ヒロ・オクムラの生い立ちと家族|高校から東京農工大学へ進み芸人になるまで

ヒロ・オクムラ
ひと目でわかるプロフィール ヒロ・オクムラ
ひろ・おくむら
出身地
奈良県
生まれ年代
1980年代生まれ
活動ジャンル
お笑い芸人
性別
男性
キャリアの原点
養成・修業

ヒロ・オクムラさんは、SMAに所属するピン芸人です。

2025年にはR-1グランプリ決勝へ進み、三福エンターテイメントさんとのユニット「今夜も星が綺麗」ではM-1グランプリ2024・2025で2年連続準決勝へ進出しました。

2026年には「今夜も星が綺麗」でダブルインパクト決勝にも進み、ピンと漫才の両方で活動を続けています。

そんな現在からさかのぼると、子どものころは奈良県で関西のお笑い番組を見て育り、高校卒業後は東京農工大学農学部環境資源科学科へ進んでいました。

しかも大学4年の夏までは大学院へ進むつもりで、研究室で院試の勉強をしていたところから、突然「芸人 養成所」と検索して進路を変えています。

一人で舞台に立つのが怖く、養成所ではピン芸人として所属できる可能性を自分から断った時期もありました。

ヒロ・オクムラの生い立ちと家族|奈良でお笑いを見て育った子ども時代

ヒロ・オクムラさんは1989年7月13日生まれ、奈良県出身で、子どものころから笑いのある環境に親しんでいました。

クラスのランキングで何でも1位を狙った「オモロイ子」

本人によると、子どものころは学校で「クラスのオモロイ子」という立ち位置だったそうです。

学校の文集などで行われる「○○ランキング」でも、何か一つではなくいろいろな項目で1位を取りたいと頑張る子どもでした。

「子どものころは、クラスのオモロイ子でした。」

Cocotame

勉強についてもまったく手を付けないタイプではなく、後に本人が「奈良県では有名な進学校」と説明する高校へ進む程度には成績を保っていました。

中川家を見ながら「芸人には普通になれる」と思っていた

奈良で暮らしていたころは、お昼や夕方にも漫才番組が放送される関西のテレビ環境の中で、日常的にお笑いを見ていました。

特に好きだったのが中川家で、お笑い番組を見続けるうちに芸人という職業にも興味を持つようになります。

「芸人には、普通になれるもんやと思ってました」

Cocotame

この時点では養成所やオーディションを調べていたわけではなく、芸人になるための具体的な準備を始めるのは大学4年になってからでした。

両親と弟のいる家族|奈良の実家で育つ

家族については、本人の発言や公式Xに父親、母親、弟が登場しています。

子ども時代の家族との細かな日常は多く公表されていませんが、高校卒業後の進路を考えた際には両親から大学進学について具体的な条件を示されていました。

その条件が、のちに奈良を離れて東京農工大学へ進む進路にも関わることになります。

ヒロ・オクムラの高校時代|センター試験失敗から進路が一変

高校は本人が「奈良県では有名な進学校」と明かしていますが、学校名そのものは公表していません。

奈良の進学校へ進むも予備校へ行かずお笑い番組を見ていた

高校では成績が極端に悪かったわけではなく、そのこともあって本人は大学受験をかなり楽観していました。

高校3年になると周囲の友人たちは予備校へ通い始めましたが、ヒロ・オクムラさんは学校からそのまま家へ帰り、テレビのお笑い番組を見ていたそうです。

一方で、高校卒業後にはどうしても実家を離れて一人暮らしをしたいという希望がありました。

両親から出された条件は「浪人はしない」「私立大学と塾はお金がかかるので不可」「自力で現役の国立大学へ入る」というものでした。

「東大へ行く」と言っていた高校3年生がセンター試験で失敗

模試を十分に受けていなかった本人は自分の現在地を把握しないまま、センター試験前には周囲へ「東大に行く」と口にするほどでした。

ところが高3の1月、本番のセンター試験で思うような点数を取れませんでした。

学校で自己採点をした際には、点数を見た担任から東大へ行ける得点ではないと現実を突きつけられます。

それまで楽観していた大学受験が、センター試験を境に一気に現実的な進路探しへ変わりました。

全国の赤本を集め、1か月で東京農工大学を目指した

条件は「今から狙える国立大学」であることに加え、念願の一人暮らしをするため奈良の実家から通えない距離にあることでした。

そこで全国の大学を調べ、北海道大学から琉球大学まで赤本を取り寄せて進学先を探します。

その中で見つけたのが、東京都にある東京農工大学でした。

「あの時期が、人生で一番勉強しましたね」

Cocotame

受験本番まで残された約1か月で勉強を重ね、東京農工大学に合格しました。

人生年表 ヒロ・オクムラさんの歩み
幼少期
ヒロ・オクムラの生い立ちと家族|奈良でお笑いを見て育った子ども時代

ヒロ・オクムラさんは1989年7月13日生まれ、奈良県出身で、子どものころから笑いのある環境に親しんでいました。

高校
ヒロ・オクムラの高校時代|センター試験失敗から進路が一変

高校は本人が「奈良県では有名な進学校」と明かしていますが、学校名そのものは公表していません。

高校
「東大へ行く」と言っていた高校3年生がセンター試験で失敗

模試を十分に受けていなかった本人は自分の現在地を把握しないまま、センター試験前には周囲へ「東大に行く」と口にするほどでした。

学生時代
全国の赤本を集め、1か月で東京農工大学を目指した

条件は「今から狙える国立大学」であることに加え、念願の一人暮らしをするため奈良の実家から通えない距離にあることでした。

学生時代
東京農工大学へ進学|奈良を離れて始まった一人暮らし

東京農工大学に合格したことで、ヒロ・オクムラさんは奈良を離れて念願だった東京での一人暮らしを始めました。

学生時代
大学院進学を準備していた4年夏、研究室で突然「芸人 養成所」と検索

大学4年になるころには就職するつもりはなく、周囲の学生と同じように大学院へ進む準備をしていました。

学生時代
芸人になるためワタナベコメディスクールへ|大学の後輩と入所

大学でお笑いサークルへ入っていたわけでもなく、芸人になるための人脈もない状態から養成所探しが始まりました。

現在
プロレスネタが現在の実況仕事へ続いていく

Wニードロップのネタには、小橋太っ太さんが得意としていたプロレスラー・小橋建太さんのモノマネが使われていました。

東京農工大学へ進学|奈良を離れて始まった一人暮らし

東京農工大学に合格したことで、ヒロ・オクムラさんは奈良を離れて念願だった東京での一人暮らしを始めました。

農学部環境資源科学科で水質や大気を調べる学生生活

進学したのは農学部環境資源科学科で、環境問題を扱う学科でした。

授業では水質や大気を調査するフィールドワークもあり、本人はこうした実習自体は楽しかったと話しています。

ただし東京農工大学そのものへの強い憧れから受験したわけではなく、本人が一番求めていたのは奈良を離れて一人で暮らすことでした。

大学では単位がギリギリになることもあり、自身を「真面目な面倒臭がり」と表現し、最後に帳尻を合わせるところは現在も変わらないと語っています。

大学院進学を準備していた4年夏、研究室で突然「芸人 養成所」と検索

大学4年になるころには就職するつもりはなく、周囲の学生と同じように大学院へ進む準備をしていました。

研究室の先輩との関係もよく、大学院で続ける研究にも面白さを感じ、奈良県にある大学院大学のオープンキャンパスへ足を運ぶところまで進んでいました。

ところが大学4年の夏、院試の勉強中に「あと2年この研究を続けるのか」と突然考えます。

「その場で、研究室のパソコンで“芸人 養成所”って検索しました(笑)」

Cocotame

大学院へ進む準備をしていたその研究室で、芸人になるための最初の検索をしました。

芸人になるためワタナベコメディスクールへ|大学の後輩と入所

大学でお笑いサークルへ入っていたわけでもなく、芸人になるための人脈もない状態から養成所探しが始まりました。

検索上位に出た養成所を選び、1学年下の後輩を誘った

最初に選んだのはワタナベコメディスクールでした。

決め手は驚くほどシンプルで、検索したときに上位に出てきたことと、ワタナベという名前を知っていたことでした。

一人で入ることには不安があり、大学の1学年下にいたお笑い好きの仲のいい後輩を誘い、二人で入所しています。

吉本興業のお笑いは大好きでしたが、好きな芸人との距離が近くなりすぎる感覚からNSCには行かず、あえて別の養成所を選びました。

相方変更と解散を繰り返し、ピンの所属審査を自分から断った

ワタナベコメディスクール16期で最初に組んだ大学の後輩とのコンビは続かず、その後も相方を変えては解散する時期が続きました。

養成所を卒業するころには相方がおらず、ワタナベエンターテインメントへの所属を懸けたオーディションへピンで出ることになります。

1次審査は通過しましたが、2次審査を前に本人が辞退を申し出ました。

「ピン芸人にはなりたなくて。」

Cocotame

本人は後年、落ちることへの怖さに加え、一人で舞台に立つこと、特に一人コントが怖かったと明かしています。

Wニードロップ結成|14歳年上の先輩から自分の見せ方を教わる

養成所を出た後はいったんフリーになり、同期とのコンビで事務所へ所属したものの、そのコンビも解散しました。

小橋太っ太から誘われ、2015年にコンビを結成

再び一人になったところで声をかけたのが、同じ事務所にいた14歳年上の先輩・小橋太っ太さんでした。

2015年1月1日に二人でWニードロップを結成します。

それまで相方変更と解散を繰り返してきたヒロ・オクムラさんにとって、Wニードロップは初めて手応えを感じるコンビになりました。

「Wニードロップでようやくウケ始めました。」

Cocotame

強すぎるツッコミを変え、初めて客席の反応が変わった

当時のヒロ・オクムラさんは、小柄で細身という外見とは反対に、舞台では強い口調でツッコむことが多かったそうです。

本人は当時の自分を、実際の見え方とは違って「大型犬」だと思っていたと例えています。

小橋さんからは、その見た目で強くツッコむより、弱い側の人物として見せたほうがお客さんに笑ってもらえると指摘されました。

自分が舞台上で客席からどう見えているのかを教えられ、ツッコミの出し方を変えると反応も変わっていきました。

プロレスネタが現在の実況仕事へ続いていく

Wニードロップのネタには、小橋太っ太さんが得意としていたプロレスラー・小橋建太さんのモノマネが使われていました。

ヒロ・オクムラさん自身も子どものころからプロレス好きで、小橋さんがレスラーのモノマネをする横からツッコミを入れる形のネタを披露していました。

このころの活動は後に仕事にもつながり、プロレスリング・ノア関連番組への出演や、モノマネプロレス団体SUGAMOプロレスでの実況を担当するようになります。

子どものころは周囲にプロレスの話をできる友人がいなかったことも、本人は後年の公式Xで振り返っています。

SMA移籍からWニードロップ解散へ

Wニードロップは活動する事務所を変えながらライブ出演を続け、2017年に現在の所属先であるソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)へ移りました。

移籍先が決まらない中、SMAへメールして面接当日に所属

当時所属していた事務所では、二人が世話になっていた弾丸ジャッキーが解散し、それをきっかけにWニードロップも事務所を離れました。

ところが新しい所属先を探すと、ヒロ・オクムラさんはまだ若手だった一方、14歳年上の小橋さんはベテランの年齢に入っており、コンビとして受け入れてもらえない状況が続きます。

小橋さんからSMAへメールするよう言われて連絡すると返事があり、二人は劇場Beach Vへ面接に向かいました。

面接を受けたその日にSMA所属が決まり、その週末には事務所ライブへ出演しています。

錦鯉ら先輩と同じライブで揉まれたBeach V時代

SMAの事務所ライブには観客投票によるクラス分けがあり、Wニードロップはそれまで作ってきたネタを持って次々と上のクラスへ進みました。

同じライブには錦鯉、や団、だーりんず、ロビンフット、マツモトクラブらが出演していました。

ヒロ・オクムラさんは、こうした先輩たちの中へ入って競う環境で鍛えられたと振り返っています。

その一方で、芸人としての生活は華やかな仕事だけではなく、2018年には本人がコンビニの商品陳列をするアルバイトについて公式Xへ投稿していました。

この投稿では弟がマンション購入を検討していることにも触れており、兄弟がそれぞれ違う生活を送っていた時期の様子も見えます。

2020年、5年間続いたWニードロップが解散

事務所ライブでは結果が出るようになった一方、M-1グランプリでは2回戦までで止まる時期が続きました。

小橋さんは痛風の影響でライブを休むことが増え、就職など今後の生活についても考える時期に入っていました。

二人で話し合い、2020年に5年間続いたWニードロップを解散することになります。

解散を決めた時期には新型コロナウイルスの感染拡大も重なり、舞台そのものが開かれなくなっていきました。

2020年3月には奈良の実家から配信しようとしたものの、家族全員からゲスト出演を断られたことも本人らしく報告しています。

苦手だったピン芸人へ|一人コントを作り始めた2020年

Wニードロップを失ったことで、養成所時代に避けていたピンでの活動へ本格的に向き合うことになりました。

コロナ禍でライブがなくなり、SMAを辞めることまで考えた

最初は小橋さんがライブを休んだときに披露していたフリップ芸や漫談を使いながら、一人で舞台へ立っていました。

ところがコロナ禍で客前のライブがなくなり、ネタを見せる相手が芸人だけという状況になります。

もともと本番前には食事が喉を通らないこともあるほど緊張するタイプで、コンビを失った直後の時期にはSMAを辞めようと考えるところまで追い込まれていました。

R-1で勝つため一人コントを何十回もライブへかけた

それでも2020年、R-1で勝つことを考えたときに本人が選んだのは、養成所時代から最も嫌がっていた一人コントでした。

SMAには賞レースで結果を出してきた先輩が多く、ネタの作り方だけでなく、賞レースへ向けた仕上げ方も周囲から学んでいきます。

客層を選ばず同じネタを何十回もライブへかけ、少しずつ直す方法を続けた結果、2020年のR-1で準々決勝へ進みました。

一度の手応えで完成とせず、舞台へ出して修正を繰り返すやり方は、後のR-1グランプリ2025でも続いていきます。

「今夜も星が綺麗」結成|三福エンターテイメントとの毎日のZoomから始まった

ピンとして再出発した2020年には、現在まで続くもう一つの活動も始まります。

コンビ時代の企画漫才で三福エンターテイメントと知り合う

きっかけは、まだWニードロップとして活動していたころにピンで呼ばれたライブでした。

企画の中でプロダクション人力舎のピン芸人三福エンターテイメントさんと漫才をする機会があり、実際にやってみると楽しかったことから交流が生まれました。

その後、コロナ禍でライブが止まり、二人の過ごし方も変わります。

ライブのない19時に始めた30分のZoomがYouTube配信へ

それまで二人にとって19時はライブ本番が始まることの多い時間でした。

ライブがなくなってもその時間に何もしていないことが落ち着かず、誰に見せるわけでもなく二人で毎日30分ほどZoomで話すようになります。

やがて「どうせなら生配信しよう」という話になり、Zoomでの雑談はYouTubeチャンネル「今夜も星が綺麗ですね」での配信へ変わりました。

Wニードロップ解散後には二人でM-1へ出ることになり、M-1グランプリ公式サイトでは2020年7月1日結成と記録されています。

2021年になると、奈良の実家とのやり取りでは母親が畑で作ったレモンを送ってきたことも公式Xへ投稿していました。

M-1準決勝へ進み、漫才でも賞レースの舞台へ

「今夜も星が綺麗」では三福さんがボケ、ヒロ・オクムラさんがツッコミとなり、コント漫才を中心に活動しています。

結成後はM-1へ毎年挑戦し、2024年には初めて準決勝へ進出し、敗者復活戦にも出場しました。

2025年も再び準決勝まで勝ち進み、2年連続でM-1敗者復活戦へ進みました。

ピンで一人コントを続ける一方、漫才をしたいと話していたヒロ・オクムラさんにとって、三福さんとのユニットはもう一つの継続的な活動になっています。

R-1決勝とオールナイトニッポン|ピンとトークでも大舞台へ

漫才でM-1準決勝へ進んだ直後の2025年、今度はピン芸人として大きな結果が出ました。

100回以上磨いた一人コントでR-1グランプリ2025決勝進出

2025年のR-1へ向けても、それまで身につけた「同じネタを何度も舞台へ出して修正する」という方法を続けました。

「今年のR-1ネタは、もう100回以上やってますね。」

Cocotame

養成所時代には一人コントが嫌でピンの所属審査を辞退した人が、一人コントを100回以上磨いてR-1グランプリ2025決勝へ進みました。

決勝ではトップバッターを務め、コント「ベンチャー」を披露しました。

順位は9人中最下位でしたが、この結果も間もなく次の仕事へつながります。

決勝最下位の話を武器に「お笑い有楽城」で優勝

R-1決勝から約1か月後の2025年4月、ニッポン放送の「オールナイトニッポン0~決戦!お笑い有楽城~」へ出演しました。

これは若手芸人がラジオ形式のフリートークを競い、優勝者がオールナイトニッポンの単発パーソナリティ権を獲得する企画です。

ヒロ・オクムラさんはここでR-1決勝最下位についてのトークを披露し、優勝しました。

「R-1グランプリ決勝で最下位になった話をしたら、お笑い有楽城で優勝できました。」

ニッポン放送 NEWS ONLINE

賞レースで最下位になった出来事が、そのまま別の舞台で話す材料になりました。

オールナイトニッポン0の2時間生放送を任された

「お笑い有楽城」優勝によって、2025年5月10日深夜には「ヒロ・オクムラのオールナイトニッポン0(ZERO)」が放送されました。

数分のフリートークで勝ち取ったのは、午前3時から5時までの2時間生放送でした。

その年の秋に行われた次回の「お笑い有楽城」では、前回優勝者として司会も担当しています。

「今夜も星が綺麗」でダブルインパクト決勝へ|現在もピンと漫才を並行

R-1決勝後もヒロ・オクムラさんはピンだけに一本化せず、「今夜も星が綺麗」での漫才と並行して活動しています。

2025年もM-1準決勝、2026年はダブルインパクト決勝進出

「今夜も星が綺麗」は2025年のM-1グランプリでも準決勝へ進み、2年連続で敗者復活戦に出場しました。

さらに2026年には、漫才とコントの両方で競う「ダブルインパクト2026」で8組のファイナリストに選ばれます。

7月20日の決勝では漫才を披露し453点で8位となり、ファーストステージで大会を終えました。

ピンではR-1決勝、ユニットではM-1準決勝とダブルインパクト決勝という、異なる形式の賞レースへ進む活動になっています。

ピン、漫才、プロレス実況、トークを並行する現在

現在はピンのコントを続けながら、「今夜も星が綺麗」では三福エンターテイメントさんとの漫才やYouTube配信を継続しています。

子どものころから好きだったプロレスではNOAH関連番組やSUGAMOプロレスの実況にも活動が広がりました。

さらにR-1決勝後にはフリートークからオールナイトニッポン0までつながり、ネタとは別に「話す仕事」も増えています。

大学4年の研究室で養成所を検索したところから始まった芸人人生は、一人コント、漫才、プロレス実況、ラジオへと活動の形を増やしてきました。

奈良でお笑い番組を見ながら育ったころには、芸人は「普通になれるもの」だと思っていました。

高校受験ではセンター試験後の1か月で進路を変え、大学では大学院進学の準備中に再び方向を変えて芸人の養成所へ入りました。

何度ものコンビ結成と解散を経て、一番避けていたピン芸にも向き合った先に、現在のヒロ・オクムラさんの活動があります。

参考・出典 この記事で参照した主な資料

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