド・アオハル』ではシェアハウスで暮らす大学生を演じ、役作りの際に自身の寮生活を思い返しています。
4年生の先輩が1年生だった自分にはどのように見えていたか、先輩とはどんな存在だったかを考えながら役へ取り入れました。
男子4人部屋で過ごした時間は、競泳の思い出として残っただけではなく、後に大学生役を演じる材料にもなりました。
競技を離れたあとも水泳は生活と俳優の体づくりに残った
大学2年生の夏を境に競泳選手としての道からは離れましたが、水泳そのものをやめたわけではありません。
2025年のインタビューでは、現在も週に2〜3回ほど泳いでいると話しています。
目的の半分は俳優としての体づくりで、もう半分は気持ちを整える時間だと説明していました。
「アイデンティティそのものだとも思っています」
BRUTUS.jp
競泳選手になる道は終わっても、生後半年から続けてきた「泳ぐ生活」は俳優になった現在まで残っています。
『あんぱん』『べらぼう』などを経て現在へ
『仮面ライダーリバイス』以降は、『大奥』『埼玉のホスト』『マイ・セカンド・アオハル』『東京タワー』『笑うマトリョーシカ』など、役柄の異なる作品への出演が続きました。
2025年には大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』、連続テレビ小説『あんぱん』にも出演しています。
2026年8月現在も研音に所属し、ドラマや映画で俳優活動を続けています。
生後半年から始まった水泳、小学生のころに憧れた教師、中高で本格化した競泳、そして大学で初めて感じた大きな壁が、濱尾さんの20歳前後までの時間を形作ってきました。
大学2年生で水泳を3か月休んだことを境に進路は競泳から俳優へ変わりましたが、水泳そのものは現在も生活の中に残っています。
子どものころ父親と見ていた仮面ライダーを入口に始まった俳優生活は、学生時代とは違う場所へ進みながらも、昔から続くものを何度も仕事の中へ連れてきています。
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